永遠に消えない傷(後編)
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翌日。教室の休み時間に、自分の席に座って、村野の方に注目している。
今は自分の席に座り、教科書をしまっている様子だ。
その時、村野の後ろに、四人の男子生徒が迫っているのを目撃した。
……四人の中の一人は、折原だ。
折原は三人組より前に来て、村野の肩を背後から叩く。
「よー、村野じゃねーか。」
「……!」
村野は驚いた表情をして以降、一言も喋る気配もなく自分の机を見てただ俯いている。
話しかけるのなら、今しかない。僕は席を立ち、折原の横に近づく。
「………あ…?」
「こんな事は…っ、やめてください」
……この言葉で引き下がる奴らだとは思えない。
けれどこれが僕の唯一出来る、折原に対する警告だった。
「お前、誰?俺たちの邪魔しないでほしいんだけど」
「僕は、村野の親友です」
そう言うと、俯いていた村野は、僕の方を見て驚いた表情を見せた。
前は確か「神崎です」とだけ名乗ったけれど、今は違う。折原と後ろの三人には、あざ笑って馬鹿にしているようだが。
思い切り勇気を振り絞った僕の表情と裏腹に、やはり握っていた拳の汗が半端ではない。
「あそ。別にいいじゃん友達と遊ぶぐらいとか。友達と遊ぶのがダメってあんたキチガイじゃねーの」
「………さっき、約束したんです」
「は?」
「僕と村野、今から二人でサッカーする約束をしてたんです。だから…ごめんなさい」
四人の…ヘビ、いいや、それ以上に恐ろしい睨みは、かなり僕に利いている。
……嘘は苦手だ。でも誰かを敵に回しても、村野を守るための嘘だって重要だと思った。
バレていないし、こう言い訳すれば折原らも、物を言えないはずだ。うん、多分だけど…。
「ふざけるな!村野、ホントにコイツとそんな約束交わしたか?おい?聞いてんのか?」
「………。」
村野は僕を見た状態で、何も言わない。
だけど、何も言わないけど……僕の目をじっと見ていた。「助けてくれ」の眼差しだと、僕は勘づいて思った。
「……なんとか言えよ!!!」
折原は右足を床に強く叩く。かなり焦った様子で、村野に対し大声でそう言う。
それに対して、周りの生徒たちもしばしば反応する。鋭い視線が村野に集中し、本人は気づいていないけど。
頼む、村野。命が惜しいなら……僕の些細な嘘に付き合ってくれ。
「………俺は____」
「あ゛あ゛ッ………!もういい…………ッ゛!!!!!」
今まで以上に鋭い目つきで、村野を向いて、教室中に響く大声を出す。
全員がザワついたが、それと同時に村野の腕を掴み、無理に教室の外の方へと連れ出す折原。
ちなみに、彼の仲間である三人組は、その状況に唖然としていた。
……僕も含めて、だ。思わぬ展開に、軽く開いた口が塞がらなかった。
「か、神崎くん!何があったの!?」
その時、横からこの状況に困惑した七瀬さんが話しかけてきた。
確かにこの短い間に色々と起こりすぎた。うう……困惑するのも無理はない。
だがこのまま村野が理科室に連れていかれたら、更にまずい事になる。
「ごめんなさい、七瀬さんっ…!!」
「ぇ、どうしたの!?まっ…!?」
僕は動揺する七瀬さんを差し置いて、理科室の方へと急いで向かった。
……ごめん。今は非常事態なんだ。
「……全員、地獄へ堕ちろ……ッ!!!」
理科室の前に着くと、感情的になった折原が、村野の首を絞めて掴み、開いていた窓の外に上半身を無理やり出して放り出そうとしていた。
まずい。ここは三階だ。窓から放り出されたら恐らく助からない。
嫌だ嫌だ…これ以上事態が悪化する前に、早く終わらせなきゃ……!!
