ため息
俺ははっきり言って男色ではない。
以前は、気になる女だっていた。
十六年しか生きていないけど、男と寝たのは紀世彦が初めてだ。だが、本当は最初から気づいていた。
紀代彦が俺を拾った時点から感づいていたのだ。
俺は昔から、女顔と揶揄される事もあったし、男に誘われた経験もあった。
だからといって、俺が彼に抱かれたのは、命を救ってもらったからで、好きでしているわけじゃない。 ここに居る限り、これからもこういう事が当り前に行われるのだろう。
俺はそれについては何も考えず、ただ息を吸って生きればいい。簡単な事だ、と思っていた。
朝、目が覚めて自分に起きた現状を把握して、そして、それらを全部、生きるために受け入れるつもりでいた。
京介に会うまでは。
ところが、俺は恋に落ちてしまった。
何も知らない穏やかな瞳をもつ息子に、今まで出会ったどの女よりも、俺の心を揺さぶられた。本来なら、ここに居るべきではない。
紀世彦のためにも自分のためにも、まして、彼を思うのなら尚更。
だが、俺は残る事にした。
京介のそばに居られるなら、何にでも耐えられる。
いつか自分の目が覚めるまで、ここに残ろうと思った。
俺は天井を仰ぎながら、いつまでもそんなことを思った。
布団に横になっていると、
「…司くん」
京介の声がした。目を閉じてウトウトしていたようだ。
気づけば横に彼が座っていた。俺の体が喜びで熱くなる。
「あ」
俺はすぐに体を起こそうとした。
「ああ、寝ていていいんだよ」
彼はそう言って、俺の額にひんやりとした手で触れた。
「熱が下がらないね」
あれから毎晩のように、紀世彦は俺を抱きに来た。俺はそのたびに、自分自身から目を逸らした。
度重なる情事と葛藤のせいで、心身ともに疲れたのだろう。
とうとう起き上がれなくなって、ようやく紀世彦は俺の体を開放してくれた。それからは紀世彦の顔を見ていない。
京介は、自分の時間が空くと毎日、俺の様子を見に来てくれた。
額から手を離して、枕元にある水の入った桶にタオルを浸してぎゅっと絞った。それで頬や首筋の汗を拭いてくれた。
「眩暈とかするの?」
「平気です」
「病院とか行かなくていいのかな」
「若様」
俺は焦ってそれを断った。
「平気です。熱なんてすぐに下がります」
「そうかな。だけど、ずっとこのままだったら診てもらうからね」
「はい」
俺は京介の目を見つめ返した。
幸せだった。京介の手も、微かにかかる息も優しい目も、今は俺だけを見てくれているのだ。それを考えたら、ずっとこのままでもいいとさえ思えてくる。
「若様の手は冷たくて、タオルよりずっと気持ちがいい」
思わずそう言うと、京介はくすっと笑って、
「そうかい?」
と、うれしそうに言って、もう一度触れてくれた。
ずっとそばに居てくれたらいいのに。不謹慎な事を思っていると、
「若様、朱門様がおいでです」
突然、女中の声が廊下の向こうから聞こえた。はっとして、京介を見ると、
「ああ、もうそんな時間か」
と、言って、手首に付けている時計を見た。
「出かけるのですか?」
思わず言ってしまうと、京介は困ったように頷いた。
「うん。大学で講義があるので聞きに行かなくてはならないのだよ」
「そうですか」
俺は大学と聞いてしょんぼりとした。それが彼にも伝わったのだろう。
「しんどいのなら、そばに居ようか?」
と優しい事を言ってくれる。俺は首を振った。
「とんでもございません」
慌てて言い直した。
京介はまだ何か言おうとしたようだったが、俺の具合がまた悪くなるといけないから、と立ち上がった。
「じゃあ、出かけてくるよ。夕方には戻るから」
そう言葉をかけて、彼は出て行った。
「行ってらっしゃいませ」
その後ろ姿に声をかけた。
襖が閉まってから、俺はため息をついた。