この手に託された(後編)
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その後、僕ら四人で、とある科学施設にやって来た。
敷地内はまるで大学のようだ。基本的に許可さえあれば、一般人でも入れるらしい。
施設の中に入り、シンプルで真っ白な廊下を、てくてくと進む。
陽介さんに言われて、僕と七瀬さんも付いていく羽目になったのだけれど…どこへ行くというのだろうか?
「…着いたぞ。ここが、私たちの職場だ」
一つの部屋の前で、彼は立ち止まる。ここは…研究室?
七瀬さんはすかさず、そこの扉をガラッと開けて室内を覗く。すると彼女は、その光景に息を呑んだ。
その部屋には、沢山の広々としたテーブルがあり、顕微鏡や電子部品…あらゆる実験器具がほとんどを占めていた。
研究室にしては広くも狭くもない。けれど十分、仕事に没頭できる場所だ。
奥の窓から差す太陽の光も、どこか目を癒してくれる。
「この感じ…えすえふ、みたい…」
なぜだか七瀬さんは部屋を見て、目を輝かせている。
そこまでワクワクするような場所ではないと思うのだけれど…。
「私たち、普段からここで働いてるの。神崎くん、だったよね。あなたの父親も今ここで働いているわ」
「え…?僕の、父さんがですか?」
隣にいた七瀬さんの母親が頷く。
さっき聞いた話だが、七瀬さんの母親の名前は「純子」さん。
白縁の眼鏡に茶髪のポニーテールが特徴的で、見た目がオシャレだ。
もしかして、七瀬さんのヘアスタイルや服が可愛いらしいのは、母親に影響されたからなのだろうか?
それは置いておくとして…僕は七瀬さんを追って部屋に入る。
どんどん奥に進んでいくと、パイプ椅子に座って顕微鏡を覗いている人がいた。その人に少しずつ近づいていく。
「_____ん?えっお前、浩太か!?」
「と、父さん…」
ちらっと僕の存在に気づくと、白衣を着た父さんがガッと顔を上げて、驚いた表情でこちらを見た。
何だか、頭の中が混乱してきた…。どうして父さんが、こんなところにいるんだ?
つまり…僕の父、七瀬さんの母、中島さんの父。この3人は仕事仲間ということか?
それも、科学者仲間だったなんて…なにか引っかかる。
「君、一度こっちへ来てくれないか」
僕は陽介さんに手招きされて、隣の部屋に向かう。
七瀬さんも既にそこにいた。この場所に3人きりで話がしたいそうだ。
部屋に着くと、陽介さんは扉を閉め、外からの音をシャットアウトする。
窓も閉められていて…静かな場所だ。さっきと似たような部屋だが、少し狭く、書類も山ほど保管されている。
「さてと…どうして君たちは、あの中学校に行ったんだ?」
彼は腕を組み、僕らに聞いてきた。
「それは…」
「ガスマスクの人に、頼まれて来ました」
七瀬さんが代わりに質問に答える。するとそれを聞き、目を凝らした。
「…ちょっと待ってくれ。そのガスマスクってもしかして……こんなものだったか?」
すると陽介さんは、机の引き出しに保管されていた、研究用の黒いガスマスクを手に取った。
僕と七瀬さんはそれを見て驚く。…マスクの目の部分も黒い。まさしく、「彼」が顔につけていたものと同じだ。
「やっぱり…!あなたが、ガスマスクの人なんですか?」
「いいや、半分違う。厳密には……私が知らない、未来の私だろうな」
それを聞いた七瀬さんは、ちんぷんかんぷんな顔をしていた。
…僕も不思議に思った。あのとき会った「ガスマスクの人」は、まさか未来の陽介さん?
