優しい雪女との出会い
「ほんとにヤバイって、これは死人が出そうだわ」
太陽が強く照りつける中、急な坂道になっている歩道をゆらりゆらりと千鳥足で登っていく。
辺り一面、中央にある車道とその端にある歩道を避ける形で田んぼが乱立していて、よく言えば自然豊かな道、悪く言えばよくある田舎の道である。
季節は7月上旬、程よく熱くなる時期だが事象の最先端を行くかのように、真夏の太陽並みの日照りが襲いかかってくる。
額から流れる汗は舗装されたコンクリートを濡らし、いつ倒れてもおかしくない状況だ。
「まあ俺が死体になるんですけどね!! 」
俺は歩道の彼方へと怒声をあげ、歩道の床を鈍い音が出るくらい蹴りつけ、ただ前へ歩み続ける。
「なんなんだよ池田のやつ!! 何が財布落としちゃったごめ~んだ!!お金借りたいから10キロメートルくらい走ってきてねとか嘗めてんのか!! 」
同じの高校の同級生である池田翔子は、昔からよく一緒につるんでいるが、はっきり言ってトラブルメーカーだ。
陸上部に所属している池田は毎朝、毎朝、日が昇りそうな頃合いにわざわざ叩き起こしに来て、『佐山、早く起きて。これから一緒にランニングに付き合ってくれるよね?くれるよね!? 』と叫んでくる。
人の家に毎日侵入する暴挙を犯し、俺の貴重な睡眠時間を奪ってくる災厄に等しい存在だ。
人懐っこい可愛らしい顔をしながらも、狡猾な手腕で家の両親を誑かして不法侵入という言い分を潰してくる黒髪の悪魔と言っても過言ではない。
「けど、なんかほっとけないんだよな。無視したらしたらで危ない目に遭いそうだし」
死地の境目に足を突っ込んでいる影響か、柄にもなく池田を心配する言葉が浮かんできた。
そんなことを考えていたら、突然パタリと道路に倒れこんでいた自分に気が付いた。体は気だるく立つこともままならず、頭が激しく痛み続けている。
急いで飛び出してきて、水分補給をないがしろにするんじゃなかったと非常に後悔した。
コンクリートの熱がすでに火照っている体がさらに熱くして、意識が天に上るのは避けられない事態だった。ここはよりにもよって車通りは滅多になく、1時間に1台通ることすら珍しい田舎道だ。
定かではない意識の中で、断続に肌に当たる何かに気が付いた。
「風が・・・・吹いているのか・・・・」
吹きすさぶ風はこの暑さを緩和するかのように涼しく、気休め程度だが体温が下がり体が楽になっていく。ただ、立ち上がる気力まではいかず、現状が打開できたわけではない。
ああ、こんなことなら家でおとなしく引きこもって冷房の効いた部屋でだらだらするんだったな。池田もたぶん謝れば許してくれたと思うし。
というか死んだほうが迷惑だなこれは。と結論づけざるを得なかった。
「あの・・・・大丈夫ですか? 」
どこからかこちらを心配するような声が聞こえてきたが、おそらく幻聴だろう。こんな熱帯地獄の真っ只中にこんな透き通った優しい声が聞こえるはずがない。
「意識はありますか!?聞こえたなら返事をお願いします!! 」
良かった・・・・最後に本気で心配してくれる誰かがいてくれて・・・・
だが突如として夏場のような暑さを超える、尋常ではないほどの冷風が思い切り自らの体に受けた。
「ギャアアァア、寒い、寒い、寒っ!!? 」
「あっ・・・・良かった、無事だったんですね」
あまりの寒さに体に熱を帯びようと、暑さが残っているコンクリートの方へ向かうため体を坂の斜面に身を任せて転がり落ちた。
夏場で体を暖める奇妙な経験を得たところで、俺は立ち上がり声を掛けてくれた人に向き合った。
まず分かることは、その人が綺麗な少女であるということだ。
白色の髪は沫雪を想像させる色合いをしており、前髪は目に当たるか当たらないかのところまで切り揃えられているが、後ろ髪は髪は足元近くまで伸ばしている。
背丈は160センチ近くで、俺とだいたい数センチくらい違う感じで親近感を覚える。
顔は美人よりで家族と観光に来た外国人と思いたいが、どちらと言えば日本の顔つきに近い可愛いくて美人の二つを兼ね備えた人だがなにかしらの違和感を覚えた。
そして最も違和感覚えたのは、この暑い日に関わらず見て分かるほどの分厚い着物を着ていたことだった。
髪の色と同じ白い着物は清楚な印象を与え、帯は青色であるため少しアクセントが加わっていて可憐さを引き立てている。
7月であるため特におかしくないかもしれないが、分厚い着物のせいで少しズレているように見えた。が、それ以外にもなぜか違和感を覚えてしまう自分がいた。
そういえば、彼女を観察ばかりしていてお礼を言うのを忘れていた。彼女も何も言わない俺を不思議そうに見つめていた。
「えっと、助けてくれてありがとうございます。あのままだと大変なことになっていましたから」
「いえ、私もあなたが無事で良かったです」
なんかさらっと日本語を話しているし、外国人と日本人のハーフなのかなと考えてしまい先程の冷たい風といい謎が増えてしまった。
「あの、何かお礼が出来ませんか? せっかく助けてもらったのに何もしないわけにもいきませんから」
「大丈夫です。私、大したことはしてないですから」
と言ったものの、ここで何もしないのは人として恥ずべきことだし何かはしたい。
しかし、何も思い付かない。あるにはあるが俺の手元には財布しか持っていない。彼女に福沢印の一万円札を握らせるのもどうかと思う。
「じゃあ私、急いでいるのでこれで失礼しますね」
まずい、何か言わなくては。その一心で俺は声を上げた。
「名前、教えてくれませんか!! 」
完全にやってしまった。急に大声だして名前聞くとかお前変質者かよ。ああ、終わった完全に終わった。印象がマイナス突き抜けて次元の彼方へと翔んでったわ。
そう考えていると、彼女はきょとんして驚いたような表情で俺を見ていた。
そして彼女はこう告げた。
「雪女・・・・」
「えっ・・・・? 」
その声はくぐもったような微かな声で呟いていた。でも俺にはその小さな叫びが聞こえてしまった。
雪女、それは妖怪の名前であって、博識の無い俺でもそれくらいは分かる。けれど彼女は“雪女”と名乗っていた。
「ご、ごめんなさい!! 」
彼女は坂道を登るようにして走り去ってしまった。彼女が坂を登りきろうとしたところで、我に返って急いで追いかける。
だが、登りきったところで彼女は姿を消していた。もしもう少し早く動けていればと自責の念に駆られてしまう。
坂道を全力で走ったため少しばかり疲れてしまい、深呼吸を何度も繰り返した。
気づくと自分の胸の高鳴りが激しく鼓動していた。急激な運動によるものでもなく、自分自身でもこの気持ちは分からなかった。
けれど一つだけ、分かることがある。
「また、会えるのかな」
謎多き白髪の女の子に出会いたい。ただそれだけは分かっていた。