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就職アドバイザーと、防御力(後編)

 能力を使う。


 そう言って、玉串さんは目を閉じた。

 数分。

 長い時間だった。彼女は姿勢を崩さずにただ閉じた目を中空に向けるようにしていた。

 そういえば彼女は、姿勢が良いのだなと今更ながらに気がついた。

 彼女は言葉を発さない。息すらしていないように見える。

 僕も言葉を発さなかった。

 店内には僕らの他に、何組かの客がいた。来たことに気づいた客もいれば気づかなかった客もいた。

 さっきの三人組の女性は、テーブルを囲んで何か食べている。匂いと会話からするとアジア系の何か辛いスープのようなものらしかった。ド金髪が食べられないわよ何考えてんの二人共とわめくのが聞こえた。

 隣のテーブルには、口ひげが豊かで頭髪が豊かでない中年の男がテーブルの上のタブレット端末と会話をしていた。男の上には50の文字。端末には女の子の写真……いや動いているから動画か……が表示されていた。その動画の女の子の頭の上には数字は出ない。直接見ないと数字は見えない。テレビの登場人物の数字が見えたりすることはない。

 マスターは相変わらず43の数字を背負って黙って佇んでいた。この店は頼めば結構色んな料理が出てくるみたいだ。カウンターに今座っている酔っぱらいがさっき頼んだ塩辛が出てきたところを見ると、そのレパートリーは思いの外底が深いのかもしれない。カウンターの酔っぱらいは、優しい味だこれは優しい味だと感想を呟いている。

「はい」

 突然、彼女がそう言った。見る。目を開いていた。

「……わかりました」

 僕は、咄嗟に睨んでしまった。

「ば……」

 続きそうになった言葉は、「ばかな」だ。

 わかった、そう言ったのか。ばかな。

「わかったんですか。二十三年間わからなかった能力が?」

「はい。三葉さんの能力は……」

「どうやって!」

 僕の言葉は幼稚にも大きな声になっていた。

「ええと……私の能力です」

「何なんですか? 超能力ですか?」

 いえ、そういう類のものではないです、と窘めるように言った。

「平たく言えば観察と共感、そして分析。それだけです。ずば抜ければ超能力と言うのでしょうが、私のそれは超とつけるにはまだとても足りません。言うならば……」

 少し考えるような間。

「微能力です」

 言ってから恥ずかしくなったのか、彼女の顔が赤くなった。

「ごほん。とにかく、私の能力でわかる答えを見つけました。たぶん。おそらく」

「自信なさげですね」

「自信はあります。でも自信は所詮、自分で信じているだけですから。三葉さんが信じられる答えかはわかりません」

「さっき任せてくださいって……」

「だから、自信はあります。私はこれが正解だと確信しています。……最初に言ったでしょう。人がやるべきことを探すお手伝い。私の得意技なんです」

 僕はそうしてややもすると理不尽に彼女を責め立てているうちに、やっと気持ちが落ち着いてきたらしい。

 失礼な話だ。僕のために考え続けてくれた彼女に、結果をいつまでも聞こうとしないなんて。

「すみません。取り乱しました。……聞かせてください」

 彼女は、わかりました、と言って。息を吸って呼吸を整えるようにしてから、言った。


「三葉さんの能力で測っている数字は、「辛さに対する防御力」です」


 え。

「……からさ? からさって……味覚、ですか?」

「はい。人がどれだけ辛い食べ物に耐えられるか、それを測っているのだと思います」

 そりゃ、いくら何でも。

「……あの、なんで?」

 思わずとれる敬語。

「まず私。24ということでしたが……確かに普通の人よりずっと辛いものが苦手なんです。ラーメンも辛いのだけはダメですからね?」

「あ、はい」

「そして、合コンで同席していた智子が81。母親がタイ人の智子は、舌が壊れていると私達の間では評判です。もう一人の眼鏡の友人が春美で同じく辛いもの好き」

「春美さんは……73か。え、そうなんですか」

「次にあちらの3人組の女性」

 さっきのやかましい三人組か。

「は、はい」

「食べている料理はかなり辛口のスープですが三葉さんが48だと言った女性以外のスコアの高い二人は平気そうに食べています。あの二人は確か……」

「68,74……ですね」

「そしてそれと同じメニューを今日、三葉さんが来店する前に食べていた男性がいたんです。私、少し早めに来ていたので見ていました。三葉さんが来店する時にすれ違ったご夫婦です。彼が65でしたね。そしてそのメニューに一口も口をつけなかった奥様が38」

