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母のロザリオ

作者: 兆 晶

 今宵(こよい)(ただ)(とし)城下(じょうか)商家(しょうか)宿(やど)としていた。

 寝所(しんじょ)の用意ができたと、近習(きんじゅう)に告げられてから既に一刻(いっこく)は過ぎている。

「はて、如何(いかが)したものかな……」

 (こうべ)()れるように(うつむ)きながら、忠利は眉間(みけん)(しわ)を寄せた。

頭の中では、沿道に立ち並ぶ()(ざむらい)百姓(ひゃくしょう)たちの暗く(よど)んだ眼差(まなざ)しが、次から次へと浮かんでは消えていった。

 江戸の徳川(とくがわ)幕府(ばくふ)は、三代将軍の家光(いえみつ)御代(みよ)となって既に十年が()っていた。幕府の権勢(けんせい)盤石(ばんじゃく)そのもので、もはや(いささ)かの揺るぎもない。

 そのような時勢(じせい)のなか、わずか半年前まで肥後(ひご)熊本(くまもと)(こく)(しゅ)加藤(かとう)家であった。幕府は、二代目藩主(はんしゅ)(ただ)(ひろ)治世(ちせい)の乱れを理由に加藤家に改易(かいえき)沙汰(さた)(くだ)した。代わって国守を命ぜられたのが細川(ほそかわ)家であった。

 忠利は細川家の三代目の当主(とうしゅ)であり、(よわい)は四十七を迎えていた。

 此度(こたび)は初めての国入(くにい)りで、熊本城までは、もはや二里ほどの距離を残すのみとなっていた。明日は、忠利にとって初登城(はつとじょう)となる。

 だが、国入りしてからこれまでの道程(どうてい)を思い返してみると、沿道で迎える()(ざむらい)百姓(ひゃくしょう)たちの表情は一様に沈鬱(ちんうつ)なものだった。

 加藤家先代の(きよ)(まさ)治世(ちせい)の見事さは、他藩にまで広く知れ渡っていた。治水、灌漑(かんがい)、新田開発、それらの事業は全て肥後熊本の民を(うるお)すこととなった。

 さらには、それまで肥後の民が見たこともなかった、熊本城という巨大な城郭(じょうかく)を創り出したことで、清正はまるで神仏(しんぶつ)(ごと)(あが)められていた。

 その記憶は、今も肥後熊本の民の心に深く刻み込まれている。

 加藤家の改易(かいえき)は、清正公が(ぼっ)してから二十年後、幕府によって半ば強引になされたものだった。

 国入りして以来、忠利は、鬱屈(うっくつ)とした反骨(はんこつ)(しん)国中(くにじゅう)に満ちていることを感じ取っていた。

−−地侍や百姓たちの瞳には、憤怒(ふんど)の念がこもっていた……その(おき)()のような思いは、何かの拍子に激しく燃え上がらないとも限らない−−

 忠利は眉間の皺を更に深くしながら、フッと小さく溜め息をついた。口先から吐き出す息がたちまち白く変わった。

 年の瀬も近い師走(しわす)の寒さが全身に刺し込むようで、思わずブルッと身震(みぶる)いをした。まるでこの地の気候までが忠利を拒絶しているようにも感じられた。

 今後の治世に自信を持つことなど到底(とうてい)できず、忠利の胸の内には暗い不安ばかりが(つの)っていた。

−−地侍や百姓たちの鬱屈(うっくつ)とした思いは、押さえつけようとすればするほど、かえって爆発するものだ……いったいどうすれば……−−

 肥後熊本の地は、地侍の反抗が特に激しい土地柄であった。

 加藤家の治世の以前、当時の天下人(てんかびと)太閤(たいこう)(ひで)(よし)国主(こくしゅ)を命ぜられたのは佐々(さっさ)(なり)(まさ)であった。入国早々に検地(けんち)を強行した成政は、地侍たちから一斉に蜂起(ほうき)されて、肥後全土が騒乱(そうらん)状態に陥った。だからこそ、次の国主を任された清正は、民心(みんしん)(やす)んずることにとりわけ腐心(ふしん)したのだった。

 すがるような心持ちで、いつしか忠利は緋色(ひいろ)巾着(きんちゃく)(ぶくろ)を手に取っていた。いつも肌身離さず持ち歩いているものだったが、その小さな巾着袋に何が入っているのか、近習達でさえも知る者は無かった。

 袋の口を結ぶ(ひも)を解くと、忠利は指先を袋の中に差し入れた。そっと指を抜き出すと、数珠(じゅず)のように小さな黒い(たま)が連なった円環(えんかん)が現れた。円環の一端から黒い珠が数珠繋ぎに一筋(ひとすじ)伸びている。その先端には金銀の象嵌(ぞうがん)(ほどこ)された金属製の十字架が付いていた。金属の表面は黒く塗られ、十字の中央部分には桔梗(ききょう)の花が描かれていた。

 忠利が手にしているのはロザリオであった。キリスト教の信徒(しんと)が祈りの際に用いる道具である。当時、キリスト教はバテレン、十字架はクルス、ロザリオはコンタツと呼ばれていた。

 既に太閤秀吉の時代にバテレン禁止令が出され、徳川の御代(みよ)になってからは、それは更に徹底されていた。このロザリオは、忠利にとって、たった一つの母の形見(かたみ)であったが、決して誰にも見られてはならないものでもあった。

 ロザリオの十字架を両手で包むようにしながら、忠利はゆっくりと(まぶた)を閉じた。そのまま瞑想(めいそう)をするように、フーッと大きく息を吐き出すと、静かに深呼吸を繰り返した。

−−そういえば……−−

 不意に忠利の胸の内に、母、玉子(たまこ)の姿が浮かんできた。


 まだ元服(げんぷく)前、(ただ)(とし)は大阪から江戸へ出向くこととなった。わずか十五歳であった。

 太閤秀吉の死去の後、豊臣(とよとみ)の世が揺らぎ始めていた。そんな波立つ時勢のなか、父、(ただ)(おき)から、徳川家の人質となることを命じられたのだった。

 全ての準備を整え、いよいよ江戸へ向けて大阪の細川屋敷を発つ前日に、突然、母、玉子(たまこ)から呼び出された。

 細川家は、清和(せいわ)源氏(げんじ)血脈(けつみゃく)となる室町(むろまち)幕府(ばくふ)管領家(かんれいけ)の流れを汲み、二条流(にじょうりゅう)歌道(かどう)古今(こきん)伝授(でんじゅ)を受けるなど、文武(ぶんぶ)両道(りょうどう)家柄(いえがら)である。その細川家の男子として、忠利は元服前とはいえ、剣術などの武芸はもちろんのこと、歌道や茶道の修練に至るまで、気の休まる時もないほど忙しく、普段は母と顔を合わせることもなかった。

 忠利は、突然の母の呼び出しに驚きながら、揺れる世情のなかで何か事が起こったのではないかと、慌てて自室を飛び出した。

 (こよみ)の上では春であったが、既に夕日は地平線にかかり、辺りは肌身(はだみ)を刺すような冷気に満ちていた。

 忠利は(こご)える指先を(こす)り合わせながら、ハーッと息を吹きかけた。幼い頃から病弱だった忠利にとって、花冷(はなび)えの(かん)の戻りは身に(こた)えるものだった。

 母の部屋に向かう板張りの廊下の途中で、ふと足を止めた。

 夕暮れの空を見上げると、満月が柔らかな光を注いでいた。

−−大阪で見る月も、これで最後かもしれぬ−−

 そんな郷愁(きょうしゅう)が、にわかに込み上げてきた。それを振り払うように強く足を踏み出すと、廊下の板敷きがトンと軽やかな音を立てた。

 母の部屋の障子戸の前まで来たところで、忠利は板敷きに膝を突いた。

(みつ)千代(ちよ)でございます」

 忠利は、幼名(ようみょう)を光千代と名付けられていた。

「お入りなさい」

 忠利が障子戸を開けると、ピンと背筋を張りながら、畳敷(たたみじ)きの部屋の中央に母が座っていた。首にロザリオを()けている姿は、まるで枯れ野に(りん)と咲き香る、たおやかな一輪の花のようだった。

