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♠ 14時30分 給水塔、貯水タンク


 一人の少女を確保した僕たちは、ゆっくりと部屋の外へと出て行った。

 当然、ヒナを連れて行くことで、どこかの解らない暴力集団が馬南小学校を襲いに来るかも知れないという懸念はあった。だが、彼女をここに置いて行くのなんて言語道断だろう? という意見に三票入り、可決したのだ。

 ヒナは夏らしい、薄い洋服を着ていた。毛布がないと寒そうだったので、花柄の布に包まりながら、僕の手をぎゅっと握って来た。

 その後ろにはレヴェッカ。彼女もまた、ヒナを確保する意見に賛同した。


「もしかしたら私たちは……重大なミスを犯したのかもしれない」

「れ、レヴェッカさん?」

「冗談だ」


 だが、皮肉にも冗談には聞こえない。それは、彼女がずっと真下の階段に向けて構えているSMGが物語っていた。


「大丈夫っすよ……! それに、こんなところで独りぼっちの女の子がいるなんて、とても放っておけない。そうでしょう?」


 春尾は世田谷の後ろに付いてゆくが、彼もまた不安を募らせた表情だ。


「うるさい。黙って付いてこい」


 先頭の世田谷は、杜撰に配置された木箱や、段ボールなどの死角を丁寧にクリアリングしながら、最上階の『貯水タンク』の扉前へ上り詰めた。地上から三十五メートル前後離れているだけあって、窓からの景色はなかなか見栄えが良い。だが、高所恐怖症の春尾だけは断念し、さっさと貯水タンクへ進もうと提案した。

「……これ、なんだと思う?」

 貯水タンクとを隔てる壁一面には、大きくスプレーで落書きされていた。英単語が苦手な僕はレヴェッカに尋ねると、



「――……『Alive』……――」



 アライブ? 僕は小首を傾げた。

 ここに取り残された少女、ヒナの顔を見据える。彼女もまた、小さく首を傾げていた。


「これってアレじゃありません? 俗に言うSOS信号的な……」

「おいおい、それじゃあまさか、」


 僕が言う前に、世田谷はドアに体当たりして、貯水タンクのある室内へと飛び込んだ。

 赤い水……『アライブ』という不吉な文字。

 その正体は、膨大な量の水面の上に――あたかも用意されれいたかのように、浮かび上がっていた。

「死体、だ」

 およそ十名程度の男たちが、水面で死亡していた。死に方にも差異があり、うつ伏せになった者や、仰向けになったもの。水を呑み過ぎて完全に沈んでいった者まで、多種多彩である。だが、共通点はいくつもあった。


「服が脱がされている。水を吸っているために膨張しているが、ほとんどが私と同じ、陸軍の者だ……」


 レヴェッカは、扉の傍に置かれた軍服に着目した。


「服は洗われているのか解らないが、きっと刺された箇所はあるはずだ」


 これで『赤い水』の正体は解った。これらの死者がどのようにして殺されたのかを調べるべく、死体をこの水槽から引き上げる作業に入ろうと、世田谷は脱ぎ始めた。


「……死体の入った水を、俺っちは今まで飲んでいたんすか……」

 春尾のデリカシー無い発言に、僕は後頭部をぽこんと叩いた。

「……」


 その後は無言で死体を床の上へと引き上げる作業が進んだ。世田谷とレヴェッカが浸水し、死体の足を掴みながら浮上する。圧によって今までは形状を保っていた死体が、外気に触れた瞬間に瞳がぼこっと浮き出て落ちたり、皮膚の破片が惨めにも水面へと浮かび上がった。