 僕の表情はほころんでいた。感心してしまったのだ。

「……お……おお……」

 うめくだけでなく何か喋れ、と内心思う。

「そして、大学時代のラーメンサークル。ラーメンには辛いものも多いです。平均して高かったというメンバーが揃っていたのも頷けると思います」

 そう。そこも繋がった。60を超える人間ばかりだったあの集まりは、今思えば辛味噌を足したりする人間が多かったように思う。当時は学生は皆そうするもんだと思っていたところがあったが。

「凄い……そんな……今までわからなかったのに」

 僕が、熱心に分析を試みていた中学時代。

 考えてみれば、皆で食べる給食にそれほど辛いものが出されるはずもなく、学校が生活の中心である僕が皆を観察してみたところでなかなかわからなかったのだ。

 家族の数字もバラけてはいたが、家で食べる食事は味付けは普通。辛過ぎも甘過ぎもしない。

「なんて人だ……。なんてことを……はは……」

 複雑な気分だった。

 複雑な気分という言葉は、気軽に使うわりに実際には誰もそんなには複雑な気分ではないよな、と思うことが多かったが、今の僕こそどうしようもなく複雑な気分だった。

 こんなにも同時に複数の感情を抱えられるものなのか。

 混ざり合っていた。嬉しさ。驚き。嫉妬。安堵。落胆。悔しさ。恨み。悔恨。

「これが三葉さんの能力です。どうですか? ……納得いただけますか?」

 そう尋ねられた。僕はその混ざり合った複雑な感情の中に、絶望は無かったことを知った。

「……納得です。今まで考えた中で最も説明のつく仮説です……。前に同窓会でチゲ鍋を食べた時のことを思い出すまでもなく」

 大学時代のサークルで、罰ゲームで鷹の爪を食べさせられていたやつがいたが、今思えばなんて酷いことをしたのだろう。彼の数字は18だった。

「しかし……すごいショボい能力だなこれ」

 笑った。

 なんだそりゃ。

 辛さに耐えられる能力が測れる?

「ショボくなんかありません」

「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 冷静に考えてみると、僕はこれを就職に活かさねばならないのだ。

「無理があるでしょう。無理がありすぎるでしょう。だってどこの会社で必要なんですかこんな能力!」

 怒ってどうする。悪いのは彼女じゃないんだから。だから怒鳴るのをやめるんだ僕は。

「大丈夫です! 接待でタイ料理屋を選ばないように気をつけられます!」

「こんな能力なくても気をつけますわ!」

 思わず言葉が崩れる。

「えっと……じゃあ逆に数字の高いお得意さんがいたらタイ料理屋に連れて行くとか?」

「数字が高いのと好きかどうかはまた別でしょ。辛さだけが味の基準じゃないですし」

「えっと……えっと……」

 言葉に詰まった玉串さんに謝る。

「いやすみません、ありがとうございます。大丈夫です、フォローしなくて! あーもう! ていうか、味覚ってなんだよ? 防御力? どこが? うちの家系は肉体の頑強さとかそういう方向性じゃなかったのかよ? 爺さん!」

「あの、厳密には辛さは味覚ではなく痛覚ですから。だからむしろ防御力と言うのがあっているというか」

 ……はあ、はあ。

「なるほど。いやすみません頑張ってフォローして頂いて。でももういいんです。これではっきりしました。僕の能力は……それを活かして働くことなんかかなわない、どうしようも無いものだった」

「そ、そんな……。待ってください! 今考えますから、私が必ず! だってそれが私の仕事ですから」

「いや、いいんです。もうすっきりしました。ずっと引っかかっていた小骨が取れた気分です。がっかりしてるけど、がっかりだけじゃないんですよ。ほっともしてるんです。もう能力のことなんかにこだわらずに就職を考えられますから」

 それは本心だ。

「さっき呪いって言いましたけど、呪いは解けたんです。もう僕は自分の能力が何かなんて気にしない。考えてみりゃ誰もが、そんな超能力なんてなしに生きてるんだ。人生に必須のものじゃないですよね。特殊能力なんて」

