約束と小さな命(前編)
……眩しい。
いや、辺りが眩しすぎる。…もう落ち着いても良い頃なはずだ。
残された僅かな気力で、目を必死にぱちくりさせる。
すると。……そこには、信じられない光景だ。
僕は呆気にとられて、ぽつんとその場に立ってしまった。
朝日に照らされた、きらきらと輝くアスファルト。
そんな通学路を、小学生たちが歩いている。…僕はその真ん中にいた。
いや。信じられない光景……と言ったが、厳密に言えば、信じられないのは自分自身だ。
太陽の光が眩しすぎて、思わずかざした手。……それは、小さかった。
その背中には、黒いランドセルを背負っていた。
薄々想像はしていたが、まさか小学六年生の体に逆戻りすることが、ここまでおかしな感覚だなんて。
僕の真横をどんどん通り過ぎていく、同じ学校の小学生。
あっ、もしかしたらこの中に、僕の幼馴染も………
「何ぼーっとしてんの?遅れるよっ!」
すると背後から、ドンッと左肩を力いっぱいに叩かれる。
……懐かしい、女の子の声だ。まさか_________
三島春香。僕の幼馴染だ。
短めのツインテールが揺れ動くたび、僕はどうしても存在を疑ってしまう。
けれど確かにそこに存在している。…本当に、彼女が生きている日に戻ってきたのか。
……ん?待てよ。今日の日付はいつだろう?
確か、三島さんが死亡する日は…9月25日だったはず。
「……あ、あの、今日っていつ_________」
「おはよー、神崎くん」
すると背後から、今度は眼鏡をかけた大人しめな男の子が現れる。
整った黒髪の少年で、青いチェック柄シャツを着ていた。僕と知り合いなのだろうか?
ちなみに僕の声は、陽気に前へと進む三島さんの耳には聞こえていなかったようだ。
「え、えっと…」
「ん、どうかしたの?何だか変だね」
「……君は、誰だっけ」
隣に現れた男の子は「え?」と声を出して、目を見開く。
「あ〜!おはよっ!」
「おっはよーう!!あっ、神崎!二人とも何つったってんの?」
更に後ろを振り返ると、ふんわりとした見た目の女の子と、元気そうな少年がいた。
ミントグリーン色のカーディガンと白いスカートがよく似合う、セミロングヘアの少女。
対照的に、橙色のTシャツとグレーのハーフパンツが目立つ男の子。
三人とも、確かにどっかで見た事がある気がする……。
…印象がほのかに村野や蒼さんらと似ているせいで、そう思っただけだろうか。
「いやあのね…神崎くん、僕らのこと覚えてないみたいで」
「え!?記憶喪失じゃん!?」
いやいや、そういう訳じゃ……
あっ。思い出した。
大人しめな眼鏡の少年の名前は、長谷田貴。
で、女の子の名前が茅野那月、そして活発な男の子が寺岡繋人……だったはず。
全員、僕や三島さんと同じ6年1組のクラスメイトで、仲良くやっていた友達だった。
……だけど、三島さんの死がショックだったからか、僕は小学校の友達の存在すら忘れてしまっていた。
「ううん、今思い出したから。大丈夫」
「おいおい、しっかりしろってー!んじゃ、さっさと行くぞ」
「え?どこに」
茅野さんが僕を見て「小学校にだよー」と返す。ああ、当時僕らが通っていた小学校に行くのか。
……いや、よくよく考えれば確かにそうだよな。
三人が足を進めると、しばらくぼっとしていた僕も彼らについて行った。
「あ、あの、待って。今日は何月何日?」
「ん?えーっと確か…9月20日だったよ。明日から土日だし、みんなで遊ぶ?」
……9月20日。
三島さんが事故に遭うまで、あと「5日」ってわけか……。
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…何だかすごく、辺りがちかちかする……
光の眩しさに目が痛みながらも、少しずつ、少しずつ目を開く。
ここは……私の小学校の教室。
静かなこの教室内から差す明るい光が、どこか心地いい。
さっきまでぐったり昼寝中だったみたいで、机の硬い感覚を頭に感じた。
重い顔を上げる気力もなく、ただそこでぼーっとしている私。
なぜか周りから、ひそひそと内緒話をしている声がよく聞こえる。
あれ?と、そう思った矢先_________
パンッ!!
