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♠ 13時33分 給水塔、正面


 手入れの行き届いていない山道を掻き分ける。肩にまで伸びた海のような雑草の中、世田谷の背中を眺めながら後に続いた。こう、視界が悪いと少しだけ身構えてしまう。足元に注意が行かない分、発病した感染者たちに掴まれることが多かったからだ。


「昼間の雑草ってさ、甘ったるいような、変な匂いがしない?」


 気分を紛らわせようとしたのは、僕の真後ろでナイフをぶんぶんと振り回す青年。はるきゃんという愛称で知れた、色白の男だった。


「まあ変とまでは言わないけど、独特な香りはするよね」

 誰も応えてくれないので、僕は人の良さを演じ、彼のぼやきに回答を出す。

「よく、死体の臭いを打ち消すためにたくさんの草を用意したんすよ。で、もっと効率よく臭いを消すために、百均に売っている芳香剤を拝借(パク)って、液体を振りまいたんですよ。そしたらどうなったと思います?」

「逆に下品な匂いがしたから、彼女にフラれたとか?」

「違いますよ、むしろ逆っす! モテまくっちゃったんすよ! ゾンビにね!!」


 この季節は芽生えのた命が活発化する季節ということもあって、気持ち悪い幼虫やら、空を優雅に舞う蝶やらで溢れている。だが、一目散に虫たちが向かうのは――人間の、死臭であった。


「やっぱりあったか……」


 世田谷は気づいていた。すぐに僕たち全員の視界にその存在が、飛び込んでいた。草の海が抜けたその先には、高い塔が見える。正門前、とでも言ったほうがいいのだろうか? そこを囲う金網は無残にもへし折れており、一匹の死者がうなだれるように、網の穴の中でくたばっていた。


「うげえ、三か月ぶりくらいかな」


 僕は思わず、先ほど食べたポテトを戻しそうになって、粘度の高い唾を呑んだ。


「あんまりまじまじと見るもんじゃない。さっさと給水塔へと行こう」

 面食らう三人を置き去りに、レヴェッカは誰よりも男らしく、雑草まみれの古びた給水塔へと一歩、脚を踏み入れた。




 高さ約三十メートルほどの、高い円柱の塔がお目見えだ。流水パイプが一階の水槽へと一直線に立っている。上から『圧』を掛けることで、遠くまで、そして上階に住む人々の元まで水が届くようになるのだ。


 正面の門には無数のツタが絡まっており、まるで人を拒むかのような佇まいだ。

 どうしてまた、こんな幽霊の一人や二人現れそうな、縦に高い円柱状の塔へと足を踏み入れなければならないのか。なんて愚痴を零していると、世田谷は「じゃあ、車に戻るか?」なんて、キーを差し出してきた。藪から蛇というコトワザが現実で起きそうな場所に戻るくらいなら、大人しく封鎖された扉を開ける仕事の方がマシだ。


「どうして、封鎖されてるんだろう……。頻繁に出入りしてるんじゃないの?」


 給水塔の門を抜けた先に、いよいよ高い塔の入口が見える。しかし、鉄製の扉を開けるためのカギを所持していない僕たちは、文字通り門前払いを食らっていた。


「どうしてって言われても、仕方ない。私と奴らでは思考が違うのだ」


 腕に力を籠め、肩で体当たりをするレヴェッカ。ドン、という鈍い音がするだけで、開くどころか軋む音さえもしない。外国人の俳優が、「こりゃダメだ」を表現する仕草……両肩を上げて、


「上へよじ登って、内側から扉を開ける」


 レヴェッカの視線は、屋上へと向けられていた。確かに、ここから登ってくださいと言わんばかりの梯子が真上に張り付いていたが、サビまくり、ちょっと揺らしただけでも塗装が落ちそうだ。



