前編
小田版・シンデレラです
王子様のお妃選びの舞踏会は二日間。
初日は「開かれた王室」を演出するために、平民の独身女性も参加する。
翌日は、招待客のみの舞踏会。こちらで王子は他国の姫を見初める、と決まっていた。
そして、蓋を開けてみれば。
初日に、他の誰にも見向きもせず「素晴らしく豪奢で洗練されたドレスを着た可憐で美しい女性」と王子は立て続けに踊り、帰ろうとした彼女を引き留めた。
そこでなんと「走り去る」という淑女にあるまじき行為を選択した美人は、逃げ切ったらしい。逃げ足が恐ろしく速いのか、それとも逃げ慣れているのか。
途中で脱げてしまって残された彼女の片方の靴を大事そうに抱え、途方にくれた様子の王子の姿は、その場にいた人々の印象に強く残った。
そして二日目の今夜。
落ち着かない様子の王子を見れば、誰を待っているのかなど一目で知れる。
隠す気がないのか、隠せないのか。後者ならば一国の主となる者として問題がある。
この時間になっても彼女が現れないのは、招待客ではないということ。つまり平民だ。
そう考えながら私は酒の入ったグラスに口をつけた。昨夜は自国の民族衣装の特徴を取り入れたドレスを着用した。今夜はスタイルの良さを存分に見せつける濃い闇色のキラキラとしたドレス。
可憐とは程遠い大人の色香が匂い立つデザインで、性格とは合わないものの体型にはぴったり。
顔より先に胸とお尻に視線が集まるのには、笑ってしまうけれど。
招待客の最上格、他国王家の娘であり「妃候補筆頭」とされた私は、この国の宰相に先に説明を受けていた。
「広く妃を選ぶという触れは、国民の人気取りの為で、他国の姫君の内からあなた様を王子妃にお迎えするというのは、既に決まってございます。どうぞ相応しい装いでお越し頂きますよう」
それが、どうしたことか。
ファーストダンスは当然私だったものの、その後三曲も続けて可憐な美人と踊れば、誰だって王子の気持ちには気がつく。
その美女の名も存在も誰も知らないらしく、どこのご令嬢かと大いに噂になった。
今夜のファーストダンスの権利は、他国の姫にお譲りした。
本来なら二日続けて私がお相手を務め、人々に知らしめる予定だったけれど。
そこまでして、もしも婚約が成立しなければ、私の立場がない。
代わりを頼んだ姫は「もちろんお引き受けいたしますわ」と快く受けてくれた。
「フェデリカ様に、このような失礼。考えられませんわ」と。女同士こういう時は頼りになる。
さて、王子はいかがされるのかしら。眼下の広間では、さすがに靴を抱えてはいないようだけれど、心ここにあらずなのは一目瞭然。
あの様子では、昨夜は靴を抱いて寝たんじゃないかしら。それとも悶々と眠れないまま朝を迎えたかも?
「王子がこれでは、わざわざこんな遠方まで来た意味がなかったわね」
広間を見おろすバルコニーで呟くと、背後から声が返った。
「それにつきましては、お詫びの申し上げようもございません。姫殿下」
若い男の声。そこに人がいると知っていて、あえて独り言めかして述べた苦情に、詫びが入る。
「あなたが謝ることではないでしょう。どなた?」
この国の王族以外で、今一番身分が高いのはこの私。丁寧に話す必要もない。無遠慮に振り返った。
一礼して立つのは、姿勢が良く長身のいかにも貴族然とした男性だった。夜会服姿であるところを見れば出席者らしい。
「アレックス・ラドフォードと申します。話しかけた非礼をお許しください、フェデリカ・ヘルツオ殿下」
ラドフォードと言えば。
「宰相閣下のご子息」
「さようでございます、姫殿下」
折り目正しく肯定された。空にしたグラスを持ち上げ給仕に合図し、新たなグラスを受けとる。
「何かご用ですの?」
「僭越ながら、先ほどからずいぶんと杯を重ねておられるご様子。そろそろお控えになられては」
遠慮がちながら、はっきりと口にする。
指摘された通りこれで六杯めだ。王子はあんな状態だし、私の身分が高過ぎてこちらから話しかけなければ、誰も話せない。
そしてこんな状況では、私の不機嫌を恐れて近寄る者はない。部屋に引き上げるわけにもいかないのに、飲む以外に何かすることがあると言うなら、是非教えて欲しい。
「確かに出過ぎたご意見ですわ。この国の適量は存じ上げないけれど、我が国ではこんなの飲んだうちには入らなくてよ」
言ってグラスを一気に空けて見せれば、ぎょっとした顔つきになった。この国の男性は取り繕うことをしないらしい。ならば王子があれでも仕方がないのかもしれない、と考えを改める。
「酔っていらっしゃらないのでしたら、一曲お相手を願えませんか」
立て直しが早い。おそらくは、手持ち無沙汰に飲み続ける賓客にダンスを申し込むようにと、父親である宰相に命じられたのだろう。
「お断り致しますわ」
口元だけ笑う形にして断れば、どこか傷ついたような顔をされた。
「今夜は足首を痛めたのを口実にして、殿下のパートナーをお断りしましたのに。宰相閣下のご令息と踊るわけには、いきませんわ」
こんな風にいちいち理由を述べる必要はない。彼より私の身分が高いのだから。
なのに、つい言い訳をしてしまうのは――。
「懐かしむことも許してはもらえないのだろうか――フェデリカ」
相変わらず人の顔色を読むことに長けているアレックス・ラドフォードが、ここぞとばかりに踏み込んだ。