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寄り添う女性(ひと)

作者: 四季咲樹

  寄り添う女性ひと

               四季咲樹


序章 邂逅


 夏の照りつける陽射しが老松町を照らす。

 綴軌芯柔楼つづきしんじゅうろうはそんな道をけだるげな足取りで『老松町公園』へ歩いていた。

 芯柔楼は何気なくいつものように公園に向かう曲がり角を行き、公園が視界に入る。だがそれは彼が日常的に見る風景とは一か所違う場所があった。三日前までは小さな空き家だったはずが、そこは煙草屋に変わっていた。その煙草屋の名は『煙草屋後悔』と書かれていた。

 芯柔楼は自分の煙草が切れていることを思い出し、その煙草屋に立ち寄った。

 店内は薄暗く、天井には電球があるにも拘らず、窓から漏れる陽射しだけがそこを照らしていた。

「すいません、煙草一つ」

「はい」

 芯柔楼が煙草を頼むと静かでお淑やかな女生ひとを思わすような声が耳に入る。彼が女性の方を見ると、そこには艶のある長い黒髪をおろしている藤色の和服を着た女性おんながいた。

「どうぞ、一〇〇円になります」

 目線を芯柔楼は煙草に移し代金を支払った。

 三日と云う月日が過ぎた。

 芯柔楼は煙草が切れたから『煙草屋後悔』に足を運んだ。店内には三日前と同じ藤色の着物を着ていた。しかし柄だけは違うものだった。前回見た時は蓮の花だったが今日は鶴が三羽描かれていた。

「すいません、煙草一つ」

「はい」

 女は和服の袖を引いて、煙草を机の引き出しから出した。

 代金を支払う瞬間とき芯柔楼と女の視線が重なった。すると、唐突に彼女の方から声を掛けてきた。

「貴方は此方にお住まいの方なのですか?」

 彼は急に話し掛けられたので、返事をするのに数秒の間を要した。

「ああ、あの公園を東の方角に家を二つほど跨いだところにある団地だよ」

 東の方角を指差し、女性に云った。

「そうですか。学生さんですか?」

「いいえ、ただの物書きですよ。大学は私にとって敷居が高かったようなので、物書きを二年程前から始めているのです」

「そうですか、急に話し掛けてすみません。私の名前は藤倉楼子と申します」

 二十代前半と見受けられる女性はそう名乗り、続いて芯柔楼も自身の名を明かした。

 芯柔楼は楼子と会話を暫く交わすこととなった。すると、どうやら楼子は二日前に引っ越してきたようだ。

楼子の両親は他界し、一人で神奈川県の老松町に来て、彼女は両親が亡くなるまでやっていた『煙草屋後悔』を続けるようにした。

 楼子は話をしているうちに芯柔楼が何を書いているのかが気になり問うた。すると、彼は恋愛ものやその他色々なものを書いていることを。そして未だに作品が売れないこと。

 それを聞いた孝子は芯柔楼の書く話が気になるようで、作品を見せてほしいと頼んだ。しかし彼は渋りつつも承諾した。

 楼子はそれを聞き嬉しかったのか勢いよく椅子から立ち上がって椅子を倒した。 

「では後日、此方に持って行きますので、都合の佳い時間を伺いたいのですが?」

「当店は朝の八時から夕方五時まで営業していますので、その間なら何時でも構いませんよ」

 それを訊き芯柔楼は頷いた。

「楽しみにしていますね」

「あまり期待はしないで下さい、褒められた出来ではないので」

 芯柔楼が笑って云った。


 第一章 読者と評価


 翌日。

時刻は朝の七時五〇分。

 芯柔楼は楼子に見せる作品を三篇持って『煙草屋後悔』に足を運んだ。

 店の前に着くと楼子が丁度シャッターを開ける場面に遭遇した。

「あら、綴軌さんおはようございます」

「おはようございます藤倉さん。昨日話した作品原稿を持って来ました」

「こんな早い時間から持って来てくれてありがとうございます」

「いえ、構いませんよ」

 芯柔楼は原稿を入れた紙袋を楼子に手渡した。

「お店が終わったら読ませて頂きます。感想を聞いてもらいたいので、二日後の水曜日にもう一度来てください。その日はお店がお休みなので、お茶をしながらでも話したいと思っています。綴軌さんはその日のお時間は空いていますでしょうか?」

