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♠ 13時55分 給水塔、階段
握られた拳銃のひんやりとした感覚に、緊張が走る。パンデミックが起きる前はまったく無関係だった、『自分の命は自分で守らねばならない』という、無機物的な温度……。
日本の警官が使う拳銃はなかなかレアで、めったにお目に掛からないが、米軍から支給されたという自動拳銃なら目に穴が空くほど見慣れてしまった。とは言え、普段は銃などの装備品は交代制で番をしており、校長と武器庫番への申請が通って初めて使用が許される。
僕は再び視線を、自分の手に握られた銃に下ろし、引金に指を掛ける。
「こら」
だが、そのたびに叱責を食らう。真後ろで同じく銃を握り、厳格な態度を見せるレヴェッカである。
「まだ、引金に指を掛けるな」
「すみません」
世田谷に続き、ゆっくり上へ上へと階段を上り進めてゆく。僕を含む全員に支給されたのは、軍隊の人がよく着るイメージの、迷彩柄の軍服、ナイフが一つに、銃が一丁である。
各々の銃の特徴は、残念ながら僕はマニアでないためよく解らないが、僕と春尾がハンドガンで、世田谷は矢を放つことで再利用可能なクロスボウ。レヴェッカは一番後ろで真下を睨みながら、ストックとグリップカスタムのSMGなるものを構えていた。
それ故に、どうして僕が引金に指を掛けたことを知ったのかは解らないが、この女が侮れないという事実だけは変わらない。
「この真上だ……すぐそこの窓から侵入して来たのだが、この扉から妙な音がする」
そして、地上から二十ウンメートルほどの高さに位置する、小さなプレート跡が付いた扉……。この真上には、考えられないほどの水を貯めこんだ貯水タンクがある。
……う、……うう
嗚咽が聞こえる。しかも、生きた屍たちが発する声に似ていた。一体、この扉の奥には何があると言うのか?
声……以前僕たちがいたグループ内で意見が分かれたのだが、『コミュニケーション』だったり『威嚇』だったり、バカは『求愛』とも言った。だが、実際はどれも意味の成さないモノなのだろう。
「何で……まだ感染者が――?」
「この中の窓が閉じっぱなしで、『抗ウイルス剤』が適用されないほどの密室空間なら、発病する可能性も否定できない」
僕は怖くなった。誰も言わないから、心の中で相殺しよう。以前、この給水塔はレヴェッカと同じく陸軍が偵察し……誰もいないことが調査済みなのだ。しかもそれは、『抗ウイルス剤』が投下されてから数日後の話。つまり、たとえ密閉された空間であっても、死後に発症する可能性は『あり得ない』はずだ。
「突入するぞ。いいか?」
世田谷がつぶやくように言うと、僕たち三人の間に緊張が走る。ここに着いてから感じる懸念の正体は、これだったのか……。思わず引金に指が掛かりそうになって、レヴェッカの顔色を伺った。だが、彼女も真剣な表情を浮かべている。それと同時に、疑問が脳内で巡遊しているのだろう。
「行くぞ!」
世田谷は声を上げ、右腕を思い切り振った。
肘が薄い扉の中腹に当たり、いとも簡単にノブや金具が吹き飛ぶ。どうやら鍵も掛かっておらず、長年放置された板も腐っていたらしい。ダァン! と言う爆発をも彷彿とさせる音に、足が勝手に動き出す……突入した世田谷の背中に続いて、春尾、僕、そしてレヴェッカが銃口をそれに向けながら、勢いよく小さな部屋の内部に流れ込んだ。
「ッ……!?」
全員はその光景に、息を呑んだ。僕もそのうちの一人だ――狭い密室の中は、ふかふかのソファに、およそ一年間であれば住み込むことも可能なほどの、家具の数。発電所からも近いがゆえに健在の、扇風機や電気ストーブと言った電化製品。
ここはいわゆる、『管理室』と言った類の部屋なのだろう。壁一面に設置されたモニタは、貯水タンク、正面玄関、さらには地下に位置するポンプ室などを映していた。それ以外は機能しておらず、砂嵐が表示されている。コルクボードには、複数の鍵が吊るされていた。
「な……」
で、その中央に居座っていた……『嗚咽』の正体。僕たちは全員が全員、感染者であると思い込んでいた。だが、僕たちの想像をはるかに凌駕するその存在が、すすり泣いているのだ。
「う?」
素っ頓狂な声を上げ、顔と身体の比率も幼い存在は顔を上げた。
「どうしたの、キミ……」
少女。年も十行くかどうかの、無力な少女だった。体育座りしながら、派手な花柄の毛布に包まっている。瞳も大きくて、現実では考え難いほどの、触っただけで壊れてしまいそうな皮膚……。みずみずしい身体の少女は、こちらの姿をじぃっと見つめたまま、動かなかった。
「な、なんでこんな所に、女の子がいるんすか……?」
春尾は僕と世田谷の顔を見比べながら、銃をゆっくりと下げていった。それに倣って、僕も同じくガンホルダーへと銃をしまい込む。
「噛まれた跡は無いな……」
レヴェッカは即座に腰を下ろして、少女の腕の周りや首、足首と言った箇所を確認する。しかし、いずれも歯型は無いし、不必要な血も流してはいない。パンデミック発生からの終末では、その美しさが恐ろしく思えるほど……穢れがない。
「あ、あの」
小鳥のさえずりを彷彿させる、小さくか弱い声。今すぐ抱きしめて庇護したくなる。
「お兄ちゃんたち、だれですか……?」