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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

食べる?

作者: 黒笠

 塾の夏期講習というのは塾講師にとっては、1年でもっとも精神的、身体的に厳しい時期の1つである。

 某県某所の学習塾に勤める講師の伊藤も多分に漏れず、8月の初旬、忙しい日々を過ごしていた。

(あと3日もこれが続くのか)

 仕事を終えた帰り道、車を走らせながら伊藤は思う。

 4日間講習が続いて1日休み、また4日間講習の繰り返しである。

 今日は4日サイクルの初日であった。

 片側一車線の主要地方道上である。

「おいおい、またかよ」

 伊藤は毒づいていた。

 もう何度目になるだろうか。

 信号待ち、青になったというのに前方車両が発車しない。

 クラクションを鳴らしてやろうかと考えが頭をよぎるも。

(変なやつだとやばいからな)

 ニュースで交通上の揉め事から厄介になった事件をいくつも目にしている。たいがいきっかけはクラクションなのだ。

(それに)

 十秒ほど経過すると前の車が進み出す。

 待てば進むのだった。

 青い綺麗なクーペ型の車両だ。速度も走り出すと速すぎず遅過ぎず、である。追い抜こうにもオレンジ色の中央線の区間であり、追い越し禁止の規制がかけられていた。

(携帯でゲームでもしてんのかな)

 いかにも若者が乗っていそうだ、などと車体の色から勝手に伊藤は決めつける。

 また信号が赤になった。

 前の車両が止まり、自分も止まった。

 青になる。

 また動かない。しばらくしてから走り出す。

(道を変えるか。仕方ない。苛立っても俺が損するだけだからな)

 伊藤は思い、おとなしく自分の方が進路を変えることにした。

 すると、前の車両も遅れてウィンカーを出して同じ方向に曲がる。

(ウィンカーがおせぇよ)

 追突事故に繋がってしまうではないか。

 いよいよ危ないのでもう一度、伊藤は進路を変えようとした。たまたま方向が同じだっただけかと思っていたのだが。

 また、遅れてウィンカーを出して前の車両が同じ方向へ進む。

 前を取られてついてこられているのではないか。

 また赤信号で止まる。

 青になってもしばらく待たされた。

(いいかげんにしろよ。こっちは、帰って寝ても6時には起きて、7時には家を出て。風呂入って夕飯を食ってたら5時間も眠れねぇんだぞ)

 車の時計を見るに既に深夜0時を回っている。

 時間の計算をするとますます腹が立ってきた。

 とっとと家に帰って風呂に入りたい。夕食もまだ食べていないというのに。なんの権利があって邪魔をしてくるのか。

「そういうんなら、言ってやるよ」

 何度目かの信号待ちを経て、伊藤は決意した。一言決めないと気が済まない。

 果たしてまた、赤信号に差し掛かった。

 乱暴に音を立てて伊藤は降車してドアを閉める。

 車道を歩く。いつもなら絶対にやらないことだ。

「おい、あんたっ!さっきから」

 伊藤は運転席を外から見てしまい、言葉を呑み込んだ。『さっきからなんだというんだ』と言うつもりだった。

 運転席に座っていたのは若い男だった。若いと思ったのは、髪が黒く、色白の肌つやが良いからだ。白いワイシャツに黒地に白い斑点模様の変わったスラックスを穿いている。

 異様なのは一心不乱に両手をハンドルから放し、頭を掻きむしっているということ。

(違う)

 白い斑点だと思ったのは、掻きむしる男の頭から降り積もる頭皮、フケだ。

 ポロポロと音もなく、男の手が動くたびフケがスラックスに付着する。掻くことに集中しているようで、衣服についたフケなど男は見向きもしない。

(信号待ちのたびに?)

