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アサガオの模型と、タイムトラベル(中)

「ええ。私がわざわざ朝顔の種の作りものなんか用意してきたのはそれをわかってもらうためですよ。初めっから全部の部屋を用意するんじゃないんです。さっき私がやったみたいに、十日ごとに新しい部屋を、それぞれ一から始めるんです。同じ種、同じ机、同じ家具、そして同じ人間で」

「……なるほどなあ」

「種と同じように、机も椅子も十日ごとに一個新しいのを作るんです。それを新しくスタートさせた部屋に入れるんです。……最初の最初は、部屋は一部屋だけです。つまりタイムトラベルはできない。でもそれが十日後には二部屋になって、その間でならタイムトラベルできるようになる。それが二十日後に三部屋になり、さらにタイムトラベルできる時間幅が伸びる。七部屋できた時には最長六十日の移動が可能になっています」

「どんなに過去に戻れても最後に作られた部屋までだし、逆にどんなに未来に行けても最初に作られた部屋より先にはいけないというわけだ」

「そういうことです」

 頷く。

「しかし同じ種や同じ机はいいとしても、同じ人間なんてどうするんだね」

 教授はわかってて聞いているのだ。

「もちろんクローンですよ。人間のクローン受精卵を大量に用意しておくんです」

 私はレモンサワーのおかわりを頼もうと手をあげた。

「受精卵は冷凍しておくわけか」

「そうです。それを十日に一個取り出して、解凍して育て始めるわけです」

「産む母親はどうするんだ」

 私はレモンサワーを吹き出した。男の教授にそれを言われるとは。

「教授すみません。そこまで考えてはいませんでした。確かにそうですね。出産に人が絡むのは難しい。人工子宮を使うしかないと思います。だって、解凍した受精卵を宿してくれる母親役が見つかったとしても、それぞれの部屋に別の母親がいたら意味がないですもの。「同じ時間の流れの中での過去」にならなくなっちゃいます」

「……倫理的には色々問題があるな」

 マスターが来た。私はレモンサワー、教授はビールのおかわりを頼む。

「机上の空論です。目をつぶってください。……いいですか? その部屋には、部屋ができた時に植えられたアサガオの種、部屋ができた時に作られた家具、部屋ができた時に解凍された受精卵から育つ赤ん坊、がある。つまり、途中でよそからやってきたものは一個も無い。完全に除いておくんです。そうするとどうなります?」

 教授は顎をなでた。この仕草は、「君の回答を聞こう」という意味だ。

「十日ごとに新たに誕生するこの部屋群は、それぞれ全く同じ状態でスタートして同じように時間が経過していくんです。アサガオは同じように育ち、家具は同じように痛んでいき、赤ん坊は同じように育っていく。同じ遺伝子を持った人間が同じ環境で育つんです。同じ人格を持った同じ人間になっていく可能性が高い。……つまり、全く同じ歴史を辿るんです」

「つまり、コピーか」

「そうです。でもコピーと違って……時刻は少しずつずれています。だから、「タイムトラベル」ができるんですよ。隣の部屋へ行けば、そこには全く同じ世界の十日後、あるいは十日前が存在しているんです」

「確かにタイムトラベルだな。隣の部屋には同じ人間がいるが、ちょっとだけ若い。あるいはちょっとだけ年老いている。まさに過去、未来へ会いに行けるというわけだ」

「そういうことです」

 教授は目を細めた。

「しかし最初の赤ん坊を育てるのは大変だぞ。親となる人間なしではな。それはどうする。親は用意できないのだろう?」

 私は微笑む。

「そこは育児ロボットでしょうねえ。個体差の生じないロボットを使うしかないでしょう」

 今のロボット技術ならば可能な話だ。だいぶコスト高だけれど。

「授乳から言語教育までか……完全に人間が関与しない育児は世界的にもまだ報告例が少ない。困難だし、それに……」

 教授は首を振った。

「たった一人で生きていくことになるのか。その赤ん坊は」

 教授はとても心優しいのだなと私は思った。だから言う。

「そんなことは限りません。二人でもいいんです。その部屋の中で生まれた人間なら良いんですから」

 教授は目を丸くした。まさか教授だってそのくらい考えていただろうに。

「最初の赤ん坊を二人、男の子と女の子にしておけばいいんです」

 教授は口元をゆがめる。

「アダムとイブか」

「ええ。二人が成長して子供をなせば、二人が親になって育てることができます」

 私は脳裏に思い浮かべる。ある部屋を開くと、二人の若い夫婦と、小さな赤ん坊がいる。そして……。

「もちろんその隣の部屋を覗けば、そこには十日だけ若いアダムとイブがいて、十日だけ幼い赤ん坊を育てているというわけか」

 教授も同じ絵を浮かべている。

「そうです。三十年で千部屋でしたっけ? つまり二人が二十歳の時に生まれた赤ん坊が十歳になった時に、千部屋前の扉を開けると、三十年前ですから、生まれたばかりの両親がそこにはいるということになります。どうです? タイムトラベルそのものでしょう」

