RE.D PAST(後編)
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「…ふう。君のお母さんには、私から泊まりの許可をお願いした。渋々承諾してくれたよ」
「あ、ありがとうございます。ごめんなさい、迷惑おかけして」
僕の家のリビング。父さんが受話器を本体に置いて、七瀬さんの方を向いて言った。
七瀬さんが、僕の父さんにぺこりと律儀に謝る。
…まさか本当に、七瀬さんが僕の家に泊まることになったとは。
正直に言うと、僕から彼女に直接お願いしたのは、ダメ元だった。
「ごめんなさい、父さん。彼女の身が危なそうだったから」
「いやいや、私はいい。…それより浩太。お前まさか、『余計な事』に首を突っ込んでいないだろうな?」
余計な事…。やっぱり父さんも、僕らから何かを察しているようだ。
最近、陽介さんとも話をしているし、たぶんそこで不思議に思ったのだろう。
けれど、父さんにわざわざ心配を掛けるわけにもいかない。
「ううん。何でもないし、心配しないで」
「…そうか?ならいいのだが」
僕はぶんぶんと首を振って、話をごまかす。
眉を顰めていた父さんも、少しだけ納得したみたいだった。
やがて夜になり、僕は自室のカーテンを閉める。
晩御飯もちゃんと食べ終えたし、七瀬さん用の布団も僕の寝床の隣に敷いておいた。これにてひと段落だ。
_____ガチャ。
扉が開き、七瀬さんが戻ってきた。
「あ、七瀬さ……んっ…!?」
その緑色のパジャマ姿を見た直後、思わず心臓がドクリと来る。
お風呂上がりの濡れた髪が、より一層、僕の胸を緊張させてしまった。
「ごめん。神崎くんのやつ借りちゃったけど…よかったかな?」
頬の赤さも、俯く顔の逆上せた肌によく目立つ。
いや、いやいやいや。何で僕、こんなに動揺しているんだ。そのあどけない可愛らしさに、完全に翻弄されている。
「あ、ああ、うん。べ、別にいいんじゃないかな…」
口元が震えながらも、どうにか目を逸らして返事する。
「神崎くん…?だ、大丈夫?」
「すー、はー…すーはー…。う、うん。大丈夫」
深呼吸している僕の顔を覗き込もうとして、心配する七瀬さん。
こんな子と、隣で寝るなんて…いや、ダメだダメだ。完全に変な感情ばかりが溢れ出ている。
「じゃあ、僕も、お風呂行ってくるね」
「え!う、うん。いってらっしゃい」
そう言って彼女の横をすり抜け、早走りでこの部屋を去る。
一瞬見えた七瀬さんの表情も…ちょっぴり恥ずかしそうに見えた。
ピンポーン。
僕がお風呂から上がって青いパジャマに着替えてから、すぐにチャイムが鳴った。
少し警戒心がありながらも、玄関へと向かうと…父さんが、誰かと話している様子が見える。
「…神崎浩太郎。丁度よかった。君に話がある」
陽介さんだ。僕の存在に気づいて、そう話す。
僕に、話が?まだ何か言い忘れていた事があるとでも言うのだろうか。
リビングのダイニングテーブルに移動し、陽介さんと二人きりになる。
「話ってなんですか」と聞くと、どうやらRE.Dの共通点について、だそうだ。
「え?RE.Dの共通点…?どういうことですか?」
「それなんだが。私はRE.D最初の犠牲者だった、長野千里に話を聞いたんだ。
…すると新たな事実が分かった。彼女は、死にかける『3日前の朝』に発作があったそうなんだ」
死にかける…3日前の朝に、発作?
七瀬さんが発作を起こしたのは、確か2日前の夜中のはず。
しかし、今はもう夜中だ。時間的にもうすぐ、明日がやってくる。
……ってことは、まさか………!!
「日付が変わった今日の夜中に、七瀬実花が死ぬ確率は…非常に高い」
「っ…!?」
じゃあ、もうすぐ七瀬さんは…!