 (すず)やかに微笑んでいる母の顔は、透き通るように白く、ほんのりと輝いているようにも思えた。我が母ながら、まるで菩薩(ぼさつ)か、天女(てんにょ)のように美しい。そんな想いが湧き上がってくるのを、忠利は止められなかった。

「体の具合は如何(いかが)ですか、光千代殿?」

 母が、右手の指先を(そろ)えて目前(もくぜん)の畳を指し示した。そこに座るようにと、忠利に促す仕草(しぐさ)だった。一つ一つの所作(しょさ)高雅(こうが)な気品が(あふ)れている。

「寒さは身に(こた)えますが、ご懸念(けねん)には及びませぬ」

 忠利は母の真向いに腰を下ろしたが、どうにも照れくさくて母の顔を直視できず、()()がちに(たたみ)(ふち)へ視線を落とした。

「あなたが幼い頃は病弱で、ずいぶん心配したものです」

「そんな私のために、母上(ははうえ)はバテレンの洗礼(せんれい)(さず)けて下さいました」

(しゅ)のご加護(かご)でしょう。よくここまで成長してくれました。有難いことです」

「はい」

 忠利が視線を上げると、母の澄みきった瞳に捉えられた。その瞳は、生身の人とは思えぬほどの崇高(すうこう)な輝きを宿している。

 母は、ガラシャというバテレンの名前を(あわ)せ持っていた。ラテン語で〈神の恵み〉という意味である。

 忠利が幼き頃、バテレンの神へ祈りを捧げる母の姿を目にした記憶があった。

 母から聞いた話では、幼い頃の忠利は、引き止めようとする乳母(うば)たちの手を振り払って母の隣に並ぶと、母が首から()けているロザリオを欲しがったらしい。母が忠利の首へロザリオを掛けると、忠利は両手を合わせてバテレンの祝詞(のりと)を唱える母の真似をしたそうだ。

 モゴモゴと(つたな)い口調で、懸命に母の言葉を真似(まね)ようとする幼い忠利に向かって、母は優しげな眼差(まなざ)しを注いでいた。まるで天女(てんにょ)のような、その微笑みを忠利は鮮明に覚えていた。

「母上、私をお呼びになったのは?」

「明日、江戸へ出立する、あなたの顔が見たかったのです」

「そうでしたか……はあ……」

 拍子(ひょうし)()けしたように、忠利が小さく溜め息を()らした。その様子を見て、母は、フワリと包み込むような微笑(びしょう)を浮かべた。

他愛(たあい)もないことで、呼びつけて申し訳ないことです。母の最期(さいご)のわがままと、許して下さいね」

 最期の、という母の言葉が心に引っかかった。

「最期の……とは?」

 母は、フフッと小さく含み笑いを漏らした。

「江戸へ行くということは、徳川家の人質になるということです。これからは、もはや気ままにどこかへ出向くこともできますまい」

「はぁ……」

「それに石田(いしだ)殿と徳川(とくがわ)殿との確執(かくしつ)も激しさを増しています。この世は何が起こるか分からないものですから……」

 母は天を仰ぐように顔を上げると、(はる)彼方(かなた)(なが)めるような遠い眼差しを浮かべた。

−−母上の父、明智(あけち)(みつ)(ひで)殿は織田(おだ)信長(のぶなが)公を(しい)して天下を取った。だが、ほどなくして太閤殿下に討ち滅ぼされた。母上を除いて、明智家の方々は(ことごと)(せん)(めつ)させられた。世の無常(むじょう)というものを、母上ほど知り尽くしている方はおられまい。母上がバテレンの教えに帰依(きえ)されたのも、明智家の方々の菩提(ぼだい)(とむら)うお気持ちもあったに違いない−−

 母が首から掛けているロザリオの十字架の中心には桔梗(ききょう)の花が描かれていた。桔梗は明智家の紋章(もんしょう)だった。

「かつて私は一度だけ教会を訪れたことがあります。その時、神父様から教えていただいた言葉を今でも覚えております」

 遠くを見るような母の瞳は、()いだ湖面(こめん)のように澄み渡っていた。

「草は枯れ、花は散る。されど、(しゅ)御言葉(みことば)は、とこしえなり」

 母の声が忠利の胸の奥底に染み入ってきた。その言辞(げんじ)は聖書にあるペテロの手紙の一節であった。

 目の前で端座(たんざ)している母に、忠利は、生身の人とは思えぬほどの神々(こうごう)しさを感じていた。

 母が忠利の顔に視線を戻した。

「そういえば先日、加藤(かとう)殿にお目にかかる機会がございました」

加藤主計頭(かずえのかみ)……(きよ)(まさ)殿ですか?」

「ええ、そうです」

 唐突(とうとつ)な話に、忠利は小首(こくび)(かし)げた。

「加藤殿は、我が殿とよく似ておられます」

父上(ちちうえ)と加藤殿が?」

「真っ直ぐなご気性で、剛直(ごうちょく)さは比類(ひるい)がない。それでいて、深い知恵も持ち合わせている。お二人ともに」

「そうですか……」

 しばらくの間、母の言葉を反芻(はんすう)するように、忠利は(うつむ)いたまま黙り込んでいた。

 そんな忠利を、母は穏やかな瞳で、じっと見つめていた。


 一陣(いちじん)の風に灯火(とうか)の炎が吹き消されるように、頭の中に浮かんでいた母の姿が、フッと()き消えた。(ただ)(とし)はゆっくりと(まぶた)を開いた。

−−あれはまさしく……母上(ははうえ)最期(さいご)の言葉……遺言(ゆいごん)であった……−−

 忠利が慣れぬ江戸暮らしを始めてからほどなくして、家康公が会津(あいづ)上杉(うえすぎ)征伐(せいばつ)の旗を揚げた。

 その機を狙って、大阪で石田(いしだ)(みつ)(なり)蜂起(ほうき)した。

 石田の兵に屋敷を囲まれ、それでも人質になることを拒絶した母は、留守居(るすい)を任されていた家老の小笠原(おがさわら)(ひで)(きよ)に命じ、長槍で自らの胸を突かせて自害した。そのうえ己の遺骸(いがい)が残らぬよう、屋敷ごと炎で焼き尽くした。あまりにも壮絶(そうぜつ)な最期だった。

 後々(のちのち)、父、(ただ)(おき)の命令によって母が死ぬことになったという風聞(ふうぶん)家中(かちゅう)で耳にすることもあったが、忠利は心の中で一蹴(いっしゅう)した。

−−あの母上が、たとえ父上からの命令であれ、納得できぬものに(ふく)するはずがない。ご自身で決意され、その信念に従ったまでのことだ−−

 そう思わずにおれぬほど、母、玉子は、まるで(そび)()霊峰(れいほう)(ごと)き、気高い女性であった。母は、実父の明智光秀殿が天下の謀反人(むほんにん)として秀吉公に討たれ、一族(いちぞく)郎党(ろうとう)がことごとく滅ぼされるという、常人(じょうじん)では到底(とうてい)堪え難い悲しみを乗り越えてきたのだ。

−−母上は死に場所を求めておられる。そのように感じられることさえあったな−−

 再び忠利は瞼を閉じると、()りし日の母の姿を思い浮かべた。

 心の中に現れた母の姿は、(かい)()に達した観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)の如く、(まばゆ)いほどの後光(ごこう)を放っている。