 少しだけ、揉み手かと思うような曖昧な手つきで教授は拍手のジェスチャーをした。

「面白い発想だ。だが……まあ君もわかっているだろうがな、同じ歴史を再現するというのは困難だよ」

 そう、わかっている。

「バタフライ効果の話くらい知っていますよ」

 教授は頷いた。わかっていても聞け、ということだ。

「アサガオでさえ、同じ種から同じ時期に発芽するわけでもなければ同じ形に花をつけるわけでもない。きっちり十日で芽が出るものか。小学校の一学級でいっせいに植えた種の発芽時期が平気で一週間二週間ずれるだろう。なぜああも違うのか。気温や湿度が一度変わるだけで、あるいは種の周りの土の構成成分がバクテリア一個分違うくらいで、どんな影響となって現れるともしれん。人間の発生なんてもっと複雑なんだ。発生過程での突然変異がどこかしらで起こるからこそ、一卵生双生児だってあんなにも違うんだ」

「一卵生双生児はクローンと同じです、同じですよ」

「同じじゃあない。彼らは確かに遺伝子は一緒かもしれんが、遺伝子なんてものは所詮は設計図。設計図通りに作られて設計図通りのまま死んでいくわけじゃないさ。成長する過程で怪我をするかもしれん。病気にもなるかもしれん。それが性格にも影響するかもしれん。わかるだろう? 部屋部屋を覗いてみると、そこにはよく似た人間はいても、同じ人間はいないんだ。それは正確には過去じゃないんだよ」

 ……その通りだ。私にもそれはわかる。

 だから、答えは用意してある。

「同じ日数の部屋を何部屋も作るんです」

 教授は一秒、黙った。

「保険をかけるわけか」

「ええ。最初の部屋は一つです。でも、二つ目の、つまり「十日前」の部屋は十個作るんです。全く同じように種を植えて。教授の言うようにその十の部屋のうちいくつかは、発芽しないかもしれない。もっと早く芽が出てしまう部屋もあるかもしれない。でも、最初の部屋と同じように十日目に発芽する部屋もあるでしょう。その部屋だけが……」

「同じ歴史をたどったわけだな」

「ええ、つまり……」

「本当の過去だと」

 教授に言葉を取られてしまう。

「そうです。そしてそれ以外の部屋は……ひょっとするとあり得たかもしれない、別の世界。パラレルワールドですね」

 教授は目を細めた。

「いいだろう。だがすぐに破綻するぞ? 十部屋のうち、運良く十日目に発芽した部屋が五部屋あったとしよう。だがそれがさらに十日経った時、その五部屋が全て最初の部屋と同じ経過をたどるとは限らん。本葉が育たずに枯れる部屋もあるかもしれん。枯れなかったとしても葉の育ち方に差が出てくるかもしれん。さらに十日、さらに十日と時間が経つにつれ、差がどんどん広がるぞ。花が咲くタイミングまで揃う部屋なんて十部屋のうち一つもないだろう」

 教授の言うとおりだ。

「そうです。時間が経てば経つほどにズレは大きくなって、ちゃんと正しく同じ歴史をたどる部屋は減っていく。開花の日まで同じタイミングになる確率なんて何百分の一、何千分の一か……。ああいや計算したわけじゃありませんが、とにかくもの凄く低いでしょう」

「気温や日照時間なんかの条件を極力揃えれば、確率を上げることはできるかもしれないがな。それでも差が出る。朝顔ならまだしも、相手が人間なら……」

「ええ。相手が人間だと、それはもっともっと大きな差がどんどん広がっていくでしょうね。最初の部屋の赤ん坊と、まったく同じように赤ん坊が育ってくれる部屋なんて、何億と部屋を用意したとしてもできるかどうか……」

「何せ何十億と人間がいるこの地球に、まるで同じ人間が見つからないのだからな」

 教授はまたマスターにビールの追加注文を頼んだ。そして言う。

「わかっただろう。机上の空論だよ。君の言うタイムトラベルの仕組みなんて」

「いえいえ。教授」

 私はすまして言う。

「諦めるのは早いです」

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