落ち着いていられずに僕は席を立ち、この場を去ろうとする。
しかし、陽介さんに腕をぐっと強く掴まれて止められた。
「…っど、どうして止めるんですか!?」
「どこにいくつもりだ?」
「そ、それは…RE.Dを…」
「そもそもそれが何処にあるのか分からないじゃないか」
ぐっと両手の拳を握って堪える。けれどそれじゃあ、どうすれば…!
もしまた大切な人を失ってしまったら、僕は永遠に立ち直れない気がする。
そんな恐怖と焦りで頭がいっぱいで、冷静な判断が出来ない。
「_____落ち着け」
…はっ。
「感情的になりすぎだ。確かにそうなる気持ちも、大切な人を失った息子を見てきた私にはよく分かる…
だがひとまず、今日の所は堪えろ。彼女から片時も目を離すな。RE.Dの方は…今は私に任せてくれ」
陽介さんは僕に厳しい視線を向け、そっと僕の腕を離す。
確かに、七瀬さんを守るなら、RE.Dよりも彼女自身を優先すべきなはず…。
「……あ!そうだ、もう一つの場所…!」
すっかり忘れていたが、今思い出した。ガスマスクの陽介さんが言っていた、もう一つの場所。
「ん?どうした?」
「あ、あの、この辺りの地図ありますか…!」
すると陽介さんがあたふたしながら、その場を立ち上がって部屋を探した。
棚に置いてあった避難用の地図を思い出し、僕はそれとペンを手に取り、机に置いた。
「あった…!よし、確かこの辺りだったはず…」
僕はガスマスクの陽介さんに指示されていた、とある住所にマークをつける。
未来の陽介さんが教えてくれたこの場所に、RE.Dがあるはず…!
「…まさか、ここにRE.Dがあるのか?この住所は確か廃墟の工業施設が多い。恰好の隠れ蓑のはずだ。」
「本当にあるかどうかは確証がありませんけれど…ここを調べてみてください」
「ふん…分かったよ。私が徹底的に調べておこう」
横からまじまじとその地図のマークを見ながら、陽介さんは頷く。
そんな話をした後、彼はすぐにそこに向かおうと、玄関に移動した。僕も見送る。
「______神崎浩太郎。私が何としてでもデイビットの尻尾を掴む。だから、あの子のことをよろしく頼むぞ」
「はい。…ありがとうございます」
そう挨拶して、陽介さんは背中を向ける。
「……必ずだ。一緒に世界を救おう」
少し恥ずかしげにそう言いながら、玄関を立ち去っていった。
それは僕にとって、どこか頼もしい背中だった。
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神崎くんの部屋にいた私は、自分の布団の上で体育座りしていた。
頭がぼーっとする。というか、何だか心が落ち着かない。
…もうすぐ、私が死ぬかもしれない…?
神崎くんの様子を見に行こうとした私は、さっきリビングの扉の影で、たまたま聞いてしまった。
今日の夜中、日付が変わった途端に死んでしまうかもしれないって。
それを聞いてから神崎くんがバッと立ち上がり、私の方に向かってこようとしていた。
だからそれ以上の話は聞けず、私はその場から立ち去っていった。
『日付が変わった今日の夜中に、七瀬実花が死ぬ確率は…非常に高い』
『っ…!?』
陽介さんの言葉と、神崎くんの焦った反応。
あれが今でも、頭の中から離れない。じゃあ、私…
そんな風にぼーっと考えていると、部屋に神崎くんが戻ってきた。
「ごめんね、一人にさせちゃって」
「ううん………。」
話しかけられても、ずっと頭がぼんやりとしていて、首すら動かなかった。
「大丈夫、七瀬さん。何かあったら僕が守るから。絶対に」
………正直、その言葉は……届かなかった。まるで、神崎くんの言葉が、私の脳に追いついていない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。こんなの、私らしくない。
神崎くんの言葉の返事をしようとしても、口が開かない。
「……じゃあ、もうそろそろ電気消すね」
その瞬間、神崎くんが、照明のスイッチをパチンと押した。
真っ暗な中で、私たちは自分の布団の中に入る。
…けれど。信じられないけれど…。私は、誰かに操られているようだった。
五感が思うように動かない気がして、執拗に眠気が襲ってくる。まるで悪夢みたい。
……このまま私、死んじゃうの……?