「その日は大丈夫ですよ」

 そう彼は返事を返すと、楼子は笑顔で「分かりました」と云った。

「お店がありますので、今日はこれで失礼します」

「分かりました」

 そう云って芯柔楼は『煙草屋後悔を』を後にした。

 その日の夜、楼子は自室に籠り芯柔楼の書いた作品の三篇のうち一篇を読んでいた。

 彼に渡された作品の名は『不死鳥』『星の』『奇妙な花』だった。


  不死鳥

              綴軌 芯柔楼

男が女と出会ったのは海岸だった。

 季節は夏、その日は海岸で太陽の光を反射する水面みなもを見に来ていた。だが海岸から見えたものは、それよりも男からしたら遙かに美しい輝きを放っていた。それを瞳に入れた瞬間、男の心に燃え上がるような照りつける日差しよりも熱い灼熱の炎が燃え滾ってきた。

 海に浸かっていたのは純白のビキニを着た黒髪の女であった。自身の感情のままに男は彼女のもとへ駈け出した。そして男は女を誘い海水浴を共に楽しんだ。

 それから幾年かの時が流れ、二人は結婚を前提とした交際を始め、互いのことを知る機会がさらに増した。満月の冬の夜、男はデートを終えて女を送り届けている最中に暫し彼女を公園のベンチで待たせ、近場の花屋に駆けて行った。そしてマリーゴールド、スノードロップ五十八本ずつの合計百八本と云う花束を購入してその足で公園へ向かった。

 男はそこに座っている女の前に立ち花束を差し出して

「貴女に幸せと云う名の希望と、変わらぬ愛を捧げます」

 女は微笑を浮かべ花束と彼の愛の言葉を受け取った。

 二年後、二人は結ばれ、平穏な日常を過ごしていた。だが二十年後、女は食材の買い足しの帰路で交通事故にあい即死。

 男は女の死後、彼女の遺灰を貰い帰宅後、自室にある火鉢に彼女の遺灰を入れた。そしてそれの前に跪き両の手を合わせ、仰ぎ祈るような姿勢をした。

 二人が住んでいた集落ではこんな言葉が伝わっていた。

恋人の

 灰を火鉢へ

 焦がれ待つ


 楼子は『不死鳥』を読み終えると一息置き、紅茶を口に含んだ。そして呟いた。

「これは、なかなかどうしたものかしら。評価をするにはとても難しい。そして考えさせられる作品ものね。一口に面白いと云うわけでもなければ、面白くないと云うわけでもない。この作品は考えさせられるものがあるわね」

(後でもう一度目を通して見ようかしら)

