永遠に消えない傷(前編)
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「___りがとな、神崎!もう俺お腹いっぱいだわ…」
スピナーを回し終えて、突如鮮明に聞こえてくる村野の声。
辺りがぼやける中、目の前には二人の姿がぼんやりと見える。
目の意識をはっきりさせると、村野と七瀬さんが目の前にいた。
もうすぐ日が暮れる頃、玄関の前で今から家に帰ろうとする二人を見送っている。
「じゃ、またな〜っ!」
「あ、また明日…!」
二人は家に帰ろうと、僕に背中を見せる。
……背中を見た途端、僕はなぜかしら物寂しさを感じた。
僕は…寂しいんだ。このまま二人と別れると、孤独感が襲いかかる。
その想いが、思わず喉の奥から出てきてしまったのだろう。
「……ぁ…待って…!!」
二人は同時に、僕の方へ振り返る。
うう…、瞬発的に二人を引き止めてしまった。だが、何も言わない訳にも……!
「……あ、その……。キャッチボールしない?」
二人は立ち止まって僕の方を向き、その言葉に首を傾げた。
うん、なんというか…。キャッチボールだなんて、我ながらダサすぎるような気もする。
「…え?それって、どういう___」
「おおっ!いいぜ、キャッチボール!楽しそうじゃん!」
七瀬さんは僕の言葉に動揺している様子だったが、
逆に村野は、体を動かす事に対して胸を踊らせている。どうやら彼の方は乗り気らしい。
…確証は無いけれど、もしかすれば村野の口から、知ってる情報を漏らすかもしれない。
あまり上手い話術は知らないけれど、少なくとも何かが得られるかもしれない。
ちなみに情報というのは………そうだな。「折原の妹」の件とか、だ。
僕ら三人は近くの公園に着く。
自宅の奥にしまっておいた、弾力性のある青色のボールを僕は家から持ってきていた。
……久々に使うボールだから、埃だらけで信頼性はないが。
地面に三角を作るかのように、向かい合って三人でそれぞれの角に立った。
僕は、数メートル先にいた七瀬さんに、ボールをパスする。
「……あ、ちょ…っ!キャッチ!」
ボールはギリギリ七瀬さんの左を通り過ぎそうになったが、それを目で追いながら何とか彼女は両手でしっかりと掴む。
…うん。たぶん本人が一番そうだと思うけど、僕らまでヒヤヒヤしてしまうのはなぜだ。
「…えと、神崎くん。どうして急に、キャッチボールなんてしようと思ったの?」
「あぇ…、そ、それは」
七瀬さんは村野にボールをパスしながら、僕に向かって不思議そうに訊ねてきた。
パスされたボールを問題なく見事にキャッチした村野は、真っ先にその質問に反応する。
「キャッチボールが俺たちの出会ったきっかけだから…だとか?」
「…ん、そうだっけ」
……その言葉に一瞬、困惑して声が出る。あっでも、言われてみれば確かにそうかも。
村野の言う通り、僕と村野が初めて出会ったきっかけはキャッチボールだった。今さらだけど思い出したよ。
「…あれ?違うのかよ!なんっだそれー!?」
僕のとぼけた反応を見て、村野は期待を裏切られたような顔を見せる。
「出会ったきっかけがキャッチボール…って、どういう事なの?」
「ん、たしか一年前ぐらい前にこの公園で弟とキャッチボールしてた時にさ、たまたま神崎が通りかかって」
「えっ、学校で知り合ったとかじゃ?」
「ちげーよ!確かに学校でも会ったことはあったけど、実際に話したのはそん時だったわけ」
村野はボールを片手で持ったまま、僕を指差す。
「…あ。そーいえばおまえ、あん時はめちゃめちゃボール投げるのヘ____」
「早く投げて、村野」
「あ、おうっ!」
思い出したくもない過去の前歴を炙り出される所だった。
……とまあ、村野の言う通り、こんな風にして彼と出会った訳だ。
僕の記憶では今年の春に出会い、その時に村野の弟(涼くん)とも顔見知りになったはず。
「あん時はめちゃめちゃボール投げるの下手だったよなっ!!!」
「ぁ……」
「ハイ、落としましたねー!」
油断してしまい、村野が急に投げてきたボールを両手で掴みきれず、向こう側に転がっていった。
はっ!?こ、こいつ…!人を安心させておいた矢先に、なんてヤツなんだ…。
「え?神崎くん運動音痴なんだ!?」
「う、うん…まあね。もういいでしょ、次次」
向こう側に転がったボールを拾って、持ち場に戻る。
七瀬さんに投げると、問題なくキャッチしてくれた。
「それにしても神崎くんと村野くんって、ほんとに親友なんだね」
「いやいや、こいつとは親友じゃねーよ。……心の友、心友だっ!」
