力の結論(後編)
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「……おーい! そのボール、俺にパスしてくれーっ!」
目の前には、ユニフォーム姿の村野。
ぼんやりとしていた辺りの景色が、やがて鮮明になってくる。……ああ、ここは朝の学校の運動場だ。
まさかと思い、足元を見てみると、サッカーボールがある。
僕は、村野が朝練をしていた時間に戻ってきたようだ。
だと、すれば……。
僕はボールを真っ直ぐに、優しく蹴る。
「ん!? 上手いじゃねーか! うわー、意外と下手かと思ってたけど」
今度は真っ直ぐ、村野の方にボールが進んだ。
ふう、よかった。運動音痴な僕は、スピナーのおかげで屈辱を味わわずに済んだ。村野の一言は、鼻についたが。
その後もしばらくは、二人で村野とボールを蹴り合っていた。
「……村野」
「あ?どうかした?」
「何かあったら、僕に相談してほしい。力になれるかは、分からないけど」
球をパスした僕が、暗い表情になると、村野は驚く。
「どーしたんだよ? しけた顔して。……おーいおい! だいじょーぶだって! 俺には、悩みなんてひと欠片もねーから」
村野はそう言った後、確かに悩み一つもなさそうな、満面の笑みを見せる。
けれど僕の目で見たそれは、何かを抱えこんでいるような表情に錯覚していた。
……どうしてそこまで、嘘を吐きたがる? 本当の村野は、どこにいるんだ?
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「友達と遊ぶのならいいですけど、あなたたちの遊ぶの意味ってなんですか」
「……は? ふざけてんの?」
「ふざけてません」
休み時間、教室で四人組の一人である折原に、僕は一度目のタイムリープと同じような会話をしていた。
こちらを睨んだ状態のまま、折原は横にいた村野を無視して僕の目の前に立つ。
案の定、とても不機嫌な様子だ。後から三人も折原の後ろで、僕を睨んで威圧をかけてくる。
しかしこの光景は、僕からすれば二度目なので、恐れることはなかった。
すると表情の距離が近すぎたせいか、折原は僕の視線に、妙な不自然さを感じている。
「──かっ、神崎くんを、いじめないでください!」
そんな時。七瀬さんが、僕と折原の間に来て庇ってくれた。
……だけど、ごめん。今はその気遣い、必要ないから。
「えっ?」
両手でそっと七瀬さんの肩を持ち、優しく右側にどける。
唖然とする彼女をよそに、気が付けば僕は、これまでの鬱憤を晴らすためにこんな行動に出ていた。
ドンッ……!!
僕は両手で折原の胸ぐらを掴み、手前にあった誰かの机の上に思いっきり押し倒す。
思いの外、机から強烈な音がして、この教室の生徒達は、みんな僕らに注目している。
こんなの全然ガラじゃない。でも、これで何かが変わるなら。
「いいか。これ以上村野に何かしたら、僕が絶対に……!!」
自分が思っている以上に、怒りの感情がこみ上げてきた。
七瀬さんと、横にいた三人組は、その状況に驚いていた。何より僕が驚いている。
折原すら、突然の事に驚いている様子だったが……一瞬で表情を戻した。
「ハッ! ……そう気取ってられんのも、今日までだからな」
僕を見て、鼻で笑う折原。言い残した後、僕の手をバッと振り払い、三人を連れてこの教室を去っていった。
さっきまで僕らに注目していた周りの生徒たちは、いつも通りの雰囲気へと戻った。
「ちょっと神崎くん!? 何してるの!?」
「あっ……ごめんなさい」
教室に入ってきた冴島先生に、割と怒られてしまった。
うん。行動を大胆にしすぎた気はする。良くも悪くも、いずれにせよこの行動で、何かが変わるだろうか……。
──あれ、村野がいない?