 彼女は手に持っている『不死鳥』を机に置いて次の二編に目を通すことにした。


  星の

              綴軌 芯柔楼

家のベランダで娘が父に訊いた。

「お父さん、お母さんは何処へ行ったの?」

 父は答えなかった。その代わり、星空を仰ぎ涙した。

「お父さん、何が悲しいの?」

 娘の二度目の問いに父は答えた。

「お母さんとの思い出を振り返って見ていたのだよ」

 娘はそれを訊いて首を傾げて訊いた。

「そうなんだ。お父さんから見たお母さんってどんな人だったの?」

 父は涙を流した頬を緩め、娘に向き直り云った。

「水面に反射した陽射しよりも美しい女性ひとだった。そして向日葵のような優しい笑顔を私に向けてくれた」

「つまりは温かい感じの人ってこと?」

 父は娘の的を射たような返事を耳にし、驚いた顔を見せた。

「そ、そうだな。確かに温かい人だったよ。そして夜の海辺に立つ彼女は星のような小さな輝きをはなっていた。そして今も……」

 そう云って父は再度夜空を仰ぎ、そして娘も父につられ空を。

「今も……。お父さん、お母さん綺麗だね」

 父は娘の言葉を聞き「嗚呼」と嗚咽を漏らした。そんな父を見た娘は彼の足に寄り添うように両腕でしがみ付いた。

 そんな二人を一際明るい輝きを魅せる一点の星が見守るように夜空に浮かんでいた。


 午後八時。

夜が更けていく時刻、楼子は『星の』を読み終えた。彼女はこの話の内容がどう云った物かを容易く理解できた。

そして最後の三篇を手に取り、のめり込むように、読み始めた。


 奇妙な花

綴軌 芯柔楼

 男は入院している母に見舞いの花を購入するために花屋に来店していた。彼は有名な人間だった。今までに六枚の作品を作り上げた。

 カーネーションを十本男は購入した。購入時に女性店員から彼はおまけとして米粒位の

種を渡された。

 男は早速帰って自宅の庭に種を埋め、土に水を注いだ。

 翌朝、男が種に水を注ぎに行くと土から芽が出ていた。男はそれを見て衝撃を受けた。この状況が異常だと云うこと。普通ならば、一週間程度経たなければ、芽は出ないはずだ。      

男は今のままでは平常心ではいられないと判断し、水を一杯口に含み冷静になろうと考えた。そこで彼は手に持っていた如雨露の水を口に含んだ。

暫くすると男は自分の行動の異常性に気が付いた。普段ならば、自宅に戻り蛇口から出る水をグラスに注ぎ飲んでいるはずが、今回に限っては土などがこびり付いたお世辞にも綺麗とは到底云えない物に注がれた水を口にしてしまったと。そして自分が花だと思っているものの異常な成長速度に動揺し、普段では取らない行動を〝取らされた〟と云うことにも。

男はそれの異常な成長速度に動揺と共に、到達する姿に興味を抱いた。彼は平静を取り戻し、水を注いだ。

翌朝に男が目覚め、庭に足を運ぶと桃色の蕾が生っていた。彼は足早にそれに近づき現在の自分が置かれている状況を冷静に整理した。

まず男が考えたのは花屋の女店員に渡された種が何という名前かと云うものだ。店員はそれのことを『人楼じんおう』と云った。

女店員の説明からすると、その花は潜在意識で求めているものが咲くと云っていた。男は彼女の言葉を信じてはいなかった。だが男は花の異常性を目の辺りにし、男は今日も水を蕾に注いだ。

花に水を灌ぐのが男の習慣になってきた頃、花は蕾から開花し、桃色の美しい花びらを見せた。その花びらは「桜」と呼ばれるものに酷似していた。だが、一般的に見られる桜は樹木に実るのだが男が育てていた花は地面から根を張り、黒い雌蕊しずいがあった。

男は『人桜』を希少種と思い、その後も水を注ぎ続けた。そんなある日『人桜』の雌蕊が少し飛び出てきていることに気が付いた。最初は然程気にも留めていなかった男だが、翌朝に何時ものように水を注ぎに来ると、雌蕊が雌蕊ではなくもっと別のものであったことに気づいた。

雌蕊だと男が思っていたものは髪の長い人間の頭部だった。髪の毛の隙間からは二つの眼光が彼の方を静かに見つめていた。

男は奇妙な〝生物〟と称していいのか分からないものを瞳にして恐怖心を覚え、それから一歩後退り立ち停まった。暫くすると数秒間庭を離れ、如雨露に水を汲んでからびくびくしながら震える手を片方の手で押さえて彼は奇妙な〝何か〟に水を注いだ。

それから二日後の夜、男が床に就いて寝ているとゴキュッ、ゴキュウキュッ、ブチャビチャそしてぽた、ぽた、ぽたと何かの液体が地面に落ちる音が聞こえた。

翌朝起床し、男が庭の様子を見に赴くと、そこには昨日までの〝何か〟と云うような曖昧な呼び方を拭い去る者が居た。彼が目にした者は美しい長い黒髪をおろし、美しくも厭らしい乳房を曝け出し、それはまるで母性を象徴するかのような女だった。いや、それを『女』と云っていいのかは定かではなかった。何故なら女の下半身は地面に根を生やし、桜の花びらの両翼をつけていたからだ。男はそれの美しさに魅入られた。

そして暫くすると家に戻り男はコッペパンと鉛筆、そしてキャンバスを持って庭に出た。そして彼は何色にも染まっていないキャンバスに〝動物に到達した植物〟を収めた。

題名を『かえり咲く乙女』と記し。


夜の八時三〇分を過ぎた頃。

楼子はすべての短編を読み終えると、原稿を手元に置き一息吐いた。

「この男はこの「奇妙な生物」に何を見て、魅せられたのかしら」

「次に会ったら綴軌さんに訊いてみようかしら」

 その後も楼子は三篇を何度も読んだ。

 

第二章 原点


 朝九時過ぎ。

楼子と会う当日、『煙草屋後悔』の通りにある公園には小さな花壇があり、そこには向日葵が咲いていた。まるで太陽のように明るくのびのびと。

芯柔楼は自分が書いた複数の短編小説を紙袋に入れ持ち歩いていた。楼子の自宅は『煙草屋後悔』の二階になっている。いつもならば、一階の両開きの扉から這入り、彼女に声を掛けているが今回は裏口から呼び鈴を鳴らして入室することになっている。彼が呼び鈴を鳴らすと「はーい、どちら様ですか?」と云う声とともに扉が開かれた。

