さみしい笑顔
「京介に漢字を習っているんだって?」
ある夜、紀世彦の腕に抱かれていた俺は、急に話題を振られてドキッとした。
「はい」
素直に頷くと、
「そうか、あいつは教え方が上手だから、勉強になるだろう。頑張れよ」
紀世彦は優しくそう言った。
「はい」
俺は答えて、目を瞑った。
目が覚めると、紀世彦の姿はもうなかった。
体を起こすと軽く眩暈がした。また熱が出ているようだ。
それでも、ゆっくりと着物に着替え、部屋を出た。
家の中は静かだった。
階段を降りるとひそひそと女中たちが話をしている。
彼女らを無視して、紀世彦の部屋へ挨拶に行った。
「旦那様、おはようございます」
外から声をかけたが返事がない。出かけたのだ思って去ろうとすると、
「司」
と中から弱々しい声がした。
俺はぎくっとして立ち止まった。
「旦那様? 開けますよ」
障子を開けて中に入ると、窓にもたれてぐったりしている彼がいた。驚いて駆け寄って肩を抱き起した。
「顔色が悪い。大丈夫ですか?」
「佳代子が来るらしい」
「え?」
「わたしの妻だった女だ」
「奥さま……」
言葉を失うと、紀世彦が力なくほほ笑んだ。
「そんな顔をするな」
妻の話は聞いていた。
道元佳代子。紀世彦が愛した女だ。
二人は見合い結婚をしたが、彼女には好きな男がいたらしく、その男と駆け落ちした。しかし、彼女は置き土産を残していた。それが京介である。
佳代子がいなくなって紀世彦は、性別を問わず誰とでも関係を共にするようになったという。
今にも泣きそうな顔を見て、心が病んだ。
「すまない、もう大丈夫だ」
紀代彦はそう言って体を起こした。
「俺はこれから数日家を空ける。甥っ子が泊まりに来るから」
「甥?」
「ああ、仲良くしてやってくれ」
紀世彦は静かに笑ったが、寂しい笑顔だった。