「七瀬さん、起きてください」
あまりの大きな音に、驚いてとっさに顔を上げる。同時にクスクスと、生徒たちの笑い声も聞こえてきた。
見上げると、担任教師らしき人が両手で丸めた教科書を持ち、私の横に立って睨んでいた。
あ…。どうやら私、授業中に居眠りしていたみたい。
「う…ごめんなしゃい」
謝罪の言葉すら呂律が回らず、さらに生徒の可笑しそうな声が増す。
自分の小さな口元もヨダレで汚れていて、うっかり手で拭いてしまった。
……ん?小さい?
あ…そうか…!寝ぼけていて気付かなかったけど、私、いま5年前にいるんだっけ。
ふと教室の真横にある窓を見て、自分の姿を確認する。
白いキャミソールのワンピースに、お母さんに教えてもらった、茶髪のセミロングウェーブ。
…体の大きさや服装以外は、ほとんど何も変わっていないかも。
現在の日付は、『9月20日(金)』。そう黒板には書かれてあるけど……
もしかして神崎くんも今頃、私と一緒に戻ってきてる……?
それなら今のうちに計画を練って、合流しておくべきかも。
終わりの挨拶をした後に休み時間になると、生徒たちがそれぞれ友達同士と話し始めた。
独り黙々と何かをしている小学生もいたけど…私もその一人だった。
何だか、村野くんやりんちゃんたちが恋しくなってきた。…最後に、お別れを言っておくべきだったかな。
あ、いやいや。そんなこと言っても、恐らく二人に不自然がられるだけだったよね。
えーととりあえず、一旦頭を整理しておく。
まず26日の朝、とある中学校で女子生徒が自殺する。今日から6日後だ。
ガスマスクの人に指定された場所は、教科書に落書きメモしておいた。
しかしもう一つ大事なのが…神崎くんの幼馴染、三島春香さんが25日に亡くなる事。
それ以上詳しい事情は聞いてないけど、彼の大切な人なら、私も出来るだけ協力しなきゃ。
けれどなぜだか彼の幼馴染の事を考えるたび、頭がモヤモヤする……。
もしかして、これって________
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夕方、学校の帰り道。
当たり前だけど、小学校と高校じゃ歩く道が違うので、どこか新鮮で懐かしい感じがした。
「ねーねー、グリコやろうよーっ」
あどけない声で、真横にあった石の階段を指差す三島さん。
グリコ…、なんだか懐かしい遊びだ。僕は遠慮したけど、他の三人が乗り気だった。
「いいよー。神崎くんも、やる?」
そう話すのは、長谷田くんだ。
「いや…僕はいいよ。三島さんら四人でやってて」
僕がそういうと、それを聞いた皆が突然きょとんとした顔になる。
その様子を見て、心の中であたふたする。え…もしかして僕、なにか余計な事を言った…?
「おまっ、いつから『三島さん』って呼び始めたんだよ?」
「そうだよ!?なーんか、神崎くんらしくない」
目を細めて、いろんな角度からジロジロ見てくる三島さん。
ああ、呼び方のせいだったか。そういえば、昔はこの子をなんて呼んでたっけ……?
「えーと…なんて呼んだら?」
「はぁー!?私のことは名前で呼んでたでしょ!?春香って!」
分かりやすく驚く三島さん……いや、春香…?
