赫い炎(後編)
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やがて下校時間になり、村野に「今日も一緒に帰るか!」と誘われ、2人で雨の中、帰り道の住宅街を歩くことになった。
初めて過去に戻ってきた時と、ほとんど同じ光景だ。
この後、本来なら七瀬さんとバッタリ会うはずなの、だが……。
ふと僕は、村野に提案する。
「……村野。いきなりだけど、今から七瀬さんの家に行かない?」
「うぇ? 七瀬んち? いいけどよ」
いや即答。
予想よりかなり早い反応に、思わず驚いてしまった。3秒も掛からなかったんじゃないか。
こうして僕らは学校帰りに、七瀬さんの家に直行する事となった。
もしかすると彼女の家に何か、「火事の原因」のようなものがあるんじゃないか。
場合によれば、火事が起こることすら防げるかもしれない。
僕らは、七瀬さんの家に着く。二階建ての平均的な住宅だ。
家の外壁には少なくとも傷が目立つ。おそらく、築10年以上は経っていそうだ。
生まれてから七瀬さんは、ずっとこの家に住んでいるのだろうか。
というのは置いといて……僕は家のチャイムを押すと、不機嫌そうな表情の中年男性が、家の玄関から出てきた。
「……どちら様だ」
うっ。声が少し怖い。
この家に居るという事は、もしかしてこの人は、七瀬さんのお父さんなのか…?
「あぁ、あの、神崎です。七瀬さんの同級生の──」
「娘はまだウチには来てないぞ」
「い、いやその、七瀬さんに用はないんです……」
……だめだ、七瀬さんの父親を前に、何故かは分からないが緊張する。
困惑している僕をよそに、村野は恐れず、普段と同じノリで彼に話しかけた。
「あー。じゃあ家ん中で、七瀬を待つことってできます?」
「……私は忙しい。娘と会ったらすぐに帰ってくれ」
「あざす!」
すごい交渉能力だ。条件付きで、七瀬さんの父親に同意してもらった。
誰に対しても友好的なのは、村野の感心できる性格だ。
こいつもやはり、前にこの家に来た事があるのだろうか? この人に対しても、どこか馴れ馴れしいような気もする。
僕たちは玄関、廊下からリビングに案内され、そこに着くと、奥にキッチンが見えた。
……ああ、そうだ。もしかするとコンロの火などが、火事の原因なのかもしれない。
僕は近くにいた七瀬さんのお父さんに、キッチンを調べさせてほしいとお願いした。
「……何の為にだ?」
「その、念の為にです」
「無理だ」
これも即答。そりゃそうか……。
『念の為』というよりかは、もう少し具体的な説明をすればよかったか。
「で、でも僕、キッチンの方がどうしても気になってて、ほら、火事の心配とか」
「家事は主に私がやっている。心配ない」
「あの、そっちの『かじ』じゃないです……」
だめだ、このお父さん、言葉が通じない。
もしかして……七瀬さんの性格は……父親譲りなのか……!?