扉から姿を見せた楼子の恰好は黒い襟のついたお洒落な白いワンピース姿だった。

「あら、綴軌さんおはようございます。お早いご到着ですね。どうぞ中へお入りください」

「それではお邪魔いたします」

 室内に入ると甘い香りが漂ってきた。楼子が芯柔楼を自室に案内すると、彼の視界には彼女の後姿が映された。長い髪の隙間から見える綺麗なうなじに芯柔楼は生唾を飲み込み、目線を釘付けにされた。

楼子が歩いていると髪の隙間は少しずつ広がっていき、うなじが顕になった。それを芯柔楼は目撃してしまい、咄嗟にそこから目を逸らした。

楼子に案内され後ろを歩いていると、黒い扉の前に着いた。

「どうぞお入りください」

 そう云うと楼子はドアノブに手を掛け、扉をゆっくりと開けた。すると、芯柔楼の視界には黒色の漆で塗られたテーブル、部屋の隅には畳まれた布団一式その隣には二枚の黒と紫の座布団、テーブルにはティーカップとティーポットと西洋柄のティースプーンと白いソーサーが置かれていた。

東側の窓には白のカーテンに黒い花模様の柄、そして北側の窓には黒いカーテンに白い花模様の柄。部屋の隅には白い座布団と黒い座布団が二枚ずつ置かれていた。

「花柄のカーテンとは佳い趣味をしていますね」

「褒めてくれて有難う。私もこのカーテン気に入っているの」

 楼子は微笑んで云った。

 楼子は置かれていた白と黒の座布団から一枚ずつをテーブル挟んで向かい合うよう置いた。

「どうぞお座りになってください。只今紅茶を淹れますので」

 そう云われ座布団に案内された芯柔楼は楼子の淹れる紅茶の香りに釣られて彼女を見る。すると座って体制を屈めて紅茶を淹れているせいで、着物の隙間から胸の谷間が彼の視界に映り頬を紅く染めた。

「どうぞ、紅茶です」

「あ、有難うございます」

 そう云って芯柔楼は紅茶を口に含み、一息入れた。

 静寂が暫し部屋を包み込んでいたが、それに亀裂を入れたのは楼子からだった。

「綴軌さんの書かれたもの読ませていただきました」

 楼子はそう云って切り出すと、芯柔楼に貌を向けた。

「そうですか。それでご感想の方は?」

 楼子は紙袋から『不死鳥』『星の』『奇妙な花』の原稿を取り出し、言葉を紡いだ。

「まずは、『不死鳥』から述べさせていただきます。これは男がどれほど女を想っているのかと云う物語なのではないかと感じました。過剰な愛情がなければ、蘇られようなどと云う感情すら溢れることはないでしょう。まとめると『不死鳥』とは苛烈なまでの愛を表現したのではないかと考えました」

「成程」

 芯柔楼は紅茶を口に含み、顎に手を添えた。

「では続いて『星の』について述べますね」

「はい」

「一言で云うなら親子愛ですかね。支え合う娘と父を想像させる作品でした。後は読み進めて行くうちに母親の死を匂わせる父親の描写が面白さの肝なのではないかと思いました」

「そうでしたか。あの作品はどのように母親の事を匂わせるかが執筆時一番悩まされた部分なのでそう云っていただけて嬉しいです」

 髪に手を添え乍ら「いえ、正直に感想を申しているだけですよ」と云った。

「さて、次の作品の話に移りましょうか」

 先程、楼子が注いだ紅茶に角砂糖を浸す。そして芯柔楼はカップに口を附け一口含んだ。

「そうですね。では『奇妙な花』について訊かせて下さい」

「はい。では先ず感想を述べる前にご質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ。どうぞ」

 芯柔楼は掌を楼子に向けて云った。

「この『奇妙な花』の主人公は画家ですか?」

(的を射た質問をしてきたな。驚いた)

「何故そのようにお思いになられたのですか?」

 芯柔楼は楼子からの質問には答えず、質問を質問で返した。

「これは私の主観ですが、主人公である男の行動に先ず疑問を持ちました。常識で考えて、女性店員から貰った怪しげな名前の種を咲かせようと思うかと云うことですね。ですがこの男が画家ならば話は別です。彼は新作の制作に悩んでいたのではないかと考えたのです。だから男は気分転換に花を咲かせようとしたのではないか。私は読んでいてそう思いました。男はスランプに陥っていたから他のことに打ち込んで、気を紛らわし同時にアイディアを模索していたのではないかと。そしてこの『奇妙な花』と云う作品の男は現在いまの綴軌さん、貴方を題材にしているのではないかと」