−−花の如く散っていかれた母上の最期の言葉が、清正殿のことだった……私が、その治世(ちせい)(あと)()ぐことになることも見通しておられたのかもしれぬ−−

 その瞬間、まるで稲妻(いなずま)に打たれたように、忠利はハッと眼を見開いた。

「治世の跡を継ぐ……」

 心の中に浮かんだ言葉を、自らに言い聞かせるように(つぶや)いた。そして、板張りの天井を仰ぐように顔を上げると、

「母上……そういうことですね……」

 と、虚空(こくう)に向かって大きく頷いた。


 翌日、(ただ)(とし)は日の出前に目を覚ました。

 すぐさま家老(かろう)たちを集めるように命を下すと、気忙(きぜわ)しく身支度を始めた。肌に刺し込むような師走(しわす)の朝の寒さも、もはや気にならなかった。

 半刻(はんこく)も経たないうちに、忠利がいる商家(しょうか)の中庭に、主だった家老(かろう)たちが集まってきた。しかし、(みな)一様(いちよう)に、突然の召集(しょうしゅう)(いぶか)りながら首をひねっていた。

「いったいなにごとだ?」

「それもこんな朝早くに……」

初登城(はつとじょう)の準備に手一杯なのはご存知のはずだが?」

「今さら、あらためて申し伝えられることなど、ないはずよのう……」

 家老たちは寒さに震えながら、口々に湧き上がる疑念をこぼしていた。

「殿が参られます!」

 忠利の近習(きんじゅう)が声を張り上げた。

 慌てて家老たちは地面に腰を下ろすと、両手を突きながら頭を下げた。

 トントンと商家の縁側(えんがわ)の板敷きを叩く、軽やかな足音が近づき、中庭の前で止まった。

「皆、朝早くから済まなかった。顔を上げてくれ」

「はっ!」

 家老たちが一斉に頭を上げた。

「殿、いったい何事でございますか?」

 筆頭(ひっとう)家老(かろう)として最前列の中央にいた松井(まつい)(おき)(なが)が一同を代表して声を発した。

 (いぶか)しげな表情を浮かべている家老たちに向かって、忠利が(すず)やかな笑顔を浮かべた。

「朝早くに皆を呼び出して済まん。本日の初登城は、(きよ)(まさ)(こう)位牌(いはい)を先頭に(かか)げて行うことにしたのだ。そのことを告げたかった」

「なんと……」

 家老たちは眉間(みけん)(しわ)を寄せながら顔を見合わせた。

「朝一番に近習に命じて、加藤清正殿を(まつ)(じょう)()(びょう)へ向かわせた。まもなく戻ってくるはずだ」

 即座に興長が、忠利へ向かって右の(てのひら)を高く掲げた。

「お待ちください、殿!前の国主(こくしゅ)の位牌を掲げて初登城を行うなど、正気(しょうき)沙汰(さた)とは思えませぬ!」

 松井興長は鋭い眼差しで忠利を見据えた。

 忠利は穏やかな瞳で興長を見つめ返した。

諫言(かんげん)、有り難く思うぞ、興長」

 忠利の瞳に力が込められた。

「だがな、聞いてくれ。難地(なんち)と世に名高い、この肥後(ひご)(おさ)めるには、ここまでの覚悟が必要なのだ」

 忠利が家老たち全員の顔をゆっくりと見廻した。家老たちは一人残らず、息を()らすようにして忠利を見つめていた。

治世(ちせい)にわずかでも(ほころ)びがあれば、加藤家と同じく、この細川家も幕府に()(つぶ)される。いや、むしろ()(ざま)大名(だいみょう)を取り潰すための口実(こうじつ)を幕府は探していると言っても良い」

 忠利の言葉に、家老たちの表情が一変した。まさに戦場を前にした武者(むしゃ)の顔つきであった。

「本日の初登城は、細川家にとって大戦(おおいくさ)なのだ。皆、頼む」

 忠利が直立(ちょくりつ)したまま、家老たちに向かって頭を下げた。

「殿!頭をお上げくだされ!」

「どうか、殿!」

「お()めくだされ、殿!」

 家老たちが(こら)え切れずに張り上げる声が、商家の中庭に入り乱れた。

 忠利が(ゆる)やかに顔を上げると、家老たちの瞳は(たぎ)るような熱を帯びていた。

「殿、すぐに支度(したく)にかかりまする」

 松井興長が平伏(へいふく)すると、他の家老たちも一斉に頭を下げた。

「皆……よろしく頼む……」

 感極(かんきわ)まったように、忠利の声は震えていた。

 家老たちが息を(そろ)えて同時に立ち上がった。

 松井興長が、「さあ、一同(いちどう)遺漏(いろう)なきように!」と、左右に居並(いなら)ぶ家老たちに呼びかけた。

「おう!」

 家老たちの野太い喚声(かんせい)が、商家の中庭に響き渡った。


 太陽が西へ傾き始めた頃、細川家の大名行列が熊本城に向かって(はっ)した。その先頭に加藤(かとう)(きよ)(まさ)(こう)位牌(いはい)を掲げながら、ゆったりと歩みを進めていく。

 その異様な光景を目にして、沿道で見守る人々は驚きの声を上げた。

「なっ……なんだ、あれは!」

「清正公の位牌では?」

「これはなんと!」

 寄せては返す波涛(はとう)のような、どよめきに包まれながら、(ただ)(とし)は行列中央の駕籠(かご)の中にいた。

 駕籠の明かり取りの隙間(すきま)から外の様子を(うかが)うと、細川家の大名行列を、沿道の人々が熱のこもった眼差しで見つめていた。忠利は、そのことがなによりも嬉しかった。

 一刻(いっこく)ほどで、行列は熊本城の城門の前に辿(たど)()いた。

 新しい国主(こくしゅ)を迎えるべく、既に城門は開け放たれていた。

「止まれい!」

 城門の手前で、忠利は行列を停止させた。

 駕籠を降りて行列の先頭に進むと、先頭の家人(けにん)から清正公の位牌を受け取った。

 何事かと(いぶか)る家人たちの視線もよそに、忠利は北西の方角に向けて位牌を高く掲げた。

 その方角には清正公を(まつ)(じょう)()(びょう)があった。そして、位牌を(ささ)()つようにしながら、北西の方角に向かって深く頭を垂れた。

 その仕草(しぐさ)を目にした人々が、「あっ」と一斉に声を上げた。

 そのどよめきが治まるのを待つように、忠利はじっと頭を下げ続けた。ようやく辺りが静まり返ったところで、ゆっくりと頭を上げた。

 そして次の瞬間、

「清正公!貴殿(きでん)城地(じょうち)をお(あず)かり(たてまつ)る!」

 と、まるで咆哮(ほうこう)するように大音声(だいおんじょう)を張り上げた。

「おおーっ!」

「なんと!」

 沿道の人々から、どっと歓声が湧き上がり、それはしばらく止むことがなかった。

 波打つような歓声が響き渡るなかで、忠利は、先頭を進む家人に位牌を手渡すと、行列中央の駕籠に戻った。

「進めい!」

 忠利の号令とともに、再び行列が動き始めた。そのまま城門を(くぐ)り、天守閣(てんしゅかく)へ向かって行列は進んだ。

 だがその時、忠利の心の内に一抹(いちまつ)の不安が(よぎ)ぎっていた。

 それは、行列の中央に戻る際に、家人(けにん)たちの苦虫(にがむし)(つぶ)したような顔つきを目にしたからであった。

−−なにもそこまで(へりくだ)る必要はなかろう−−

 そんな不満を胸の内に抱く家人(けにん)たちがいることに、忠利は気づいたのだった。それも古参(こさん)の者ほど、そのような表情を浮かべていたことが(こと)(さら)気にかかった。