僕は折原の方へ、ゆっくりと歩いて近づいてみる。こんな時こそ、僕は冷静に考えるべきかもしれない…。
「…ちょっと待って」
とっさに僕は、声を出して引き止める。
同時に七瀬さんが、背後にある廊下にやってきて叫ぶ。
「神崎くん!?それ以上は危ない…!!」
「…………へぇ?お前、神崎って言うんだな?ずいぶんと俺の気分を踏みにじってくれたな……?」
折原はその状態のまま、僕を見て不気味ににやけていた。
明らかに精神が、尋常で無いほど狂っている。もはや「いじめっ子」なんかの枠では収まらない。
「………『三月』」
「_____は…?」
折原は目を見開き、しばし唖然としていた……やっぱり。
『折原三月』。父親に殺された、折原の妹の名前だ。
実は、僕は前にホノカさんから、その名前を教えてもらったのだ。
「……どうしてお前が…誰から聞いた…?」
折原は弱々しく震えた声で、僕にそう言う。感情的な様子は、次第に薄れていった。
やっぱり、妹に対して相当な思い入れがあるのだろう。
「………三月は、14歳だった。父親から俺をかばって死んだ。頭を角にぶつけて…ッ!!」
突如、涙を流しだし、目線を変えて村野の方を向く。
「何ッ…何で…!!そん時…、おんなじクラスだったコイツが目についた。
俺の目先で、他のやつとヘラヘラ笑ってる村野が、許せなかったんだよ…!!」
え?待てよ。もしかしてそれだけで、村野は………?
じゃあ前に折原が言っていた「侮辱」っていうのは、村野が他の人と関係ない話をして笑っていた、ただそれだけの事か?
「……それじゃあ、ただの八つ当たりだ…!」
「違う、違う違う。ッ…こいつは…俺を侮辱した。
きっとその時だって、俺の陰口を叩いてたんだよ………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
そう言われたって単なる被害妄想だ。……嘘だ…そんなの意味が分からない。
何故、折原と関わりのなかった村野が、ここまで苦い思いをしなきゃならなかったんだ。何故村野は、八つ当たりのせいで死ななくちゃいけなかった?何故だ…??
僕は怒りを抱く前に、理解が不能だった。
それに気付けなかった僕が一番意味不明だけど、それでも…村野の気持ちは…。村野はずっと、苦労してきて……!!!
「……おれ…は……」
「…!!」
すると村野が、恐る恐る声を振るわせ、折原に対して言う。
「……俺は、折原の苦痛、全部分かってた。だからさ……受け止めたくなったんだ、なんとなく…」
「…は?」
「前から知ってたんだ、俺は。ずっと大切にしてた兄弟が亡くなるって、ほんと、『辛い』って言葉じゃ表現できない程、辛いはずだろ…?
お前にとっちゃ、永遠に消えない傷だって思ってた…。少しでも癒えるなら、俺みたいなバカ、どうとでもしてくれて良かったんだよ……」
それは、僕らが初めて聞いた、村野の本心だった。
じゃあ村野は、ずっと折原のために、どんな苦痛にも耐えていたって事か……?
……お人好しだ。確かにバカが付くほど、村野はお人好しすぎる。
そして、『永遠に消えない傷』。
折原はそんな村野の言葉を聞き、口を震わせた。
「………は?何だよそれ……っ、てめぇドMか、ふざけんな………!!」
「そんなんじゃねー……」
折原は暴言を吐いていたが、それと裏腹に、大量の涙を、ぽとぽと村野の制服の腹に落としていた。
そして村野も、目を閉じたまま、フッと笑っていた。何であんな表情が出来たのか……やはり意味が分からなかった。
戦意を喪失したのか、折原は村野を室内に無理やり投げ戻す。
折原は放心状態になり、立っていたその場で足を崩した。
「……神崎くん、あとは任せて」
いつの間に隣にいた冴島先生が、放心状態の折原に近づいて、理科室の外に連れ出した。察するに今までの騒動も気付いていたようだ。
二人きりになり、僕はすぐにその場に倒れていた村野の近くに寄る。
「村野、大丈夫か」
「おう……助けてくれて、ありがとな………」
これで村野の命は、やっと救われた…はずだ。
だが彼の背中を手で持った時には、目を閉じかけていて、意識はもうろうとした状態だった。
「……村野は、本当のバカだね」
「くっ、神崎に言われると照れるわ……」
いや褒めてないから……と、突っ込む暇も無さそうだ。
村野は、目を閉じそうだった。
「…あのさ、僕、本当に心配したんだ……いや、僕なんかだけじゃない。みんなが心配した」