「成程。そこまでこの作品を紐解いたと云うことは相当読み込んだのですね」

「ええ」

 芯柔楼は笑みを浮かべると窓の方を向き外の景色に瞳を向けた。

「それで答えは出ましたか?」

 楼子はそう芯柔楼に訊かれると、暫く静寂が続いた。そして彼が紅茶を口に含み、それを飲み込む咽の音を合図に静寂に包まれた部屋の時が刻み始めた。

「はい。男は平凡なものを描くのに飽きてしまった。だが自分の周囲には平凡なもの以外何もなかった。彼が求めていたものは平凡とはかけ離れた物や動物だった。しかしそのような時期とき、男は今まで自分のやってこなかったものに目を向ける切っ掛けとし、花の種を育てることにした。そして種は美しく咲き、植物から動物へと到達した。それを瞳にし、男は確信したのではないかしら、自分が求めていたものは性欲の権化である女人だと云うことを。正確に言うならば、性欲そのものの具現化した姿を描き写すことだったのではないかしら。この作品には女は登場人物として出てこない。でも仮に人楼を女として見るならば、人楼を「性欲」として男は観たのではないかな。つまり男が描きたかったのは人間の欲望だったのではないかしら、そして最後は自分の心を描いた」

 芯柔楼は楼子の言葉を聞き終えると、唇の端を吊り上げた。

「うん……成程。そこまで私の心理を見抜くとは驚かされました藤倉さん」

「あまり驚いたようには見えませんが」

 話しているうちにお互いのティーカップは空になり、それに気が付いた楼子が二つのカップに紅茶を注ぎ、互いに角砂糖を二つずつ浸した。

「そんなことはないですよ。あまり表情にはでないだけです」

「そう」

「ええ」

 互いに短い言葉を交わした。そして紅茶を楼子は口に含み、言葉を紡いだのは楼子の方からだった。

「すべての作品がとても面白かったです。次回作も楽しみにしてもいいですか?」

 楼子からの言葉を受け、こう云った。

「是非、楽しみにしていてください」

 芯柔楼は紅茶を飲み終わると言葉を紡いだ。

「この後何かご予定はおありですか?」

「いいえ、何もございません」

「宜しければ、時間も六時を過ぎましたし夕食でも食べに行きませんか?」

 楼子は少し考える素振りを見せると共に夕食を食べに行くことを承諾した。そしてハンガーに掛けてあった丈の短い灰色のカーディガンを羽織った。

 芯柔楼と楼子は肩を並べ、街を歩きだした。

「何を食べましょうか?」

 楼子の質問に芯柔楼は顎に手を添え、考える素振りを見せた。すると左手の掌に右手の握り締めた手を〝ポン〟と置き、返事をした。

「蕎麦でも食べに行きましょうか」

「蕎麦ですか、いいですね。それでしたらこの近くにある『黒白兎こくはくうさぎなどどうでしょうか。あそこのきつね蕎麦は美味しいとお聞きしました」

「あそこですか、いいですね。行きましょう」

 二人は『黒白兎』に赴くことにした。肩を並べて歩く二人に会話はなく、唯々歩くだけであった。だがその後ろ姿は長年連れ添った夫婦のように見え、ぎこちなさを周囲に感じさせなかった。

