例外があればいい
偶然の偶然が重なった昨日は去りゆき、火曜日というコメントに一番困る曜日が既に始まっていた。
まだ朝のホームルームだというのに、教室はかなり騒がしい。騒ぎの要因は間違いなく白雪さんであり、クラス中がその話題で持ちきりだ。
白雪さんに関する憶測話が飛び交っているが、昨日の騒がしさよりは幾分かはましになっていた。
俺は机に座った状態で右手で頬杖をついて、白雪さんの様子を伺っていた。
隣を見ると三人の女子が白雪さんに話しかけている。たしか昨日、白雪さんと昼食を取っていた人達だということは覚えている。
白雪さんの表情は固い。柔らかい表情を見せることなく、昨日の面影が残っていただけに残念に思えてならない。
久々に俺は記憶をさかのぼるように考える。簡単なリハビリになればいいなという願望で、白雪さんに話しかけている三人の女子達の名前を思い出そうとした。
三人もいれば一人くらいは覚えてそうではあるが、やはり誰一人として覚えていなかった。
昨日、白雪さんは自分のことを普通じゃないといっていた。けれどそれは、俺にも当てはまることだ。
俺は例外が無いかぎり、人の名前だけをすぐに忘れてしまう。いわゆる記憶障害というやつだ。
今から10年前、沫雪市で最後に雪が降った日をきっかけに俺はおかしくなった。
その日の記憶と俺が知っている全ての人の名前を思い出せなくなっていた。友達だった瀬良や池田、実の両親の名前すらもだ。
俺は必死にリハビリをして家族や友達の名前を思い出すことが出来た。けれど記憶を無くした原因すら掴めず、後遺症なのか俺はその日以来、人の名前が覚えられなくなっていた。
それがトラウマになり、俺は人と深く関わろうとはせずに、上辺だけの関係しか築けなくなっていた。
俺がまともに名前を覚えている人は、瀬良、池田、由良先輩、両親を含めた五人だけだった。そう、二日前までは。
熱中症で倒れているところを救ってくれた白雪さんが、例外になってくれたのだ。
どんなに優しくしてくれた人でもすぐに記憶から消し飛んでしまうのに、白雪綾女という名前を忘れずにしっかりと覚えていた。それが、俺にとって何よりも嬉しかったのだから。
そんな白雪さんの様子をちらりと見る。既に話を終えていた彼女はこちらを覗きこんでいたため、俺は急に気恥ずかしくなって顔を背ける。
その様子を、隣の席で座っている瀬良はため息混じりで苦笑していた。
「そんな青臭いリアクションばかり取られると、こっちが恥ずかしくなってくるよ」
「うるさい。人の行為にケチをつける方がどうかしてると思わないのか」
「それが一度だけなら我慢できるんだけど、さすがに三回も同じ光景が続いたら文句も言いたくなるよ」
非常に遺憾であるが、その反論にぐうの音が出ない。昨日の出来事から妙に白雪さんを意識してしまって、まともに彼女の顔すら見ることが出来ずにいた。
「いっそのこと、白雪さんに告は・・・・」
「うわっ、バカやめろ!! 」
全身全霊で移動して俺は瀬良の口を塞いだ。
この騒ぎに気づいた白雪さんは、この状況を見て不思議そうな顔をしていた。しかし、気づいていないなんて保証はどこにもない。
もしも白雪さんがこの事に気づかれて嫌われたのなら、ショックで一生立ち直れないだろう。
「康一君って小早川君と仲が良いんだね」
「ま、まあ、瀬良とは昔からの友達だしな」
震えた声を抑えつつ、もう片方の手で瀬良の頭を持ってコクりと頷かせる。しかし瀬良は塞いだ手を強引に振りほどいた。
「白雪さん、少し聞いていいかな? 」
「ええ、だいじょうぶですよ」
俺は白雪さんと顔を合わせることすら不可能に近いのに、笑みを浮かべた表情でさらっと言いたいことが言える瀬良が羨ましく思える。
「康一とどうやって知り合ったんだい。康一は極度の人見知りなのに」
「二日前の日曜日に、康一君が倒れていたので手当てをしてあげたんです」
「なるほどね。では白雪さん、康一のことをどう思っているんだい? 」
「ええっと、凄く優しい人だと思います。私なんかのことを嫌いにならないでくれましたし」
優しいと言われただけなのに、心が暖かくなっていった。そんな言葉を掛けられることは、もう二度と無いと思っていたのに。
それを聞いた瀬良は、再び白雪さんに笑みを浮かべた。
「そっか、どうもありがとう白雪さん。これからも康一は醜態を晒し続けると思うけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
「一言余計なんだよなあ!! 」
フォローしたつもりなのだろうが、しれっと毒を吐く瀬良は恩着せがましくウインクをしてきた。昨日は女の子の転校生と聞いて楽しそうに喋ってたくせに、こういうときにあっさり引くんだから尚更腹が立つ。
白雪さんは、そんな俺達を見てクスクスと笑っていた。まあでも、彼女の笑顔が見れただけでも嬉しかったし十分かな。
俺はこんな日常がずっと続けばいいのになと思ってしまった。