衝撃の事実を知った後、僕は隣の村野に目線で助けを求めた。
今の僕の心を察するのはかなりの無茶だとは自覚しているのだが、頼む通じてくれ。
「ん? ああ、家事ね。俺ほとんどオカンに頼んでるし、全くやる気起きねーんだわ」
何を言っているんだこいつ……いやいや、仕方ないな。「キッチンを見させて欲しい」とあからさまに不審なお願いをしているのは自覚している。
色々と疲れていたら、同時に、玄関からドアの鍵が開く音がした。
僕ら3人は玄関に向かうと、そこには制服姿の七瀬さんがいた。
村野が「よっ!」と七瀬さんに挨拶する。
彼女は靴を脱いでいた最中で、僕らの存在に気づいて驚いた様子を見せた。
「あ、あぇ?神崎くんと村野くん……だよね?」
「うん。君のお父さんに、家に入れてもらってたんだけど……」
七瀬さんは靴を脱ぎ終え、靴置き場に収納する。
それと同時に彼女のお父さんが現れ、僕と村野を見てこう言った。
「よし。娘が帰ってきたから、二人とも帰りなさい。もう時間も遅いぞ」
「ちょっとお父さん。それは神崎くんたちに失礼じゃ……」
「元々そういう約束だ」
そういえば。村野が交渉していた時、確か「娘と会ったらすぐ帰ってくれ」……って。
仕方ない。今はもう帰るしかないな。
僕らは玄関のドアの前まで来ると、七瀬さんと、彼女の父親に見送られる。
「七瀬さんの、お父さん。……どうか今日は、七瀬さんから目を離さないでください。お願いします」
「……? 何を言っているのかは知らないが、今から私は仕事に行くんだ」
真剣な表情で言ったのだが、顔を顰められてしまった。なるほど、そうだったのか。
じゃあこの人に言っても仕方がない。こういう事は、七瀬さん本人に言った方がよさそうだ。
「七瀬さん、これは、友達としてのお願いだ。人生は、突然終わる事だってある。でも七瀬さんにとってそれは今日じゃない。今日なんかじゃないんだ。だから、もし何かトラブルに巻き込まれたら、全速力で逃げてほしい。頼む」
「へっ……? う、うん。分かった。いや、ちょっと分かんない所はあるけど……。そうだね。じゃあまた明日ね、神崎くん……!」
僕はその言葉に対し、こくりと頷く。
村野は僕らの話を横から聞いて、首を傾げている様子だった。
その後、僕らはおとなしくこの家から立ち去る。
この忠告でなんとか、七瀬さんの命が救われればいいのだが……。
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「……非常に残念だが、うちのクラスの七瀬実花さんが亡くなったとの連絡が入った」
……自分でも、その言葉に聞き慣れたのが恐ろしいくらいだ。
通算・3回目。学校の教室で、厚見先生に同じ報告をされ、僕はため息を吐く。
うそだ。なんで…助からなかった……?確かに七瀬さんに、しっかりと忠告をしたはずだ。
僕の忠告はまだ足りなくて、七瀬さんに届かなかったのか?
やはりそう簡単に、過去を変えることはできないのか?
それとも他に何か、「真の理由」がある………??
僕は家に帰ってすぐ、机の上を探した。
リビングでは叔母さんが、窓拭き掃除をしていた。
「お帰り!……どうかした?なんだか疲れてるみたいだけど」
「うん、色々あって。でも、もう終わらせなきゃ」
叔母さんが「何かあったの?」と首を傾げているのをよそに、僕は机の上を見る。
よし、スピナーはある。
その前に一回、考えてみよう。火事が起こった原因は、一体なんだろうか。
『そうだね。今日も絶対生きて、また明日も会おう。神崎くん…!』
七瀬さんと、最後に交わしたあの言葉。あの時の彼女の目つきと笑顔は、僕の忠告を本当に受け入れてくれてるような目だった。
それなのに七瀬さんは…今回も火事に巻き込まれてしまった。一体どうしてだろう。
これは推測でしかないが…。もしかすれば、彼女がただ単に逃げ遅れただけか、それとも……。
……七瀬さんが逃げられないよう、誰かに身動きも取れない状態にされたか。
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──タイムスピナーを使うのは、三度目か。
戻ってきたのは……二度目、七瀬さんの家から離れる前に、「逃げてほしい」と忠告したあの直後。村野と雨の中、僕は住宅街の帰り道を歩いていた。
「……村野。やっぱり今から、七瀬さんの家に戻らないか? ちょっと心配だ」
「えぇー?? めんどっくせーなーぁ。もう俺、家に帰るモードなんだけど」
村野は「一人で行ってこいよー」と、本当にめんどくさそうな表情で言う。
………はぁ。確かに、村野を振り回しても仕方ない。一人で行くしかないな。
僕は七瀬さんの家に着く。
……最初にチャイムを鳴らさなくては。
いや待て。で、でも流石にしつこいだろうか。下手に七瀬さんにストーカー呼ばわりされるのも嫌だな。
それにこんな所で突っ立っているのもまるで不審者だ。こんな所を近隣の住民に見られたら……。
──ガチャ。
ひっ!!