 彼らは、忠利の祖父(そふ)(ふじ)(たか)当主(とうしゅ)の頃から細川家に仕えてくれている者たちだった。

 肥後熊本の民の心を(つか)むことができても、その代わりに古参の家人たちの忠信(ちゅうしん)を失うのでは(もと)()もない。

−−されど今は、やり遂げるしかないのだ−−

 駕籠に揺られながら、忠利は唇を噛み締めた。

 既に太陽は西の地平線へ近づき、穏やかな陽射しを肥後の大地へ降り注いでいた。

 忠利は、行列を城内で解散させると、自身は天守閣(てんしゅかく)の最上階まで登った。

 天守閣の最上階では、城門前と同じように位牌を掲げながら、清正公を祀る(じょう)()(びょう)に向かって遥拝(ようはい)した。

−−やるからには徹底してやらねばならない−−

 清正公の治世を受け継ぐという不退転(ふたいてん)の決意を、細川家の家人たちにも、肥後熊本の民にも示す。忠利の決然(けつぜん)たる眼差しには(いささ)かの迷いの色も無かった。


 初登城から数日後、城内の本丸(ほんまる)御殿(ごてん)で執務をしていた(ただ)(とし)のもとに、筆頭(ひっとう)家老(かろう)松井(まつい)(おき)(なが)がやってきた。

如何(いかが)した、興長?」

 目の前で平伏している興長に向かって声をかけると、興長がゆるゆると頭を上げた。

「殿、実は厄介(やっかい)な事が起こりました」

「厄介な事だと?」

 思わず忠利は眉をひそめた。

「実は、(しょう)(ばやし)半十郎(はんじゅうろう)のことで……」

「あの半十郎か?」

 忠利が苦々(にがにが)しい口調で問い返した。

「さようでございます、あやつのことでございます」

 荘林半十郎とは、父、(ただ)(おき)直参(じきさん)の家人である。この(たび)の肥後入国の際、忠利に付き従ったが、その(じつ)は、忠興によって(つか)わされた、言わば忠利に対する目付(めつけ)(やく)であった。その名を耳にして、忠利は顔を(くも)らせた。

(もう)せ」

「はい、半十郎が入国早々に鷹匠(たかじょう)(かしら)に斬りつけ、その者が重傷を負ったとのことでございます」

「なんだと……詳しく申せ、興長」

「はい、仔細(しさい)はこうでございます」

 興長が事の成り行きを話し始めた。

 肥後熊本の城下には鷹匠たちが暮らす鷹匠(たかじょう)(まち)という町筋(まちすじ)があった。

父、忠興は(たか)()りを老いの道楽としており、半十郎は入国早々にその町筋へ立ち寄った。そして、半ば強引に鷹の飼育小屋に押し入って、加藤家伝来の鷹を寄越(よこ)せと詰め寄った。

 鷹匠の頭は拓殖(つげ)()()衛門(もん)という者で、半十郎の申し出を峻拒(しゅんきょ)した。それに激怒した半十郎が抜刀(ばっとう)して斬りつけ、九右衛門は命に別状はないものの、重傷を負っているとのことであった。

「なんということを……()(もの)が!」

 吐き捨てるように忠利が呟いた。

「半十郎の申し開きでは、清正公の位牌を掲げて登城したことが、細川家への(あなど)りを招いた、とのことでございます」

「何を言う。そんな道理がまかり通るものか」

「しかし半十郎を罰すれば、大殿(おおとの)逆鱗(げきりん)に触れるかもしれませぬ」

 興長の言葉に、忠利は、グッと奥歯を噛み締めた。

 父、忠興の気性は知悉(ちしつ)している。父は、織田(おだ)豊臣(とよとみ)徳川(とくがわ)(うつ)()ってきた、激しく荒れ狂う波頭(はとう)のような戦国の世を生き抜いてきたのだ。その苛烈(かれつ)さは修羅(しゅら)の如く、実の息子でさえ決して容赦(ようしゃ)はしない。

「ここで法を曲げる訳にはいかぬ。今、肥後熊本の民は、私の一挙手(いっきょしゅ)(いっ)投足(とうそく)注視(ちゅうし)しているのだ」

 忠利が断固たる調子で言い切った。

「しかし、それでも……」

「ここを(あやま)てば、後々(のちのち)きっと禍根(かこん)を残す」

 忠利が、興長の瞳を鋭く見据えた。

「はっ……」

 観念したように、興長が忠利に向かって頭を下げた。それから再び顔を上げると、「では、半十郎は?」と問いかけた。

減俸(げんぽう)のうえ、蟄居(ちっきょ)謹慎(きんしん)を命ずる」

 忠利の言葉に、思わず興長が息を()んだ。

「ですが、そのような厳罰(げんばつ)を下したことを知った大殿が何をなされるか……」

「それは覚悟のうえだ。構わぬ」

「ならば承知致しました」

 興長が深々と頭を下げた。

「それから、鷹匠(たかじょう)(かしら)拓殖(つげ)()()衛門(もん)とやらだが、傷の見舞いも兼ねて、直接、私が会いに行きたい」

 顔を上げた興長が、「そこまで()されますか?」と、真意(しんい)()(はか)るように忠利の瞳を見据えた。

「細川家の治世においては、家人(けにん)も民も法の下では変わりないことを示しておかねばならない」

 忠利の瞳に強い決意が込められているのを感じて、興長は再び低頭(ていとう)した。

「では、そのように手配(てはい)(いた)します」


 (ただ)(とし)が拓殖九右衛門の屋敷を訪れてから、数日後のことだった。

 突然、父、(ただ)(おき)から書状(しょじょう)が届いた。

 忠興は肥後入国後も熊本城には、ほんのわずか立ち寄っただけで、ずっと八代(やつしろ)(じょう)(とど)まっていた。八代城は熊本城から十里(じゅうり)以上も南へ離れており、忠興が治める八代は、肥後熊本の中にある別の小国(しょうこく)といった存在になっていた。

 忠利は、城内(じょうない)本丸(ほんまる)御殿(ごてん)の書斎でその書状を受け取った。

 書状の表には〈細川越中(えっちゅう)(かみ)忠利殿〉という宛名(あてな)(しる)されていた。その文字は縦横に乱れ、怒りを叩きつけるように書き殴られていた。

 それを目にした瞬間、忠利の胸の内に嫌な予感が走り、書状を開く指先が震えた。

 父の書状は、初登城の際に隊列の先頭に(きよ)(まさ)(こう)位牌(いはい)(かか)げたことを、家名(かめい)(はずか)しめるものとして、忠利を激しく糾弾(きゅうだん)していた。さらには、たわけ、()(もの)といった口汚(くちぎたな)い言葉で忠利を罵倒(ばとう)していた。

 忠利は、ガックリと肩を落とした。

−−これは……いかん……−−

 父、忠興の気性(きしょう)は、一旦、怒りに火がつけば容易(ようい)(おさ)まるものではないことを、忠利は骨身(ほねみ)()みるほど分かっていた。だからこそ、細川家の家督(かとく)を継いだ後も、頻繁(ひんぱん)に父へ手紙を送って現状を知らせ、家の大事となる決断の際には必ず意向(いこう)(うかが)ってきたのだ。

−−どうやら半十郎(はんじゅうろう)や、あやつに(くみ)する古参(こさん)の者たちが父上に告げ口したようだ−−

 過酷な処分を下した半十郎に恨まれるのは(いた)(かた)ない。しかし、古参の家人(けにん)たちの中には、これまでの忠利のやり方に不満を持つ者が少なくなかった。そのことが、なによりも忠利の心を打ち砕いた。

 そのうえ(よわい)七十を迎えた忠興は、いまや細川家にとって(あつか)(がた)いものとなっていた。その周りに仕える近習(きんじゅう)たちも、いつ爆発するともしれない忠興の気性に常に(おび)えている、とも耳にしていた。

