幾度も廻す(後編)
─────────────────────────────────
新田くんの家に着いた私は、扉の中から顔を出して話す彼と会話していた。
「あれっ?凛ちゃんのお友達か」
私は真剣に、彼にこう聞いた。
「あの。りんちゃんはどこにいますか…?」
「ん?…凛は、ここにはいないよ」
今の一瞬の動揺ぶり。
恐らくだけど、りんちゃんはまだこの家にいる。
「中に入れてくださいっ…!!」
「え?残念だけど僕のプライバシーを見てもらっちゃ困るな」
「ここにいる事は分かってるんです!だから…!」
すると新田くんは、意外な発言をする。
「…いいよ。立ち話も何だし、早く中へ上がるといい」
彼は、玄関扉を開けた状態にして、家の中に入っていく。
一瞬困惑したけれど、私も慎重な足取りで、その玄関の室内に入っていった。
リビングのダイニングテーブルの椅子に腰掛けて、注意深く周りを見渡す。
新田くんはお茶を淹れると言って、隣のキッチンらしき部屋に去って行った。
今なら、新田くんにバレずに、彼の部屋に行けるかもしれない…
私はそう考えて、そっと席を立つ。
しかしその直後、すぐに新田くんが戻ってきた。
「やあお待たせ…ってあれ、なんで席を立ってるんだ?」
「え、あっ…、ごめんなさい…」
私はそう指摘されて、すぐに元の席に座る。
新田くんは、紅茶の入ったコップのグラス2つを持っていた。
そのうち1つを、私の目の前に置き、もう一方は自分の方に置く。
「…どうして、この場所を知っているのかな?」
私と向かい合うような席に座った直後、新田くんは私にそう訊いた。
その言葉に私は、ちょっとだけ心が動揺してしまう。
「…それって、どういう意味ですか…?」
「いやいや、大した意味じゃないよ。誰にも僕の家を教えてないのに、どうやってここまで来たのかなって。」
あ、そういえば…。
新田くんの家は、前に奥原さんが教えてくれたんだった。
「それは…ちょっと前に友達が教えてくれたんです。りんちゃんの彼氏さんの家はあっち、って」
「……」
新田くんは黙り込み、少し尋常でない目つきで私を見る。
それは私からすればまるで、今の発言を疑われているような感覚だった。
「…で、僕に何の用かな。凛ならここにはいないけど」
すると彼は突如話題を変え、さっきの表情を取り戻した。
「りんちゃん、本当にここにはいませんか?」
「ちょっとしつこいね。残念だけど、此処にはいないよ」
その時だった。
ほんの一瞬だけチラッと、新田くんは自分の部屋の方向を見ていた。
私は確信して、咄嗟にその席から立ち上がる。
突然の事に唖然としていた彼をよそに、私は両手を机に置いた。
「…ん?どうかしたんだい…?」
「やっぱり…!りんちゃん、ココにいるんですよね…?」
このままここに居ると、手遅れになってしまうかもしれない。
「だから此処にはいないって言ってるじゃないか…!?本当に失礼だ…!」
「じゃあ、部屋を見せてください!!」
あからさまに動揺する新田くん。
そんな彼をよそに、私はすぐさま彼の部屋へと向かった。
すると、新田くんは突如、苦しそうに息を荒げる。
「……っハァ…っハァ……っう゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!!」
バリーンッ!!!
その瞬間、割れるような音が部屋中に響き渡る。
私はその音に驚いてしまい、音の方へと振り向いた。
彼は机に置かれていたグラスのコップを、両手を使って落としていた。
机の下には、割れたコップの破片と、派手に溢れた紅茶。
彼の方を見ると、胸を押さえて荒い呼吸をしている。
豹変した目つきで、眼鏡越しに私の方を睨んでいた。
…また現れた。本性を露わにした、化け物のような新田くんだ。
鋭い目線を感じた直後、私はすぐさま、彼の部屋へと走って向かった。
扉を開けると、その部屋にはりんちゃんがいた。
暗い部屋の天井に掛けられた手錠で、手の身動きを取れなくされられている。
前と全て同じ光景だった。壁や床一面には、盗撮写真が貼られている。
ふと私の真横にあった、壁に寄りかかって置かれている鉄バットが目についた。
私は機転を効かせて、内開き扉とタンスの隙間にバットを置いた。
ドンドンドン!!
