後編
アレックスと他国の避暑地で知り合ったのは、三年前。友人と共に夏を別荘地で過ごしているという彼の素性は聞かなかった。
そして母と訪れていた私も、素性は明かさなかった。もう初老に差し掛かる陛下が亡くなれば、第三夫人である母の立場は極めて弱くなる。母は豊満な体と美貌が取り柄なだけの下級貴族の娘だった。
その娘の私も、ちょうど良い年齢の王子と婚姻外交でもするのでなければ、大して役に立ちもしない。そう周囲からも見られていたはずだ。
お互いが常に「友人連れ」で、二人きりになることはなかったけれど、よく話しよく笑い記憶に残るひと夏を過ごした。
彼はなんの約束もしなかったし、次の年もこの避暑地に来られるかは不明で、お互い連絡先も聞かずにわかれて、それっきり。
「私がへルツオの娘だと知って、今回のお招きですの?」
「フェデリカ」と確信を持って呼ばれては、他人のそら似と言い逃れるのも無理がある。
「使者から君の外見を聞いても、絶対の確信はなかったけれど。――フェデリカと言う名は珍しくないと、君が言っていたから」
そう、彼は見た目より低い声だった。声が聞きたくて、たくさん話してくれるよう話題をふり続けたのだと回想しつつ、次のグラスを催促する。
「ずいぶん探したよ、君のことを」
言いながら、アレックスは給仕の差し出したグラスを横取りして口をつけた。
それ、わたくしの。とは言えない圧力を感じて押し黙る。
「なかなか見つからないわけだ、姫殿下ではね」
苦笑しても整っている顔は、三年前と変わらない。
「探した?」
思いがけない言葉に、聞き返す。
「君が言っていたから。『年頃になって役に立つ場がなければ、こんな生活はできなくなる』と」
まさかそれほど正直に、不安定な立ち位置と内情を、会ったばかりで素性を知りもしない彼に吐露していたとは。
苦笑するのは私の方だ。
「そんな他愛もない話を覚えていて下さったのね。あなた本当にお優しいのね」
再度、給仕を呼びグラスを要求する私に、彼が微笑した。そしてまた横から手を伸ばして、酒を渡してはくれない。
「優しい?」
意味がわからないという風に、彼が問う。
「優しくなければ、何ですの? 妃に納まろうと思って遠路はるばる来てみれば、目当ての王子は私とは正反対の清楚な美人に心を奪われている。ちょうど良い年頃の王子がいて、我が国と国交を強化したい国はそうはないわ。役立たずの私を慰めてくださるのでしょう?」
王女としては下位の私を有り難がるのは、この国のような小さな国だけ、とはさすがに言い控えた。
自嘲気味に口にすれば、彼が愉しげになった。
「『清楚な美人』があんなに思わせ振りな態度で、男を翻弄できるとでも? 本気でそう思っているのなら、君は三年前と変わらず可愛い人だね」
何を言うのだろう。
「追いかける男よりドレスを着た女性の逃げ足が早いなんて、おかしいとは思わなかった? ヒールが折れた訳でもないのに、都合よく片方だけ脱げて、しかも拾いもしない事に疑問は?」
彼はこんな風に笑う人だったか。
「従兄弟殿は夢見がちなんだ。『運命的な出会い』にひそかに焦がれていたのも、女性の好みも知っている。実は女性の靴に愛着があることまでね。だから、こちらで準備できた。だいたい庶民にあんなドレスが用意出来るわけがない」
「――まさか」
目の前の彼が知らない人に見えてくる。
「君と恋に落ちてもらっては困るから。すべて僕が仕組んだことだし、今のところ順調だ」
この笑顔はなんだろう。目が離せないほど惹かれるのに、逃げるのなら今だと何かが告げる。
退路をさぐる私に気がついたらしいアレックスが牽制する。
「追いかける男より、逃げ足が早いなんてあり得ない」