辺りを見てみると、いつの間にか教室を出ようとする村野が目についた。
僕は追いかけようと足を動かすが、七瀬さんに左腕を掴まれ止められる。
「……お願い、止めないで七瀬さん」
「ごめん、神崎くん。今の村野くんは、もしかしたら、一人にしてあげたほうが」
七瀬さんはそう言うが、僕は一度それに従って、失敗した事がある。
僕は、自分の左腕を掴んだ彼女の手を、右手でそっとつかんで降ろさせた。
「いや……ダメなんだよ。僕は行かなきゃ。早くしないと、村野を救えない。どうしても僕には、あいつを救う理由があるんだ」
「えっ? それって、どういう……」
「僕は、村野の親友だから。村野は何を思っているのか、その事をハッキリさせなきゃ、僕は村野を救えない。そうなんだよ」
思わず、自分に言い聞かせるような言い方になってしまった。
その途端。七瀬さんは僕と目を合わせたまま、驚いたように何も言わなくなる。
僕はその隙に、早歩きで村野の後を追った。すると、七瀬さんが何であんな反応をしていたか分かった気がした。
僕の目から──不意に、涙が零れていたからだ。
いつの間にか、僕の頬に何粒もの雫が伝って、それは制服のシャツに落ちて染み込んでいた。
「……いた。村野」
人気のない廊下のベンチに座っていた村野を見つけて、僕も隣に座った。
こんな静かな所で、何をぼーっとしているんだろうか。
僕はふと、横にいた村野の顔を見つめる。
いつも元気な印象の村野。だが今だけは、横にいた僕に気付いても、どこか物思いに浸っているような横顔だった。
「ねえ、どうしてそこまで、いじめを隠してるの? ……僕に話したくないの?」
「……そんなんじゃねーから」
「確かに言ったよね。何かあったら、相談してほしいって。教えてほしいんだ」
…………。
何も、反応はない。僕のことをそれほど信用していないのだろうか。
僕は口を開き、何かを言おうと言葉を考えていた途端──。
「よー、神崎」
折原と三人組が、再び僕らの目の前にやってきた。
ここまで来るだなんて、かなりしつこい。何でこんな所にまで……!
「い、言いましたよね……!? こ、これ以上村野に何かしたら──なっ!?!?」
すると僕は最も簡単に、背の高い三人組の一人に胸ぐらを掴まれる。
無理に抵抗して離そうとしても、どうしても離れられない。
それに運悪く、ここは人気が少ない廊下だ。誰も助けに来てくれる気配もない。
「アッハハハ……! 馬鹿みたいにおめでてーな! 俺たちに太刀打ちできるとか本気で思ったわけ? かーんーざーきーくん?」
後ろにいる折原は、僕を見て嘲笑っている。
もし村野の立場になって、こんな奴らと関わると思えば、確実に気が狂いそうだ……。
僕が身動きも取れない隙に折原は、村野の腕を掴み、理科室の方へと無理やり連れて向かった。
「ま、待て……折原っ!!」
「じゃあ早速、かわいがってやるか? 神崎?」
「はぁ……っ!?」
折原と村野がいなくなった今、ここにいるのは僕と三人組だけだ。
その三人組に両腕を掴まれて、そのまま別の場所に連れて行かれた。
誰もいない男子トイレ。僕は、再び彼らに胸ぐらを掴まれ、そのままトイレの汚い壁際に追いやられてしまう。
この三人組、僕よりも身長が高すぎて、妙な威圧感がある。
「じゃ、どうする? とりあえず、一発か?」
「つまんね。トイレの水持ってこいよ。でないと気が済まねーし」
そう言いながら、その内の一人が足で床をドン!と叩いた。
……やばい。やばいぞ。本当に焦ってきた。何で今まで、こんな奴らの行為に気が付かなかったんだ。
いや、落ち着け。考えるんだ、まだ方法はある。考え──。
「──何してんだよお前ら」
その低い声に、全員が反応した。
後ろから、三人組にも勝るほど背の高い、男子生徒が現れる。
「おい、誰だよお前……!?」
「あ? クソ野郎に教えてやれることはねーよさっさとどけ」
三人組はその人が近づくと、彼に怖気付き、僕から手を離して逃げ去っていってしまった。
男子トイレに二人きり。口の悪い男子生徒は、僕の目の前にやってくる。え、これまずいんじゃないか……?
……ん? この人、どこかで見た事あるような……。
あっ! 思い出した。前に村野の家で会った、髪の毛ボサボサの不良らしき人物……中島蓮木、さん。
その姿に少しだけ安堵するものの、どうしてここに……?
困惑していると、中島さんに無理やりグッと袖を引っ張られた。
「ちょっ……!?」
中島さんは黙り込んだまま、僕を男子トイレの外へと連れ出す。
男子トイレの外に着くと、彼は握っていた裾を突然離し、反動で足を崩した。
半ば強引だが……中島さんは、僕を助けに来てくれたのだろうか。
「……あ、あの。ありがとう、ございます……?」
「礼ならこいつに言えば」
「えっ」
中島さんは、右側の方を睨む。
僕も釣られて同じ方向を見る──蒼さんが、その場で心配そうにこちらを見ていた。
「あ。蒼さん」
「神崎くん、大丈夫? えっとね、たまたま廊下で見つけたんだ。神崎くんがやばそうな人たちに連れられていた所……誤解だった?」
……そうか。どうやら僕は、この二人に助けられたようだ。
余計な事をしたように申し訳なさそうな表情だったけれど、今の僕にとっては大助かりだ。
「ありがとう、蒼さん。と、中島、さん? えーと、では……!」
「え。あ、うん!」
二人には説明不足で申し訳無いけど、このままだとまた村野が殺されてしまう。
僕は急ぐように理科室へと向かった。今度こそ、間に合ってほしい……。
途中、短髪の女子高生と一人、すれ違ったような気がする。
理科室に着くと、折原と村野がそこにいた。
……非常事態だ。アザだらけの村野を棚の壁際に追いやって、両手で彼の首を絞めている状況だった。
「──や、やめてください……!!」
すぐに僕は、折原の両手を掴んで、そこから引き離す。
多少抵抗はあったものの、なんとか村野のいる棚の壁から距離をとらせることができた。
「くそっ、くそが……ッ……!!」
だめだ……いつまで折原を抑えていられるかも分からない。
それに今、村野の意識もない。もしかすればもう──。
そんな時、折原が口を開く。
「足りない……足りないんだよ……! 何度やっても、何も変わんねぇ……! 全部、お前が『俺の過去』を侮辱したせいだ……何もかもが、邪魔なんだよ!!」
「過去を侮辱した」? 何を言っているんだ……?
