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♠ 14時13分 給水塔、最上階
僕は片膝を折って、少女との目線を調整した。包まった毛布にゆっくりと手を掛け、剥がしてゆく……。長い、茶色と言うよりは栗色に近い髪色が、徐々に姿を現していった。
最初は世田谷が少女に話しかけようとしたが、視線は彼の手にある、傷跡に注目してしまう。どうやらそれが怖いらしいので、僕と春尾が声を掛けることにしたのだ。
「お名前は?」
「……はい、えっと……」
少女は怯えているというよりは、どこか忙しなく周囲を見渡して、
「わたしは、ヒナって言います」
ヒナ。それがこの少女の名前か。僕は春尾に視線を向けると、小さく頷いて、
「ええと、ヒナちゃん。ここで何をしてたのかな? 俺っちはここに用事があって来たんだけど、他の人は?」
春尾は子供に好かれる笑みを浮かべ、声のトーンも上げた。
ヒナは小首を傾げると、
「わかんない」
と。ヒナの声は、小鳥のさえずりを彷彿とさせる。
子供嫌いな世田谷は、「ここにいた他の軍人は、どこへ……?」半壊した扉を直そうともせず、壁に背中を預け、レヴェッカに問いかけた。
「私が知るワケがない。交代制でここを見張っていたとは聞いていたが、もしも賊に襲われるような失態を起こせば無線でこちらに伝えるように指示されている」
「今のご時世、怖いのは感染者ではなく、人間そのものだってことか……」
だが、その脅威を一ミリたりとも感じさせないこの少女は、今度は反対側に首を傾げ、
「あのね……あたし、ずうっと暗いところにいたの。でね、気付いたら、ここにいたの」
暗い場所……。第三者による拉致監禁――するのは良いとして、この少女の身柄を確保したところで、実行犯に利益はあるのかどうか。一切ない。何故なら、子供はただの食い扶持でしか無いからだ。仕事をさせるにも限りがある。ヒナの親側に何かを請求したのか……。しかし何を? 今や紙幣はトイレットペーパー代わりだし、高価なツボもガラクタでしかない。
「お父さんも、お母さんも……あたしが小さい頃に死んじゃったの」
そうヒナが答えたのは、一分後のことだ。
それを聞いて、僕は想像力を働かせた。ヒナがいたコミュニティに何らかの脅しがあったとして……失礼な話だが、応じるであろうか?
親もいない子供の面倒を見るのは、正直に言ってこの世界じゃ苦痛でしかないだろう。むしろ、攫われたことで逆に『せいせいする』。足手まといでしかない。だからこそ、僕は悩んでいた。
「そっか……辛かっただろうヒナちゃん。ご飯も、ろくに食べてなさそうだけど……?」
僕はヒナの頭を撫でたが、返って来た答えは意外なものだった。
「ううん。ご飯は、まっ暗な部屋で食べてたから、あんまり」
「そ、そっか。でも、なんでさっきは泣いてたの?」
ヒナは、視線を落とした。再び体操座りをして、「怖かったから……」と、打ち明けた。
「大丈夫。僕たちのいる小学校なら、きっと歓迎してくれるよ」
「お、おいおい相馬。そんな簡単に決めちゃって大丈夫かよ? ここから連れて帰るのにも、あの山を下りなきゃならないんだぜ!」
世田谷は声を荒げるが、こんな場所に放置するのはあり得ない。
「まあ、オレはいいけどよ……。狭川のヤロウはなんて言うか……」
「仮にも小学校の校長なんだし、転校生だと思えば大丈夫なんじゃない?」
僕は呑気に返すと、視線をレヴェッカに戻した。彼女は、この部屋に充満している臭いに気づいたのだ。
「臭わないか、この部屋……」
レヴェッカは周囲を見渡すが、僕や春尾どころか、世田谷もその正体に気づくことはなかった。