「分かってるっつーの……本当に悪かった」
「うん。……ねえ、これだけは覚えて。村野の身体は、村野だけのものなんかじゃない。
だからこれからは、僕らに相談して…お願い。もっと、自分を大事にして……」
そう言った直後には、もう彼の意識がなかった。
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放課後。僕はすぐに病院へ向かい、村野のいる病室に着く。
意識のない村野の寝ていたベッドの横で、僕はただ彼が目を覚ますのを待っていた。
……だって、村野は僕の親友……ええと、心の友……?だもの。
「________ん、あぁ゛……」
「村野…!」
数十分ほど経つと、唸り声を出して、彼は意識を取り戻した。
「………おお、神崎か」
「大丈夫!?怪我は?意識は…!?」
「……ぷっ!そこまで質問攻めされても、俺医者じゃねーし分っかんねーっつーの!」
僕のあたふたした姿を見て、吹き出す村野。どうやら無事なようだ。
よかった……あそこまで長い間窒息させられて、意識も無くなるってどういう事だよ全く…。
「あっはは!はぁー………つらかった」
直後、暗く落ち込む村野。これまでの事全体を、ようやく把握できたのだろうか。
「神崎。ずっと言えてなくて、済まなかった。勇気がなかったんだよ俺には。
あいつ…折原にもさ?いい所があるんじゃないかって……信じ続けたかったんだ……ははっ、ばかみたいだろ?」
「………考えたけど、やっぱり馬鹿なんかじゃない、村野は」
村野はそれを聞くと、俯いて涙を流しはじめた。
まるでこれまで経験した痛みを、全部さらけ出すかのように。
「…ふ、あっ…ありがと…な…?」
僕はそんな村野の肩に、黙って両手を乗せた。
そして、親友は僕の胸に飛び込んだ。服が汚れるとか今はどうでもいい。
村野についた心の傷が、少しでも癒えていく事を祈って。
ガラッ、バタン。
「ひ、ひいいっ!」
「えっ七瀬さん!?」
病室から出ようと扉を開けると、その扉の目の前には、カバンを両手で持つ制服姿の七瀬さんがいた。
急に扉が開いたのに対し、小動物のようにびびる七瀬さん。古風な声の出し方に僕もびっくりした。
「ええ、と…こんな所で何してたの?」
「そ、そのぉ…邪魔しちゃわるいかなぁ、と思って……。大丈夫?村野くんは」
「うん、大丈夫だよ村野は。じゃあ僕は帰るね」
村野の様子に、ため息をつき安堵する七瀬さん。
「よかった…。あ、うん、じゃあね、気をつけてね〜!」
七瀬さんを通り過ぎて、僕はそのまま病室を去っていった。
途中、「ゴンッ!」と何かが何かとぶつかる音がしたが。まあ気にしなくてもいいか。
病室の廊下の途中、制服姿のホノカさんとすれ違った。
かなり走って急いでいる様子だったが……そこまで村野が心配なんだろう。
こうしてそのまま僕は病院を出て、直行で家に帰った。
何より疲れたからである。友達が無事である時だけが、僕の安心できる時間だと実感した。
「……それにしても、何で七瀬さんと村野、二人とも死にかけたんだ?」
素朴な疑問も呟いたが、やがてそれは忘れ去られていった。
夕方。自宅の前に着くと、真っ先に家のポストを確認した。
タイムスピナーはない。……役目を果たし終えたから、だろうか。
これからまた、過去に戻る日が来るのか。それはそれでイヤだな。
けど、だとすれば………誰かの命を救えるのは、きっと僕しかいない。そのために、心の準備をしておこう。
寝室。着替える余裕もなく、僕は制服でそのままベッドに仰向けで倒れた。
はぁ。今日はなんだか、色々とあったな。
いや今日というか、なんだろう。過去に戻った時は、どんな風に一日がカウントされるんだ。
……「いじめ」、か。そういえば。僕が中学の頃、たしか同級生の女の子も……
いや。あの時の事は……あんまり思い出したくない。
とにかく今日は色々あって疲れた。勉強にも集中できなかったし、後でまたやろう。
僕は安心してすぐに、眠りに落ちてしまった。
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「………アハハっ…!……やっと見つけた……、コウタくんのおうち。」
一方、僕の家の前で赤髪の女子高生が、不敵な笑みで呟く。
そして、この時はまだ知らなかった。
次のターゲットは………他でもない。
僕自身である事を。