ただ、村野に向けた折原の怒りが、一気に溜まっていくのを感じる。
「──だったらこの世から……オマエを消し去ってやる……!!」
その瞬間、折原は感情を解き放ったかのように、強い力で僕を振り払った。
僕は再び、村野の方へと歩くやつの腕に触れ、抑えようとする。
だが、尻目でそれに気付かれ、血の巡った目付きで睨まれる。
ドゴォッ!
「っあ゛……!!」
折原に腹を蹴られてしまった。
激しい力を受けて汗が滲むほど強烈に痛い。打ち所が悪く、僕はその場に倒れ込む。
……動く事すらもやっとだ。腹を片手で抑えながら、それでも折原を止めようと手を伸ばす。
しかし、届かなかった。
折原は、僕を一瞥した。そして頭に血が上っていたのか、恐ろしい行動に出た。
椅子を使い、棚のガラスを割り、実験器具のフラスコを取り出す。細い筒の部分を持って、村野の目の前で振り上げる。
……嘘だ、まさか……!
「そ、それは……っ……止めろ……!!!」
僕は目を見開き、僅かな声を上げた。
彼は激情のままに、それを振り下ろした。
パリ──────ン!!
ガラスの割れる音が、理科室中に響き渡った。言葉になって発せられた僕の願いも、同時に呆気なく潰えた。
その末には、目を覆いたくなるほど、惨い光景が広がっていた。
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……自分自身が、ただ情けなくて仕方なかった。
「……神崎……くん……」
下校時間。運動場の隅に移動し、口元を押さえて一人で泣ける場所を見つける。
七瀬さんが現れたのは、その最中だった。泣いていた僕の背中を、そっと撫でている。
一人になりたかったはずなのに……彼女の優しさが、今唯一安心できるものだった。
僕は目撃した。
頭部から出た赤が、フラスコの破片と同時に飛び散ったのを。初めて現実で、そんな瞬間を目撃した。
その犠牲者も、村野だったという事が、何より僕の心を抉るようになっていた。
「……なんで村野は……なんで、なんであんな目に合わなきゃいけなかったんだよ……?」
こんなにも動揺するなんて、僕らしくもない。
──死というのは、あまりにも残酷だ。特に出血によるそれは。あの時の事を思い出す度、落涙が止まる事は無い。
ふと折原が、村野を殺す直前に言っていた事を思い出す。
『足りない……足りないんだよ……!何度やっても、何も変わんねぇ………!』
折原が……これまでずっと村野をいじめてきた意味はあったのか?
そうして村野に対して振るった力は、最悪の『結論』を生んでしまった。
こんなものと真っ向から立ち向かうなんて、今の……高校生の僕なんかには、出来ない。出来るわけがない。あんなの、もう無理だ。
僕にはもう、村野を救える気が……しない。
「──行こうよ」
「……えっ?」
「気晴らしに……どこか行かない?」
唐突な七瀬さんの言葉に、僕の涙はピタリと止まった。
その誘いの意味も分からず、七瀬さんの方を見る。
僕の方を見て、ウェーブのロングヘアを風でなびかせながら、少しだけにこっと微笑んでいる。
「どうして?」
「あ、ごめん! その……村野くんを失ったのを見ちゃったばかりで、こんなの不躾だって分かってるんだけど……でも、こ、心を入れ替えるのも、大事なコトだから……! ち、違うかな」
その時、ふと思った。こんな子がどうして僕なんかに構ってくれるのだろうか。
……ただ、苦笑いしている彼女の表情を見ていると、時間と共に少しずつ、心が癒えていた事は確かだった。
──そうか。こんな所で、僕が諦めてちゃダメだ。
現に七瀬さんを死から救って、ここに存在して、背中を優しく撫でてくれている。
これは決して、強がりなんかじゃない。今の僕にも、まだ何かやれるはずなんだ。
キーンコーン。
下校時間の夕方。とある家の前に着き、チャイムを鳴らす。すると隣の七瀬さんが、不安な様子を見せた。
「……ほ、本当に、ここで良かったの? 神崎くん」
「うん。ここで良かったよ」
「えっ。で、でもここ──村野くんの家、だよね?」
そう。僕の提案により……村野の家に、来てしまった。
七瀬さんがインターホンを鳴らすと、普通と音が違うチャイムが鳴る。
『……はい』
インターホンからは、若い少年の声がした。おそらく、村野の家族だろうか。
──いや、もしかして村野の弟?