「君たちも、その未来から来たのだろう?だとすれば辻褄が合う。…話が長くなるが、それでもいいか?」
僕と七瀬さんは顔を見合わせ、互いに頷く。
「はい、教えてください。僕らには分からないことだらけなんです」
「で、できれば…私でも分かるようにお願いします…。」
陽介さんは、七瀬さんに「まあ、努力はする…」と言った。
すると奥からホワイトボードの黒板を持ってきて、説明を始める。
「……まず本来、今日死ぬはずだった、女子中学生について説明しよう。」
「そうなんです。彼女は一体、何者なんですか?」
「彼女の名前は、『長野千里』」
「「……え?」」
な、長野…千里って!?始まり早々からいきなりの事実に、頭が混乱する。
「ま、待ってください!『長野』って名字、まさか…?」
「ん?君たちは心当たりがあるようだな」
たしか僕らが高校の時、同じ名字の「長野穂花」という一年生の女の子がいたはずだ。
同じ名字?もしかして彼女は、姉妹か何かなのだろうか?
あっ…!そういえばあの子、たしか前にこんな事を話していた。
『……私もね、千里っていうお姉ちゃんがいたんだけど、5年前に死んじゃったんだ、自殺で』
え…?つまり中島さんの初恋相手。それこそが、ホノカさんのお姉さん?
少々ややこしいけれど…、こんな所で繋がりがあった、ってことか?
だとすればちょっと気になることがある。
千里さんの妹と中島さんが、同じ高校に入学している。それって…偶然なのか?
もう一つ。僕と七瀬さんと中島さんの親が、元々仕事仲間だったっていうのも、不自然だ。
「……もう一つ、説明しておこう。君たちは、『RE.D』について何か聞いているか?」
「あ、はい。たしか千里さんを死に追いやった、謎の殺人兵器ですよね…?」
「知っていたか。まあいい、君たちにとっても分からないことだらけだろう。私が大まかな仕組みを教えよう」
そう言って彼が油性ペンで黒板に書いたのは、RE.Dがどうやって殺人を行っているかについてだ。
「まず、人間には一人一人、あらゆる死がある。病気や火事、暴力や猛毒、殺人や事故…そういうものが存在している世界だからな。
私は、老衰死を除く全ての死を、『死の運命』…と呼んでいる」
「「死の、運命…?」」
「そうだ。基本的にそれは絶対に変えられない。もし足掻いたとしても、犠牲が増えるだけだ」
え…?『死の運命』は、絶対に変えられない?
それなら僕らが、前に村野や蒼さんを、タイムスピナーで「死」から救えたのはどうしてだろうか。
「死の運命は、個人によって在るか無いかは異なる。しかしそれはこの世に生まれた時点で定められ、確実に変えられない」
「……あの。そ、それは『宿命』…ですか?」
七瀬さんは少し不安げに聞くと、陽介さんは渋い顔で頷く。
彼女が何故『宿命』だなんて言ったのか、僕にはあまりよく分からなかった。
「しかしRE.Dを使えば、話は別だ」
すると陽介さんは、さらに黒板に文字を書く。
「RE.Dというのは、その人についた死の運命を、他人に移植する事が可能だ。
例えば死の運命を持っている[A]の人間と、持っていない[B]の人間がいたとする。
RE.Dを使えば、[A]の人間からそれを取り、[B]の人間に移し替えられる」
「へ?え、ええっと…ぉ…」
七瀬さん、黒板を見ながら、思わず声が出るほどに混乱している様子。
確かに、何だかややこしくなってきた。大まかに言えば……
RE.Dは単なる殺人兵器ではなく、人間に定められた『死の運命』を、他人へ移し替えられる。
それで殺されかけた千里さんの死は、本来なら「他人のもの」だった…って事なのか?
「とにかく。今の話は少し難しいだろうし、あまり気にしなくてもいい。重要なのは…RE.Dによって、この世界に多くの影響を与えているということだ。」
「かなりの影響?」
「そうだ。例えば出会うはずのない人間たちが出会ったり、生きていたはずの人間が死んでしまったり…」
それじゃあ僕と七瀬さん、中島さんとホノカさん…この4人は元々、出会うはずもなかったのか?