……その。僕には何を言っているか、さっぱりわからなかった。
「普通に親友でいいとおもう」
「え〜!?カッコよくてロマン溢れんじゃん〜!俺一度言ってみたかっ__」
「いやダサいからやめて」
そう即答すると、不満げな村野の一方で、七瀬さんは腹を抱えて笑い出す。
七瀬さんを見ていると、なんだかこっちまで面白くなってきて、少し経つとつい僕らもつられ笑いしてしまった。
「あれ、村野?それに…おっ!!ななちゃんまでいるじゃん!」
「皆さんこんにちはー!」
すると公園の外から、可愛らしい洋服を着た、明らかに「陽キャ」の若者女子二人が、僕らを見て遠くから話しかけてきた。
もしかして、村野らの知り合い?一目見るだけじゃ、僕の顔見知りかどうかは分からない。
七瀬さんをあだ名で呼ぶ前の女の子は、茶色の短髪で、元気そうな今どきの若者っていう印象だ。
後ろにいたもう一人の方は、黒髪ポニーテールの、真面目で清楚な印象だった。
……いや、この二人。なんかどこかで「見た」事があるような……。
「あ、神崎に自己紹介しとくわ、あのうるさそうなやつが長野穂花で…」
「はぁー!?うるさくなーい!!」
「…なっ?うるせーだろ?…そんで黒髪ポニテの清潔な子が、奥原夏目。確か二人ともバトミントン部だから」
彼女たちについて僕にそう説明してくれる村野。
…長野さんはさっき言われた言葉で、しかめっ面な様子だ。
長野さんという子は、長袖の白いセーター、下はブルーのショートパンツに黒いタイツをはいていた。
もう一方の奥原さんは、ボタンを止めたブラウンの上着を着ていて、袖から出ている白いもこもこが印象的だ。
「_____あっ…!!」
奥原さんは僕に向かって、驚いた声を出した。
その直後、前にいた長野さんを通り過ぎて公園の中に入り、早歩きでこちらに近づいてきた。
「…あの時、体育倉庫に閉じ込められてた人ですよね!?」
あっ…!そういえばそうだ。
前に僕が厚見先生に、体育倉庫に閉じ込められていた時。たまたま通りかかって僕を助けてくれた黒髪ポニーテールの女子高生だ。
「あ、は、はい!そうです」
「ですよね!?はぁー、無事で何よりです…あの時はほんっとびっくりしました…。
部活の休憩時間に体育倉庫の辺りを覗きに行ったら、中から人の声が聞こえてきたので…」
奥原さんは、安堵のような声を出す。
「ん、お前ら知り合い?閉じ込められてたって、うわまさかそういうプレイ?」
「知り合いっていうほどではないんですけど、まさかこんな所でまたお会いできるとは!」
村野のボケを無視し、奥原さんがそう話す。この人、案外やるぞ。
そんな中、彼女の隣に長野さんがやってくる。
「ところで、みんなここで何やってたの?」
「ん?……ああ、キャッチボール!神崎に誘われてさ……お前らも一緒にやろうぜ!ほら、多人数だと楽しいし」
長野さんは「えぇ〜…?」と嫌がる素振りを見せた。
村野はなんで二人を誘ったんだ。正直に言うと、多人数はあんまり……。
「いいけど、私いまお腹いっぱいだから、そんなに激しい運動はムリだよ?」
「あ、じゃあホノちゃんが言うなら、私も参加させてください!」
どうやら二人は乗り気のようだ。
長野さんもさっきまで嫌がっていたのに、忽然と乗り気になった。
……うっ……大丈夫だろうか僕は。顔馴染みのない人は、ちょっと苦手だ。
ん?待てよ。もしかしたら、これもチャンスだ。この二人から何か情報を得られるかもしれない。
僕はなんとか気を確かに持って、その時間をやり過ごす事にした。
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「ふぅ……あー……お腹痛い……」
「…大丈夫ですか?」
「あ、アリガト!……そうだね、運動しすぎちゃったかも。」
僕はキャッチボールで疲れ果て、ベンチで体を休ませていると、
同じく激しい運動で疲れ果てていた長野さんが、僕の隣に座ってきた。
「神崎、ホノカ、もう休憩かよ!つまんねーな!」
「誰のせいだと思ってんのよ!あんった女子を相手にマジでボール投げすぎ!!」
「じゃあそこで見てろよ、補欠どもっ!!」
村野がウインクをしながら、ピースサインで僕らを指差す。
それに対し、「ぬあぁーっ!」と怒りをあらわにする長野さん。この人、元気が有り余ってるな。
…そういえば長野さん。前によく村野が話していた「ホノカ」って、この子のことだったのか。
あっ、それにだ。前に蒼さんと中島さんに助けてもらった直後、一瞬だけ見かけたような気もする…!