昨夜の清楚な美人には協力者がいたけれど、私にはいない。つまり逃げるだけ無駄ということだ。
出来るのは、話すことくらい。
「この後の計画は、どうなっているの?」
「従兄弟殿は、あの靴を持って思い人を国中探す。それくらいの手間をかけた方が、気持ちが燃え上がるからね。ついに見つけた彼女に勢いそのままに結婚を申し込み、彼女は受諾する。そしてフェデリカ・ヘルツオ姫殿下は、失意のなか舞踏会で出会ったアレックス・ラドフォードの求婚を受ける」
「前半はともかく後半は、勝手ね。傲慢でいらっしゃる」
正しく指摘すると、彼は顔を微かに歪めた。
「やり口が強引であることは、心から謝る」
強気に言ったけれど、婚約も取り付けずに帰国すれば、私の立ち位置がさらに微妙なものになるのは確かだ。
私をそんな立場に追い込んだ張本人が目の前にいるアレックスだとしても、王子の好みが私とは正反対の女性だと言うなら、遅かれ早かれ他の女性に目移りするのは分かりきったこと。
それにしても、不思議でしかない。
「どうして、そんなにまでして私を?」
「僕が夢見がちで『運命の恋』を信じているから」
今さっきそう言って王子を小馬鹿にしたくせに、同じ口でよくもまあ。呆れるけれど、嫌な気はしない。
「私が靴を落として去ったら、あなたも国中を探してくださる?」
「……名前のほかなんの手がかりもないのに、三年も探したんだ。これ以上は止めてくれないか」
ため息をつく様子を愛しく思うのは、あの夏から彼を忘れていなかったから。
でもそんな事は言わない。私だってあの「清楚な美人」のように多少は殿方を翻弄したい。
「お付き合いしてもいない女性に、あんな素敵なドレスを贈るような殿方のおっしゃる事を、どこまで信じていいものかしら」
悩める様子で目を伏せると、アレックスが目に見えて慌てる。
用意周到に計画を立てたらしいのに、こんな言葉ひとつに、おろおろして下さるなんて。せっかくの美男子が台無しだ。
ところで。広間を見渡せるバルコニーは、当然広間からもよく見える。
アレックスは全く気にしていないけれど、先ほどから視線を一手に集めてしまっている。宰相の息子と王子妃候補だった他国の姫の会話は、聞こえなくとも気になるところだろう。
「ねえ、アレックス。これお断りできない状況ではなくて?」
「今まで気がつかなかったの? フェデリカ。のんびり加減は心配になるレベルだね」
咄嗟に返す言葉もない。どうやら翻弄されるのは私の方らしい。
王子が正直過ぎてこの国は大丈夫だろうかと案じたのは大きなお節介で、アレックスがいる限り安泰な気がしてくる。
「君の居場所は、僕が作る。妃になるより気楽な生活を保証する」
だから結婚しよう、と誘われる。
「悪くない提案ね」
強がる私に、アレックスが嬉しそうな笑みを浮かべる。
「三年分を取り戻そう。話したいことは沢山ある。毎日会いたいし、君のためのドレスも仕上げを残すのみだ」
好きな声に物量作戦。この様子なら私好みのお酒も山ほど用意してあるに違いない。
気持ちよく酔って彼の策に陥落するのは、もう間近。
「あなたの事、好きかもしれないわ」
「知ってる」
今夜一番の笑みで、立案者はグラスを差し出した。
お読みくださりありがとうございます
よろしければ、いいね・ブックマーク・評価など頂けますと、幸いです☆
ほのぼの美女と野獣もあります。「美女が私ですみません。お許し下さい野獣様」です☆
長編では「花売り娘は底辺から頂点を目指します!」は、いかがでしょうか。
美貌の貴公子と小さな花売り娘が出会って、溺愛ハッピーエンドをむかえるまでの物語です。
よろしければ、お目通しください☆