「で、誰が行く?」



 世田谷は僕を含む全員の顔を見比べた。視線は世田谷の黒い瞳に吸い込まれて、解ったよ、とため息を吐く。帽子を脱ぎ取ると、今までは気にも留めていなかった彼のロン毛に目が行った。背中にまで伸びており、手入れがあまり行き届いていない。


 彼はずっとその手に握られていた警察用のピストルを、腰のガンケースにしまいこむ。ジャンプして、赤色に錆び付いた手すりに捕まると、「ギッ」嫌な音が響く――しかし、世田谷は臆することなく、右足を一番下に掛けて、続けざまに左足を一段飛ばし、サルのようにするするとてっぺんにまで登って行った。


「サルと煙は高いところが好きってね」

「それを言うなら、バカと煙っすよ」


 レヴェッカのつぶやきに、憎めない笑みを浮かべた春尾が訂正した。

 こういった不法侵入は何度も実行して来た。今更声を大にして咎めるなんて、政治の一つも機能していない終世界では無駄に体力を消費して終わるもの。世田谷然り、僕然り、誰だってそう思っている。


「いや、政治の一つ機能していない、と言うのは誤謬だな」


 レヴェッカは、世田谷の帰りを待ちながら腕を組み、

「実際は、動いている。ただ我々の耳に入らないだけで、特に日本のお偉いさんは頑張っているよ」

「ってことは、ちゃんと彼らも逃げおおせたってことなの?」

 誰もが、この国はやり直すことはできないという懸念の前の決めつけをしてしまっていたのだ。

「そりゃ、お偉いさんなんだから、こういうパンデミックが起きた後には真っ先に防衛されるのは彼らに決まっているだろう」

「それは重々承知だよ。咎めはしないけど……。でも、防衛大臣がテレビで、「我々は尽力してこの問題に立ち向かっている」って」

「そうか。パンデミック発生から一週間は確か、地上の電波が使えたらしいじゃないか」


 レヴェッカの視線は、金網に引っかかった死体へと向けられる。異臭を放つ、元人間の凄惨な姿へと近寄って、片膝を折った。


「奴らはお前たちを捨てた。そして、まだ感染者の少なかった米国内のとある場所で、今も籠城している。ホワイトハウスと国際連合本部の代わりさ。科学者は、以前開発した『抗ウイルス剤』の開発に充てられ、寝る間も惜しんで強制労働させられていると聞いたな」

「レヴェッカさんはどこに配属されてたの?」

「日本語で国防総省。私たちは、『ペンタゴン』と呼んでいる。そこの陸軍省の一隊員であると、説明しなかったか?」


 確かに、僕を助けてくれたあの時にもまったく同じ質問をした気がする。『抗ウイルス剤』が投下されて、少しずつ死者の列は沈静化していったが、最後の最後で油断し、足を掴まれてしまったのだ。その時にたった一振りのナイフで助けてくれたのが、レヴェッカだったのだ。


 彼女はその後も幾多もの命を救ってくれたから憶えていないだろうけど、僕は嬉しかった。

 僕は、女性らしく丸いレヴェッカの背中と肩を見据えながら、


「そうだったね。ごめん、ありがとうレヴェッカさん」


 思わず、ぺこりと頭を下げる。

 レヴェッカは日本人の心が解らないとよく言うから、今もこうやってお礼をされることに慣れていない。慌てて「べ、別に、あひゃまるな!」噛みながらも、僕の方を振り向いて言った。

 その後、ノックが数回聞こえた。金属の扉の向こう側……それが世田谷のものだと解り、間髪入れずに鍵が重い音を立てて外された。


「来ましたよ! 二人とも!!」


 感染者たちの標的になりそうなほどデカい声を張る春尾。よく、この男は生き残ったな。

 扉は右に開き、中にいた世田谷がゆっくりと姿を現した……しかし、どこか焦燥としており、その表情には笑みが無かった。


「付いてきてくれ」


 振り返って、奥へと消えてゆく……僕たちは慌てて、彼の背中を追って行った。


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