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アサガオの模型と、タイムトラベル(前)

「タイムマシンを発明した、というのかね」

 私にそう尋ねると、上川教授は腕を組んだ。そうして眉間にしわを寄せていると、人間の皮膚をどこまで畳めるか挑戦しているかのようだ。

「いいえ、違います。タイムトラベルが可能な仕組みを考えた、と言っているんです。過去に行ったり未来に行ったりできます」

 私は上川教授の教え子だ。大学を卒業してしまったが、在学中から馬があい、今でもこうして杯を酌み交わすくらいには仲がいい。

「バカなことを。タイムトラベルは時間順序保護仮説に反してだな……」

 教授はよく知られた、タイムマシン不可能説を唱え始めた。私は遮る。

「わかってますそんなことは。違うんです。正確に言えば、本当のタイムトラベルではありません。タイムトラベルと同じことができる仕組みを考えたんです」

 私はレモンサワーのグラスをテーブルに置いた。

「いいですか? 考え方は単純です。そうですね、博士、その小皿をとってください。三枚、いいですか?」

 卓上に置かれた取り分け用小皿を博士は三枚こっちによこした。

「この小皿を部屋だと思ってください。全く同じ大きさで同じ間取りの、区別のつかない部屋が三つある」

 教授は何も言わずにうなずいて、ビールの中ジョッキをぐいと飲み干した。

「一つ目の部屋で、ある日、花の種を植えます」

 私は右端の小皿に種を置いた。

「部屋には植木鉢でもあるのかね?」

「ああ、そうです。三つの部屋にそれぞれあります。その植木鉢に種を植えるわけです。……例えばアサガオの種を」

「そうかね」

 花の種類には興味がなさそうだった。

「植えてから十日くらい経つと、芽が出ます。ほら」

 そう言って、一つ目の皿から種をつまみ上げ、代わりにポケットからとり出した別の種を置いた。こちらの種は割れていて、隙間から双葉が顔を出している。

「作ったのかね」

「わかりますか? ええ。紙と粘土で。よくできているでしょう」

 昔から工作は得意だった。

「さて、ここからがポイントです。一つ目の部屋でアサガオが芽を出した丁度その日に、二つ目の部屋で新しいアサガオの種を植えます」

 今度は真ん中の皿に、葉の出ていない新しい種を置いた。

「そしてまた十日くらい経つと、どうでしょう。一つ目の部屋ではさらにアサガオが育って……双葉を押し退けて本葉が出てくる頃です」

 教授の視線が私の左ポケットに延びた左手に注がれている。

「お察しの通りです。これも作りました。本葉が出てる種」

 言ってポケットから取り出した本葉つきの種を、一つ目の皿の双葉つきの種と交換した。今度のは双葉より大きくて色の濃い本葉が二枚広がっている。この色合いを出すのに苦労した。

「君は暇なのか?」

「学生時代よりは暇ですね。社会って甘いですよ案外」

「なら大学に戻ったほうがいいな」

 教授のさりげない誘いに私はにやりと笑って答えず、話を戻す。

「一方その頃……真ん中の部屋でももちろん十日経過しているので、二番目に植えたアサガオが双葉を出し始めますよね」

 言って、今度は真ん中の皿の種を、双葉つきの種と交換した。さっきと同じように。

「そしてこの日、今度は三つ目の部屋で、同じようにまた新しい種を植えるんです」

 左端の皿に、葉の出ていない種を置く。

「さあ、見てください。この三つの皿……部屋を。一つ目の部屋は種を植えてから二十日。本葉が出ています。二つ目の部屋では種を植えてから十日。双葉が出たばかり。そして三つ目の部屋は種を植えたばかりです」

 教授はビールのジョッキを再び傾ける。そして退屈そうに言った。

「十日ずつ種を植えた日がずれている三つの部屋があるというわけだ」

「そうです。これをずっと続けていきます。四つ、五つ、六つ、七つと十日経過するごとに部屋を追加していくわけです」

 私は積まれてあった小皿をさらに、左端の皿の横に四枚並べた。

「そうして、更に四十日……つまり最初の種を植えた日から六十日が経過する頃には……こうなっています」

 まず三枚の皿にある、芽の出てない種、双葉、本葉をとんとん、とんとん、と四皿分左へ移動する。そして本葉の皿の右から新たに三つの創作物を置いた。やや大きくなった本葉のついた種、さらにつるが伸びてきて葉の数も増えた種、そして数を増やした葉とともにつるの先につぼみのついた種。

「アサガオの成長過程の模型か。君も変わったことに凝る」

「恐縮です。そして、成長したアサガオは六十日後には、見事に……花をつけています」

 最後に空いていた皿……一番最初の皿に、胸ポケットに入れていたアサガオの花を置いた。

「少々しおれてしまっているな」

「この花だけは本物なので」

 教授は笑った。私も笑う。

「で、どうしてタイムトラベルができるのかね」

「まあ教授はもう想像がついていると思いますが……。一応説明します。ここにずらりと並んだ七つの皿……七つの部屋には、見ての通りアサガオが植えられてから開花するまでの経過が、十日くぎりで現れています。これを一本のアサガオとみなすんです。すると……おわかりでしょう? 七つの部屋はある一つの部屋の時間の流れを表しているとも言えるんです。この真ん中の四番目の部屋を「現在」だとするなら、左端の、まだ芽が出てない部屋は三十日前の「過去」ですし、右端の、開花した部屋は三十日後の「未来」ということになります」