 『黒白兎』に着くと店の前で十七、八歳に見える長身の髪を後ろに束ねた和装の少女が庭箒を用いて塵を容易に掃いていた。

「い、いらっしょいませ!」

 少女は噛んでしまい上手く発言することができなかった。それを聞いた二人は思わず笑ってしまった。

「す、すいません!……改めて、いらっしゃいませ、ようこそ『白黒兎』へ。どうぞ店内にお入りください」

 芯柔楼はそれを聞くと、少女に云った。

「はい。二名でお願いします」

「畏まりました」

少女は元気よく返事をし、店の扉を開ける。すると、店内ではオールバックの白髪の男性がカウンターテーブルを濡れタオルで拭いていた。

「店長、お客様が二名様入りました!」

 店長と呼ばれたその男性は芯柔楼と楼子の方へ振り向いた。男性は左目に一筋の古傷を負っていて右目の鋭い視線だけが二人を捉えていた。

「あいよ。聖、箸とコースターそれとお冷を二人分カウンター席に用意してくれ」

 男性は少女に向かって云い、ひじりと呼ばれた少女は元気よく返事をし、二人をカウンター席に案内した。

 二人は席に着き聖に渡されたメニューに目を通した。

「私はきつね蕎麦にします。綴軌さんは何になさいますか?」

「そうですね。僕は……店長さんお勧めは何がありますか?」

 店長は芯柔楼に店のお勧めを訊きかれ、迷う素振りを見せず即答した。

「其方の女性が云った『きつね蕎麦』がお勧めです」

「そうですか。それならばきつね蕎麦を二つお願いします」

 芯柔楼は聖にそう云った。

 暫くすると調理場からカウンター席へ湯気の上がる丼皿が二つ置かれた。その丼は黒い麺と白い麺と厚めの油揚げそしてさらりとした白いスープによって埋められていた。

「店長、これは?」

「これはな、この店オリジナルのきつね蕎麦だよ」

「麺の色が左右違うのは?」

 丼の中は左側よりに黒い麺、そして右側は白い麺と云うふうに盛り付けられていた。

「この店の名前に因んで開発した料理です。どうぞご賞味ください」

 楼子と芯柔楼は店長に促され、丼に箸をつけた。楼子はレンゲでスープを掬い口をつけ、芯柔楼は箸で黒と白の麺を口に運んだ。

 〝ずるずるずる〟という音と何かを飲み込む咽の音だけが店内に響いた。

 面を咽に通し終えると感想を漏らした。

「黒い麺はイカスミが練り込まれている。そして白い麺はクリームパスタに使用されるクリームを練り込んだもの」

 次に楼子がスープについての感想を。

「スープは豆乳鍋に使用されるものに柚子の皮を細かく擦り、柚子の香りをひき立てた。さらにスープそのものにも柚子を用いたさっぱりとさせる工夫が施されているわ」

 芯柔楼が蕎麦から楼子に視線を移すと、スープを飲んだ彼女の口もとからは白いスープが着物の上からでも分かる撓に実った神秘的な二つの果実が作る谷間に伝い、それを見た彼は頬を紅くし、蕎麦の方へ顔を戻し食事を続けた。

