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♠ 12時33分 馬南小学校、児童相談室


 軍隊に所属していた、鋭い瞳の女とすれ違う。そんな鼻の高い、美形の男は校舎の中へと足を踏み入れていった。

 中性的で、色白。瞳の色はブルー……というワケではないが、その日本人離れした小顔に、世の女性は思わず振り向いてしまうほどだ。彼はスリッパに足を通すと、職員室の手前にある、『児童相談室』の中へとノックもせずに入って行った。


「はぁ。どいつもこいつも、まったく。この世界が本当の意味で終わったかのような、そんな表情を浮かべている」


 だが、それは自分も同じだ。児童相談室は汚く、荷物がやたらと多かった。その半分を未開封の段ボールが占めており、くたびれた紙の箱の上に置かれた鏡の前へと歩を進める。


「まだ、大丈夫だ。相馬(あいつ)の言っていた通り、この世は始まったばかりなんだ」


 手汗がじっとりと滲んだ片手を、美しい顔に当てる。滑らせるように頬、首、そして――胸元へ。

 新島(にいじま)(はる)()。周囲のメンツからは『はるきゃん』と呼ばれている。親しさ溢れる笑みとは反面に、彼の素性は恐ろしく冷酷的だ。いや、感染者の蔓延るこの時代では、『戦略的』と称賛する方が理にかなっている。


 春尾は現在十六歳で、去年高校デビューしたばかりだ。しかし、それは一日だけで幕を閉じた……。突如として街中に現れた、敵と言う名の存在。最初の数か月は母親と共に公民館で籠城したが、一斉に押し寄せた、『敵』によって、あっという間に守られていた日常は幕を閉じる。

「……」

 手鏡を元の位置に戻すと、苦しくなって思いを馳せるのを辞めた。だが、忘れることはない。……この世の『敵』とは、意思を持つ者なのだと。


 彼はここに来て、本当は自分が十六歳だということを隠している。だから、数日前からよく話すようになった相馬たち、いわゆる『先生役』からの指導からは免れている。それには理由があった。自分が大人でなくてはならない理由が――


「失礼しまーす」


 がらりとドアが開いて、顔見知りの男が笑みを浮かべながら侵入して来た。

「うおッ……!?」

 相馬克……楽しい大学生活が待ち受けているはずだったが、疫病によってすべてを無にしてしまった男。それは全員同じ結末だったが。


「ん? 何々、どーしたそんな憔悴した顔して」

「な、何でもないよ、相馬さん。あっ、もうお昼か、俺っちも行かなきゃなならないっすね」


 一応、相馬と同級生という設定だが、相馬の方が早生まれということで敬語を使っている……


「ああ、一緒に行こうぜ。どうせ、アンナは生徒たちと食うだろうからな」


 春尾は小首を傾げる。なぜ、自分も混ざらないのかと、そんな表情だ。

「その前に頼み事があってさ。ちょっと付いてきてくれ」

 相馬は床の上に散らばった複数冊の本を束ねると、春尾に手渡してきた。それらのほとんどが、貴重な性的欲求解消の本だ。これは、主に四十歳以降の男性に配布される。若者のほとんどはカップルが誕生しているため、必要ない。


「ん、ああ。頼み事ってなんすか?」


 春尾は大量に本の詰められた段ボールの中に、無理やり四冊を置き去りにすると、純粋で無垢な相馬の顔を見上げた。


「実は水がちょっと変なんだ。心なしか赤いっていうか……とにかく変なんだよ」

「え~水っすかー。確かにそれは怖いっすね。俺っちなんかじゃ何もできないとは思いますけど、付いて行きますよ」


 向かったのは、職員室の前で横並びになった、大量の蛇口である。工事がまだ終わっていないため、二、三階にまで水は引かれていないが、一階の職員室、および一年三~四組前、および男女のトイレ各二つにある水は問題なく飲むことができた。

 春尾は、恐る恐る蛇口を捻った。最初の数秒は何ともなかったが、いきなり水の出が怪しくなる。と言うのは、しゅぽ、という不吉な音と共に、一気に弱くなってしまった。そして、さきほど相馬が言っていたように、赤い絵の具をめいっぱいの水で薄めたような、そんな色に代わる。実際にコップに入れてみると、よりはっきりと解った。


「俺っちにはサッパリ原因が解らないっす。もしかして、死体でも詰まってるんじゃないすか?」

「ま、まさかぁ。だって、給水塔は軍兵さんが見てくれてるって――ってことは、水槽とかに、ゾンビが入ったってこと?」

「相馬さん。俺っちだって信じたくはないっすけど――。もしそれが本当なら、抗ウイルス剤の効かない新種が現れたってコトっすよ。……しかし、参ったなぁ。水道の水が飲めないんじゃ、おじさんたちが懸念の目をまたレヴェッカさんに向けますよ?」


 水。

 難しい問題だ。あるいは本当に気まぐれで、たまたま赤い水が出ているのか。この赤の原因は何なのか? 血か? それとも、塗装が水の中で溶けただけなのか――もし錆であれば、砂利のように金属片が混ざるはずだ。


「うーん。使用禁止の張り紙を貼ってはみるけど……」


 春尾は腕を組み、思考を巡らせながらもそう決断した。こういう時のために、貯水しておけばよかったと後悔する。コンビニやスーパーに置いてある天然水のほとんどは空で、あったとしてもすべて校長が保管しているのだ。


「食堂の冷蔵庫、ちょっくら見て来ますわ。相馬さんは、このことを校長に言っておいてください!」

「ええー。僕もそっちの仕事が良いよ」

「この世じゃ言ったもんが先っすよ、では」

 そう言うと春尾は、まるで血だまりのように薄汚れた水道台を後にして、廊下を走って行った。



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