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雪の降り続ける日々  作者: ノン
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前編

 ある冬の、何の特別もない放課後だった。


 うんざりするほどに重たい、ほとんど黒に近いような灰色の雲は窓ガラス越しにも吐き気を催すような寒さを帯びているように感じる。

 この季節、一応ストーブはついているけれど、それでも放課後の教室は痺れるような凍え方で、それでも暖を取りたい本能に従うと、渡辺(わたなべ)佳代(かよ)は自分の席で縮こまっているしかなかった。

 

 ――本当のことをいえば、早く家に帰りたいのに。


 SHRが終わってまだ間もないため、教室には生徒たちがわいわいと楽しげに騒いでいる。

 それでも柔らがないしばれ方は、きんと空気を凍らせていて、その張りつめた空間の内で、カヨちゃん、と自分を呼ばう軽やかな声はいつもより、いっそうよく響いた気がした。


 振り返って教室の後ろのドアのところに立っている男子生徒を認めた時に、毎度のことながら佳代は彼の異質さを思った。


 すらりと背が高く、均整が取れた体つきは重苦しい色の学ランの上からでもよくわかる。

 柔らかそうな色素の薄い髪に、肌はどこもかしこも色白で唇がぞっとするほど赤い。

 女性的ともいえる端正なおもては、この田舎町にはいてはならない、強いていうなら東京のような都会にいた方が似合う容色の優れ方をしていた。


 こんな田舎ではかえって、異様さばかりが目立つのに。


「ワタナベ、来たで。征生(まさき)くん」

 隣の席を陣取っていた、部活仲間で大親友の児玉(こだま)貴子(たかこ)が耳打ちしてきたが、佳代を名字で呼ぶ普段男っぽい彼女のそれも、どこか弾んだ声音だった。


 実際、まだ返事もしないうちに、彼は教室のドアから我がもの顔でこちらに歩み寄ってくるその時にも、わずかに周囲の女子の雰囲気が色めき立っている。

 男子のおもしろくなさそうな雰囲気も、びしばし伝わってくる。


 そう、葛原(くずはら)征生(まさき)は、()()なのだ。


「カヨちゃん、待たせた?」

 佳代の隣に立つと、征生は照れたように頬を緩めた。色白の端正な顔立ちの中で、妖艶なほど異様に赤い唇が笑みの形になる。

 それは初めて会った小学4年の冬から、まったく変わらない表情だった。


 ――こいつ、自分のこと、どれくらいわかってんのやろか。


 微笑んだだけで女子がうっとりとしたり、ひそひそ話をしだしたり、急に髪型を気にしだしたり。

 空気が急に奇妙なものになることに気がついているのだろうか。


 佳代は、いつもながらに、征生をとても冷たい視線でみている自分に気がつく。


「カヨちゃん?」

「……今日は」


 小首を傾げて見せた征生に、佳代は目も合わせずに、机の上に広げられたノートをみていた。

 そう、先ほどまで、明日のリーダーの予習を貴子としていた。高校2年の冬は、来年の大学受験に向けての大事な大事な期間だ。


 特に、佳代は県外の大学への進学を希望していただけに。


「部活はどうしたん? えろう早いやんか」

 佳代の問いに、征生の表情があからさまに喜色を帯びる。

 昔から言葉と言葉のわずかな、間に気がつかないのが、彼の()()()()()だ。


「この天気でしょ。今日は、もう帰ってもいいって、先生が」


 そう言って、幼なじみは無邪気に背中の剣道の用具が入った大荷物をわざとらしく肩に掛け直す。そういう男にしては子供っぽい、もっと言えば気持ち悪い仕草は昔からだが、ふと親友を見やれば、うずうずと何か言いたげだった。