 忠利は額に皺を寄せながら瞼を閉じた。

−−うーむ……如何(いかが)したものか……−−

 忠利が思案を(めぐ)らせていると、「殿、松井殿が火急(かきゅう)の用とのことです!」と、(いき)()き切った近習の声が障子(しょうじ)戸越(どご)しに響いた。

「うむ、通せ」

 すると(おき)(なが)が転げるようにして、忠利の書斎へ飛び込んできた。

「とっ……殿……大殿からこれが……」

 忠興からの書状を握る興長の手が激しく震えていた。

「うむ、私にも届いた……」

 忠利は(まゆ)(くも)らせながら、興長に目をやった。興長の顔は蒼白(そうはく)だった。

 興長宛の父の書状を受け取ると、忠利は、それに目を通した。

 忠利に宛てられたものよりも、更に激しい言葉が書き連ねられていた。


 筆頭(ひっとう)家老(かろう)として、なぜ忠利を止めなかったのか。

 室町(むろまち)幕府(ばくふ)管領(かんれい)の流れを()む細川家に泥を塗った罪は許し難い。

 この忠興自らの手で打ち首にしてやるから、首を洗って待っておれ。


 それらの文字は乱れに乱れていた。父の憤怒(ふんど)がそのまま墨汁(ぼくじゅう)に染み込んでいるようにも感じられた。

 書状を読み終えた忠利は、思わず天を(あお)いだ。

−−これは容易(ようい)ならざることとなった−−

 (まぶた)を閉じて眉根(まゆね)を寄せながら、「うーむ」と、苦しげに嘆息(たんそく)を漏らした。

 (しょう)(ばやし)半十郎(はんじゅうろう)は、忠興の直参(じきさん)で最も信頼の厚かった者の一人だ。だからこそ目付役(めつけやく)として忠利の(かたわ)らに差し向けられた。その半十郎に対して、忠利は減俸(げんぽう)のうえ、蟄居(ちっきょ)謹慎(きんしん)という厳罰を下した。そのことで、父、忠興は、己自身が侮辱されたと思い込んでいるに違いなかった。

 その意趣(いしゅ)(がえ)しとして、忠利側近(そっきん)の興長の首をはねるというのは、忠興の気性(きしょう)からすれば、十分に有り得ることであった。

 興長が、「殿……如何(いかが)すれば……」と、忠利の横顔を見つめた。

 忠利はおもむろに瞼を開くと、(すが)りつくような眼差しを浮かべている興長に向き直った。

「案ずるな。興長に罪は無い。此度(こたび)のことは全て私の一存(いちぞん)でなしたこと。私が父上と話しをつける」

「話しをつける?それは、どのように?」

 忠利は、フッと小さく笑みを漏らした。

「父上は、あのご気性(きしょう)だ。言い訳など、決して聞く耳を持たれまい」

「では、いったい?……」

 怪訝(けげん)な表情で、興長が眉間(みけん)に深い(しわ)を寄せた。

「細川家の当主(とうしゅ)の座を降りるまでのことよ。それしかない」

 その言葉に慌てた興長が、忠利へにじり寄った。

「お待ちください、殿!それだけはどうか……それだけは……」

 興長が畳に(ひたい)(こす)()けるように平伏(ひれふ)した。その声は激しく震えていた。

「私の不徳の致すところだ。自らの罪を(つぐな)うのであれば(いた)(かた)ない」

 興長が手を伸ばして、忠利の着物の(すそ)(つか)んだ。

「どうか、どうか、殿……なにとぞ……」

 苦しげに(うめ)くような興長の声は、最後には(かす)れて言葉にならなかった。

 その姿に、思わず忠利は瞳を(うる)ませた。

「かたじけない、興長。分かった。早まることはすまい」

 興長は忠利の着物の裾から手を離すと、畳の上で()いつくばるように深く頭を下げた。

「いずれ父上がここへ参られよう。それまで私は謹慎することとしよう。その間、この肥後の治世(ちせい)は任せたぞ、興長」

「ははっ」

 興長が畳の上に(ひたい)(こす)りつけた。


 その日を境にして、(ただ)(とし)は熊本城を(あと)にした。

 そして、城外の花畑(はなばた)屋敷(やしき)に移ると、六畳(ろくじょう)一間(ひとま)の狭苦しい書斎に()()もった。ひたすら身を慎むように、人を遠ざけて、その書斎で寝起(ねお)きを続けた。

 そんな国主(こくしゅ)の動向は、すぐさま国中(くにじゅう)に広まった。それだけでなく、いつしか忠興の書状の内容まで知らぬ者はないほどになっていた。

 挙句(あげく)の果てには、忠利は下手をすれば切腹、良くても隠居を、(ただ)(おき)から迫られることになる、といった噂まで広がる始末だった。すると、そのような噂に腹を立て、誰が忠興に告げ口したのだと、咎人(とがにん)探しを始める者さえ現れた。

 そのような家人(けにん)たちの動向に、(おき)(なが)は、(ただ)(おき)の怒りを(あお)りかねないと危惧(きぐ)し、すぐに咎人捜しを止めさせたのだった。

 しかし一方で、国入りの際の忠利の所業(しょぎょう)を責めるような風聞(ふうぶん)は、いつの間にか古参(こさん)の家人たちの間から()りを(ひそ)めていた。

 それほどに忠興の怒りの激しさは尋常(じんじょう)ではなく、家人たちを震え上がらせていた。

 そんな騒動に国中(くにじゅう)が揺れる間、書斎に()もり続けた忠利は、自らの()()るように終日(しゅうじつ)端座(たんざ)していた。そして、書斎の中で一人、静かに瞑目(めいもく)しながら、これまでの父との(えにし)を思い起こしていた。


 父、(ただ)(おき)は細川家の二代目の当主であり、(ただ)(とし)はその三男であった。

 後継ぎである世子(せし)となったのは、(よわい)十五の時で、それは忠利にとって、まさに晴天(せいてん)霹靂(へきれき)だった。

 徳川家の人質として江戸に出された忠利は、徳川家康の嫡男(ちゃくなん)(ひで)(ただ)に仕えた。

 同年の九月に勃発した天下分け目の関ヶ(せきがはら)の合戦に秀忠は間に合わず、合戦から五日後、近江(おうみ)大津(おおつ)でようやく家康が率いる東軍(とうぐん)に追いついた。

 関ヶ原の合戦では、父、忠興は、黒田(くろだ)長政(ながまさ)らとともに石田三成の本陣(ほんじん)に攻め入った。石田家の重臣、(しま)左近(さこん)を相手にした(すさ)まじい戦いぶりは家康から激賞(げきしょう)されていた。

−−父上(ちちうえ)は……いったい、どのようなお気持ちで戦場に……−−

 父は、合戦の前に母の自害の知らせを受け取っていた。

−−戦場での阿修羅(あしゅら)(ごと)き戦いぶりは、深い悲しみの裏返しではあるまいか−−

 そんな思いが湧き立つのを止められないまま、忠利は父の陣屋(じんや)に向かった。

 ()()川の川筋の庄屋(しょうや)の屋敷が、忠興の臨時の陣屋(じんや)となっていた。瀬田川は大阪に入れば淀川(よどがわ)と呼ばれる(かわ)である。

 (かわ)(べり)を歩きながら、ふと水面(みなも)に目をやると、瀬田川は琵琶(びわ)()から流れ込む水を満々(まんまん)と(たた)えていた。その穏やかな水面は秋空の陽射しを反射しながら、まるで光の粒をまぶしたように輝いていた。

 臨時の陣屋に着いた忠利は、屋敷の(おく)座敷(ざしき)に通され、しばらくの間、そこで忠興を待ち続けた。

 板敷きの床に腰を下ろして部屋を見回すと、戸棚には茶碗や小皿が無造作(むぞうさ)に積み重ねられていた。普段は庄屋の家族が起居(ききょ)する部屋なのであろう。まるで人目を避けるかのように、わざわざ奥座敷へ案内されたことに、忠利は違和感を覚えていた。

