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♠ 11時34分 馬南小学校、五年四組


 約400日前……原因不明の疫病に掛かった感染者が日本で現れる。それが始まりであり、その後も世界中のありとあらゆる場所に病原菌が蔓延した。その多くが飛行機などに乗り、人の手を渡りながら感染していったのだ。風に乗り、隣国である中国からソ連、そこから北上し、ロシアへ。菌は寒さに強く、体温に近い熱で増殖する。


 他の地方によって、その菌の謂れは異なるが、ほとんどが『ゾンビ病』と称した。

 そしてゾンビ病が発現した人間は――自我を失い、生きる屍として、他者を攻撃する。

 この病が発現するタイミングは三種類だ。一つは、病原菌に感染した者が、何らかの手段によって死ぬこと。一つは、噛まれることで感染者から直接菌を体内に循環させ、四十八時間後に発病。最後の一つは……汚水だ。これが一番酷く、水たまりの水を汲んで、それを手配したグループが一晩で全滅したこともある。


 つまり、感染した段階では生きた屍にはならず……それを発現させるためのトリガーによって、映画や漫画で見るゾンビと化すのだ。

 僕たちは道具と武器を駆使しながら生き延びた。感染者を抹殺し、時に裏切り者は殺される。だからこそ、『抗ウイルス剤』が日本に投下されるまでは、互いのことをあんまり信用してはいなかった。隙あらば、殺そうとも思えた……その分、食い扶持が減るからだ。


「……あ」


 僕はゆっくりと顔を上げた。荒廃した小学校の教室である。一年前と変わり映えのない、黒板の文字。日付は『四月一日』と書かれていた。その日から何日間を生き延びたかは解らないが、こうして僕は息をしている。一から、やり直せるチャンスだ。


「もう、昼か」


 割れた窓ガラスからは一陣の風が吹いた。血生臭さは少しずつ和らいだ。

 僕は小さな木製の椅子から立ち上がって、廊下へと足を踏み入れた。奥に続く長い通路はだいぶ掃除されているが、ちょっと前までは片付かない死体が放置されていた。


「おっす、先輩」


 後ろから声を掛けられた。振り返ると、金色の髪、耳にピアスの付いた少年が立っていた。声と同様に、その顔もずいぶんと幼く、ともに地獄を体験したとは到底思えない。


信也(しんや)。どうした? 今は授業中のはずだろ?」

「アンナ先輩の授業、眠たいから抜け出しちまったよ。トイレに行くって言ってさ」


 信也は壁に寄りかかって、Yシャツのポケットから湿気った煙草を一本取り出した。


「おいおい、そんなもん吸ってんじゃないよ。ここはどこだと思ってる?」


 だが、肝心のライターは所持していなかった。暗がりから抜け出すための道具は、すべて上の人間が管理しているからだ。


「学校だよ。だが、規律のない場所だぜ」

「規律があろうが無かろうが、ダメなもんはダメだ」


 僕はそう言って、少年の口元に挟まっていた丸棒を奪い取った。信也は不服そうに眉をひそめ、


「もうあれから一年なのに、まだ法律とか、そんなこと言ってんの?」

「当たり前だろ。僕は将来、本当に教師になるんだ。だから、未成年が吸煙するのは――」

「無理だよ。崩壊したこの世界で、そんな夢が叶うワケねーよ」


 信也の瞳は鋭かった。睨まれると、相変わらずだが背けてしまう。僕は大人なんだ、だからガキは命令に従え。そう言ってやりたかったが、熱の冷めきったような少年になにを言っても無駄だと、今までは目をつむってきた。



「先輩こそ、これからすべてやり直せると、ホントに思ってんの?」



 僕は口ごもった。廊下の窓から校庭を見下すと、せっせと働く大人たちで蔓延っていた。その数、約150人程度。それらの多くが今晩のご飯支度だったり、調達された物資で学校の補強をしたりと、大忙しだ。

「さあな。確かにすべては無理だと思う。正直言って、僕にはこの人たちが何やってるのかが解らない。米軍の人たちと協力して事態が収束するまでは、子供たちに勉強を教えてくれって言われたきりさ」


「ふーん。それって、例の『校長先生』がそう言ったから?」

「ああ、そうだよ。今は、彼がこの学校の最高責任者だからさ」

「……なあ、先輩。ちょっと提案があんだけどよ」


 信也は腕を組み、僕の隣に立った。同様に、せっせと働くアリのような大人たちを見下した。




「その校長を…………一緒に殺さないか?」




 僕は、ゆっくりと信也の方を向いた。また冗談か、と微笑を浮かべたが、彼の瞳は真剣そのものだ。


「やめとけって。凶器になるもんは全部没収されただろ。僕と信也だけじゃ無理だよ」

「作戦があるんだ! 教室にある、黒板消しのチョークカスを吸い取る機械があるだろ!? あのコードを使って、校長の首を――」


 僕は、信也の肩に手を当てた。興奮で鼻息が荒く、とても冷静とは思えない。


「なあ、信也。終わったんだ……。終わったんだよ」


 残虐な世界は、と言いそうになって、僕は思わず口を閉じた。言い淀む――それは、必ずしもつい先日までの世界と比べ、今までの世間体が、残虐では無かったとは言い切れないからだ。


「ち。離せよ」


 そう言って、信也は踵を返す。彼の視線は、僕にとっても思い入れの深い腕時計に集中していた。

 僕はもう一度彼の名を呼んだが、一瞥もくれずに、そのままどこかへと消えてしまった


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