 夜八時過ぎ。

二人が食事を終えると芯柔楼は楼子を自宅まで送り、芯柔楼は楼子からの頼み事を帰路で考えていた。

それは食事中の事。

「綴軌さん頼みたいことがあるのですが、いいですか?」

「ええ、構いませんよ」

 楼子はお冷を口に含み一泊置いた。

「私には五歳児の従妹が居るのですが、名前を美作千夏みまさかちなつと云います。

その娘の父親が何かいい話はないかと訊かれまして。それで綴軌さんにお話を書いて頂けないかと思いまして」

「分かりました。何か子供向けのお話を考えてみます」

「有難うございます」

 芯柔楼は楼子の頼み事を考えていると同時に妹のことを思い出していた。

 芯柔楼は四人家族で、母、父、妹と芯柔楼と云う家族構成だ。妹の名前は綴軌唇香つづきしゅんか、母は巴、父は真。

 唇香は本が好きな娘で暇さえあれば本を読んでいた。しかし芯柔楼が十四歳の時彼以外の親子三人が交通事故で死亡。その後、母方の祖母に引き取られて育った。

 芯柔楼は自分がどうして小説家になりたいと思ったのかを思い出しつつあった。それは『子供が読んでも面白いと思えるものを書く』ことだった。


 第三章 模索


 宝物

              綴軌 芯柔楼

 男は別荘付近で海水浴を楽しんでいた。

 不意に男の視界に風で靡く白い布が映った。それを凝視すると、崖の上に立つ白いワンピースを着た、黒いリボンが装飾された白いカンカン帽を被っている女性が居た。

 男の視線に女性が気づき、男の方に顔を向けた。男は視線を贈っていたことに気がつかれ、反射的に彼女に向けて手を振ってしまった。すると女性もまた手を振り返してきた。

 手を振り終えると女性は崖から姿を消し、暫くすると砂浜に背の高い女性が、崖に居た女性と同じ服装で歩いてきた。男がそれに気が付くと、彼は海から砂浜まで足を運んだ。

 男と女性は気が合い話すこととなった。彼女は重い病のため、近くの屋敷で静養していると云う。今日は主治医から外出許可をいただき海に来たと云った。

 女性の名前は深川乙涙ふかがわおちると云う。そして男の名は静海翳楼しずみかげろうと云う。

互いに自己紹介を終えると、翳楼は乙涙を食事に誘った。するとあっさりと承諾した。そして二人は翳楼の屋敷で食事を摂った。

テーブルにはサラダ、コーンスープ、ミディアムステーキ、バニラアイスに柚子の香りを放つソースが掛けられたものが出てきた。

食事を終えると、翳楼は乙涙に何故崖の上に居たのかを聞いた。

「あそこには大輪の向日葵があって、風向きがいいのか夏にも拘らず涼しい風が吹いて、肌に纏わりつく暑さが風に乗って流れて行くように感じるの」

 乙縷はそう云うと、先程、執事の米田統扇よねだとうせんが淹れた紅茶を口に含んだ。その日を切っ掛けに二人は逢引きを繰り返すようになり夜な夜な星が散りばめられた空の下、互いの想いを認識し合うようになり、数年の月日が過ぎ、二人の間には子供が設けられ、それと聞き替えと云うように乙涙の體は衰弱していきこの世を去ることになった。

 翳楼は嘆き悲しんだ。だが悲しんでばかりもいられなかった彼には娘がいた、その子の名は乙涙が付けたものだ。名を『静涙』と云う。

 翳楼は宝物と引き換えにそれとは異なった宝物を手にした。


 芯柔楼が楼子から頼まれた日から二日が経った夜八時を過ぎた頃。

彼は書き終えると、近くの公衆電話で楼子に連絡を取った。

「はいもしもし、藤倉です。どちらさまでしょうか」

「芯柔楼です。夜分遅くに申し訳ありません」

「あら、綴軌さんどうかなさいましたか?」

「はい。三日前のお話の件で、ご連絡させて頂きました」

「そうですか。有難うございます」

「明日以降で空いている日時はありますか?」

 そう訊くと、楼子は暫し電話口から離れ暦を確認した。

「今確認したところ、二日後なら何時でも構いません。その日はお店が定休日に当たるので」

「分かりましたではその日にお訪ねします」

「はい。この前のように紅茶を用意してお待ちしています」

 会う約束を取り付けると芯柔楼は受話器を元に戻し、その場を後にして夕食を摂り、床に就いた。

 二日後、芯柔楼は原稿を手に一三時過ぎに楼子の自宅に赴いた。彼女にそれを手渡すと、暫く何度も読み返し、一四時を過ぎた頃つまり有に読み返しを含め一時間かけ、芯柔楼に声を掛けた。

「読ませていただきました。『引き換え』もしくは『代償』の話でよろしいでしょうか?」

 楼子はそう切り出した。

「ご推察の通りです」

「子供が読むにはとても最適なものですね。何かを行えば、何かを零す。もしくは何か得ようとすればそれと引き換えに異なったものを得る。ただしこの物語の場合は、同等の物同士が引き換えの対象になっている。つまり『人間』という種類です。この物語の大切なものそれは『乙涙』と『静涙』です。この二人は『翳楼』にとって宝物です。ただしこの二つの宝物には大きな隔たりがある。それは『過ごしてきた時間』と『乙涙との未来』です。この場合、翳楼が引き換えに奪われたものは人間と云う種ではなく時間なのではないかと分析してみました」

 聞き終えると、芯柔楼は楼子の淹れた紅茶を含み一泊置いた。そして言葉を紡いだ。

「成程。文面の上では自身の考えていること、を、私は包み隠さず書いてしまっているよう

ですね」

「小説とは元来そう云った類のものではないのでしょうか。現に、自身の考え、こうであってほしい、そうしていればよかったと云ったような後悔、欲望、創造、空想というものを抱えることをやめ、記述し残すための手段なのではないかと綴軌さんの書くものや他の著者の本を読んでいると、そう思わされます」

「……、そうかもしれませんね」

 その後、芯柔楼は何も云うことができなかった。

 それから三年の間、芯柔楼は新作を書くために自身の作品に対し、向き合ってさらなる進化を模索する故に様々な作家に逢って、住み込みのアシスタントとして業を盗むことに専念した。