 半刻(はんこく)ほど()った頃、ようやく忠興が姿を見せた。

 反射的に忠利は板敷きに両手を突いて頭を下げた。

此度(こたび)の勝利、おめでとうございます」

「うむ……」

 低く(うな)るような忠興の声には(けん)があった。

(みつ)千代(ちよ)……」

「はっ!」

 (はじ)かれたように、忠利が顔を上げた。

玉子(たまこ)が死んだ……」

 天下分け目の大戦(おおいくさ)で華々(はなばな)しい戦果を上げたことなど、まるでよそ事のように、忠興は沈痛(ちんつう)面持(おもも)ちを浮かべていた。

「はい……大阪で石田治部(ぢぶ)少輔(しょう)の兵に屋敷を囲まれ、ご自害なされたと……」

「うむ……」

 忠興と忠利は向き合ったまま、しばらくの間、重苦しい沈黙に包まれていた。

「これをお(ぬし)に……」

 忠興が忠利に向かって手を伸ばした。掌の上には緋色(ひいろ)巾着(きんちゃく)(ぶくろ)()っていた。それを、忠利は両手で捧げ持つように受け取った。

「玉子の形見(かたみ)じゃ。お前に渡してくれと、玉子に頼まれた」

「母上が……私に……」

 動揺を隠せない忠利は、小刻みに震える指先で巾着の口を開けて中を(のぞ)いた。そこには、いつも母が身に着けていたロザリオが入っていた。

 その時、忠興が、フーッと大きく息を吐いた。

「細川家の世子(せし)はお前とする」

「は?」

 ()に落ちぬ様子で、忠利は小首(こくび)(かし)げた。

「世子じゃ!二度も言わせるな!」

「はっ」

  父の怒声を浴びて、咄嗟(とっさ)に頭を下げたものの、忠利にはさっぱり合点(がてん)がいかなかった。

 忠興はクルリと背を向けると、そのまま奥座敷から立ち去った。

 ドンドンと叩きつけるような父の足音が遠くなり、再び奥座敷は静寂に包まれた。

 しばらくの間、忠利は身じろぎもせずに、緋色の巾着袋を握り締めていた。

−−世子?……私が後継(あとつ)ぎ?……兄上達はいったいどうなるのだ?−−

 忠利には二人の兄がいた。

 これまで後継ぎとされていた長男の(ただ)(たか)、そして次男の(おき)(あき)。二人とも、弟の忠利からすれば、父に似て勇猛(ゆうもう)果敢(かかん)武者(むしゃ)ぶりの兄達だった。

−−いったい何を考えておられるのだ……父上は……−−

 父、忠興は、細川家の当主として、明日さえ見通し難い戦国の世を必死に生き抜いている。その父は、息子の忠利にとって常に苛烈(かれつ)で恐ろしい存在だった。その心の内を()(はか)ることなど、わずか十五歳の忠利には到底(とうてい)できることではなかった。

 忠利が徳川家の人質として再び江戸に戻った後、長男の忠隆が廃嫡(はいちゃく)された。

 母が自害した時、忠隆の妻、千世(ちよ)は屋敷を抜け出して難を逃れた。そのことに激怒した父が、忠隆に千世との離縁を迫り、それを忠隆が拒絶したことが廃嫡の理由とされた。

 そのことを耳にした忠利は、父は気が触れたのではないか、という思いに()られた。

−−千世殿を逃したのは母上に違いない。それを分からぬ父上ではあるまいに……−−

 それからほどなくして、江戸に次男の興秋が送られるという知らせが届いた。忠利の代わりとして興秋が徳川の人質となるということだった。

−−不条理(ふじょうり)だ……なぜ、かような事を……興秋兄には何の(とが)もないはず……−−

 そのことを忠興からの書状で知らされた忠利は眉を(くも)らせた。

 二人の兄に対する父の所業(しょぎょう)に、暗澹(あんたん)たる思いが、ふつふつと湧いてくるのを禁じ得なかった。

 忠利の懸念(けねん)的中(てきちゅう)した。

 江戸へ向かう道中で興秋は行方(ゆくえ)(くら)まし、そのまま細川家を出奔(しゅっぽん)してしまった。


 書斎に端座(たんざ)したまま、忠利は、ゆっくりと(まぶた)を開けた。

−−あの父上のことだ……此度(こたび)のことで、何をなされるか−−

 実の息子の忠利にとってさえ、忠興の所業(しょぎょう)には予測し難いものがあった。

 初登城(はつとじょう)の際に(きよ)(まさ)(こう)位牌(いはい)(かか)げたこと、更には半十郎(はんじゅうろう)へ厳罰を(くだ)したことに対して、忠興は(いか)心頭(しんとう)に達している。

 既に(よわい)七十を迎え、老人特有の頑迷(がんめい)さに、持ち前の気性の激しさが輪をかけて、今の忠興は何を言い出すか分からなかった。強引に忠利へ隠居(いんきょ)を迫り、忠利の嫡男(ちゃくなん)(みつ)(なお)家督(かとく)(ゆず)らせるぐらいは躊躇(ちゅうちょ)しないだろう。

 事の次第によっては、忠利に切腹を命じることさえ有り得えるように思えた。

−−どのような命が父から下されようとも、従容(しょうよう)としてそれを受けるしかない……私の指図(さしず)に従ってくれた興長をはじめ、家老たちに(るい)(およ)ぼすわけにはいかないのだ−−

 忠利の胸の内には、いつしかそのような覚悟が(さだ)まっていた。


 睦月(むつき)(なか)ばを過ぎて、遂に(ただ)(おき)熊本(くまもと)城下(じょうか)へ入った。

 その行列の先頭には、細川家の家紋(かもん)である九曜(くよう)の紋を染めた旗印(はたじるし)(かか)げていた。

 沿道の人々は、国主(こくしゅ)さえ謹慎させる忠興に恐れおののいて、(しゅく)として声を漏らす者もなかった。

 忠興は、あえて登城はせずに城下(じょうか)家老(かろう)の屋敷に客人(きゃくじん)として留まり続けた。

 その不気味な沈黙に怖気(おぞけ)()ちながら、忠興の動向を国中(くにじゅう)固唾(かたず)()んで見守っていた。

 そのまま三日が過ぎ、四日目の正午(しょうご)を過ぎたところで、忠興のもとから忠利に向けて使者が(はっ)せられた。


「父上はなんと?」

 使者の役目を負った忠興の近習(きんじゅう)に、(ただ)(とし)障子(しょうじ)戸越(どご)しに問いかけた。

 書斎の障子戸を挟んで、忠興の近習が板張りに膝を突きながら頭を垂れた。

「はっ。一刻(いっこく)の後、大殿(おおとの)花畑(はなばた)屋敷(やしき)(まい)られる、とのことにございます」

「そうか、承知した」

 すぐに忠利は身支度を始め、胸元に家紋を染め抜いた平服(へいふく)に袖を通した。

−−父上は、九曜(くよう)の紋の旗印を掲げながら、城下へ参られたか−−

 細川家の家紋である九曜は、織田(おだ)信長(のぶなが)(こう)から(たまわ)ったものだと、(こと)ある(ごと)に父、忠興から聞かされていた。

−−父上は、細川家の存続に心血(しんけつ)(そそ)いでこられた。その誇りに、実の息子から泥を塗られたことが()えられぬのであろうな−−

 ふと胸元の九曜の紋に目を落とした。その紋様は、中央に大きな円、それを囲むように八つの小さな円が描かれている。それぞれの円が天空に輝く星々(ほしぼし)を象徴(しょうちょう)していた。

−−信長公か……本能寺(ほんのうじ)(へん)は、私が生まれる四年前だ……明智光秀殿の娘であった母を、父は幽閉(ゆうへい)したのだったな−−

 父、忠興は、光秀が秀吉に討たれ、天下が定まった後も、母を離縁することは決してしなかった。

 だからこそ、忠利はこの世に生を受けたのだった。

−−父上は、母上をよほど(いつく)しんでおられたのだろう−−

 身支度を整えた忠利は、およそ一月ぶりに書斎を出ると、父との対面を前にして、重い足取りで縁側の板敷きを進んだ。縁側の中ほどで立ち止まると、屋敷に併設(へいせつ)されている広大な庭に目をやった。

