序章・僕らの出会い(後編)
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昨日と同じく、学校の帰り道を村野と歩いている。
車ですら通らない、いつもの静かな住宅街。そこに優しく雨音が落ちて、普段とはまた違う心地よさを感じさせる。
予報通りの雨だったので、僕は鞄に仕舞っていたビニール製の折り畳み傘を差し、足を進めていた。
村野も、いかにも小学生用の、真っ黒な背景に赤い炎が目立つクールな傘をさす。はっきり言ってダサいし両肩が濡れている。
まあ、村野はその傘を使うのを止めたことはないが。子供の頃から余程気に入っているのか。
「なー、七瀬ってどう思う?」
また突然の村野の発言だ。
「うん。確かに言われた通り、彼女はちょっと……ドジかも」
「だろ!?あいつ、頭おかしいんだよなぁ〜!!」
半笑い状態で村野はそう言う。
いや普通に失礼だな。……僕の陰口も、こいつに叩かれまくってそうだ。
「でも僕は七瀬さんを、知りたくなった。もっと知りたくなったよ。……僕の勉強ノート見せてって言ってくれたのも、褒めてくれたの、七瀬さんが初めてだった。表情も性格も豊かだし。一緒にいるのも、悪くないと思った」
「うぇ? ま、マジか」
大声を上げる程では無かったらしいが、突如驚くような仕草を見せる。
「……そ? 気に入ってもらえたなら良かったけど。俺もお前に紹介して正解だったってことよ!」
なんだかんだ、七瀬さんと出会えたのは村野のおかげだ。
彼女といると、まあまあ楽しいのも事実だ。出会ったばかりだけれど、あの子から僕に接してくれていることには、本音を言うと嬉しいと思っている。
──けど。同時に僕は、不安な面持ちだったと思う。七瀬さんの笑顔を思い浮かべる度、僕は……。
薄らと、真っ黒な霧に消えるように。過去に囚われて、苦しくなる。
「──あれ、神崎くんと、村野くん」
「ん、七瀬さん?」
噂をすれば、というものだ。
七瀬さんが後ろから、僕らに話しかけてくれた。僕と同じビニール傘を差していた。
「お、よっ! 七瀬じゃねーかー! なんでこんな所にいる訳?」
「そ、それはっ…! その……、帰る道が同じだから」
少し顔を俯かせながら七瀬さんは言う。
「じゃあ三人で帰ろうぜ!」という事になった。
しかしそのしばらく後、すぐ村野と別れ道でサヨナラをした。
……二人きりだ。昨日とは打って変わり、七瀬さんは何も話さないので、
僕も誰かに話題を振られないと、身動きを取る事すらできない感覚に陥る。
「か、か……神崎くん!」
「あっはい」
「……あ。いやぁ……よ、呼んでみただけ。いいい、いい名前な、んだね……」
「……うん」
七瀬さんも無理に話し掛けてくれてはいるが、思ったよりも会話が続かない。
この変な空気をどう変えればいいんだ。そう思った時には、分かれ道の歩道橋に着いてしまった。
「……着いたね」
「……う、うん」
歩道橋に降る雨が、何故か寂しさを彷彿とさせた。
……まあ仕方のない事だ。特に話す話題とは言っても、僕には何も思いつかなかったし……僕は何も言えずに、足を進めた。七瀬さんとは反対の方向へ。
「──か、神崎くん!! 待って!!」
「えっ?」
七瀬さんに大声で引き止められ、驚いて僕は振り返る。
「その……えーっと……す」
え?
ザーザーと降っていた雨粒が僕の中で、時間が止まるようにピタッと止まった。
「……す、すごい楽しかった! また明日一緒に話そうね!」
…………。
いやいや、そんな。そんな訳ないよな、何で自分でもそう思ったんだ。
首を少し傾げて、こちらに向ける可憐な笑顔。他の感情を含んでいるように見えたのは、おそらく勘違いだろう。
「あ!! 言っておくけど、すごい楽しかったのは、ほんとにほんとだから! 神に誓って!」
「分かってるし神に誓わないでいいから」
「あ、えへへ。そうだね」
少し焦っていたので、大げさな発言をしたのだろうか。僕は苦笑いした。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日ね」
こうして、七瀬さんとはお別れした。
その途中。電話をしていた青年のサラリーマンが目につく。
……いやいや。変に落ち込んでる場合じゃない。僕もあのサラリーマンみたいに、シャキッとしなければ。
そう自分を奮い立たせ、七瀬さんと、もっと仲良くなりたいと心の中で思った。
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「……非常に残念だが、うちのクラスの七瀬実花さんが亡くなったとの連絡が入った」
よく晴れた日だった。
教室で、担任教師の厚見先生にそう報告された。
……うそだ、そんなの。
先生の様子からは、暗い面持ちが垣間見えた。
どうして?……昨日まであんなに元気にしていた……はずだ。
朝からやけに、クラスが騒がしかった。それに七瀬さんの席が空いてたから、どうなっているんだと思ったが…。
「七瀬さんの自宅が火事に遭った事は、恐らく皆も噂に聞いているだろう。詳しい事は……今現在、警察が調査にあたっているとのことだ」
厚見先生がそう話す。………原因不明? 納得がいかなかった。
けれど現状で僕は、何も出来る事がない。
休み時間に村野は、明るく僕の事を慰めてくれたが、本心では村野も、ずっとずっと落ち込んでいたことが、隣で見ていて分かった。
蒼さんの様子を見に1年の教室に行くと、女友達に抱きついて泣き崩れていた。
……無理もない。僕が聞いた話では、蒼さんと七瀬さんは、蒼さんが入学してからの親友だったそうだ。
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やがて夕方になり、帰り道の歩道橋。その場で立ち止まって、あの時の事を思い出す。
『──か、神崎くん!! 待って!!』
『えっ?』
『その……えーっと……す』
『す?』
『……す、すごい楽しかった!また明日一緒に話そうね!』
………途端に、七瀬さんの事を想った。
どうして何も言わず、消えてしまったのか。
出会ってから、たった少ししか経ってなかった。
もっと沢山話したいことはあった。もっと沢山その笑顔を見てみたかった。
ノートの事とか、習い事の事とか、七瀬さんの話を、もっと聞きたかった。
今になってそんなの、思い出してもしょうがないのに……!