 が、堪えきれなかったらしく、たくましい身を乗り出す。


「ほんまそうやね、えらい天気。絶対、どかどか降るわ、今晩」

「俺、寒いのニガテだから、想像するだけでぞっとする。児玉、今日はすごい暖かそうだね。俺もそうしようっと」


 確かに、今日の貴子はいつもより厚着だった。

 ちゃめっけたっぷりに笑って見せた男に、親友は髪の先から真っ赤っかになった。

 少女マンガが大好きな貴子は、中学の頃から征生に夢中で、カレは王子様やわ、と常々に佳代に語っていた。


 どこが、とんだ王子様や。と佳代が思っている内心など知らずに。


「何の話してるん、佳代、貴子」


 一際華やいだ声が辺りに響いて、佳代たちがそちらを見やれば、柏原(かしわばら)由紀(ゆき)のウェーブがかった黒髪から、甘い香りが漂った。


「げえっ、カシワバラ。また来よったわ」


 佳代だけに聞こえるように耳打ちした貴子には気がつかず、由紀が()()()()()征生の隣にやってきた。

 話のきっかけとして、佳代や貴子に話しかけたものの、どっちにしても、征生しか目に入らないのはさすがは由紀だった。

 そもそも、普段はグループが明らかに違うのに話題に入ってくるのが苦しい。


「今日は寒くなりそうだって話してた。柏原はすごい寒そうなカッコしてるね。寒くない? 俺は寒いのダメで」


 しかし、征生はなにも気がつかず、輝くような笑みを浮かべる。


「わたしも寒いのニガテやわ~。征生くん、気い合うね」

「ほんとほんと」


 楽しげに笑い合う2人は美男美女、お似合いのカップルに見える。

 由紀は高校になって、ここからは電車で2時間ほどの街から引っ越してきた。

 そのためか、部活のソフトボールで真っ黒でたくましい佳代や貴子とは違って、色白でほっそりしていて、長い髪からはいい香りがした。


そのため、どこか彼女には逆らえない佳代がいる。


「征生くん、今日はもうこれから帰るん?」


 必殺、上目遣いで征生に尋ねる由紀に、征生は頷いて、にっこりと微笑みを返す。


「だよね、カヨちゃん」


 こちらに話を振られるのは、非常に迷惑甚だしいのだ。

 由紀のすっきりアイラインの引かれたぱっちり二重の目がこころなしか三角につり上がった気がして、佳代は曖昧に答える。


「や、まだリーダーやってくし」


 だから、征生は由紀と先に帰って欲しい。

 精一杯空気を読んだそういうのを裏に込めたら、案の定、貴子に強く肘鉄を食らう。


 いや、確かに貴子には申し訳がないけれど、ここで由紀との仲がこじれたら、佳代は卒業まで確実にハブだ。

 こんな田舎では特に、スクールカーストはきついものがある。当然、体育会系女子は、かわいい系もてふわゆる女子よりはランクは下なのだ。


 佳代の判断は非常に賢明で、その証拠に由紀がほくほく顔を押さえるのに苦労している。これで佳代の評判も上がるだろう。一石二鳥だ。


 が、それを察さないのが、バカ。


「カヨちゃん、まだ残るの? じゃあ、俺も残ろうかな」


 じゃあ、の後が、非常にむかつく。そこらへんの空いた席に荷物を起き出した征生に、お前は帰れよ、バカ、と佳代は内心舌打ちをする。


「終わるの、だいぶ遅くなりそうだし、貴子も一緒だから大丈夫」


 だから、帰れ。


 征生はとんでもない、と意気込んだ。


「だったら、余計ダメじゃん。俺、カヨちゃんのおばちゃんに頼まれてるんだよ。女の子2人は危ないって。帰れなくなったらどうすんの。雪、もっと降るって。バス止まっちゃうよ」


 こいつ、本気で殺したい。


 由紀の視線が痛くて痛くて、だから、と佳代は声を落とした。「そんな気、使わんでもええから」


 こいつ、普段は気がついて欲しいことにも気がつかんくせに、こんな時だけ食い下がってきよる。


「佳代?」


 呼ばれて振り返れば、由紀が心底可愛らしい笑顔で微笑んでいた。佳代はカバンに参考書を放り込む。空気を読むのがあくまで当たり障りがない。


「帰るで、貴子」

「ええっ!?」


 貴子はのけぞって驚いたが、すぐにちょっとはにかむ。どいつもこいつも、と佳代は内心歯がみする。


「え、帰るのカヨちゃん。じゃあ、俺もかーえろっと」


 うきうきと再び荷物を背負い始めた征生を、佳代は射殺したい気持ちで睨みつける。


 正直に歯に絹着せずに言うと、ここまで直撃的だと人を不愉快にさせて、日本人としては曖昧な言い回しが好まれることも知っていたけれど、あえてそこをぐっと堪えて言うなら、いや、堪えられない感情もあるのでそれをそのままに伝えるなら、佳代は征生が普通にニガテだった。