「明日、水を完全に綺麗にするために網を持ってこよう」


 世田谷はずぶ濡れになった前髪を掻き揚げた。

 僕と春尾は感触の悪い死体を引き上げて、一人、また一人と床の上に積んでゆく……。ヒナはあまり怖がらず、じっとその光景を純粋な目で見つめていた。


「怖くないの? ヒナ」

「うん……。もう、慣れちゃった。でも、」

「でも?」


 水に濡れた腕を服の裾で拭い、ヒナの次の言葉を待つ。




「本当に怖いのは……生きてる人だって、お母さんは言ってた」




「……」

 僕はおもむろにしゃがみ込んで、小さなヒナの顔を手で触れる。微弱な熱が、水によって冷却された指先をじんわりと温めてくれた。


「ここにいる人たちは、大丈夫。僕は、キミの味方だから」

「うん。ねえ、お兄ちゃんの名前は?」


 ヒナは、初めて笑みを見せた。春尾に手伝いを催促されて「今行く」と適当に返事をする。


「僕は克。相馬克。よろしくね、ヒナ」

「……。うん、相馬お兄ちゃん」


 出会ったばかりということもあり、僕の下の名前ではなく、苗字にお兄ちゃんを付けたヒナ。

 今までも、こういう経験があった。老若男女問わず、それがヒナのような子供であっても。

 僕は立ち上がって、積まれた死体を一瞥した。腕が他方から飛び出ており、骨が露出している遺体もあった。

 そして、重要なことに気が付いた……この男たちは全員裸だったため、本来隠れていた部分が見えるはずだ。男性としての勲章であり、子孫を残すべくために与えられた部位。生殖器が、切り離されていたのだ……。


♠ 15時40分 給水塔、貯水タンク


 あれから一時間ほど経過しただろうか? 死体の鑑識を続けるレヴェッカの目は真剣で、僕たち男性はいくら声を掛けても頷くことすらなかった。彼女が最後の一人の腕を下ろすと、ため息を一つ吐いた……


「確かに、相馬クンとはるきゃんの言う通り、この死体には全員、生殖器が切り離されている」


 言葉にしてみるとゾッとして、思わず自分の急所を隠すようなポーズをしてしまうが、


「だが、どういうことなのだろうか? ここに乗り込んで、わざわざチ○コを毟り取って逃げていくなんて」

「ちょ、ちょっとちょっと、レディがそんなこと言わないでくださいよ~」


 春尾はしゃがみ込んで、たははと笑った。

 貯水タンク前のドアで見張りをしていた世田谷もこの場に戻って、鑑識の結果を聞いた。


「米軍隊員も、わずかな自衛隊員のもすべて……? ってことは、国籍に恨みがある連中じゃねーな」


 ここ、給水塔を管理していたのは二名の日本自衛隊員、そして米軍の陸軍隊員が十一名である。


「ここで二つの動機が想像できる。一つは、金物目的の賊がここを襲撃し、男たちの命を奪った。ついでに、生殖器を手土産に切り取って、持ち帰った」


 まるでそう、敵を討ち取り、首を斬り離してそれを首袋に結ぶ、武将のように。


「そしてもう一つは、男性の生殖器に恨みがあった者の仕業だ。と言うか、今の世の中ではこちらの方が可能性が高い」

「それってつまり、レイプされた女の人が復讐するためにやったってことですか?」


 僕は率直な疑問をレヴェッカにぶつける。愚直ではあるが、そう思ったほうが筋は通る。じゃなきゃ、この世界に嫌気が差したサイコパスの仕業か。それもあり得てしまうから、終末後は恐ろしい。


「ああ……だが、そう結論付けてしまうとまた疑問がいくつも浮かぶ。どうやって、日々鍛錬を重ねて来た陸軍隊員や、自衛隊員を女性の手で殺すことができたのか。生殖器を切り取ったまでの経緯。暴行などの形跡が見られない中で、どう水に落とされたのか。……それに」

「それに?」


 レヴェッカは、小さな少女の姿を一瞥する。




「不確定要素もあるからな」

 



突然現れた少女、ヒナ。そして、貯水タンクの扉に書かれた、『Alive』の文字――


「ただ、この場ではっきりしたのは、彼らの死因が武器による死亡ではないこと。溺死だ。それだけは否定のしようがない事実だ」


 だからこそ、解らないことだらけだと言う。昏睡状態に陥った米軍兵たちの生殖器を切り、複数の人間が彼らを貯水タンクに落としたのは容易に想像できる。しかし、どうやって彼らを全員、眠らせることができたのか。確か、レヴェッカがここに来る前は、給水塔の管理は交代制で、万が一のことが起きた場合、無線でこちらに連絡すると言っていた。


