重い後悔(前編)
「……僕が中学の頃に、いじめられていた子がいた。それが、広瀬さん。
僕は、彼女のいじめから、ずーっと目を背けてたんだよ」
彼は、複雑そうな表情をしていた。
真っ黒な罪を、これまで抱えてきたように。
学校図書館で、神崎くんと二人きりの状況。
広瀬さんという人とはどういう関係なのか、と質問をした時だった。
……広瀬さんのいじめから、目を背けた?
「___それって、どういう意味?」
「あのね…僕は中学時代、ずっと友達がいなくて。
元々広瀬さんって子とはその時、唯一の仲だったんだ」
中学時代の唯一の仲が、広瀬さん?
神崎くんは、さっきの話の続きを話してくれた。
「最初に会った頃の広瀬さんは、赤い髪がボサボサで、誰もいない廊下の隅で体育座りしてた。
全身アザだらけだったから『どうかしたの?』って話しかけたんだけど、最初は『部活中に転んだ』としか返してくれなくて…」
私の思っていた広瀬さんの印象とは、だいぶかけ離れていた。
まるで……大人しく内気な感じ。今まで見てきたあの狂った笑顔は、彼女の全てではないと思い知らされた。
「それから一緒に話して打ち解けてくれるようになった頃、広瀬さんは僕に全て打ち明けてくれた。自分は、日常的に……そういうことだった、って」
「か、神崎くん。こんな事訊くのもあれだけど、念のため。……どうして、目を背けたの?」
「____うん。怖かったんだ」
「怖かった」。……やっぱり。
実際それを知ったからって、中学時代の神崎くんは、どう行動すればいいのか分からなかったんだと思う。
「広瀬さんと仲良くなってしばらく経つと、いじめていた生徒たちが僕の存在に気づいた。
やがて僕もその対象者になって…これ以上、自分まで被害に遭いたくなかった」
一層、深く後悔しているような面持ちに変化した。
きっと、他にも何かできる事があったんじゃないかって、過去の自分を責めているのだと思う。
「え?それってつまり……」
「僕は親に、転校したいって言いだしたんだ。自分だけ逃げ出すために。僕まで被害に逢いたくなかった。彼女の事より、自分の事を優先したんだ」
それじゃあ神崎くんは、虐められていた広瀬さんの事を「見捨てた」ってこと……?
見捨てたと言えば、人聞き悪いかもしれない。
「だから、七瀬さん。僕は……きっと君が思っているような人間なんかじゃない」
真剣な目で、神崎くんは私のことを見ていた。
終始、彼は自分のした過去の過ちを、ずっと抱えている表情で___
____いや。
「……そんなことない。」
「___えっ?」
神崎くんはその言葉で、少し驚いたような表情を見せる。
私は、そんな彼の顔を見て言った。
「仕方なかったよ。確かにそんな事したら、自分を責めちゃうのも無理はないけど…
……私も神崎くんと立場が一緒なら、同じ事してたよ。心が未熟な頃だったら尚更だと思う」
しばらく経つと、神崎くんは下を見た後、目を伏せ、優しい声を漏らして微笑んだ。
あれ?なんか変なこと言ったかな。
「そうなんだ。七瀬さん、本当にごめんね。変な心配かけて」
「えっ?…う、ううん!全然…!えーっと。ごめんより、ありがとうって言ってほしいな」
神崎くんは私をじっと見て頷き、「ありがとう」と言ってくれた。
まあ、私がその言葉を促した訳だけど……それを聞いて少しほっとした。
「____あのさ。僕は…、明日、広瀬さんの家に会いに行こうと思ってる」
「えっ!広瀬さんの……家に?」
「…うん」
彼は頷く。
「僕は直接広瀬さんに謝罪して……少しでもいいから、自分の後悔に踏ん切りを付けたいと思ってる」
え、もしかして。
前にこの図書館で話した時も、神崎くんは『自分の後悔に踏ん切りをつけたい』って言っていた。
それってつまり、広瀬さんと会って謝罪するって意味だったんだ!