なんで。なんで。なんで。なんで……っ。
今更遅い。遅いかもしれないけど、思ってしまった。
七瀬さんといる時間は……僕にとっては、かけがえのない時間だった。
けれど僕は、そんなかけがえのない「時間」を無駄にしてしまった。
……夕日を見すぎたのか、涙が一滴、僕の右目から零れ落ちた。
その後、僕は家に帰った。平均的な家族用の一軒家だが、ここに住んでいるのは僕だけだ。前に両親と住んでいたが、今は……。
「お帰り! ……どうかした? 具合でも悪いの?」
「えっ……う、ううん。ただいま」
ああ、そうか。今日は一週間に二回ある、僕の叔母が家にやってくる日だ。叔母の名前は石原友美子。
……実は子供の頃、両親が他界して、お金の事は大抵叔母に任せているという状況だ。
僕もバイトをして支えたいと言ったものの、勉強に専念してほしいと頑なに言われてしまった。
「そういや浩太郎、アンタのクラスの生徒、火事に巻き込まれて死んだんだってね。ニュースで見たよ。アタシほんっと驚いたわ」
「……うん。七瀬さんは、僕とも結構仲良くしてくれたんだ」
「そうなのね……。でもだいじょーぶ! 時間が経てば、イヤな事でも忘れられるから! 十分落ち込んで、その後立ち直れば……」
慰めてくれている事は分かったけれど、それ以降は頭の中に入って来なかった。
僕が落ち込んでいると分かっていないのか、叔母さんは少し無神経な所がある。別に、七瀬さんの事を忘れたい訳ではない。
時間が経てば忘れられる。忘れられるはずだって、何度も思ったことがある。
けれど、今もぼんやりと思い浮かべてしまう。酷い事をしてしまった、あの「過去」を。
でも、確かに取り返しのつかない事を、後悔しても仕方がない。そう思い始めていた。
その時、ダイニングの机の上に置いてあったある『もの』に目をつける。
「叔母さん、これは?」
「さあね? ポストの中に入ってたけど……」
窓拭きの掃除をしながら叔母さんはそう言う。
それは玩具のハンドスピナーを思わせる形状をしていた。
丸い本体の周りに3つ丸がついているような、平均的なスピナーの形だ。
これは真ん中の部分を持って、クルクル回すおもちゃのはずだ。
一時期、若者などに流行っていたおもちゃだったはず……。
「それ爆弾かもしれないからあんまり無闇に触らないほうがいいわよー」
「さすが相変わらず、発想力が関西人並みだね……」
「だって変な英語が書いてる紙があったのよ? えーっとたしかあのティム? ティムスピネルってやつ」
ティムスピネル? 斬新な名前だ。多分違うと思うが。
僕はそのハンドスピナーに添えられていた紙に書かれた、英語を読んだ。
『Time Spinner』……タイムスピナー。確かにそう書かれてある。
「これティムスピネルじゃない。タイムスピナーだ」
「えぇ!? アタシ英語に疎いのよー」
叔母はそんな風に言いながら、浴室の掃除に向かった。なので、一人で考える。
タイムスピナー…? 一体なんだろう。『時間を廻す』って事か?
……自分で思って、馬鹿馬鹿しくなってしまった。時間を廻すだなんて、非科学的すぎる。多分きっと誰かの所有物だろう。ここはやはり、警察に届けておくべきか……。
──でも。もしこれで七瀬さんを救う事ができたら、どれほどいいだろうか?
落ち込んで頭がおかしくなっていたせいか、僕はそのままゆっくりと、そのスピナーを回す………
キュル──────
その時だった。全身が、急激に震えを増してゆく。
スピナーの回転の勢いが弱まらない限り、その振動は留まることを知らない。
ジャ────────ッ…………………
この振動がいつまで続くんだとそう思った瞬間。
カチャッ。
突如として、そのスピナーは止まった。
何があったんだと思い、ぼんやり目を開けると、少しずつ村野の声が聞こえてくる……。