扉を恐ろしいほど強く叩く音が、耳元に響く。
バットで扉を開けなくしたおかげで、新田くんはこの部屋に入れない。
逆に私たちも、外に出られなくなったけど……。
「大丈夫!?」
私はすぐに意識の薄いりんちゃんの方に駆け寄り、体を揺する。
「……みか、ちゃ……」
「よかった…。すぐに助けてあげるから…!」
すぐに、彼女についた手錠を外そうと試みる。
鍵穴がついていたので、どこかに鍵が無いかと部屋を見渡した。
「クソがぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
ドンッ______!!!
扉越しに耳をつんざく様な、豹変した新田くんの声。
今にも扉を突き破りそうな程にドアを叩く音に、心臓の鼓動が恐ろしく加速する。
「…はは、僕はね?凛を匿っていただけだよ。凛を付け狙う変態どもから」
…え…?
急に態度を変えるかのようにそう話していて…、鍵を探しながら聞いていた私は、とても嫌気がさした。
「中島蓮木。アイツは彼氏である僕の存在を知っていながらも、わざわざ凛と同じ通学路に通ってた。
最近になってアイツは僕に近づいて、『アイツと別れろ』だとか…脅してきたんだ。
彼は絶対に…凛を狙ってた…ッ!!」
『アイツと別れろ』…きっと新田くんがこういう人間である事を知ってたから、警告したんだよね…?
「一番頭がおかしいのは…村野純、アイツだ。今日、凛はアイツに襲われたって、泣きながら話してくれた」
えっ?村野くんがりんちゃんを…?
…いや、今は新田くんの言っていることに耳を貸してる場合じゃない。
私は机に置いてあった黒い鍵を見つけて、すぐにりんちゃんの手に掛けられた手錠を解く。
直後に、脚が崩れて倒れそうになった彼女の体を、私はとっさに手で支えた。
「りんちゃん、大丈夫…?」
「うん…ありがと…」
まだ意識もあるみたいだし、多少は歩けそう。
その一方で新田くんは、今にも扉を突き破りそうだった。
「…そうだ…窓から逃げれば…!」
りんちゃんの手を肩に乗せて運び、部屋の大きめな窓に向かう。
カーテンを開いて窓の鍵を開け、二人で歩いて窓の外に出た。
どうやらこの窓は、裏庭に通じているみたい。
「…走れる?りんちゃん」
「ううん…。ごめんね、足手まといになっちゃって…」
私はりんちゃんの顔を見ながら、首を横に振る。
そして出来るだけ遠くに逃げようと、りんちゃんと一緒にどこかへ向かった。
裏庭から出た後、やがて車の通らないような狭い通路まで逃げ込んだ。
ここまで来ればもう大丈夫かな……。念のため、警察に通報しておけば_____
「凛…ッ!!」
…え?う、うそ…?
その瞬間、新田くんの声がして、靴の足音がこちらへ走るように近づいてきていた。
私はスマホを取り出そうとしていた手を止める。
「に、逃げるよ、りんちゃん…っ!」
ふとりんちゃんの顔を見ると、青ざめたような顔をしていた。
それに彼女の手足も、恐怖で震え上がっている。
「私…死にたくない…」
りんちゃんのその言葉を聞いて、更に決意が固まった。
その場所からできるだけ遠ざかるように逃げていると、別の場所に辿り着く。
「……い、行き止まり…!?!?」
人気が少なく誰もいない、壁に囲まれた行き止まり。
壁を登れば何とか向こう側に行けそうだけど、今のりんちゃんの気力じゃどうにもならない。
「やっと見つけた」
「_______っ!?!?」
私たちは後ろを振り返る。
新田くんが包丁を持って、その場に立っていた。
「ど、どうして…!?」
「分からないのかな。凛の携帯に…付けているんだよ」
え?まさか…GPS?
そんな時、新田くんは私たちを壁に追い込むかのように、ゆっくりとこちら側に歩いてくる。
私は、りんちゃんに近づこうとする新田くんの目の前にはばかった。
「こ、来ないでください…!!」
「君は何もわかってないなあ。僕と凛は…付き合ってるんだよ?