ようやく忘れていたモヤモヤから解放され、ちょっとだけすっきりした。
村野と七瀬さん、奥原さんがボールを投げ合う所を、
遠くのベンチで座り見ている中、長野さんが横から僕に話しかけてきた。
「ところできみ、噂の神崎くん?」
「えっ?…あ、はい。そうですけど」
「へー、きみが神崎くんかぁ。噂には聞いていたけど、やっぱイケメンだね~っ!!」
そう言って、冷たい人差し指で僕の頬をぷにぷにしてくる長野さん。
ひっ!?冷たさにビックリして、肩が反応してしまった。
「うわっ!ちょ、や、やめてください!?」
「あ、ごめんね。冷たかった?もう冬だもんね」
…初対面だと言うのに、あまりにも馴れ馴れしい子だ…。
おそらく、村野がこの子に余計な噂を流したせいでもあるだろう。
「……僕に関して、例えばどんな噂を聞いていたんですか、長野さんは」
「ん、名前でいいよ、私後輩だし。
…うん、そうだねぇー。一言で言えば、真面目ボーイだって事とか?村野がさ、私によく神崎くんの話してくれるの」
『真面目ボーイ』って。僕は村野に、そんなふうに思われているのか。
それに、後輩って。長野さんは一年生?……いや、ホノカさん…と呼べばいいかな。
彼女は、そんな話をし合うぐらい、村野と仲がいいのだろうか。
「ホノカさんは、村野と仲がいいの?」
「まあまあかな。でも、私が入学したての頃からの付き合いだよ」
はっ!?!?いやちょ、ちょっと待てよ。僕なんかよりも付き合いが長いじゃないか。
……もしかすれば、村野の例の件に関して、何か知ってるのかも?
「…じゃ、じゃあホノカさん!」
「ん?なに?」
彼女がこっちの方を見つめる中、僕は思い切って小声で聞いた。
「村野が、その…。いじめ…られているって、知ってますか?」
「えっ?」
それを言った後、ホノカさんは少し驚き、表情を変えた。
ん…?もしかしたら、初耳なのだろうか。
それって。だとすれば今、僕は余計な事を言ってしまったかも……
「……その、神崎くん。………私は知ってた。ずっと前から言えなかったけど」
えっ…?
僕は思わず、目を見開いた。
「そ、そうなの?」
「一学期の頃、別のクラスの二年生に……何というか。石鹸を……食べさせられてた。
私、最初は本当ショックだったんだよ…!その事をすぐ先生に報告しようと思った。でも……」
「でも…?」
「村野くんに止められたんだ。誰にも話さないでって」
村野に、止められた?
えっ、そんなはずは…。そこまでされた村野が、誰にも言いたくない理由なんてあるのか?