インターホンの目の前で変にうじうじしていると、七瀬さんの家の扉が開いた。
「何をしているんだ」
「おっお父さん!!」
……びっくりしてしまったが、紛れもなく、七瀬さんのお父さんだ。
家の扉から出てきた彼はスーツ姿で、今から仕事に出かける様子だった。
僕と似たようなビニール傘を差していて、そのキチンと整った姿はただでさえ大人の印象だが、それが更に増している。
とっさに動揺したせいか、「お義父さん!!」みたいに言ってしまったのは……うん、スルーしておくべきだ。絶対に。
「……そこにいると邪魔だ。早くどいてくれ」
「あっ、す、すみません。……あの、誤解しないでください。僕はただ──」
「今日はもう帰った方がいい。夜になると、『不審者』が現れるかもしれん」
不機嫌で冷たそうだが、そう心配されてしまった。
そんな時、この人のスーツの胸に、きらりと光るバッジを見つける。
「──その、胸につけてるそれはなんですか?」
そう言うとお父さんは態度を変えたように、僕に近づいてそのバッジを見せる。
金色に光る、ひまわりの形をしたバッジ。恐らくだが、これは弁護士バッジのようだ。
「これは………私の仕事の証だ」
「そうなんですか。弁護士なんて、すごい。賢いんですね」
「……じゃあ、もうそろそろ行かなくては」
褒められても態度ひとつ変えず、彼は僕を横切って去っていった。
……驚いたな、七瀬さんの父親が弁護士だなんて。
いや、それはひとまず置いといて…これからどうしよう。
それにしても不審者、か。この住宅地の辺りに何か不審な人物がいないか、探すという手もある。
もしかしたら……放火による殺人の可能性も、考えられるからだ。
そう考えた僕は、この家の近所の周囲を探索しようと歩き出した。
万が一放火だった場合、近くに必ず犯人はいる。だから恐らく、手かがりも掴めるはずだ。
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はぁ……七瀬さんの家の周辺をよく探してみたけれど、不審人物はいない。
気付けばもう日が暮れそうだ。一度、七瀬さんの家の前に戻ってみるか。
住宅地のど真ん中で、僕は一度さっきの場所に戻る事にした。
「……何してるんだい?」
その時。声のした方向を振り返ると、厚見先生がいた。
厚見先生は学校にいた時と同じブラウンのジャケットに、黒い傘を差していた。
「あれっ、厚見先生?どうしてこんな所に」
「こっちのセリフだよ。私は……ここから家が近いんでね」
ここから家が近い? もしそれが本当なら、七瀬さんの家とも近いという事に……。
「もうすぐ日が暮れるね。君も早く帰りなさい──神崎君」
そう注意して、先生はすぐに背中を向けて去っていった。……七瀬さんの家とは、真逆の方向に。
厚見先生のその仕草は……どこか、不自然に思えた。
カーッ、カーッ
カラスの群れが、厚見先生と同じ方向に僕の真上を飛んでいく。
そうだ、あのカラス。前に僕らが、村野の家に押しかけた時にも見た。
あの時は村野に案内してもらった家は、もう既に火事で燃えていて……。
……いや、ちょっと待てよ。このままだと……まずいぞ。家の火事は、この時すでに始まっている可能性が高い。
僕は傘を持って走り出した。
七瀬さんの家に着き、インターホンを鳴らす。
僕はその場に立ったまま、向こうからの反応を待つ。
……10秒以上経っても、反応がない。七瀬さんは本当に、家にいるのだろうか……?
「あの……七瀬さん……?」
少し焦りながら、玄関のドアを叩く。一切返事がない。
明らかにおかしい。何か手はないかと思考を巡らせていた、その時。
ドサッ。
裏庭の方から誰かが着地するような音が聞こえた。
今のはもしかして、七瀬さんの? それとも……。
僕は恐る恐る、音がした裏庭の方に向かい、ちらっと家の壁に隠れながら覗いてみる。
「…………ッ」
……あの人は、一体?