 花畑屋敷は、清正公が城外に作事(さくじ)した豪壮(ごうそう)御殿(ごてん)である。

 熊本城の内堀(うちぼり)となっている(つぼ)井川(いがわ)南岸(なんがん)にあり、広大な庭園には種々の花木(かぼく)や草花が植えられている。そのため、いつの頃からか、花畑屋敷と呼ばれるようになっていた。

 (とし)(はじ)めの(かん)の厳しい季節で、目に映る草木も皆、(こご)えているように思えた。それでも来るべき春に備えて、寒風に耐えている草木たちの健気(けなげ)な姿に(りん)とした気高(けだか)さを感じた。

 フーッと吐き出した息が(またた)()に白く変わった。肌に刺し込むような寒さも、覚悟が定まった今は、むしろ心地良いほどだった。

 忠利は、花畑屋敷の大広間に向かって強く足を踏み出した。


 大広間の畳敷きの中央で、(ただ)(とし)は、ただ一人、ぽつねんと端座(たんざ)していた。(まぶた)を閉じて瞑目(めいもく)しながら、父、(ただ)(おき)の到着を待ち続けた。

 大広間は物音一つせず、()(しぼ)った弓のように張り詰めた静寂(せいじゃく)に満ちていた。

すると不意(ふい)()つように、突然、忠興が上座(かみざ)に現れた。

 忠利は、(おのれ)の心の揺れを抑えるようにグッと奥歯を噛み締めながら、忠興に向かって平伏した。

「顔を上げよ、忠利!」

 (かん)(はつ)を入れず、忠興が()えるように命じた。

「はっ」

 (ゆる)やかに頭を上げると、忠興の横には近習(きんじゅう)(ひか)えており、その手には太刀(たち)を捧げ持っていた。事の次第(しだい)によっては、容赦(ようしゃ)なく切り捨てるという忠興の意思を示していた。

(はよ)う入れ!」

 忠興が声を(あら)げると、左右の障子戸が一斉(いっせい)に開き、家老(かろう)たちが大広間に入ってきた。

 上座に忠興、広間の中央に忠利、忠利の左右に居並ぶように家老たちが腰を下ろした。

 家老たちの顔は血の気を失って蒼白(そうはく)になっていた。

−−父上(ちちうえ)はいったい如何(いか)なる所存(しょぞん)で、このような……−−

 思いも寄らぬことに忠利の心中(しんちゅう)波濤(はとう)のように激しく揺れていた。

「驚いたか、忠利。家老たちはこの場の証人じゃ。もはや嘘、偽りは通らぬぞ」

 忠興が毒を含んだような薄笑いを浮かべた。

「私は、偽りなど申しませぬ!」

 思わず語気を強めながら、忠利は上目遣(うわめづか)いで忠興を見据えた。

 その瞬間、忠興の顔が鬼のような形相(ぎょうそう)に変わった。目尻(めじり)を吊り上げながら、唇をわなわなと震わせている。

「よっ……よくぞ申した。では聞くが、お前の初登城(はつとじょう)、あれは何事(なにごと)じゃ。当主(とうしゅ)のお前が細川家を愚弄(ぐろう)してなんとする!」

 血走(ちばし)った(まなこ)で、忠興が雷鳴(らいめい)のような怒声(どせい)を発した。

 左右に居並ぶ家老たちが、思わず畳に両手を突いて平伏(ひれふ)した。肩を震わせている者までいた。

 忠利は、口の中に()まった(つば)を、ゴクリと(のど)を鳴らしながら飲み込んだ。

 目の前に()している父の表情は、まるで気が触れた狂人のようにしか見えなかった。その瞳はどろりと(にご)り、生命の光がまるで感じられない。

−−父上は……ここまで老いたのか……−−

 忠利は愕然(がくぜん)としていた。

 しかし、細川家の当主(とうしゅ)であり、肥後熊本の国主(こくしゅ)である(おのれ)が、ここでたじろぐ(わけ)にはいかなかった。

 忠利は畳の上に両手の(てのひら)を当てると、(いきお)いよく頭を下げた。

「どうか、お聞きください、父上」

「なんじゃ!言うてみい!」

 忠興の声は狂乱したように上擦(うわず)っていた。

「なにとぞ、なにとぞ、お気を(しず)めてくださりませ、父上」

(はよ)う言え!忠利!」

「では、申し上げます!」

 忠利は低頭(ていとう)したまま、忠興に向かって必死に食い下がるように言い立てた。

「初登城の前日の夜、私は思案(しあん)()れておりました」

「うむ」

 忠興が(かす)かに(うなず)いた。

「それまでに目にした沿道の民の面持(おもも)ちは一様(いちよう)に暗く沈んでおりました」

 忠興は黙り込んだまま、血走った瞳で忠利を見据えていた。

「細川家の今後の治世(ちせい)に不安が過ぎっていたところ、ふと母上(ははうえ)のことが心に(よみがえ)ったのです」

 忠利が口にした〈母上〉という言葉に、忠興が大きく瞳を見開いた。

「私が最期(さいご)に母上と対面した(おり)、母上はこのように申されたのです」

 左右に居並んでいた家老たちが、忠利のほうに目をやった。

「父上と(きよ)正殿(まさどの)は、よく似ておられると」

 忠興の頬がピクリと引きつった。

「二人ともに、真っ直ぐなご気性(きしょう)で、剛直(ごうちょく)さは比類(ひるい)ない。それでありながら、深い知恵も持ち合わせている」

 忠利の言葉に驚いたように、家老たちが互いに目配(めくば)せを(かわ)わしていた。

「そのように母上は(おっしゃ)っておられたのです。母上は、私が清正殿の治世(ちせい)(あと)()ぐことになるのを見通しておられたのです」

 忠興が唇を噛み締めた。その頬が激しく痙攣(けいれん)している。

「だからこそ、私は母上の言葉に従って、清正殿の治世の跡を継ぐために、位牌(いはい)(かか)げて登城したのでございます」

 そこまで言い切ってしまうと、忠利は(ひたい)が畳に触れるほどに深く頭を垂れた。

 しばらくの間、大広間には、フーッ、フーッという、忠興の激しい息遣(いきづか)いだけが響いていた。

「忠利……」

「はっ」

「忠利よ……」

「はっ……」

 忠利は身を固くしながら、額を畳に(こす)りつけていた。

 (だん)()がりの上座(かみざ)に腰を下ろしていた忠興が立ち上がった。

「よくも、そんな虚言(たわごと)を!玉子(たまこ)の名を出せば、(わし)が許すとでも思うたか!」

 忠興は、忠利に向かって人差し指を伸ばしていた。その指先が、ユラユラと不安定に揺れている。

「まことでございます。断じて虚言などではございませぬ!」

 忠利が平伏(ひれふ)したまま、()えるように抗弁(こうべん)した。

「もう許せん……よりにも寄って、玉子の名を(かた)るなど、勘弁(かんべん)ならん……」

 忠興がよろめきながら、横に控える近習へ近寄った。

太刀(たち)を渡せい!」

 忠興は、太刀の(さや)鷲掴(わしづか)みにすると、上座から足を踏み出した。定まらない足取りのまま、太刀の()を右手で握ると、左手で鞘を(はら)って畳の上に放り投げた。

 その瞬間、(はじ)かれたように、左右に居並んでいた家老たちが一斉(いっせい)に立ち上がった。

大殿(おおとの)、なりませぬ!」

「お()めください、大殿!」

「どうか、どうか!」

「殿お一人の(とが)ではございません!」

 広間の中央で平伏している忠利を(かば)うように、忠興の前に家老たちが()(ふさ)がった。その列の中央に筆頭(ひっとう)家老(かろう)松井(まつい)(おき)(なが)がいた。