呼び捨ての名前で呼んでいたなんて、まったく記憶にない。
けれど…他の皆もそう聞き頷いたので、間違いないのだろう。
うう。今の僕は、さん付けの方が呼びやすいし……春香さん、と呼んでおこうか。
「……とにかく、今日は遊びません。僕は帰ります」
寺岡くんは大声で「えー!?つれねーな!」と言う。
けれど三島さんは僕を見て、何かを察してくれた様子だった。
……それもそう。学校ではろくに一人で落ち着ける時間が少なかったので、僕は一刻も早く家に帰りたかった。
「はいはい、もう5時過ぎだもんね。私たちももうすぐ帰らなきゃ…今日はバイバイ!」
春香さんはそう言って、僕に手を振る。
他の三人とも挨拶をして、昔の記憶を頼りにしながらも自宅へと帰っていった。
やがて自宅の前に着くと、それを見上げて深呼吸した。
黄色い外壁に、黒い屋根。これが僕の昔の実家だ。懐かしくて、思わず目がキラキラと潤む。
……僕は中学時代、広瀬さんを避けるために引っ越した。
それは決して許されることでは無いと、ずっと自分のことを責め続けてきた。
けれど、もう逃げない。逃げたくない。
そんな風に考えながら、ランドセルに掛けられていた鍵を手に取り、玄関扉の鍵を開ける。
ガチャッという、ドアの開く大きな音さえも懐かしく感じた。
「ただいまー」
玄関に入ると、無意識に言ってしまった言葉。
そのままリビングへ向かおうとした時、一人の足音が迫ってくる。
「おかえり。今日は学校どうだったか?」
……神崎徹。5年後には死んでいるはずの、僕の父さんだった。
その声を聞いた途端、昔の家族との思い出が、一瞬でスッと蘇ってきたような気がした。
まさかとは思ったけれど、本当に生きてるなんて…。
「…どうした。様子が変だぞ。なんか嫌な事でもあったか?」
「う、ううん。大丈夫」
父さんは「そうか」と返事して、リビングのキッチンの方へと戻っていった。
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夕焼けに照らされながら、私はひとりで家へと帰る。
他の生徒たちが、友達らしき人と下校する様子を見てると、どこか寂しく感じた。
思えば私には、小学と中学の頃は友達がいなかった。…理由は、私が人と話すことが苦手だから。
高校の頃は村野くんと出会って、おかげでいろんな友達ができた。
…いやいや。そんな事を考えると、頭が落ち込んでしまう。
そんな事よりも、一つ気になることがある。私の家はどこにあるんだっけ?
そう考えながら、心当たりのある家の前に着く。
これは、5年後に厚見先生に放火される、私の実家だった。
全焼したはずの家が今ここにあるなんて…ちょっと信じられない。
私は玄関前に立ち、何気なくチャイムを鳴らす。
「……ぁ」
その直後に、荷物の中にちゃんと鍵を持っているんじゃないかと気づく。
ピンク色のランドセルを一度床に置き、ガサゴソと中を探す。
「実花?…って、なによ!?こんな所でランドセルなんか漁って」
この声…まさか。
顔を見上げると死んだはずのお母さんが、腰に両手をつけて、呆れるように立っていた。
私は思わず口が開いてしまう。けれど、「すごい間抜けな顔ね…」と、指摘されてしまった。
そうか…!じゃあもしかしたら今頃、神崎くんの親とかも生きているのかな。
二人で家の中に入りリビングに移動すると、お母さんが私のランドセルを回収した。
お母さんがそれの中身を見ながら、今日は宿題あるの?と聞いてきて、私は困惑する。
丁度同じタイミングで、もう一人の家族も帰ってきた。
「…ただいま」
「はぁ!?あなた今日、夜に帰ってくるって言ってたでしょ!?何で今帰ってくるのよ!!」
「いや、忘れ物を取りに来ただけだ」
これは…5年前のお父さん。
相変わらず弁護士の職業が忙しそうで、息切れしながら、額の汗が輝いている。
お母さんはあまりそれを気にせず、溜息をついてるけど。
私は近くに駆け寄り、お父さんを見上げて心配する。
「大丈夫…?冷たいお茶でも用意しようか?」
「…いやいや、私は大丈夫だ。実花は本当に…優しい子だな」
そう言って、小さな頭を撫でるお父さん。
「ほんとに、実花って優しいんだから。こんな人に構ってあげるなんてねー」
「おいおい。こんな人ってのは余計だな」
「だって、ろくに小学校の行事も仕事仕事だって、見に行ったことないじゃない!」
お父さんはおでこに手を当てて、ため息をつく。
一見不仲そうな会話だけど、実は二人とも、本当のことを言い合えるほど仲がいい…ってことなのかな。
懐かしい日常風景に、思わず「ふふっ」と、口を押さえて笑ってしまった。
その時、お父さんお母さんに、変人扱いのような目で見られていたことも知らずに。
やがて夜になり、自分の部屋でベッドに寝転ぶ。
昔はお母さんと一緒に寝ていたみたいで、今日もお母さんがやって来たけど、私は「一人で寝る!」と言っておいた。
懐かしい毛布のフカフカさに浸り、私はふと思う。
神崎くんは今、私と同じように、懐かしさに浸っているのだろうか。
結局、彼は幼馴染と会えたのかな。そもそも神崎くんは過去に戻れず、私しか戻ってこれなかったんじゃないか。
………。
明日、確かめよう。
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カレンダーや時計を確認する。日付が変わり、今は9月21日の昼だ。
休日なので、自室で宿題を黙々とこなしていると、勉強用ノートが無かったことに気づく。
そうか……僕が書き始めたのはおそらく中学からだから、今の時期には存在していないんだ。
その最中、お父さんが部屋に入ってきて、「誰か来たぞ」と僕に報告してくれた。
少し急いで玄関に着き、ドアを開けると、春香さんら四人がいた。
「あ、あの…。急に押しかけて、どうしたの…?」
すると、全員それを聞いて目が点になる。
「えぇ〜!?神崎くんから宿題しようって誘っておいて、それはないよーっ!?」
あれ?僕からそんな風に誘ったのか…?