邪魔をするなら…とっとと消えろ……ッ!!!」
見開くような眼で、彼は私の前で包丁を横に振る。
「っ……!!」
その一振りは私の体に掠れ、皮膚に鋭い痛みが走った。
痛みに耐えきれず、私は左側の床に倒れ込んでしまった。
「ご、ごめんなさい…ごめんなさい…っ!!!」
恐怖に震えながら、新田くんの方から後ずさるりんちゃん。
けれど、彼女の背後は壁。すぐに新田くんに、壁際まで追い詰められてしまった。
彼女は俯き、その目からは涙が溢れ出ている。
「謝る必要なんてない…。さあこっちにきて」
「お願いだから…こんなこと、もうやめて…っ!!」
しかし新田くんはそれを無視して、りんちゃんに近づいていく。
「______もうそろそろ、終わらせよう」
そのまま……壁に追いやられた彼女は、再び刺されてしまった。
─────────────────────────────────
病院の待合室を出て、手当てを終えた私は入口前で立ち往生をしていた。
そんな時、村野くんや長野ちゃん、神崎くんが同時に現れた。
「……おい、大丈夫か七瀬…!?」
三人とも心配そうに、私の方を見ていた。
「村野、あんたは黙っといてよ!…ななちゃん。あの子が死んだら、流石に落ち込むよね。私も聞いて驚いたもん」
「……ううん。大丈夫」
と、口では言ったものの、表情はものすごく落ち込んでしまっている。
私は、三人の横を通り過ぎて去っていった。
病院の近くのベンチに寄り、そこに座る。
すると横から、追いかけてきた神崎くんも来て、私の横に座った。
「…大変だったね、事件に巻き込まれて」
「うん…なんだか疲れちゃった」
さっきは包丁を持った新田くんをたまたま見かけた通行人が、警察に通報してくれた。
おかげさまで私は軽症で助かったけど、りんちゃんは……
実は病院に通う直前にガスマスクの人が現れ、スピナーを渡してくれた。
けれどなかなか回す勇気がなく、今は鞄にしまってある状態のまま。
「私、りんちゃんのそばにいたのに、りんちゃんを救えなかった。ばかみたいだよね」
「……そんな事はない。七瀬さんは十分、出来ることをしたよ」
単なる綺麗事にも聞こえるけれど、神崎くんにそんな事を言われたら、少しだけほっとする。
……こうなったら、あのことを打ち明けてもいいんじゃないかな…?
「あのね、神崎くん。笑わないで聞いて」
「え?うん」
「ほんとだよ?絶対笑わない?」
「…うん、笑わない」
よし、だったら思い切って……
私は目を閉じて深呼吸し、目を開いた後、彼にこう言った。
「私、実は……過去に戻れるの!!」
その言葉に対し神崎くんは、漠然とした表情だった。
「……あの…僕もです」
えっ?
「僕も…、過去に戻った事あります」
私も神崎くんの言葉を聞いて、漠然としてしまった。
「……そ、そうなの?」
「うん。っていうかそもそも、それで七瀬さんを救ったんだから」
「……過去に戻って?」
神崎くんはこくりと頷く。
ええぇぇぇー…
思い切って言ったつもりだったものの、予想外の展開で落ち込む。
「________じゃ、じゃあ村野くんをいじめから救ったのも、神崎くん?」
「うん」
「じゃあ!あのガスマスクの人も、神崎くんの知り合い?」
「え…?なにそれ?知らないよ」
え、それは知らないんだ…?
ガスマスクの人……あの人は一体、何がしたいのかな。
そんな話をした後、ふと話題を変えた。
私はりんちゃんを救うことができるのか。
そんな風に呟くと、神崎くんにこう返された。
「何度も挑戦すればいいんだよ」
なんども…挑戦…。
「それってつまり、りんちゃんが死ぬ所を何度も見なきゃいけないってことだよね…?私、メンタル耐えられるかな…」
そう落ち込んでいると、彼に背中を撫でられる。
ちょっとドキッとしたものの、優しく撫でられて、少しだけホッとした。
「大丈夫。七瀬さんは、僕の命も救ったんだ。きっと耐えられる」
彼の表情を見つめると、私を見て優しく微笑んでいた。
「もし何かあったら僕らに頼ってよ。独りで抱えても、ただ辛いだけだよ」
そんな風に言われて、心のモヤモヤがスッと消えていった。
よし…。こうなったら気合を入れて、挑んでみるしかない。
□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□
それから、私は何度も過去に戻り、りんちゃんを救おうと努力した。
出来ることはほぼほぼ試したし、たまに長野ちゃん達の力を借りようともした。
けれど結果的に、新田くんは一筋縄では勝てず…
『______もうそろそろ、終わらせよう』
何度も何度も、何度もりんちゃんは死んでいった。
包丁で刺されたことはもちろん、鉄バットが当たり血を流したり、稀に階段から落とされる事もあった。