そんな風に話していると、あっという間に時間が過ぎていった。
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神崎くんが向こうの部屋に戻り、自分の父親と話をしに行った。
私と陽介さんは二人きりになる。…さっきまでの会話、あんまりよく分からなかったな。
「あ、あの。質問いいですか?」
「ん?なんだ」
陽介さんは黒板を元の位置に戻そうとしながら、返事した。
「さっき、死の運命がどうたらこうたらって言ってましたけど…。
前に、ガスマスクの陽介さんに言われた事があります。『運命は、変えられる。変えられないのは宿命だ』…って」
「ん?未来の私は、そんな事を言っていたのか。」
ずっとそれが気になっていた。
神崎くんの幼馴染が死んだとき、運命と宿命で言えば、一体どっちなんだろう?
「その、だから私…神崎くんを止めたのは、正しかったのかどうなのかって…」
陽介さんは私の言葉に首を傾げる。あっそっか、そういえば彼に何も教えてなかった。
私はこれまでの神崎くんの幼馴染の事について、全てを話した。
「つまり、彼の幼馴染が車に轢かれそうになり、その子を救おうとした彼を、君が止めてしまったってことか?」
「はい…」
「なるほど。それはあながち間違いではなかったな」
「…えっ?」
彼は顎を掻きながら淡々と話す。意外にも即答だったので、唖然としてしまった。
「で、でも、私。神崎くんを心から傷つけちゃったんです」
「彼の幼馴染は、そもそも死んでしまう定め…いわば『宿命』だった。もし君が彼を止めなければ、確実に二人とも死んでいたはずだ」
「そ、そんな……!?」
じゃあ、私がしたことは、本当に間違ってなかった…?
「説明を忘れていたが、基本的にRE.Dが関与していないのが『宿命』で、関与しているのが『運命』と呼ぶ。
幼馴染の死は『宿命』で、女子中学生の長野千里の死は『運命』…ということだ」
つまり、神崎くんの幼馴染である三島さんの死は『宿命』で、命を救うのは不可能だったってこと?
そして千里さん、村野くんや、りんちゃんに見舞われた死が、『運命』?
それを聞いた私は、ついその場を崩れる。安堵したような、少し頭がもやもやしたような。
「とにかく…何にせよ、君が自分を責める必要はあまりない。心配するな」
陽介さんが私に合わせてしゃがみ、頭を撫でて励ましてくれた。
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帰り道。正午の時間に、神崎くんと歩く。学校の授業は終わっちゃったし、今は家に帰るしかない。
私のお母さんは「子供だけじゃ変態につけ回されないか」って、心配そうにしていたけれど…。
「今日は学校サボっちゃったね、僕たち」
「う、うん。そうだね」
案の定、それが話題に出る。
…それにしても、こんな風に二人で帰路を歩くのって今日で何回目だろう。
「______って、こんなのびのびしてる場合なんかじゃないよ!もう一つ、ここに来た目的あったよね?」
「…あれ?そっか。すっかり忘れてた」
「わっ、忘れないでってば!神崎くんってまさか、女子中学生の件も忘れてた訳じゃないよね…!?」
ぽかんとする神崎くん。それを見てちょっと心配になってしまう。
…なんだか、ここに来てのんびりし過ぎなんじゃない…?
やがて人混みの少ない通路に出ると、私は神崎くんを見る。
彼は反対側の横を向いている。まるで向こうの景色を見て、物思いにふけているみたい。
「______あの、神崎くん」
声をかけると、彼はようやくこっちを向いてくれた。
「…ごめんね」
「ん?」
「私…神崎くんを、悲しませるようなことしちゃったから」
私は、頭を少し下げて謝る。ちらっと彼の顔を見ると…意外そうな表情をしていた。
「いや、いいんだよ?僕も分かってる。前は感情的だったから分からなかったけど…
七瀬さんは、僕のことを助けようとしてくれたんだよね?」
それを聞いて、私は呆然とする。
なんだか、神崎くんには私のこと、何でもお見通しなのかって気がしてきた。
……けど、一つ話していないことがある。
言うべきだったとしても、怖くて言えなかったこと。
「違う。理由はもう一つあって…」
「えっ?」
「正直、私……神崎くんと三島さんに…『嫉妬』、してた」
唇を噛み締めて、彼の反応を伺う。
長谷田くんの言っている事が本当なら、神崎くんはあの子のこと、友達として思っているはず、だったのに…私は…
今こんな事言われても、神崎くんにとっては困るよね…。
そんな風に、自分で虚しさと恥ずかしさに浸っていると、彼は予想外の行動に出る。
「……っ!?」
か、体が…ぎゅってなって…!?