 芯柔楼の主な仕事は資料集めと買い出しである。

美砂都みさと先生、資料と買い出しを終えて来ました」

 ソファで毛布を掛けて横になっている美砂都に芯柔楼は声を掛けた。彼女は現在彼が助手として世話になっている売れっ子作家だ。

本名を〝黒喜美砂都くろきみさと〟と云う。そしてペンネームを美砂都と云う。

「うぅん、そうか、ご苦労だったねシン。買い出したものはそこのテーブルに置いておいてくれ、ふぅあ」

 美砂都は眠そうに欠伸をしながら指示を出した。美砂都は芯柔楼のことを『シン』と渾名をつけて呼んでいる。

「美砂都先生、今日はある物を見てほしいのですがよろしいですか?」

「ああ、それはいいが、何を持って来たんだ?」

「小説です……私が書いた」

「わかった。見せてみろ」

 美砂都は芯柔楼から原稿用紙の束を受け取り、目を通した。

 唸りながら美砂都は暫く原稿を何度も読み返し、原稿を手放そうとしなかった。

「ふぅむ、ふぅむ。面白いよ。だが、これは読者を限定しているね」

「はい」

「これだけの物が書けるのならば、もうアシスタント卒業だね」

「え、本当ですか!」

「ああ、君と最初に顔合わせしたときは、驚いたよ。大きいリュックサックに原稿用紙と筆記用具だけだったからね。おまけに無一文ときたもんだ。だから、この事務所に住まわせ、家賃代わりに家事全般を引き受けてもらう契約を交わした。そしたら手慣れた手つきで熟していくから驚かされたよ」

「ええ、まあ実家でも家事全般は自分でやっていましたので」

「そうだったのか。今まで助かったよ。平塚に帰るのだろう。これは交通費だ。今までご苦労様」

「はい、此方こそ大変お世話になりました」

 芯柔楼は美砂都の事務所から去って、電車で平塚に帰った。

 芯柔楼は自分の住んでいる団地の部屋に浅井を踏み入れた。

 室内には本棚にぎっしりと本が綺麗に敷き詰められていた。だが三年前埃を被っているものが殆どだった。

 荷物を置いて部屋を出ると、芯柔楼は手提げ袋を手に提げ、『煙草屋後悔』に赴いた。しかし以前『煙草屋後悔』が建てられていた場所には建物はおろかぺんぺん草すら生えてない空き地となっていた。彼はそれを見て、動揺し、手に持っていた物を地面に落とした。

そして背後を歩いていた若い女性に店のことを訊くと、一年前に放火に遭って、住居者の女性が仕方なく建物を壊し、何処かに引っ越したらしい。

 とぼとぼとした足取りで団地に戻った。すると隣の部屋に表札がかかっていた。

当時隣の部屋には住んでいる者は居なかった筈だと思い、表札を見るとそこには藤倉と明記されていた。

思わず芯柔楼はチャイムを鳴らした。すると室内から「はーい、ただいま」と声がした。その声は彼の聞きなれたものだった。

扉が開かれた。その先に居たのは楼子であった。

「あ、綴軌さん。今帰って来られたのですか?」

「ええ、まさか隣に越してきているとは思いませんでした。先程表札を目にしてまさかと思い、チャイムを鳴らしたのですが」

「そうですか」

「お店が火事になったそうですね。先程、近くを歩いていた人から聞きました。怪我はなかったですか?」

「うん。すぐに窓から逃げたから火傷はしませんでした」

「そうですか。あのこれ、新しいのが書けたので持ってきました。読んでもらえますか?」

 楼子は無言で手提げ袋を受け取る。

「はい。綴軌さんが書くものを楽しみにしていましたので、是非読ませていただきます」


 最終章 綴る想い


 傾くこころ

              綴軌 芯柔楼

 男は公園の近くを歩いていた。

 すると見慣れない煙草屋が建っていた。

 男はそこで煙草を書くことにした。扉から入ると、髪の長い和服の綺麗な女性が座って店の番をしていた。

 男が女に煙草を頼むと柔和な笑みを浮かべて煙草を手渡した。

 女性は男に話しかけ、男が学生で、小説家を志していることを知った。そして二人は二言三言言葉を交わし、男は自信な書いたものを見せる約束を取り付け、その場を後にした。

 女性と会う日がやってきた。男は軽い足取りで、彼女のもとへ向かった。

 女性に会うと男は原稿用紙を見せた。彼女は男の予想もしない面白い感想を述べた。男はそれを聞くのが楽しみになり、何度も自分の作品を見せに通い詰めた。男は自分とは全く違う価値観を持つ女性に行為を抱き始めていた。

それに気が付いたのは彼女と会った最後の日、男は自分の考えの及ばぬ見方をした彼女を見て、惹かれていることに気が付き、もっと彼女の意見や感想が聞きたいと思った。だから男はその後三年間本格的に有名な作家さんのアシスタントをすることになり、様々なことを学んで、彼女のもとに戻ってきた。

目的は思いを告げること

「俺はあなたのことが……    」

 楼子が読み終えると、

「この続きを聞かせてください芯柔楼さん」

 頬を紅く染め貌を下に傾け、芯柔楼に云った。

「好きです」

 芯柔楼の口から零れた言葉を聞き、涙を目もとに滲ませた。

「私も好きです。傍にいさせてください」

               

                 完


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