心の隠し事(後編)
食事を終えた後、僕らは玄関に移動する。
もう既に夕方になっていて、普通なら家に帰る時間だ。玄関で靴を履き終えた二人と会話する。
「ありがとな、神崎! もう俺お腹いっぱいだわ」
「このお礼は、いつか必ずする!」
「ううん、そういうの要らないから。……つ、次は僕の家じゃなくて、学校で会おうね?」
できれば極力、家には遊びに来ないでもらいたい。
まあいいか。その時は、その時だ。
「じゃ、またな〜っ!」
「うん! また明日、学校で会おうね!」
その後、僕は家の外で手を振る二人を、黙って玄関で見送る。
二人はしばらく手を振った後、背中を向けてそのまま歩いていった。
見送った後、僕は玄関の扉の鍵をガチャッと閉める。
その時、叔母さんのいない家で一人きりになって、不思議と孤独感を感じた。
……おかしいな。こんな感情、今まで無かったのに。
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「はい! 神崎くんは退院したという事で、みんな拍手!」
翌日の平日。クラスの教室中に響き渡る、生徒と冴島先生の拍手。
教壇の手前に立ち、担任教師になった冴島先生の横で……少しこそばゆかったけれど、そんな様子を見ていた。
いつもの席に着くと、普段通りのホームルームが始まった。
休み時間。自分の席でいつも通りノートに、今回の授業で大まかに学んだ事を書く。
2018年10月29日。まず、日付を書く。
──入院していたせいで、3日ほどノートの時間が空いた。まあ、よくある事だ。
鉛筆で、ノートに顔を近づけて書き記していた時、七瀬さんがそっとやってきた。
僕の目の前でじーっと黙ってこっちを見ているので、しばらくして気になり彼女に目を向けて話しかけてみた。
「……七瀬さん?」
「へっ!? あっ。お、お邪魔だった……?」
「いや全然、そんなことないよ」
僕は、一旦ノートをパタンと閉じて、七瀬さんを見る。
「昨日は、ありがとね」
「う、ううん。料理、上手だったんだね」
「そんな事ないよ」
「なんかすっごい、料理のできる人って……」
僕が「ん?」と首を傾げていると、後ろに手を回してもじもじしていた七瀬さんは、「な、何でもないっ!」と言って、外れそうな位に首を振る。
「……えーと、今日は、天気いいね」
「えっ!? あっうん! そ、そうだね……」
……このまま会話しなきゃ彼女を困らせてしまうと思い、窓の向こうの、清々しく晴れた様子を眺めながら、二人でそう話す。
いやいや。天気の話って。まるで先生みたいだ。
「──天気予報だと、今日これからずっと晴れなんだって! 私、雨の時だとちょっと頭痛くなるから、嬉しいな」
そんな時。ふと横から、ある女子高生が僕たちに話しかけてきた。
確か、村野の家で会った……蒼さんだったっけ。
窓の外を眺めて満面の笑顔でそう話す。この前はワンピースだったし、制服姿で見かけるのは初めてだ。
「……あはは。急に話題に入ってきてごめんね」
「りんちゃん! どうしてこの教室に?」
「うん、勉強も終わったし、退屈だったから。実花ちゃんと会いたくなっちゃって!」
そういえば蒼さん、たしか1年のクラスだったはず。
蒼凛、七瀬実花。「りんちゃん」「実花ちゃん」って……そんな風に呼び合うぐらい仲がいいのか。
「あと、村野くんにも会いに来たんだけど──今は、いないみたいだね」
そういえば。村野の席にも、教室中を見渡しても、あいつの姿が見当たらない。
蒼さんに言われるまで何も気づかなかったけれど、今はどこにいるんだろうか。
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二人と別れた後に学校図書館で、理科の教科書の内容を見ていた。
……途中、村野の事を思い出す。この図書室で誰かと話しているかと思ったが、ここにも村野はいない。
300ページほど見終えた所で、外の空気でも吸いにいこうと席を立つ。
僕は教科書を閉じて鞄にしまい込み、廊下に出る。
もしかしたら……どこかでばったり会えるかもしれないし。
「──お、おい、ちょっとあれやばすぎるだろ……!」
そう思っていた矢先。
背の高い男子生徒ら三人が焦りながら、逃げるようにして早歩きで僕の横を通り過ぎる。
「いやいや! 先公にバレたらガチでやばいやつ! あの野郎、いい加減すぎるだろ……!」
三人組の二人が焦りながら、不機嫌そうに話しているのを僕は聞いた。彼らの事が、少し気になりだす。
……妙だな。何だか、胸騒ぎがする。村野がいないせいか、それとも──。
とにかく、僕はそんな予感を抱えたまま、彼らとは逆方向へ向かった。
やがて着いたのは……理科室だ。
何か普通ではない違和感を感じ、廊下越しに部屋の様子を見ると……そこで起こっている状況を、ある程度把握した。
……え?
