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♠ 12時09分 馬南小学校、校長室
脂ぎった肉を頬張るのは、やはり脂ぎった男に限る。馬南小学校校長室はずいぶんと涼しく、初夏の暑さも忘れ飛ぶほどにクーラーでガンガンに冷やしていた。
賞状やトロフィーの置かれた密室の真ん中では、禿げ頭に眼鏡、そして今の地獄の日々を送っているとは毛ほども思えないほどのおデブ体形の持ち主が、フォークでステーキを突き刺した。
「ぐふ、ぐふふ……それで、給水塔がどうしたって?」
校長室に居座るのは間違いなく、この学校の校長先生である。名を、狭川と呼んだ。彼はねっとりとした目線を、目の前で膝を折る異国の女性へと向ける。
「この学校の水が、汚染されています。蛇口を捻ると、やや赤く染まっていました」
馬南小学校を維持するために必要不可欠な班……『偵察救助班』。リーダーのレヴェッカは、薄気味悪い中年男性に嫌気が差していた。
「んー。貯水タンクに死体でも入ったんかなー。でも、一人だけだったら気づかず飲んでると思うんだよなー」
「……」
「ぶひヒィ……冗談だよ、冗談。ぐひ、ひひ……。だが、現にそれはあり得ない話じゃないかなぁ? だって、給水塔はキミたち『元』米軍の人が管理しているんだろう? だとしたら、遺体が貯水タンクに入るなんて失態は起こりうるワケがない」
「米軍だけでなく、自衛隊二名もそのうちに含まれています」
ここで考えられるのは二つ。給水塔を管理していた米軍兵が居眠りして、その間に抗ウイルス剤の影響を受けなかった感染者が内部に侵入、足を滑らせ、貯水タンクに入ったか――。もう一つは、考えたくないが、米軍兵が死亡し、内部に入ったか。
「いや、もう一つあるよ、レヴェッカちゃん」
狭川校長は立ち上がって、華奢で細いが筋肉のある女の前に立った。校長の口臭が、鼻を突く――吐き気がする。額に汗を浮かべながら、レヴェッカは耐え忍んでいた。
「ワザと、キミたち米軍の人間が、死体を貯水タンクに遺棄したのさ」
「なっ……」
「うふふ、冗談だよ☆ 冗談。とにかく、レヴェッカちゃんたち偵察救助班は、出動要請をしにボクちんの所まで来た……そうだろう?」
狭川校長の股間は、一刻も早く欲望を放出したいと言わんばかりに膨れ上がっている。この変態が……レヴェッカはゴミを見るかのような目線を、彼に送った。
「勝手にしなよ。でも、夜までには帰って来るんだ。キミのように若くて美しい人が馬南小学校か
らいなくなると――本当に寂しいんだ。これは、嘘じゃないよ」
校長は声のトーンを変えて、振り返った。そしてゆっくりと席に戻ると、冷めつつある鉄板の上に置かれた肉に視線を落とした。
「ボクも、身体を張ってるからね。キミたちの送って来た養豚場のブタが、もしかしたら感染していて、人体に影響があるかもしれない。だからこれは所謂毒見って奴だ。解るだろう?」
「――あり得ない。病気に掛かったモノなんて、送るワケがない……」
「だからもう少し――ッ! もう少しだけ、芋とかの野菜で我慢してほしいッ! とくに偵察救助班のキミたちには、助けてもらってばかりなのだから! あと数日の辛抱だと思って、頑張ってもらいたいんだ!」
狭川校長は、禿げ頭が光り輝くほどに深く頭を下げた。
レヴェッカは言い淀むばかりで、「解りました」ついポロッと、そう口にしてしまった。
「ああ、ありがとう、ありがとう――!!」
狭川は感謝の言葉を述べた。レヴェッカは納得いかなかったが、暗い顔をしながら校長室を出て行った。
一人残された校長の顔色ががらりと変貌する。薄く焼かれた肉を束のようにフォークで刺し、養豚場で働く下っ端のことなど毛頭も考えず、噛まず、味合わず丸のみする。
「ぎゃっはははははははは!! 所詮米軍所属の脳筋女なんて、この程度よ! 馬鹿め! 阿呆め!! この世界で自由に人生を送るには、笑いながら生活するには、人を蹴落とすための性格が必要なのだ!!! 築き上げた『信頼』という嘘の関係に、お前たちゴミどもはいつまでも従い続けなければならない。この世が終わる前も、そして、終わった後も。結局は悪が勝つ――いや、これも一つの、正義だ! ゴミどもが悪に気づかなければ、ボクちんはいつまでも、正義なのだからなぁああああ!!!」
狂ったように笑い、大きく腕を振った。綺麗な水の入れられたコップが宙を舞い、壁に当たって砕けた。まるで、人間の頭を粉砕したときに張り付く血のように――壁一面に、零れてしまう。
狭川校長は机の中を開いた。そこには、何十、いや、何百枚という女性の着替えや、寝姿の写真が詰め込まれていた。そのうちの殆どが、すでにこの学校で死亡し、遺棄されている……。
「うふ……ふふふふふ――!!」
狭川が自分の欲望を満たすための小道具として、生まれて死んだ、かわいそうな少女たちなのだ。