「……よかったら七瀬さんも、一緒に行く?」
すると再び神崎くんに、そう誘われる。
だけど私は、こう提案をしてみた。
「えーと……神崎くん。それって明日じゃなきゃ、ダメなの……?」
「ん?どういう意味?」
11月3日。
明日神崎くんは、謝罪するはずの広瀬さんに、殺される。
そんな事が起こってしまう未来を、私は知っているけど……
そうだ。神崎くんに、過去に戻った事を話すべきかな。
『あのね、神崎くん……!私実は、過去に戻れるんだ!』
『え?急に何言ってるの七瀬さん?タイムリープは現実においてあり得ないよ。非科学的だし、現実で証明されていないものしか信用できないんだ。まあ今すぐ証明できるなら話は別だけどね』
『……ぁ……ご、ごめんナサイ……』
……いやいや!
ダメだよね。昔から、私が変なことを言っても、あんまり人には信用してはもらえない。
ましてや、真面目で性格の神崎くんには、首を傾げられるだけだよね……というか、私の妄想の神崎くんって、こんなに早口なんだ…。
「……で、でも!せめて明後日とか、しあさってとか!」
「___悪いけど、どうしても明日じゃなきゃダメ。僕の予定がなくて。もしかして明日、予定あった?」
「ううん。でも、そっか……うーん」
私は首を振った。唸りながら考え込む。
つまり、「死の運命」はそう簡単に回避できないってことかぁ……
「……私も行くよ、神崎くん」
「そう?ごめんね。あ、違うか。……ありがとう、本当に」
やっと、神崎くんの事が知れた気がした。きっと、ほんの少しだけだけど。だから今度こそ明日、神崎くんを救ってみせる。
それにしても。私なんかを、どうして誘ってくれたんだろう。何にせよ、そんな大事な瞬間に誘ってくれた事は嬉しかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして戦い当日。11月3日の朝、人気のある街の道路。
横の歩道で、私は神崎くんと隣同士で歩いていた。緊張感が漂う中、横の道路を走る、自動車の音だけが響く。
こう見えて私は、足が速いのが取り柄。
この日の為に運動シューズも履いてきた。少しでも早く犯人に追いつくため。それに応じて洋服も、軽い服装で挑んでみた。
やがて、神崎くんが事故に遭う、交差点の赤信号の前に着く。人混みに紛れながら、私はその瞬間を伺う。あたりをキョロキョロと警戒して見渡す。
……私が見る限り、広瀬さんの気配はまだない。
もちろん、ちゃんと考えはある。成功するかはどうかは分かんないけど、やってみるしかない。
「えー!これやばーい!」
ふと真横に、スマホを見ている若い女子二人がいた。さっきと同じ状況だった。
「……大丈夫、七瀬さん?辺りキョロキョロしてるけど」
「あ、ごめん!気にしないで」
警戒して、あたりを見渡してたとこを気づかれてしまった。
変に神崎くんの心を緊張させるのも、あんまり良くないかも知れない。もしかしたらバタフライエフェクト(?)的なのも存在してるかも知れないし。
ブゥゥウウ───ン!
銀色の高級車が、道路の向こう側を勢いよく走る。
二度目だけど、つい驚いてしまう。やっぱり……今起こっていることが、前とまったく同じ。
……次は、神崎くんだ。
「_____七瀬さん」
いつもよりトーンを下げた声。神崎くんが話しかけてくる。
私は「なに?」と返事をし、彼の方を向くと、やっぱり真剣そうな顔で、こっちを見ていた。
「もし。もしこの件で僕が、踏ん切りをつけられたら……_____」
はっ……!!
一瞬の事だったけど、私は予想が出来ていた。うん、それもそう。二度目だから。
直ぐに気づき、神崎くんの背後に迫っていた黒い両手を掴む。
よし、捕まえた!
黒いコートを着て、フードで顔を隠している。けれどこの人はきっと……
その人は驚いた様に私の方を向き、表情が私の方だけに露わになる。
広瀬さんじゃなくて、「米塚さん」の方だった。
直後、黒いフードの米塚さんは、人混みを抜けて走り去っていった。
しかし今度は、追わない。
もちろん、神崎くんの安全を確保するため。この場を去ってしまえば、本当に命が危うくなるから。
「大丈夫?神崎くん」
「う、うん。僕は大丈夫…だけど……」
神崎くんはその場に立ったまま、目を白黒させていた。
何せ、自分の背中を押そうとした怪しげな人がいたもんね。
「___神崎くん。今日は危ないから帰ろう」
「えっ?……それは…ごめん。しばらく今日しか予定が空いてないんだ」
突然の提案だったものの、まごまごとした後に返事をされてしまった。
「その予定、どうにか空けられないの…?