目のピントが合わなくなった。思わず両手も握っていて、一瞬で手汗も感じ取れる。
猛烈に不快な気分が、僕の心を蝕んでいく。
理科室の棚の壁に、もたれかかって倒れていた男子高校生が見えた。彼には意識がなく、全身アザだらけ。
俯いた状態で目元が見えなかったが──いや、まさか。
あれは、村野だ。
「──フフ、あっはははははぁ……!!! やっとだ!! やっと、やっと死んだっ……!!」
村野の向かい側にいたのは、見覚えのない黒髪の男子高校生が、その場で膝を崩していた。
彼は、黒髪で目を覆うほどくしゃくしゃに荒らしながら、不気味に笑って、村野を見つめる。
そして村野に対して、何度もそう叫んでいた。狂気の沙汰だ。
いやいや、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。
その光景に、頭が真っ白になる。信じられなかった。……こんなのって、ないだろ。
──何で今度は、村野なんだよ?
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放課後のチャイムが鳴り、いつものように授業が終わって、生徒らが動き出す。クラスの生徒たちの話題は、例の件で持ちきりだった。当たり前だ。
……僕は自分の席に座って、ぼーっとノートを見ながら、考えていた。
──村野は、手で首を絞められて窒息。
全身アザ状態だったら、身動きを取る事すらままならなかっただろう。これは、あまりに突然で理不尽すぎる「死」だ。
しかしその後、先生から衝撃の話を聞いた。
村野は……「いじめ」に遭っていた事が分かった。
主犯の折原拓海が、その事を打ち明けたそうだ。4人組男子グループだ。
さっき不気味に笑っていた奴が、きっと折原という生徒だろう。そんな事より、ずっと胸に残っている事があった。
……僕は、未だに信じられない。
そんな素振り、村野が僕に見せた事なんてなかった。見せていないと言うより、まるでそんな事が無かったかのように。
少なくとも誰かに打ち明けないと、精神が崩壊するはずだ。それなのに昨日も、僕の前では笑顔を見せていた。
……とにかく悔しかった。僕が、何も知らなくて、何も出来なかった事が。
村野はずっと辛い思いをしていた事に、何も気づけなかった。
それが悔しくて、悔しくて、悔しくて……真下の椅子を見ながら、拳で自分の脚を何度も叩く。
何で。何でまた、僕の周りの人間は、こうも……。
「……だい、じょう……ぶ……?」
心配そうに震える女子高生の声。僕はすぐに手を止め、顔を上げて横を見た。
七瀬さんだ。心配そうに驚いて、僕の顔を見つめていた。よほど、親友を亡くした僕のことを気にしているようだ。
「……ううん、気にしないで」
「そ、そう……? な、なにか不安があったら、私に全部言って! こんなことしか出来ないけれど」
七瀬さんは優しい人だ。……このクラスで僕にそんな風に声をかけてくれる人なんて、彼女か村野くらいだろう。
一度、この手で救った命。七瀬さんを見ていると、何処からか自信が湧いてくる。
ああ、そうだ。まだ「可能性」はある。おそらく、だ。
──タイムスピナー。村野が死んだ今、それが家のポストの中に入っている可能性は高い。
しかし、誰が入れているのかも分からない。そう言ってしまえば、何もかもが不詳だが。
「……七瀬さん、ありがとう。僕はもう帰るよ。じゃあ、またね」
「あ、え、えっと、うん! さよなら!」
挙動不審になっている七瀬さんを横目に、僕は鞄を持ってすぐに教室を出た。
……家に着くと、僕は息を切らしながら、真っ先にポストの中身に手を突っ込む。
この中にあるだろうか。いや、あってほしい。
唯一村野を救える方法は、過去に戻るだけだ。前みたいに上手く行くかどうかは知らないが、頼む、あってくれ……。
──あった。
僕はタイムスピナーをポストから取り出し、握る。
一つ、思った事がある。何故、これは「ハンドスピナー」の形をしているのだろうか?
もっと他に形があっただろうに。もしかすれば、この形に訳があるのかもしれない。
けれど、素朴に抱いた疑問は……今は置いておく。
今回も、村野を救うのは容易ではないはずだ。
これがある僕に、選択の余地はなかった。今は選択肢は一つしかなかったんだ。
死んでしまった友達を、何もせず放っておくわけにはいかない。村野には貸しがある。七瀬さんや、他の人たちを出会わせてくれた事だ。
親友である村野を死から救うチャンスがあるのなら、僕はそれに賭けてみる価値はあると思う。
スピナーをじっと見つめて、思いを込めた後、それを回した。
キュル──────
時間の渦の中。「村野を救い出す」と、繰り返し意気込んでいた。
だがそんな言葉だけで表すほど、この物事は単純ではないのかもしれない。アイツの問題は、想像よりずっと複雑な予感がした。