 学校を出る頃には、すでに白い欠片が空からふわりと舞い始めていた。

 

 初雪はとっくにお目見えして、それからすぐにこの街は雪で閉ざされる。

 春と夏と秋が大急ぎで駆け抜けていって、また長い長い、冬が足音もなく訪れる。

 もう引退してしまったけれど、大好きだったソフトボールもまた、できなくなる。


 短い襟足にふいに寒気を覚えて、佳代はマフラーを口元まで引き上げた。


「ひゃー、これホンマやばそうやん。征生くんの言う通り、あのままおったら、家帰られんようなっとったかも」


 隣の貴子が暢気に言ったが、悔しいが佳代もそれには同意せざるを得なかった。


「にしても結局、カシワバラの思うつぼやんか」


 貴子が鼻の頭に皺を寄せる。「ワタナベ、悔しないん? このままやったら、カシワバラに征生くん取られてまうで」

 そのまるきり検討違いの言葉に、佳代は失笑を禁じ得ない。

 

 むしろ、願ったり叶ったり、早く平穏を手に入れたいとさえ思っている佳代がいる。


 前方を見れば、征生にしなだれかからんばかりに由紀が頑張っている。征生も相変わらず、悪い気はしないようでいつもの笑顔だった。

 本当にお似合いだと思うし、本心から由紀の恋が叶えばいいとも思っている。

 いや、由紀でなくてもいい。

 いい加減に誰かと征生が隣に並んでいる姿を見て、安堵したかった。



 いつから、そんなことばかり思うようになったのかは、覚えていない。

 

 しかし、小学4年で初めて征生と会った時から、佳代はあまり彼が得意ではなかった。


 昔からあの少女のように美しい顔と、子供にしてはすらりとしていて、明らかに特別な少年だった征生。


 しかし、佳代は征生の誰にでも愛想のいい性格だとか、浮ついたように思える話し方だとか、常にトップの成績だとか、剣道をはじめとして優秀な運動神経だとか、そういうすべての完璧さがニガテだった。


 周りの女子や男子や大人がいつも彼のことで騒ぐ中、はっきり自分の意志として示したことはなかったけれど、それは初めはもやもやとしてうまく形にはならなかったが、小学5年に上がる前の冬にははっきりとわかっていた。


 しかし、運が悪いのは、佳代と征生は1番家が近かったことだ。


 さらには母親同士が気が合ってしまい、なおかつ、学校がある地域へ出るために、バスに乗るメンバーが佳代と征生しかいなかったこと。


 ニガテだと思っている相手と2人きりで、何年も登校と下校をするというのは、もはや苦役としか言いようがなかった。


 ただ小学時代の佳代がそれを我慢できたのは、中学になれば、それもなくなると信じていたからだ。

 お互いに部活に入るはずだし、帰る時間もバラバラでそんなことを続ける謂われもない。


 だが、昔から察しの悪い征生は、中学入学初日に、きっぱりと言い放った。


 ――カヨちゃん、早く終わった方が遅い方を待つことにしようよ。


 あの輝く相貌で、さも当然とでも言いたげに赤い唇を笑みにしてみせたのだった。




 バス停まで来た時には、すでに雪はかなり強くなってきていた。

 