「まあ、考えても仕方ねーよ。今日の所は帰ろうぜ」


 世田谷は薄く笑んで、立ち上がった。その視線は死体の山に向けられており、「辛かっただろうな」そんな、彼らの死に際を想像して感傷に浸っている。

 僕は、母が発病した人に襲われて死んでゆく姿を見て、弔う時間すら与えられなかった。しかも――大事な人に、殺された。



「うわああああああああああぁ!!!」



 日常から非日常へと誘い込む、始まりのあの日を彷彿とさせる叫び声。

 ハッとなり、僕はその場にいた全員の顔を見渡した。


「信…………也……?」


 どこかで聞いたことのある声だったのだ。勇ましい少年の後姿が、脳裏に過る。僕は一目散に立ち上がって、貯水タンクの外へと飛び出して行った。


「お、おい! 待て、相馬クン……ッ!」


 慌てて、レヴェッカが僕の背中を追って来た。後ろを振り返る余裕もなく、ガンホルダーに入れられた銃を取り出した。螺状の階段を勢いよく駆け下る。時折転びそうになって、体勢を崩す。それよりも悲痛なあの少年の叫びの方が恐ろしく思えて、右足をダン! と前に突き出し、踏みこたえた。


「うわああああ! ぎゃああああああ!!!」


 一階の正面玄関。鉄製の扉を蹴破ると、西に沈みゆく太陽の明かりに視界が霞む。声の主を襲うその正体は一目瞭然だった。

 金網に引っかかってたはずの死者が、うごめいている。日が立つにつれて黒く染まっていった指先で掴んでいたのは、猪狩信也の足……。真っ白な瞳で少年の傷一つない肉体を求めるその姿には、執念深さすらも感じた。


「うそ、だろ……」


 悲痛な叫び――だが、大きく声を上げれば他の感染者を呼ぶかもしれない。だから、小さな虫のような声で、絶望した。


「信也! 信也、くそ!!」


 僕は銃を構えるより先に、腰を抜かす信也の背中へと駆けて行って、彼の両脇を掴んだ。金色の髪からは異常なほどの汗が飛び、僕の目に染みる。だが、そんなことを気にしている余裕もなく、一気に彼の身体をゾンビの魔の手から引きはがした。


「先輩……! うう、ごめん、先輩!!!」


 僕の背中には一斉に砂利が入り込んだ。シャツの中は、尋常でないほどの汗と砂や石によって、不快だった。


「馬鹿野郎、泣くなって……。――!!」


 今まで何人も、その手で葬って来ただろう。僕はそう言いそうになった。

 だが、安心したのも束の間だった。今の反動で、金網に引っかかっていた感染者の身体もずるりと抜けて、立ち上がろうとしていた。視線は若い肉塊である信也、そして僕の方へと向けられる。

 カチカチと歯を鳴らし、ただ、絶好なニオイのする方へ――一歩、また一歩と歩を進めて来た。


「クソが! クソがあああぁ!!!」


 僕は拳銃を取り出し、トリガーを引く。しかし、順番を間違えたために『カチっ』と無様な音が鳴った。


 ――落ち着け、落ち着くんだ。


 感染者との距離はわずか三メートルほどで、跳びかかられたらひとたまりもない。安全装置を下ろし、左手でスライドを引く。弾が装填されるのを、重圧な金属を通して感じ取った。今なら弾が出る。そう信じて、僕は銃口を感染者の胸に向けた。反動で上に上がるのを利用し、顔面に一発で当てる、という寸法。

「――ッ!!」

 トリガーを引くと、ガン! と全身を襲う凄まじい反動に思わず目を瞑った。爆発を彷彿とさせる音の後に、木々から一斉に飛び立つ鳥たち。ドサリと倒れ込む死者の姿を見る。


「やった!」


 だが、完全に鎮静化してはいない。弾は、感染者の腕に当たったらしく、粉砕した骨が地面の上に転がっていた。


「ウソ、だろ……! おい!」


 カチ、カチ。

 この音は、果たしてこの感染者の歯の音なのか、それとも弾切れを意味するこの銃の叫びなのか。

 感染者は今一度起き上がると、今度こそはと言った決意を胸に、一歩、前へと踏み出した。


「うわっ!!」


 パシュッ!!!

 空気を切る音が聞こえたと同時に、僕はもう一度目を瞑った。

 しばらくしてからそっと瞼を開けると、そこには完全に脳天を矢で撃ち抜かれた、ただの無機質な肉塊――。文字通りの死者と化した『それ』が、地面の上で横たわっていた。

 真後ろを見ると、クロスボウを構えた世田谷と、息を呑むレヴェッカの姿があった。


「……はあ、危なかった」


 こうして最後の殺害を終えた僕たちは……無言のまま、山道に放置されたままのバンへと戻って行った。


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