 頭を掻きむしっていて、発進が遅れたというのか。

 粉のようなものから、剥がれた皮膚のようなものまで、よく見ると雑多な大きさのフケ。中には血が滲むところも掻いたのか、赤みを帯びたものまで。

 伊藤は見たくもないはずなのに見入ってしまい、続く言葉を発することが出来なかった。

 いつの間にか信号が青に変わっている。

 安全確認のためなのか。男が顔を上げて首を動かす。

 自分を視界に捉えた。

 ニチャァッと顔にこびりつくような笑顔を浮かべる。

 運転席側の窓を開けた。

 掻いていた右手の人差し指と中指がボサボサの頭髪の中で、何かを掴むような動きをする。うまくいったようだ。

 笑顔のまま右手を差し伸べてくる。人差し指と中指でまだ髪の毛の刺さる5ミリほどの頭皮を掴んでいた。


「食べる?」


 あまりのおぞましさに伊藤は背中を向けて自分の車に駆け戻った。

(食え?頭皮を?剥がしたフケを?)

 戸惑いながらエンジンの掛けたままの車を展開させた。

 なぜそんなことを言われたのかも分からない。

 意味もわからないまま、伊藤は車を走らせて逃げる。

 逃げながら思わず視線をルームミラーに向けると、ヘッドライトが見えた。

(追ってきてる、畜生っ)

 アクセルを踏み込んで加速した。

 とにかく真っ直ぐ家には戻れない。撒かないと戻れない。

 アパートに一人暮らしなのだ。怖くてしょうがなかった。

(食うわけねぇだろっ!食うわけねぇだろっ!)

 いつもなら絶対にしない信号無視を連発した。

 なんなら警察に捕まったほうが安心できる。

 そんな時に限って捕まらない。

 いつの間にかヘッドライトが見えなくなった。青い車のヘッドライトだったかどうかも、いざ冷静になると分からないながら、伊藤は安堵する。

 だが、油断は禁物だと言い聞かせながら、アパートの駐車場に車を入れた。

 降車する。

(逃げ切れた、のか)

 ライトの光も見えないし、エンジンの音もしない。

 今度こそ本当に安心して、伊藤はアパートの自室へと鍵を開けて入るのであった。

 時刻は深夜の一時を回っている。いつもより遥かに遅い帰宅とはなったものの、無事に帰宅できて良かったとも思う。

 泥のように眠って、また翌日からの激務をこなしていく。

 忙しいだけで異様なことは何もなく、伊藤はあまりに忙しい日々を過ごしていた。

 あまりの忙しさに頭皮の件も男のことも記憶が次第に薄れていく。

 2日が過ぎて、4日サイクルの最終日。

 伊藤は疲れ切っていながら、例年どおり翌日が休みであること、ただ1つを頼みに1日を働き切った。

(とにかく眠い。食って、風呂入って、寝たい)

 身体が睡眠と休養を欲していた。

 ふらふらになりながら自分の車に乗り込んだ。

 家を目指す。

 いつもどおりの道をいつもどおりに運転して、自宅アパートの駐車場へとたどり着く。

 車のエンジンを切って、降車しようという時だった。

「うおっ」

 身体が後ろに引っ張られるような感覚に、思わず伊藤は声を上げてしまう。

 身体が後ろに傾いたのだ。それもシートごと。つまりはシートを倒されている。

 気付いた時にはもう、声を上げたままの口に、ガラスの瓶を押し付けられていた。

 何とも言えない嫌悪感と臭いを放つ瓶だ。大きさはジャムの入っていたであろうぐらいの、小さなものだ。小さいのに臭気だけは異様に強い。

(なんの臭いだよ)

 もがこうにもあまりに臭く、また何者かに後ろから押さえつけられていた。 

 やがて、臭いの正体が瓶から口の中へと落ちてくる。

 直感的に、もう伊藤は理解していた。

(フケだ。これは、これはあいつの頭皮だ)

 自分は頭皮を食わされている。

 飲み込みたくないのに飲み込まされているのだ。

 そのまま伊藤はただフケを食わされていく。そして必死で視線を上に向けると、あの若い男が粘りつくような笑顔で自分の口に瓶をあてがっているのであった。以上。

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