薄汚れた蝋の世界
最近、私は物事が蝋のように思えてきました。
誰もが路傍の石に甘んじています。どうして、私の世界には一本の華やかに咲き誇る花さえないのでしょう。
どんな絵も、どんな小説も、見た目がどんなに華やいだって、そこにどんな意味がありましょうか。
つまらない人間になっただけでは?そうかもしれません。しかし、その面白さとはどのように定義されるものなのでしょうか。
この蝋の造形、意味、意志、その他もろもろについてがんばって意味を見出して、がんばってそれに感動して、がんばってそれを周りに広めて、がんばってがんばってがんばってがんばって、そこに何があるのでしょうか。
物として残る?そうかもしれません。しかし、物には最早過去の名残しか憑いていません。記憶に残る?そうかもしれません。しかし、それは自分の意志に捻じ曲げられて、自分の貧弱な想像力、記憶力によってうすぼんやりとして、正確ではありません。
そこには疲れと、無力感と、鬱と、絶望だけが残ります。
だからこそ、私にはすべてが蝋のように思えるのでしょう。
案外、私のこれも、いつか消えるときが来るのかもしれません。熱によって溶かされる、空洞の多い、薄汚れた蝋燭……