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彼方へ  作者: 春野 セイ
19/24

散歩




 春生は頭のいい少年だった。

 結局、俺が勉強を教わる羽目になってしまった。


「春生様は頭がいいのですね。どうして、もっと勉強をなさらないのです」

「勉強なんて嫌いだって言ったろ?」

「そうは見えませんが?」

「あんたから声をかけてくれないから、無視するのはやめたんだ」


 俺は呆れてしまった。


「使用人の方から声をかけれるわけないでしょう」

「司は使用人なのか?」


 春生が眉をひそめたが、俺にはうまく答えられなかった。

 春生は部屋に置いてある本を見て、はあっと息をついた。


「本のどこが面白いんだ」

「本にはたくさんの物語があるし、俺の知らない人もいるからです」


 説明したが、彼は鼻で笑った。


「なあ、他のことをしようよ」


 春生が俺の着物を引っ張った。


「駄目です。俺は若様と約束したのだから」

「約束って何だよ」

「春生様に、きちんと勉強をしてもらう事です」

「つまんないよ」


 口を尖らせる春生だったが、俺がもくもくと読書にふけると、彼はポケットから煙草を取り出した。

 俺は鼻をかすめる煙草の煙が嫌いだった。


「春生様はどうして煙草を吸うのです」

「ほっとけよ」


 一言で片付けられた。

 俺は黙り込んだ。春生は自分の言った言葉を後悔したらしく、


「ごめん。司」


 と謝ってきた。俺は仕方なく息をついた。


「今度からは灰皿を用意してくださいね」



 夜になって、春生が散歩に行きたいと言い出した

 京介も誘ったが、彼は勉強があるから二人で行って来たらいいと言うので、俺たちは外に出た。


「涼しいな」


 と春生が言った。


「そうですね。少し肌寒いですが、気持ちがいいですね」


 答えると、春生がニヤニヤして俺を見た。


「何ですか?」

「司って、けっこうしゃべるんだな」

「え?」

「河原へ行こう」


 手を引っ張られて、俺は躓きそうになりながら彼について行った。

 彼は下駄を脱いで川の中に入った。


「ほら、お前も来い」


 促されたが、俺は遠慮した。夜の川に入る気はしない。

 春生は水遊びを楽しんでいる。


「冷たくて気持ちがいいよっ、司っ」


 春生が手を振った。その笑顔はまるで子供のように無邪気だった。いつもの生意気そうな彼とは別人だった。


「転ばないように気をつけて」


 言った拍子に彼の体がふらりとした。


「春生様っ」


 俺はびっくりして着物をまくりもせず、そのまま川の中に入った。すると、春生が俺の着物をつかんだ。抱きつく格好になって、からかわれた事に気がついた。


「春生様っ」

「ごめんよ。司」


 俺の首に腕を回して、春生は薄く笑った。そして、俺の首筋に軽くキスをした。


「春生様……」

「俺の事どう思う?」

「え…」

「会ったときからお前の事、気になっていた」


 俺は焦って体を離した。


「駄目ですっ」

「司?」

「俺は駄目です。春生様」


 俺の言葉に春生は唇を噛んで見ていた。


「帰る」


 急に俺から離れて、春生は下駄をつかんだ。

 俺はすぐさま彼を追いかけた。


「話を聞いてください」

「言い訳なんか聞きたくない」

「春生様……」


 俺の腕を振り払い、走り去った。俺は追うことは出来なかった。

 びしょ濡れのまま家に帰ると、京介がびっくりして出てきた。


「どうしたの? 着物が濡れている」

「あの、春生様は戻られましたか?」

「春生? ああ、帰ってくるなり風呂に入ったよ。今は部屋にいるはずだ」


 俺はそれを聞いてほっとした。もしかしたら、またどこかに行ってしまったかと思っていた。


「春生が何かした?」

「いいえ、違います」

「そう。ならいいのだけど」


 京介はほっとしたような、複雑な顔をした。


「俺、着替えてきます」


 俺は浴衣を持って脱衣所へと行った。

 湯に浸かると、どっと疲れた。


 ――俺の事どう思う?


 まさしくそれは、俺が京介に抱いている本心だ。

 春生は、素直に告白をしてくれたのに、ひどいことを言ってしまった。

 明日、彼に会ったらきちんと謝りたい。


 俺は湯船に浸かりながら、じっとそんな事を考えていた。



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