……今から会いに行くっていう広瀬さんは……悪魔だよ?だからそんな人に構ってる場合じゃ___」
「七瀬さんは……彼女の何を知ってるの」
その時。神崎くんの顔色は真剣さを帯びて、私の言葉を途中で切った。
向けられたその眼は、とても……
……思わず、言葉が詰まってしまった。
「七瀬さんはあの子の事、何も知らないよね?
君は広瀬さんを知ってる風に言うけど、少なくとも彼女は…君が思っているような人間じゃない」
「………っ、か、神崎…くん?」
広瀬さんの件になると、神崎くんはいつにも増して真剣そうだった。
怒っている……というより、警戒しているという事だけが、ひしひしと伝わってきた。
……こんな神崎くんの一面、見たことがなかった。
思わず悔しくて、ちょっとだけ涙が出てくる。
「……っ、そんな事分かんないじゃん、神崎くんも…!もしかしたら今会ったら全く別人かもしれないし……!」
「違う、広瀬さんはあの頃からずっと、内気で大人しくて、でも_____」
広瀬さんを、熱烈に語っているその表情を見て、私はそんな考えが頭によぎり、つい笑ってしまう。
言いたくなかった。でも、気が付けば、言ってしまっていた。
「____そういう、事だったんだ」
「え?」
「やっぱり……好きな子なの?」
神崎くんは聞いた直後、さらに唖然とした表情を浮かべた。
……正直、そんな図星な反応を見たくなかった。知らなければよかった。
「神崎くん。そこまで熱く語れるぐらい、広瀬さんのことが好きなんだね」
「……っそ、それは…」
感情に任せて追い討ちをしてしまった自分が、後になって恥ずかしくなる。
神崎くんは、黙り込んでしまった。その空気は重く、彼から目を逸らして袖で涙をそっと拭く。
「私の告白を断った理由だって、本当は」
心に潜めるべき言葉が溢れすぎたと意識し、言いかけて止めた。
もう既に、取り返しのつかない状況だったけど。
正直、悔しかった。私なんか、初めから神崎くんとは付き合えなかったんだ。
「____っあ゛……!?」
その時。
神崎くんが、声を出す。
直ぐに、斜め下に向けていた視線を、首と同時に彼の方へと向ける。
黒いフードをつけた人が、背中に密着していた。神崎くんの体はしばらく立ったまま硬直していた。
彼の背中からは、血が流れ出ている。
背中が血に染まった神崎くんは、その歩道に倒れ込む。
その状況を辺りの人が見かけ、突如としてざわめきだす。
「神崎……くん……!?」
肝心の私は何も出来ず、呆然と立ち尽くすしかなかった。
救うはずだった命を、油断して奪わせてしまった。
同時に目についたのは、黒いフードの人が腹に当てて持っていた、真っ赤なサバイバルナイフ。
その黒いコートの腹部には、真っ赤な返り血を浴びていた。
「ふふっ」
ざわざわ騒ぐ人混みを無視し、奇妙に微笑む。その人は、私と同じ身長。
倒れ込んだ神崎くんを見て、見下すように笑っていた。
……間違いない。広瀬さんだった。
どうして……!?たしか本来、車に轢かれるはずじゃ………?
そういえば。過去に戻る前、広瀬さんの大きな鞄の中には、使われていないサバイバルナイフがあった。
という事は……運命が、少しだけ変わった?
でも、彼が死んだ事に変わりはなかった。
私はただその横で、じっとしている事しかできなかった……。
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自宅の帰り道に、人気の少ない住宅街の道を歩く。
警察官の事情聴取を受けた後で、もう夕方だった。
広瀬さんは現在逃走中で、指名手配されているそう。
赤い夕日が、私の体を暖かく照らす。
……いろいろと、疲れた。
頭の中がぼんやりとしていて、足取りも重い。
「………。」
すると突然目の前に人が現れ、私はとっさにその足を止めた。
黒いガスマスクをつけた人。……もしかしてまた、過去に戻るの?