そんなものを何度も見ていると、頭の中がもう嫌になって…………
『大丈夫。七瀬さんは、僕の命も救ったんだ。きっと耐えられる』
けれど神崎くんの言葉を思い出せば、いつだって…耐えられる気がした。
スピナーを手に取って、廻す。ただひたすら、『幾度も廻す』。
そんなことが、ただ作業のように…心が折れそうになるまで続いた。
おそらく18回目で、私の心は……ボロボロに疲れ果てた。
新田くんの包丁で右手を大怪我した私は、人気のない住宅街の通路を、一人でとぼとぼ歩く。
りんちゃんが、18回目に死んだのを見た直後だった。
「……疲れ果てているな」
ガスマスクの人がまた突如現れた。
「…どうして……どうして、こんな事になるんですか?」
「彼女が死ぬのが運命だからだ」
「え…?それ…、先に言ってくださいよ……!?私、何度も何度も挑戦して……!!」
ずっと貯めていた18回分の涙が、人生でこれまで以上にない程の勢いで流れ出す。
ただひたすら泣き崩れていた私に、ガスマスクの人はこう言った。
「……だが運命は、変えられる。変えられないのは……宿命だけだ」
そんな意味深な言葉を言って私にスピナーを渡した後、彼は走り去っていった。
運命は変えられる?……本当に、変えられるのかな。
けれど、たった18回だ。こんな所でへこたれてちゃ、りんちゃんなんて救えない。
私はその場を立ち上がり、再びスピナーを回した。
□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□
「やっと見つけた」
「_______っ!?!?」
人気が少なく、誰もいない行き止まり。
私とりんちゃんは、新田くんにその場所へ追い詰められていた。
新田くんは包丁を持って、その場に立っている。
私は怯えているりんちゃんの前に立ち、両手を広げて、彼女を守る体勢をした。
「ほ…本当に来ないでくださいっ!!」
勇気を出して声を張り、豹変した姿の新田くんに対抗する。
「君は何もわかってないなあ。僕と凛は…付き合ってるんだよ?
邪魔をするなら…とっとと消えろ……ッ!!!」
見開くような眼で、彼は私の前で包丁を横に振る。
しかし咄嗟に避けたおかげで、なんとか無傷で済むことができた。
更にその隙に、包丁を持った新田くんの手を、両手で掴んで抑える。
「クソが_________!!!」
新田くんもこの状況に焦っている様子。かなり調子はいいかも……。
「逃げてっ、りんちゃん!!」
新田くんの手を抑えながら、りんちゃんに警告する。
彼女は私たちの様子を見ながら、その横をすり抜けていった。
「逃げるなあ゛あ゛あ゛_________!!!!」
ドン!!
新田くんに両手を勢いよく振り払われ、私は体制を崩してしまう。
その勢いで壁に頭をぶつけてしまい、頭の中がぼんやりとしてきた。
「っ……いやっ……!!」
「やっと捕まえた…、凛…」
りんちゃんの二の腕を、爪を立てて握りしめる新田くん。
「もう逃げなくたっていい。僕たちは……ずっと一緒なんだ……」
「ご、ごめんなさい…ごめんなさい…っ!!!」
必死に抵抗するりんちゃん。しかし新田くんの力は強く、腕を振り払うことができない。
その直後に新田くんは手を離し、彼女は抵抗していた勢いで後ろに倒れ込む。
倒れたりんちゃんに跨り、新田くんはその包丁を振り上げた。
「______もうそろそろ、終わらせよう」
その状況に私は、目を瞑ることしか出来なかった。
お願い……お願いだから、早く来てっ_________!!
「七瀬さん………っ!!!」
その声が聞こえた途端、私は目を開く。
神崎くんは包丁を持った新田くんの両手を、必死に掴んでいた。
そして必死に新田くんを、りんちゃんから引き離していた。
「く、クソが!!だれだ!?誰だ……!!!」
「僕は……七瀬さんの友達だ」
その光景に、私は安堵する。
実は、ついさっき村野くんの家で、私は神崎くんに事情を説明して助けを求めた。
本当にこれでりんちゃんを救えるかどうか分からなかったけど……来てくれてよかった……!
「僕は……僕は凛の彼氏だ!!!僕たちの愛を、邪魔するなッ…!!」
「……ふざけないで。君の愛情は汚れてる。
いいかげんこんな事で、友達を巻き込むのはやめてくださいっっ!!!」
突然声を上げて、神崎くんは彼に怒り出した。
包丁を落とし、抵抗を止めた新田くん。
「う……うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛!!!!」
そして彼はりんちゃんを見ながら、大声で喚いた。
……ほんとに、神崎くんの言う通り。こんなの、歪んだ愛情だよ。
その後すぐに、神崎くんが通報した警察がやってきた。
最終的には神崎くんのおかげで、りんちゃんの運命が変わったのだった。