「うぬらは!(そろ)いも(そろ)って!」

 右手で太刀の柄を握り締めながら、忠興が声を震わせていた。

「殿をお切りになるのなら、まず私どもをお切りください。一人残らず、存分(ぞんぶん)になされませ」

 決然と眉を上げながら、松井興長が言い放った。

 興長の言葉に、平伏したまま身を固くしている忠利の瞳が(うる)んだ。

−−皆……()まない……−−

 しばらくの間、忠興と家老たちは無言のまま(にら)()っていた。

 忠興は、(ひたい)(いく)(すじ)もの血管を浮き上がらせながら、目の前の家老達に向かって、(きり)()み込むような鋭い視線を向けていた。

 すると突然、忠興がクルリと背を向けた。

「おい、太刀を片付けよ!」

 苦々(にがにが)しげに忠興が近習に命じた。

 矢のような素早さで、近習は忠興から太刀を受け取ると、(さや)(おさ)めて、そのまま広間から逃げるように退散した。

 忠興は上座に戻ると、ドンと音を立てながら腰を下ろした。

 その様子を見てとると、家老たちも左右に散って座り直した。

 その間も、広間の中央で忠利は()いつくばるように平伏していた。

「ふん!」

 忠興が、不快そうに鼻を鳴らした。

 そして、目の前で畳に張り付くように頭を下げている忠利を、トロリとした瞳で見据えた。

「人払いを……」

 忠興の低い(つぶや)きに、家老たちが顔を見合わせた。

「聞こえんのか!人払いじゃ!さっさと立ち去れ!」

「しかし……」

 松井(まつい)(おき)(なが)が頭を下げたまま、上目遣(うわめづか)いで忠興の顔に目をやった。

「案ずるな、興長。もはや太刀もない。此度(こたび)のことは、これで終わりじゃ。この後は単なる親子の閑談(かんだん)にすぎん」

「はて、そう言われましても……」

 忠興の瞳の奥を(うかが)うように、興長が首を傾げた。

「疑い深い筆頭(ひっとう)家老(かろう)じゃのう。国入(くにい)りのことは不問(ふもん)とする。これで良いであろう。お前たち、家老全員が証人じゃ」

「はっ!」

 一斉に家老たちが低頭(ていとう)した。

「久しぶりに玉子(たまこ)の名を聞いたのだ。これから先は息子と二人にしてくれい。頼む」

 (ただ)(おき)が柔らかな笑みを浮かべた。

 その微笑に得心(とくしん)したように、家老たちは広間から出ていった。

 しばらくの間、忠興は遠ざかっていく家老達の足音に耳を澄ませていた。

 そして、その足音が完全に消えたところで、フーッと大きく息を吐いた。

(ただ)(とし)……(わし)を見ろ」

 不意に投げかけられた声に、忠利は恐るおそる顔を上げた。

 そこには忠利をじっと見つめている忠興の顔があった。その瞳は、雲一つない秋空のように澄み渡っていた。先ほどまでの、狂人のごとく悩乱していた表情とは一変している。

(きよ)正殿(まさどの)位牌(いはい)(かか)げて(しろ)()りするとは、思いも寄らなんだ……見事じゃ……」

「えっ!」

 全く予想もしなかった言葉に、忠利は()()るように上体(じょうたい)を起こした。

「これで肥後(ひご)熊本(くまもと)の治世は、まず揺らぐまい。だがのう、(あざ)やか()ぎる手際(てぎわ)は、かえって(あや)ういこともあるのじゃ……」

 忠利は息を()らすようにして、忠興の瞳を見つめていた。

古参(こさん)家人(けにん)たちのなかには面白くないと思う者が現れる。なぜ我らが(きよ)(まさ)に頭を下げなければならぬのか、とな」

「はっ」

(げん)に儂のところに、そのように話しが伝わった。これは一大事(いちだいじ)と思うたよ」

「はい……」

此度(こたび)のことは許してくれ、忠利。だがな、こうまでせねば、細川家はいずれ割れることになった。古参(こさん)()(ざむらい)がぶつかりおうてな」

「父上はそこまで見通して……」

「老人の知恵というものよ。あの頼りない家老たちの心も、やっとこれで一つに(さだ)まった。今後は命がけでお前を盛り立ててくれることだろう」

「父上……」

「儂は、お前の目の上の(こぶ)でなければならない。家人(けにん)はもちろん、肥後の民の鬱屈(うっくつ)や不満の()()めとしてな」

「……」

「これからもよろしく頼むぞ、国主(こくしゅ)殿(どの)。目の上の瘤は邪魔ではあろうがな」

 忠利は思わず瞳を(うる)ませた。

「どのような治世にも、悪しきことは付き物なのじゃ。その悪しきことの()(ぐち)がどこかに()る。それが(わし)の役目じゃよ」

 忠利は(ひたい)(たたみ)(こす)りつけるように頭を()れた。

「かたじけのうございます……父上……」

 忠興が、フッと小さく笑みを漏らした。

「礼を言うなら、玉子(たまこ)に申せ」

 忠利は、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、(いぶか)しげに眉根(まゆね)を寄せながら、

「母上に?……」

 と、小さな声で(つぶや)いた。

最期(さいご)の別れ際に玉子は儂に言った……細川家の主人(あるじ)となるべき者にバテレンの洗礼(せんれい)(さず)けた、とな。そして、形見(かたみ)を渡すようにと、儂に(たく)したのじゃ」

 その言葉に、忠利は全身の血が逆流(ぎゃくりゅう)するような感覚を覚えた。

「その主人のために、悪しきものは全て儂が引き受けよ。そう言い残したのだ、玉子は」

 忠利の唇が小刻(こきざ)みに震えていた。

「玉子は、儂には()ぎたる妻であった……玉子の言葉は、儂にとって天の導きそのものだった……」

 忠興は、(はる)彼方(かなた)を見やるような遠い眼差(まなざ)しを浮かべた。

「ちりぬべき……とき知りてこそ……世の中の……花も花なれ……人も人なれ……」

 まるで(ささや)くように忠興が口ずさんだのは、母、玉子の辞世(じせい)の句だった。

 母はまさしく、この世に生きる人の運命というものを見通していたに違いない。

 驚きのあまり言葉もなく、忠利は瞳を(にじ)ませながら肩を震わせていた。

−−母上は……そのようなことを……父上に言い残して……−−

 思わず忠利は畳の上に()()した。

 次から次へと(あふ)()る涙が畳を濡らした。

 花の(ごと)く散っていった母が(のこ)してくれたもの。それは形見(かたみ)のロザリオと、とこしえの慈愛(じあい)であった。

 いつしか忠利は、「うっ、うっ」と、激しい嗚咽(おえつ)()らしていた。

 そんな忠利の姿を、忠興は穏やかな瞳でじっと見つめていた。


 (ただ)(おき)と別れて大広間を()すると、(ただ)(とし)縁側(えんがわ)の板敷きで足を止めた。

 既に夕方となり、太陽は地平線に()かっていた。広大な庭園が夕日に照らされて赤く染まっていた。

 ふと顔を上げると、夕焼けに赤く染まった空に満月が浮かんでいた。

 最期(さいご)に母と対面した夕暮れにも、空に満月が輝いていたことを思い出した。

 忠利は、胸元から緋色(ひいろ)巾着(きんちゃく)(ぶくろ)を取り出すと、それを両手で包むようにしながら、月に向かって合掌(がっしょう)した。その巾着袋の中には、母の形見(かたみ)のロザリオが(おさ)められている。

母上(ははうえ)……」

 忠利は(あえ)ぐように(つぶ)きながら、月に向かって頭を垂れた。

 一番星の(またた)きを消し去るほどに、煌々(こうこう)と輝いている満月は、忠利を優しく包み込むように柔らかな光明(こうみょう)を放ち続けていた。

 これより(のち)、忠利は肥後(ひご)熊本(くまもと)国主(こくしゅ)九年務(つと)め、五十六歳で(ぼっ)した。

 そして、肥後熊本における細川家の治世(ちせい)明治(めいじ)維新(いしん)を迎えるまで続いた。

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