そんなの…………嫌っ_______!!!!
眠気を払ってバッと布団から出て起き上がり、部屋から飛び出す。
ごめんなさい、ごめんなさい…。神崎くんに心の中で必死に謝りながら、私は走り出す。
目的地は、ガスマスクの人に指定されたもう一つの場所。ただそれだけだった。
はぁ、はぁ、はぁ…。
必死に走り出して、これまで以上に息切れして着いた場所は…、使われていない、壁の錆びた倉庫。
真っ暗闇の夜。薄暗く不気味なその場所の前にして、私は恐怖で立ち尽くす。
……なんで私、神崎くんを裏切るような真似したんだろう…。
何で私……っ!
こんな場所に女の子一人。怖くて辛くて、涙を流してしまいそうになる。
けれど、もしRE.Dを停止させたら……私は助かるのかもしれない。
その手で涙を必死に拭って、勇気を振り絞り、大きな倉庫の入り口に入っていった。
真っ暗な倉庫の中。物音すら鳴らないこの場所で、片手で壁を伝って移動した。
もう片方の手で、恐怖心に震える胸を押さえ、響く足音を鳴らす。
歩いても歩いても、目的の場所は見当たらない。けれど、諦められなかった。
そして。向こうの壁の隙間から、僅かに光が刺していたことに気がつく。
私はそれを見つけると、早歩きで光の方へと向かう。
壁の隙間に手を入れて引き開けると、重い扉のように開き、中の様子が見えた。
…これは、普通の扉じゃない。隠し扉だったみたい。
豆電球が天井から淡く光る、窓もないこの部屋。
中に入ると、目の前の光景に驚いてしまった。
真ん中の奥に置かれている、六つのモニターがついた大きな機械。
白や黄色、茶色に黒の電線が、部屋の端に大量に置かれているサーバのようなものに繋がっていた。
これが……殺人兵器『RE.D』……?
思わず、唾を飲む。六つのモニターは全て起動していて、難しいプログラムの文字が並んでいた。
サーバからもブーンと音が鳴っている。…え?どうしてこんな時間に起動してるの?
その時。
スッと糸ノコギリが私の首元に見えて、体が凍りつく。
そして反射で気が付いた。背後には、金髪の彼が居たということを。
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僕は夜中に目が覚め、七瀬さんの布団を見た。
…いない、いない、いない。部屋の辺りをキョロキョロ見渡しても、七瀬さんが居なかった。
すぐに家中を探し回り、僕はふと気付いた。
まさか七瀬さんも、もしかしてRE.Dを…!?そう思ったその時には、懐中電灯を持って家を飛び出していた。
寝過ぎてしまったせいだ。なんでこんな時に限って、僕は何も出来ないんだろうか。
日付は変わっている。もし間に合わなければ_____
……いいや、大丈夫。きっと間に合うはずだ。
僕は真夜中を走っていく。ただひたすら、今ならまだ間に合うと胸の中で思いながらも…。
やがて大きな倉庫に着くと、懐中電灯の電源を付け、急いで中に入っていく。
七瀬さんが来たような道を辿るように、辺りをキョロキョロと照らしながら進んだ。
すると、大きく開きっぱなしの扉を見つけた。ぱっと見は隠し扉のようなもので、壁と全く同じコンクリート状だ。
中からも淡く光が差しているし、きっとこの中に何かがあるはず……
僕はその部屋の中に足を踏み入れようとした。
「________アナタも来たようですね」
途端に背後から声がして、すぐさまバッと振り返る。
デイビットが七瀬さんを人質のように肩を掴み、首元に糸ノコギリを近づけていた。
「…な、七瀬さんっ!?!?」
「ご、ごめんなさ……っ…!」
明らかに恐怖に怯えている七瀬さんに、彼はその刃を近づける。
そこからはスーッと、赤い血が僅かに首を辿って落ちた。
「しぶといですね?そんな事をしても、彼女の死は免れない」
「七瀬さんを、離してください!!」