「あのー……私たち、村野くんの友達で……」
『……開いてます、鍵』
「あ、はい!」
……いやいや、鍵掛けた方がいいんじゃないか。村野家は変わってるな。
僕らは家の中に入っていった。……確かに、鍵が開いている。本気で家の安全性が心配になった。
玄関で靴を脱いでいると、廊下の方から村野の弟がそっと現れた。
「………。」
やけに静かだ。
もしかして、人と直接話すのは苦手なタイプ……なのか?
「えっとね、この子は村野涼くん。村野くんの弟だよ」
「うん、知ってる」
「あれっ!? そうだったの、ごめんなさい」
七瀬さんも彼の事を知っているのか、ちょっと焦りながらも自己紹介をしてくれたが、その必要はない。
……初めて村野と出会った時、弟とも一度だけ顔見知りだったからだ。その時は、最低限の挨拶しか交わさなかったが。
「涼くん、今って、お父さんお母さんは家にいる?」
七瀬さんはしゃがんで、涼くんの方に真っ直ぐ目を合わせる。
すると彼は、七瀬さんを見た一瞬、ハッとした様子で目を逸らし、少し恥ずかしそうに後退する。
「……お母さんは……部屋」
はにかむように片手で口元を押さえ、彼はそう発した。
それに、急に顔が赤くなって……いや。もしかして、女子の前だと、特に恥ずかしいのか……?
ここは僕から話した方が、会話がスムーズに進みそうだ。
「お父さんは?」
「……仕事って言ってたけど。さっき帰ってきて、焦ってお兄ちゃんの学校に。お母さんと何か相談してたけど──僕にだけ、何も教えてくれなかった」
「……!」
思わず、七瀬さんと顔が合う。村野の件は既に、学校から電話が来ていたのだろうか。
村野の部屋に移動し、机の下に座って三人で会話した。ここは前も来た事がある。七瀬さん、蒼さん、中島さんと初めて会った場所だ。
「じゃ、じゃあまず何から話そっかー……?」
「そうだね……えっと」
涼くんはまだ、兄が死んだことは知らない。僕らが言わずとも、すぐに学校から電話が掛かってきた可能性はあるが……。
僕らが何を話せばいいのかと困惑していると、涼くんがその場から立ち上がる。
「──いじめのことで来たの?」
「「えっ?」」
僕と七瀬さんは、同時に驚いた。
……涼くんは、兄がいじめられている事を知っていたのか?
「そもそも前々から知ってたよ、お兄ちゃんがいじめられてた事。……前はお母さんに言っても、お兄ちゃんがそれを否定してるからって、信じてもらえなかったけど」
凛々しい表情で、涼くんはそう話す。
そう話す彼の姿は、さっきの内気な印象と打って変わっていた。
「その……いつから知ってたの?」
「ここ最近、中学校に行く途中に変な奴らに絡まれて。お兄ちゃんと同じ制服の高校生、四人」
七瀬さんは涼くんに、質問を投げかけた。
……四人ぐらいからして、折原達に違いない。でも、なんでアイツらは、村野の弟の方にまで絡んできたんだ?
「最後の方で、変なこと言われた。………お前の兄は、俺の妹を侮辱したって」
涼くんはそう話した。
『お前の兄は、俺の妹を侮辱した』?そういえば折原、前にこんなことも言っていた。
『足りない……足りないんだよ……!何度やっても、何も変わんねぇ………!
全部、お前が俺の過去を侮辱したせいだ………何もかも台無しだ!!』
……折原は、過去に深い傷を抱えているんじゃないか。
そしてそれこそが、村野を恨んでいる「原因」。それを晴らす事ができれば、未来は大きく変わるかもしれない。
もしかすると、それが必ず何らかの糸口になるはず────。
「──僕、行かなきゃ。ありがとう、二人とも……!」
「うぇ!? ……あ、うん! どういたしまして……!?」
「……ん」
テンパる七瀬さんとは正反対に、黙りこんで頷く涼くん。
僕は急いで二人と別れ、自宅のポストの方を目指して走った。