「……あの……本当にそれでよろしいんですか」

「よろしいですよ。……いや、まだちょっとだけ未練はあるのかな。でも、いずれなくしていけると思います」

「……私、お役に立てたんでしょうか」

「もちろん」

 僕は握手を求めた。

「だって、僕の能力がはっきりしたんですから。大げさな言い方かもしれないけど、僕は人生を今日やっと始めることができるんです。能力の方は残念でしたけどね。人がどれだけ辛さに耐えられるかを判定するなんていう、どこを探しても誰も求めてない能力でしたけどね」

 自虐的に言ったその時。


「それは違うな。坊主」


 隣のテーブルだった。

「うちで働け」

 その禿げ上がった頭の上に50の数字を掲げた男。

「俺の名は藤倉敏夫。カレー屋の店主だ」

 料理店の店主にしては伸びた髭。

「もう一度言う。坊主、うちで働け。お前の能力が今話してたものならな」

「どういう……え?」

 おっさんはその腕と同じくらい太い声で語りだした。

「俺の長年の夢はな、どこの誰であろうと、辛すぎず甘すぎず、「ちょうどいい」と思える辛さのカレーを出すことだ。だが俺には客が辛いと思ってるのかどうかわからない。何度も食べてもらって感想を聞いて調節していくしかないんだ。だが客は俺に気を使って感想を正直に言わないし、言ってくれたとしても毎回感想を聞かれる店なんてみんな嫌がる。誰にも尋ねずに、お試しで食べてもらうこともなしに、その相手にとってのちょうどいい辛さを知ることができる能力。素晴らしいじゃないか。それが必要だった」

 そのたくましい腕が僕のほうに突き出された。

「お前のその能力は、この世界中で誰も持っていない偉大な力だ。それがあれば……初めての来店客にもちょうどいい辛さのカレーを提供し、誰でも同じ「ちょうどいい辛さ」の感覚を味わえる、究極のカレー屋が開ける。俺の夢だった。ずっとな」

 その開かれた手が、僕に差し出された。


「お前の力が必要なんだ」


 結論から言うと、僕はその手を握り返していた。そして言っていた。

「僕、飲食店のバイトはやったこと、あります」

「上出来だ。カレーの作り方は俺が仕込む」

「え、作るほうもやるんですか僕」

「当たり前だろう。俺の後継者になるんだから」

「なるんですか?」

「なるんだよ。お前しかいない」

「……」

 玉串さんのほうを見ると、彼女はこぶしを握ってその薄い胸の前に持ってきていた。

「……やります。よろしくお願いします」

「よし。明日から出られるか」

「今日からでも」

「さすがに店を閉めてる」

 がはは、と笑って藤倉さんは店の住所だけを知らせてバーを出て行った。


「……引き受けちゃった」

 見送ったまま座ることもせずに、しばらく、玉串さんと顔を見合わせていた。

 たっぷり数分そうしていてから。

「僕、就職、決まりました。あ、違うか、バイトかまだ」

「すごいニヤけてますよ、顔」

 そんなに言うほどじゃあ無いはずだ。……多少は笑顔になっているとしても。

「あ、その……。当面バイトかもしれないですけど、今までのとは違うんです。玉串さんのおかげです」

「三葉さんの能力が芽吹いたんですよ。今まで頑張って育ててきた種だからこそ、です」

「でも、カレー屋か……。僕厨房はほとんどやったことないんだけどな」

「頑張ってください。せっかく顔を出した芽を育てていくのは、三葉さんですよ」

「そうですね……。いっちょ、頑張りますか」

 はい、と彼女は手を出した。握手する。

「そうだ、どうですか今度お礼をかねて……」

「お仕事最初は大変だと思いますけど、落ち着いた頃に食べに行きますからね、がんばってくださいね!」

 さりげなく食事に誘おうとした僕をかわし、「それじゃこれで」と玉串さんは店を出て行った。

「……」

 ふう、と肩の力を抜いて。

 僕は店内を見回した。客達のうえに浮かぶ数字が、これまでになく愛おしく思えた。

 マスターに笑顔を向ける。43の文字が踊っている。

「マスターも、そんなに辛いの得意なほうじゃないんですよね。だからこの店のメニュー、味付けが優しいんですね」

「恐れいります」

 無口なマスターに、僕はまた来ますとだけ告げた。

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