「もう出来ません」
「……訳を訊こうか」
「こんな事しても、自分がみじめになるだけだからです」
「___逃げるか?」
「そうですよっ…!!もう、辛い…!私は、神崎くんを知ろうとして、知りすぎてしまって……!
っ、だから、私が過去に戻っても……何も得られない、というか……何も、変わらないんです……」
感情的になって俯き、片足を地面に叩きつける。
……まただ。私の悪い癖。
他人の苦しみと比べれば、大した事でもないはずなのに、勝手に苦しくなって感情的になってしまう。
挙げ句の果て、訳の分からない事や、根拠の無いことすら思ってしまって。それを言ってしまう。
神崎くんに告白を断られた直後だって、そうだった。変な被害妄想が働いて、傷付けるような事を言った。
「……本気だと言うなら、お前を止めない。だがこのままでいいのか?曖昧な心で救える命から逃れるのなら、一生後悔することになるぞ」
この人、正論すぎる。思わず見上げて顔を見た。
確かに神崎くんが死んだ状況を見て、それで諦めるというのも、心がもやもやする。
私はガスマスク越しの賢そうな人に、こう聞いた。
「あの…、どうして神崎くんはナイフで刺されて死んだんですか?本来だったら、交通事故に遭ったはずなのに。」
「………過去は、少しの変化すら許さないものだ」
「え?」
少しの変化すら、許さない?もしかして。
「俗に言う、バタフライ効果の様なものだ。一人の人間が及ぼす影響は、多からず少なからずある。
お前の行動次第で、この世にも影響を与え、変化するということだ」
ガスマスクの人は、私に向かって指をさす。
あ……バタフライエフェクト!本当に存在していたんだ。てっきり、物語の世界だけかと思ったけど。
バタフライ効果……。
じゃああの時、黒いコートの米塚さんを追いかけなかったから。私の行動が変化したから、広瀬さんの行動も変化した?
「……だったら、私なんかがちょっかいを出すものなんかでは……」
「どういう意味だ?」
「私が余計に過去をいじって…もしかしたら、もっと最悪の結末に陥る可能性もあるって事ですよね……?」
私はパニック状態になる。
しかし、ガスマスクの人は、ぴくりとも動かない。
「……怖いか?」
「怖いに決まってます……!だって私、只の女子高生ですし……!」
「お前が只の女子高生かどうかは別として。なら命を、見捨てるのか?」
っ……!!
そ、そんなこと、言われても……!!
「じゃ、じゃああなたが、過去に戻ることはできないんですか?」
「私には出来ない」
「どうしてですか…!?」
「これを使える権利があるのはお前だけだ」
権利……?訳の分からない言葉に、頭が困惑する。
「神崎という人間は、お前の事を誰よりも信頼している」
「うそ…?で、でも、神崎くんは私なんかより、広瀬さんの方が……」
「本人に確認したか」
「えっ。それってどういう……___」
するとガスマスクの人は、私にスピナーを差し出す。
「……運命を変えた後、彼の本心を聞くといい。」
私の右手が、黒い手袋のつけた両手で掴まれ、無理やりスピナーを握らされる。
「あの、あなたって、一体_____」
私が話そうとした隙に、ガスマスクの人は走り去っていった。
うう……これぞミステリアス。っていうか、本当に何者なの??
……神崎くんは、私の事を誰よりも信頼している。
そう言われたけれど、あんまり信用できなかった。けど……
握っていた右手を開き、スピナーを見る。
私はまだ、彼の本心を訊いていない。
本当に、広瀬さんのことを好きなのか。それを知った私は、どう行動するか。
それを訊くには、まず彼を救う。見捨てれば、絶対に後悔する。
だって。私はどんな神崎くんでも、やっぱり好きだから。ちょっとやそっとの事では、諦めたくないから。
それに、現にあの人にも説得された。
しょうがない。こうなったら、最後の最後まで粘ってみる……!!