「…そんな言葉、通用しませんよ。RE.D回避は絶対不可能ですから。足掻いてもすぐ死にます」
何度「離してください」と願っても、彼の耳に届くわけがない。
こんな時、どうすれば、どうすれば…!その状況に、気が動転してしまう。
「……神崎くん」
「えっ……??」
「もういいよ。全部…私が勝手にここに来たせいだから。こんな私、救いようがない」
「いや…いやいや、そんなこと……っ!」
彼女の怯えた涙に、思わず必死に首を振り、もらい泣きしてしまう。
縁起でもない。むしろ、僕の方が救いようがないはずだ。七瀬さんから目を離さないって誓ったはずなのに、果たせなかった。
「ハハハッ。この茶番は、胸糞が悪い。あんまり見ていられませんね」
「______デイビットさん。最後に言わせてください」
「……はい?」
すると、七瀬さんは真上にいたデイビットの方を見上げて、こう言い放つ。
「こんなの、自分でやってて、どうなんですか」
「………。」
「大量に人を殺す殺人兵器なんて作って、自分のことが虚しくならないんですか…?」
デイビットはそれを聞いて、表情筋がピクリと動いた。
「……虚しい?ハハハッ。単なる殺人兵器マシンではありませんよ。」
「それって…」
「アナタ達日本人が死んでいくと同時に、この国以外の人間は生き続けるのです。
日本を犠牲にして、世界が救われる。それはまさしく『救済』ではありませんか。」
そんな時、陽介さんがRE.Dの機能に関して言っていた事を思い出した。
『RE.Dを使えば、人から人へ死の運命を移し替えられる…』
デイビットはRE.Dを使い、外国人から日本人まで、「死の運命」を移し替えていたのだろうか?
すると彼は立て続けに、早口で喋りだす。
「この10年間、日本を壊す為に研究を続けて来ました。
この10年間、世界を救う為に研究を続けて来ました。
アナタ達子供に、それの何が分かるんでしょうか??」
その威圧するようなデイビットの視線に、怯まず睨み返す七瀬さん。
なんだかまるで、七瀬さんの心の中で、パチリと何かが切れたようだ。
「______やっぱり、そんなの…」
「ハイ?」
「そんなのを10年間研究しても、意味なんてないじゃないですか!?ただ悲しむ人の数が、数が増えるだけで…!!」
すると、七瀬さんは口をつぐんだ。自分の今の状況を自覚して我に返ったみたいだ。
デイビットは不気味なほど無表情ではあったものの、その手は震えていた。
「………解りましたよ」
するとデイビットは諦めたように突然、糸ノコギリと七瀬さんを離し、バッと彼女の背中を僕の方向に叩く。
糸ノコギリがカランと床に落ちる音。七瀬さんも驚いた表情で、ゆっくり僕の方へ来る。
「か、神崎……くん」
「七瀬さん……?大丈夫…!?」
その時、七瀬さんと何度目かのハグを体感した。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ…!」
七瀬さんは大粒の涙を流してそう言う。さっき勝手に家を飛び出したことを謝っているのだろうか。
僕も急展開すぎて何が起こったか分からなかったが、七瀬さんの体の温もりだけが、確かにあった。
ふと七瀬さんと同時に、デイビットの方を向く。彼は頭を抑え、下を向いていた。
その一瞬……。
彼は突如、床にあった長い鉄パイプを手に取り、こちら側に走って来た。
そのパイプの先が僕の頭に直撃し、勢いよく背後のコンクリート壁まで吹っ飛ぶ。
……今、何が起こったんだ?訳も分からず、意識は朦朧としている。
強烈に痛い頭を押さえると、自分の頭部からは、真っ赤な血が滝のように出ていた。
目の前を見ようとしても、赤い、赤い、赤い。視界も見えないまま、意識が薄れていく。
………。
その一瞬、まだ幼い七瀬さんの声が、僕の心に痛むように刺さった気がした。