遊女
昨夜は遅くまで本を読んでいた。
京介が買ってきてくれた短編集は思っていた以上に難しかったが、面白くて、寝たのが明け方近くだった。
体を起こすと、少し眩暈がした。
少し熱っぽいようだ。このまま休んでいようかと思ったが、以前から考えていたことがあったため、無理して起きた。
というのも、一度でいいから、遊郭にいる京介の相手を見てみたかった。
朱門が来る日、二人は出かける。だから、俺はこっそりと二人の後をつけて場所を覚えておいたのだ。
屋敷を出て遊郭へ向かった。
界隈に入ると、赤提灯やら派手な暖簾、町は華やいでいる。ずっと奥へ入ろうとすると、腕を引っ張られた。
「こんな所で会うなんて、今日はついているぜ」
俺はびっくりして振り向いた。朱門が立っていた。
「朱門殿」
なぜ、彼がここにいるのだろう。
まさか、こんな所で朱門に会うとは。
予想外だった。
彼は俺の腕を取って、
「部屋を借りよう」
と出し抜けに言った。
「朱門殿っ」
彼の腕を払おうと思った。だが、朱門の力は強く振りほどけない。嫌がる俺を彼は強引に引っ張った。
「お願いです。やめてください」
俺は自分の無力さに腹が立った。
同じ男なのに、力では勝てない。しかも、今日は熱っぽいため足元がふらついていた。
「ちょっとやめなさいな」
そのとき、ごてごてに着飾った女郎が立ちはだかった。
俺はその女を見て目を見張った。
背がすらりと高い大柄な女で、薄い唇に真っ赤な毒々しい紅を塗り、豪勢な簪を髪に何本か刺し、白粉を塗ったその女は、夜叉のように美しかった。
女が朱門の手をぴしゃりと扇子で叩いた。
「イタッ」
朱門が手を引っ込める。
自由になった俺はそばを離れた。
「ねえ、あんた、あたしに会いに来たんだよね」
女が、俺に馴れ馴れしく手を置いて、そう言った。
「え?」
俺が目をぱちくりさせると、女は俺の着物の襟元を引き寄せてぎゅっと口づけをした。
「あっ」
女の体から香の匂いがした。
「春乙、ふざけるな」
朱門が低い声で言った。
チュンイー?
俺は口づけされたことを忘れて、ぽかんとした。
「いいかげんにしろ」
朱門が言った。
二人は知り合いらしかったが、お互いを睨みあっているようにしか見えない。
「あたしはここで生きていくと決めたのだから、邪魔をしないでちょうだい。あいつにもそう言っといて。さあ、あんたはあたしと行きましょう」
チュンイーと呼ばれた遊女は俺の腕を引っ張った。
朱門は何も言わず、舌打ちしてから去っていった。
俺には何が何だかさっぱりだった。
女ひ手をひかれ、強引に連れ込まれた場所は(と言っても女郎部屋に入るのはこれが初めてだが)、赤い着物、布団とまるで血の海に迷い込んだみたいだった。
「赤……」
俺がつぶやくと、女は俺の手を掴んだ。
「初めてなのかい?」
「え、あ、うん」
正直に言うと、女はくすくすと笑い出した。
俺はわけも分からずむっとした。どうやら、馬鹿にされているのだと思った。
「お酒飲むかい?」
女はお猪口に酒をなみなみと注いだ。
「ま、待ってくれ。俺、金を持っていないんだ」
慌てて言うと、女の手が止まった。
「無一文?」
心なしか、女の声に棘がある。俺は頷くと、女はがっくりとした顔をした。
「綺麗な顔をしているくせに貧乏なんだねえ。そのいい着物に騙されたよ」
俺は紀世彦があつらえてくれた着物を見た。確かにこれは上等の品だ。女が誤解しても仕方がないのかもしれない。俺は膝をついた。
「あの、申し訳ない。助けてもらったのに」
潔く謝ると、女は自分で酒を飲んでクックと笑った。
「あんた、いい男だね」
そう言って、もう一杯飲んだ。
「あんた、あの朱門様の知り合い?」
「いや、俺は雪代京介様の家でお世話になっている」
「えっ? あんたが?」
女はものすごくびっくりして俺をまじまじと見た。
「驚いたわ。そう、あんたが朱門様の片思いの相手ね?」
「え?」
これには俺の方が驚いた。女は何を言っているのだろうかと思った。
女はお酒のついた口元をなぞりながら、俺の顔をじっと見た。
「本当、あんた綺麗な顔をしているよ。ここで働けば金になるよ、と言いたいところだけど、あんた雪代様の所に居るんだよね。だったら、そんな必要ないね」
女は一人で言って、一人で納得した。
「よしっ。決めた」
「え?」
俺は女が急に立ち上がった。
「さあ、送るから、もう帰りなよ」
俺ははっとして立ち上がる時、ふらっとして女に支えられた。
「あんた、熱があるんだね」
「平気だから」
女の手を振りほどいた。それ以上、女は触ってもこなかったし、何も言わなかった。
「本当にありがとう」
俺は一体何をしに来たのだろうと、自分が心底情けないと思った。
屋敷に戻ると、京介が心配してくれていた。
俺は、失敬だがうれしかった。
やはり、京介が一番だと思った。