詳しく話を聞くと、一昨日の夕方に、確かにそう約束したらしい。
「とりあえず私たち、中入るよ?」
「え、あ…うん」
僕の返事を待つ事なく、春香さんは僕の真横をすり抜け、家の中に上がり込む。
後から茅野さん、寺岡くん、長谷田くんの順に「お邪魔します」と言って中に入っていった。
長谷田くんが、脱ぎ散らかされた靴の位置を整えてくれた。
……自分が昔、ここまで友達と積極的だったとは、思いも寄らなかった。
僕の部屋の低いテーブルを、みんなで囲んで床に座りながら宿題をする。
「あー!もー無理!!」
そんな中、鉛筆を持ったまま、床に両手をつけて天井を仰ぐ春香さん。
どうやら数学の宿題が序盤から進んでおらず、手こずっているみたいだ。
「こんなの、ごくフツーの人間に解けないっつーの!なんでこんな問題を、先生たちは出すんだろう…」
「もしかして、苦手科目なんじゃない?算数」
そう話す長谷田くんに対し、縦に首を振る春香さん。
寺岡くんはそれに悩むどころか、持参してきた携帯用ゲーム機で完全にサボっている。
一方、茅野さんと長谷田くんは、順調に進んでいるらしい。
「神崎くんは…もう終わったの?宿題」
茅野さんがそう聞いてきて、「うん、まあね」と頷いて返事をした。
「へー!いいなぁ!じゃあ私にも教えてよ!」
「え、あ、うん…」
食い気味にそう見つめられると、断る事すら出来無さそうだ。
春香さんの宿題に、せめてもの分かり易いヒントを書き記す。
ここをこうして、ここはこうする…。そう指摘しながら、どんどん鉛筆を進めていく。
「「「うぉー…!」」」
ヒントだけでも書き終えると、一斉にみんなの口が開いていた。
後ろでゲームをしていた寺岡くんも、それに視線が釘付けで「すげえ…」と一言。
ここまで人に見られてしまうとは…なんだか、思いも寄らない事ばかりだ。
「え!?ほんとにすっごいよコレ!!うわー…感心しちゃうなぁ…!」
春香さんは、まじまじとそれを見つめながら言う。
……なぜか僕は、教室で出会った七瀬さんのことが思い浮かんでしまった。
七瀬さんに初めてノートを見せたとき、褒めてくれた時の事だ。
『す、すごいよ、これ神崎くん!これ編集すれば、きっと勉強本出版できるよ!?』
あんな風に言ってくれたのは七瀬さんくらいかと思っていたけれど…
その時はおそらく完全に、春香さんの存在を忘れていた。
………そうか。七瀬さんはどこか、春香さんと似たような所がある。
七瀬さんと初めて会った時、仲良くなれたのも、きっとそれが一つの原因なのだと、僕は思う。
夕方。僕は玄関の扉を開けっ放しで、全員の背中を見送る。
春香さんらは宿題を終え、夕日に染まる道を歩いていった。
「今日はありがとー!バイバイ!」
突然振り返り、大きく手を振る春香さん。
彼女の後ろにいた三人も僕に手を振ってきたので、小さく振り返した。