 教授は頷く。

「つまり、その部屋と部屋の間を行き来することで、擬似的に未来から過去へ過去から未来への時間旅行を体験できるというわけだ」

 笑いあう。酒の席だ。

「色々言いたいことはあるでしょうが、もう少し聞いてください。この部屋に、アサガオ以外にも置いてみましょう。たとえば家具。この芽の出てない左端の「初日」の部屋には、新品、たった今組み立てられたばかりの家具を。隣の「十日後」の部屋には、組み立てられてから十日経った家具を。もちろん「六十日後」の部屋には組み立てられてから六十日経過した家具を置きます」

「なるほどな。アサガオ以外にも部屋の中にあるものの全てに同様の時間経過を再現しようと言うんだな」

 教授の相づちが丁寧だ。酔っている時、私は頭が回るほうだが教授は鈍るほうだと言っていた。

「そうです。アサガオほどでなくとも、家具も皆、時間が経てば変化が現れます。日光に当たってタンスが日焼けしていったり、イスの足がすり減ってグラグラしてきたり。あるいは食卓の上に汚れが増えていったりとか」

「エアコンから水が飛ぶようになるとか、布団がかびてくるとかな」

 教授はそういえば独身だった。身の回りの世話をしてくれる人が必要だな、と私は思う。

「そうです。六十日くらいじゃ家具には大した変化はないでしょうけど、何ヶ月、何年、何十年と続ければ見た目にわかるいろんな違いが出てきますよ。この七部屋で終わらせずに、もっともっと足していくんです」

 私がさらに小皿を取ろうとするのを教授は制した。

「……そうだな。だが十日ごとだと一年で三十六部屋だ。三十年も続けると千部屋を越すぞ」

 教授は酔っていても計算は速い。私はうなずく。

「ええ、でも千部屋用意すれば、最初と最後の部屋で移動するだけで三十年のタイムトラベルが可能になるんです。途中を何部屋にするかは、どのくらい細かい単位でタイムトラベルをしたいかによりますよ。部屋と部屋との間を一年単位にすればたった三十一部屋で済みますけど、一年区切りでしかタイムトラベルできません。頑張って千部屋こしらえれば、十日単位で精度の高いタイムトラベルができますよ。四年と三ヶ月と十日前に行こう、みたいなことができるんです。四年と三ヶ月と十日前だと……何部屋分かと言うと……」

「1500日前だから、丁度150部屋分だけ前ということになるな」

「えっ。キリがいい数字ですね。ホントですか」

 驚いた私に、教授は呆れたような目をした。

「計算して言ったんじゃないのかね」

 私は頭をかいた。昔から暗算は苦手だ。

「教授の仰る通りです。150個手前の部屋に移動すれば四年と三ヶ月と十日前に移動できるわけです。でもこんな細かい単位で移動しなくていいやって言うなら」

「この部屋の数を減らして、時間の間隔を開ければいいわけだろ? 一年ごとに一部屋作る」

 教授は卓上に広げてあった七枚の小皿のうち真ん中の五枚から私のオブジェを除いて、皿をもとの状態に積み上げた。

「そうです。それだと一年間隔でしかタイムトラベルできません。一年前の状態の部屋ならありますが、半年前の部屋はありませんからね」

 教授は首を鳴らした。おっと、反撃の合図だ。

「君の言った通り、色々言いたいことはあるな。些細なことからいくとな。そんなにたくさんの家具なんて用意できるものかね。都合よく、作られてから十日経過した机、二十日経過した机、三十日経過した机……。しかも同型、同色の机じゃなくちゃならんのだろう? 何十年も経ったらメーカーだって倒産しとるかもしれん」

 私が答えようとする間もなく、教授はさらに畳みかける。

「よしんば頑張って家具を揃えたとしてもだよ。その部屋には肝心なものがない。生き物だ。人間から見て区別のつきにくい植物くらいならいいだろう。だが個体差の大きい動物ならどうする。十日ごとの、徐々に成長する猫の役をどうやって探す? 同じブチ模様で、成長過程にそっくりな猫を何十匹も揃えられるか? ……まして人間はどうする。世界中にそっくりさんを探しに行ったところで、見つかるのはせいぜい三人だろう。ドッペル……」

 私は人差し指を立てた。さすがにそれを横に振るのはやめておく。もう師弟関係ではないとはいえ、目上だ。

「教授。見つけるんじゃありません。仰るとおり、猫ならまだしも人間じゃ難しい。世界中探したってそんな都合良く「よく似てるけどちょっと若い人」なんて見つからないのはわかりきってますよ」

「ならどうするのかね」

「作るんです」

 ……。しばしの沈黙。教授は笑った。

「ほう」

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