先ほどまでおしゃべりをしていた貴子も迎えが来てすでに帰っていたし、名残惜しそうにバス停で征生を捕まえてくれていた由紀も、バスが来たら離れざるを得なくなる。


 また、2人になるのか。


 考えるだけでうんざりして、きりきりと胃を痛めながら、佳代は白い息を吐き出す背ばかり高い幼なじみの遙か上にある真っ白な横顔を盗み見た。


 笑顔を隠した端正な顔立ちは、作りもののようにぞっとするほどに精気がない。


 まもなくしてやってきたバスは、雪の中でやけに静かだった。

 先んじてバスのステップに乗った時、ふいに足下がおぼつかなくなって、佳代は2段目を踏み外す。

 落ちる。しかし、背中に来るはずだった衝撃の代わりに、がさっとしたダウンジャケットの感触に思い当たった時。佳代は心底寒気がした。


「――危ないなあ。カヨちゃん、平気?」


 耳元で、低い声が響いて。ふいに、スカートの辺りに堅い大きな手の感触があった。


 征生に体を受け止められていると知った時、佳代はぐらりと世界が揺らぐのを感じた。


 あまりの、気分の悪さに。


「ありがとう。ごめん」


 我をようやく取り戻した佳代は、早口で言って、今度は落ち着いてステップの手すりを握った。

 せっかく助けてもらったのに、なぜか征生の顔を見ることができなかった。




 バスの座席はいつもがらがらだ。時折、顔見知りのおばあさんやおじいさんが乗ってくるが、それもすぐに降りてすぐに2人きりになる。


 降雪はさらに強まり、流れていく景色は、すでに真っ白に染まりつつある。

 風で斜めに飛ばされる白は、後ろへ後ろへとさすらっていく。


 佳代は視線や顔やを動かさず、隣の気配を探った。


 どんなに空いていても、必ず征生は佳代の隣を陣取る。

 やけに静かで、眠っているのか、あるいは黙り込んでるだけなのかもわからない。

 確かめることは、なぜだか、できなかった。そうすることに、なぜか奇妙な恐ろしさを感じていた。


 中学のあの時、なぜ自分は征生とこうして一緒にいることを選んだのだろう。


 由紀を初めとして、佳代を快く思っていない人間はたくさんいる。


 すでに引退はしたが、長年ソフトをしていて太陽にさらされた肌はまだ、コーヒーみたいに黒くて。

 別に目は大きくもなく、小さくもなく、マスカラを最近つけ始めたくらいで、二重なだけがマシなくらい。

 背も普通ですらりとしているわけでもないし、むしろ筋肉質でがっしりしていて、太ももやらふくらはぎは自分でもドン引きするくらいのごつごつ具合だ。

 髪だって伸ばしているが、まだまだ首筋が見えるくらいに短い。


 そんな佳代が、特別である葛原征生の隣にいることは、似合わないのだ。

 少しずつ、距離を置きたいのに、この空気の読めないバカは平気で佳代に近づいてくる。


 征生は意外なことに今まで誰とも付き合ったこともない。それが、いっそう彼女らの感情を逆立てる。もう、そういう年齢でもないのに。


 だから、佳代は征生がいっそうニガテになって、それから、少し恐ろしいと感じている。


 ふいに、肩に重みがかかって、佳代はハッと隣を見やった。


 長い睫毛の影が頬にかかっているのが、やけに眩しくて、半開きの真っ赤な唇からは静かな寝息が漏れている。きっちりと閉じられた学ランの首元には、隣のクラスの女子のなにがしが去年の誕生日にくれたらしいボーダーのマフラーがだらんと巻かれている。


 そういうことが、平気でできる無神経さが、幼馴染にはあったのだった。



「征生? って、あの葛原征生?」

「んー。どうも、その。でも、幼馴染やからさ、無視するわけにもいかんし」


 選択授業で数2B応用を取っている男子生徒は少なかったけれど、その中で隣の席の(せき)知宏(ちひろ)は野球部副主将とソフト部副部長の間柄で元々話す機会が多かった。

 その特徴もない坊主頭が目を丸くしているのを見て、佳代は失敗したと感じた。

 今日は担当教諭が出張で休みのため、皆それぞれ自習に励んでいる。

 その中でふと、知宏と目が合って、世間話をしていた。そして、()()()()()()そんな流れになった。


 知宏がまじまじと佳代を見ていて、思わず苦笑いして誤魔化した。


「って、おかしいよな、私。忘れて今の」

「ワタナベ、お前、征生と付き合うとったんちゃうん?」

「ハア? 付き合うてへんよ」


 知宏は中学からの幼なじみでもあったが、そんな風に思われていたとは意外だった。

 しかし、佳代以上に意外だったのは知宏の方だったらしい。

 坊主頭をまぜまぜしながら、知宏は混乱しているようで、落ち着かず、それを見ている佳代までむずむず浮き足立ってくる。


 しかし、しばしの間の後に言われた言葉に、今度は佳代があっけにとられる番だった。


「したらさぁ……なあワタナベ、俺と付き合わん?」


 まさに、晴天の霹靂だった。





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