「…ごめんなさい。何となく、こうしたくなって」
い、いま私、神崎くんに抱きしめられてる…?
彼の身体は小さいけれど暖かく、ホッとする。やっぱり神崎くんの包容力はすごい…。
まるで「あの頃」みたいだって思ったけれど…何だかいつも以上に、手の力が強い気がする。
「______うっ、ううう……」
え…?
もしかして、神崎くん……泣いてる!?!?
「あ…あれ…?何で、泣いてるんだろ…、僕…七瀬さんのこと、傷つけちゃったからかな…?」
「か、神崎くんが、私を傷つけた…?いやいや、違うよ!?私が神崎くんをっ…!」
必死に首を振ると、彼の頭がこつんと叩き合ってしまう。
けれど、そんな悲しそうな幼い声を聞いてしまうと…私まで、涙が溢れ出してしまう。
なんで私たち、こんなに涙脆くなったんだろう。体と同時に…心も幼くなったのかな。
「…僕が、僕が七瀬さんを、誤解させちゃったんだ」
神崎くんの声。それが私の心にちくちく刺さって、何故だか切なくなる。
そして膝同士もくっつき合って、私の膝の傷も、チクチク刺さるように痛む………
「い…痛ぁ!!」
「___え!?!?」
私は咄嗟に、バッ!と神崎くんの体を、両手で押しのける。
突然大声を出してしまったせいで、彼を驚かせてしまった。
「ぁ…ごめんなさい…」
「……ぷっ、あはは…!」
こんな状況なのになぜか、神崎くんは私を見て、楽しそうに笑う。
う、ちょっと恥ずかしい…。そういえば膝の傷、応急処置してなかったっけ…。
神崎くんがそんな風に笑う中、真横の電柱に、誰かが隠れているような気がした。
金髪の男性っぽい髪で、身長は大人くらいの誰かが……
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やがて夜になり、家にいた私は、お風呂から上がって水玉ピンク色のパジャマに着替える。
もうそろそろ寝ようかなと、リビングにいた両親にそう話す。
「……そうか。おやすみ、実花」
「あら、もう寝るのね。私の職場だけど、恥ずかしいからもう来ないでね?」
両親に「おやすみ」と挨拶して、自分の部屋に移動し、明かりを消して布団の中に入る。
ああ…。やっぱり毛布から懐かしい匂いがするし、何より、ふか…ふか…。
今日は本当によかった。神崎くんとも、仲直りできたから…。
さっきの神崎くんの様子を思い出して、ちょっとだけにやけてしまう。
『……ぷっ、あはは…!』
あんな神崎くんの楽しそうで温かい笑い声、初めて聞いた。
恥ずかしかったけど…やっぱり大好き。ああいう彼を見るのが、私の中で唯一の幸せで______
バクン。
「………っ_____!?!?」
突然、心臓が飛び出しそうな激しい痛みに、思わず目を開ける。
自分の胸を押さえると、その鼓動は、確実に遅くなっていた。
え!?な、なにが起こってるの……!?そう思う度に、深い恐怖と大量の汗が滲み出る。
「……た……す…け…っ______!!」
視界は真っ暗でぼんやりとしている。声を出そうとしても出ないし、そもそも息をする事すらままならない。
それでも私は、はぁ、はぁ…と息をしようと、必死に試みる。
…………。
しばらくして直ぐに、体調が治った。
汗も消え、心臓も良くなり、まるでさっきまでのことが全部嘘みたいで……。
「い、今のって、一体……?」
胸を押さえた状態で、私はそう呟く。
それ以降、今日は目をぱちりと開いたまま、ずっと一睡もできなかった。