フードで顔が見えないが、黒いコートで身を包んだ人が裏庭の真ん中あたりで、痛そうに脚を押さえていた。
ちょうどその人の頭上にある、二階の窓は開いたままだ。あそこから飛び降りたのか?
思ったより、体格がかなりがっちりしている…。少なくとも七瀬さんではない。
いやまさか、不法侵入……??
そんな風にもたもたしていると、痛めていた脚ですぐさま向こう側へ走り去ってしまった。
同時に気が付いた。家の方から、パチパチと燃えるような音がする。
………僕は恐る恐る、七瀬さんの家の窓を覗いた。
窓越しの室内には、既に手に負えないほどの炎が燃え広がっていた。
ここで事実がはっきりしてくる。今の人は……放火犯に違いない。
リビングを見ると七瀬さんはいないが、おそらく別の部屋に……!!
急いで窓を開けようとするが……やっぱり、鍵がかかっている。
消防隊員を呼んだ方がいいかもしれない。
そんな考えが頭をよぎったが、この火の状況で今呼んだとしても、すでに手遅れだ。
でも……こんな所で、七瀬さんを死なせたくない。
僕はとっさの判断で、裏庭に落ちていた鉄パイプを見つけ、それを窓ガラスに躊躇なく振り下ろす。
パリーン! と音を立てて、窓ガラスが割れる。
明らかにこれも不法侵入かもしれないが……七瀬さんの命を救い出すためだ。
僕は靴を履いたままリビングに入り、かろうじて安全で火の燃えていない足場を渡り走った。
鼻と口をハンカチで押さえながら、一つ一つ部屋をくまなく探す。
一階に七瀬さんはいない。という事は、二階にいるはず……。
そこで今度は階段を登って二階に上がる。
……汗が出てきて暑い。瞬く間に炎も、二階まで上り初めている。
「──な、七瀬さんっ……!!!」
二階に上がり、廊下を渡って直ぐそこの部屋に、七瀬さんはいた。
彼女は、白いタオルで手足と口元をきつく縛られていて、身動きが取れない状況だった。まさか、タオルで身動きも取れなくなっていたとは思わなかった。
窓も開いている。……ってことは、この部屋から不審者は飛び降りたのか。
「っ……!!!」
すると、七瀬さんの目線が僕に向いた。意識の薄い状態で声を上げようと試みている。
まだ意識がある……なら、こんな所でもたもたしている場合なんかじゃない。すぐに助けなければ。
僕は彼女の元へ向かい、まず一回ハンカチをズボンのポケットに仕舞い、息を止める。
次にその両手で、七瀬さんを縛っているタオルを解こうと試みる。
うそだ……、こんな時に限って、かなりキツく縛られていて解けない。
どうにか冷静に引っ張ると、なんとか解けたものの、時間をかなり失ってしまった。
七瀬さんの手足を縛っていたタオルを利用し、それを口元に巻いた後、僕は七瀬さんを背負って走る。
このままだと、今にも家が火事で崩落しそうだ。
燃え盛る火の中、急いで階段を降りて一階に戻り、リビングへと向かう。
「ゔぇ……けほっ、けほっ……」
七瀬さんも咳はしてるし、まだ意識はあるようだ。急げばきっと、間に合うはず。
だが家を焼くその炎。時間が経つたびに燃え盛る音は、勢いを増してゆく。
僕の肩に湿った感覚がした。七瀬さんの涙で濡れたのだろう…。こんな所で、死なせるわけにはいかない。
そんな中、リビングに戻ってきた。
急げ急げ、動け、僕の足……絶対に、絶対に間に合うはずだ……!
……もうすぐ、もうすぐだ、七瀬さん。
だが。
──ミシ、ミシミシ。
不穏な音。それは、リビングの天井からだ。
僕が上を向いたのと同時に、天井の瓦礫が襲い掛かってきた。
……そんな。嫌だ嫌だ、嫌だ。頼む、駄目だこんな所で。
僕は七瀬さんを……絶対に死なせるわけにはいかない。死なせたくなんかない……!
「あの子」と同じ目に遭わせたくなんか、ない……っ……!!