「あんまり顔に出せなかったけど、ずっと不安だったの。
私、あの笑ってる村野が、全部嘘なんじゃないかって。神崎くんに言われて、ハッとしちゃった」
そう言ってホノカさんは、公園でボールを七瀬さんに投げる村野を、悲しげに見ていた。
どうして「心友」だとか言っていた僕に対しても、その秘密を打ち明けてくれなかったのだろうか。
全然、心が通じてないじゃないか。
「……なんで僕にも言ってくれなかったんだ。」
「…………。」
黙り込むホノカさん。
もしかして村野は僕の事、何とも思っていないんじゃないだろうか。
そうすれば、僕にその秘密を話してくれなかったというのにも説明がつく。
………きっとそうだ。本当は、村野は僕のことなんて、本当の親友だなんて思ってないのかも………。
「…………誤解しないで、神崎くん」
僕はホノカさんの一言で、沈黙から遠のいていた意識を取り戻す。
「……誤解ってどういうことですか。」
「あのね、正直に話すね。………いじめの主犯の、折原拓海くんっていう生徒、知ってる?」
「……!は、はい。知ってますけど…」
折原?どうして村野をいじめていた奴の名前が、今になって出てくるんだ?
いや、まさか……
「……私、噂で聞いたんだけど、折原って人は昔、妹がいたらしいの。
けどね、父親から日常的に、その。そういう事だったらしくて……そのせいで、彼の妹は死んじゃったんだって」
僕はその折原の意外な過去に対して、驚いた表情のまま…しばし沈黙してしまった。
ホノカさんが言うことが本当だとしたら……
「……むごい話だよね。
彼には母親もいないって聞いたから、家族がいなくなった怒りを村野にぶつけてたのかもね…」
…曖昧な気分だ。
自分にそんな仕打ちがあったせいで、彼をいじめるなんて、絶対によくない。
でもまさか折原が、そんなに重たい過去を持っているだなんて、思いもしなかった。
「誤解っていうのは、どういう意味ですか」
「……村野、ああ見えて優しいから、きっと同情してたんだよ。家族のいない彼に対して。
だからね。私的には、別に神崎くんを信用していなかったわけではないと思うよ?」
それを聞いて、少しほっとしていた自分がいた。
でもそれと同時に、村野を親友じゃないだとか思った自分自身を、心の中で責める。
「……僕は何で今まで気づかなかったんだろう。もう少し早く気付くことも出来たかもしれな……えっ、ホノカさん?」
「………ばかみたい……っ…」
ホノカさんの方を見ると、膝に手を置き、大粒の涙をぽろぽろと流していた。
僕は、さっきの様子から一変した彼女に、唖然としてしまう。
「確かに……家族を失う辛さは……計り知れないよ……?
けど、それで他人を傷つけるなんて………どうかしてるっ……!」
確かにそうだ。考えてみると、この前の七瀬さんの家の放火事件も、
厚見先生が家族を失って起こった事件だし、どこか繋がっているところがある。
ただ一つ違うのは、復讐の感情ではなく、怒りの感情である事。
それと、最後に分からないことがある。
折原は村野に対して『俺の過去を侮辱した』と言っていた。
あの言葉は一体、どういう意味なのだろうか……?
「……ご、ごめんね、神崎くん。隣で泣いちゃったりして」
「いや、その……辛かったのに、言ってくれてありがとう」
「ううん。こちらこそだよ」
僕は、ホノカさんの手元に綺麗なハンカチを渡そうとする。
だが彼女は僕に手のひらを向けて遠慮し、涙をセーターの長袖で拭いた。
「……私もね、千里っていうお姉ちゃんがいたんだけど、5年前に死んじゃったんだ。
だから折原くんの気持ち、少しくらいなら分かる気がする……と思う」
涙は止んだものの、辛そうな表情でそう話すホノカさん。
……よっぽど、その千里という姉に思い入れがあるのだろう。
「えっとね。私こう見えて、ずっと辛い思いしてた。
私なんかより、親友である神崎くんに救われた方が、村野にとっても幸せだと思うよ?」
「親友……でしょうか」
「え!そうだよ!だって村野、四六時中、神崎くんの話ばっかするんだよ!?」
そ、そうなのか。
相変わらず、人に喋りまくるのが……村野らしいところで、思わず笑っちゃいそうだ。
「おーいっ!もうそろそろ休み終えただろ!早く来いよ!」
「はっ!?うるっさいっ!今行くから待ってろっつーの!……あ、神崎くんも行く?」
すると、村野の声が聞こえてきた。どうやら、僕たちを呼んでいるようだ。
ホノカさんが振り向いて僕の様子を見る。それに対し、僕は首を横に振った。
それを見た彼女はベンチから立ち上がり、気持ちを切り替えてすぐに村野たちの方へ向かっていった。
僕はただ、四人が会話しながらキャッチボールをしているのを、そこでぼーっと眺めていた。