エルフと看板娘
「あ、ねえお客さん、もしかしてエルフですか!?」
静かな店内に甲高い声が響いた。
カウンターで振り返った高梨美空は、意外な相手に思わず微笑んだ。
「あら、あなたが噂の。最近入ったっていう、このバーの看板娘さんね?」
朗らかに笑う「看板娘」の声はやさしく店内を照らす。美空は久しぶりの来店だったが、来るたびに違う雰囲気を見せるこの店が好きだ。
「えへへー。おひとり様ですか? こっち来てくださいよう。一緒に飲みましょうよー」
「あら。いいわね。マスター、いいかしら?」
白髪の目立つマスターは、どうぞ、と微笑んだ。
美空はスツールから腰を浮かす。すらりと伸びる綺麗な足が、淡い色のスカートに浮き出る。奥のソファ席へと移動。手には飲みかけのシャンディ・ガフ。
「マスター、わたし、スクリュードライバー!」
心から楽しそうな声に、美空はぷっと吹き出した。
「あなた飲めないでしょ?」
「あ、バレました? まだ未成年なんですよう」
「……あらら。なるほど」
だがマスターは注文通りオレンジ色のグラスを運んできた。
「でもいいんです、雰囲気だけでも味わえれば」
面白いわね、と美空は微笑んだ。
「ねえお客さん、お名前教えてくださいよう」
「美空よ。あなたは? 名前はあるの?」
「私、ユナです。よろしくお願いします、美空さん」
よろしくね、と美空は自分のグラスを持ち上げた。
「お客さん、エルフですよね? 耳、長いですもん」
美空の耳は、確かに少し長かった。普通の人間の耳に比べるとやや尖った形状。しかし耳以外は少し髪の色が薄いぐらいで、日本人と変わらない。非常に美人ではあったが。
「その通りよ」
「すごーい!」
悲鳴かと思うような高い声。美空は思わず肩をすくめて苦笑した。
「エルフって私初めてお会いしました」
「そう? 最近はこっちにも増えてきてると思うけどね」
「私ぜんぜん外に出ないんですよう」
「このお店には来ないの?」
ええまだ来たことないです、とユナ。店内の様子を見るに、そもそも客が少ないのかもしれなかった。
「エルフってみんなお姉さんみたいなんですか?」
「まさか。……あ、ごめんその質問、どういう意味?」
美空は不意の問いに思わず答えてしまってから、少し慌てた。
「え、お姉さんみたいに美人なんですか? って」
ユナの返答に美空はため息を漏らした。
「なんだ、そういう意味……。ありがと。もちろんエルフはみんな美人よ」
美空は冗談っぽく微笑む。
「お姉さん、エルフっぽくないですね」
あら、と美空は目を大きくして笑った。
「そうね、私はいわゆる二世なのよ。両親がこっちの世界へ二人で移ってきてから、私が生まれたの。だから中身は日本人と変わりないわ」
日本語のほうが上手だしね、と笑う。
「私も、中身は日本人です!」
あははと二人は笑いあった。
「あの……さっきの「そういう意味」ってどういう意味ですか?」
「……ああ、ごめんね。私はちょっとエルフの中でも特殊な種族で。一瞬そのことかと思って」
「え……なんですかそれ。聞きたい! あ、良かったら聞いてもいいですか?」
ちょっと間が空いた。
「ええ。そうね……、聞いてくれる?」
くすりと笑った。高梨美空は、普段それほど自分のことを喋るのが好きではなかった。でも今夜は酒のせいもあろうか、あるいは初対面のこのキンキン声の看板娘が好ましく思えたのか、なぜだか口が軽くなっていた。
美空はその長い髪をなでた。
「長寿、なのよ」
「ちょうじゅ?」
「ええ。すごく長生きなの。エルフは生物学的にはほぼ人間だし、環境条件が同じだったら寿命も人間と同じようなものなんだけどね。でも稀に、遥かに長い寿命をもつエルフが生まれるの。私はそれなのよ」
「長寿……。あ、聞いたことあります! ハイエルフってやつですか? とても長い寿命を持つエルフ族。でも普通のエルフと違って、こっちの世界にはほとんど来てないって聞きましたけど」
美空は微笑んだ。
「そう。ハイエルフ。人間はそう呼ぶけどその名前も変なのよね。エルフの「上位種」ってのはだいぶニュアンスが違うもの。古代種って言うほうが近いかしら。ああでも、実際には種が違うってわけじゃないの。普通のエルフの中に稀に生まれる、長寿の個体のことなのよ。太古のエルフは寿命が長かったという伝説があってね。それにちなんでるだけ」
「そうなんですね。勉強になります。長寿って、どのくらい長いんですか?」
「ん?」
美空はにこりと微笑んだ。
「千年」
「……せ、千年!?」
また甲高い声が響いた。
「正確なところはよくわからないけど、あちらの世界のハイエルフの記録を調べてみると、そのくらい生きるみたい。父が言ってたわ」
「お父さん……も長寿のエルフなんですか?」
「いいえ。父は違うわ。普通のエルフ。母もね。なのに私は特異体だったの」
おかわりお願い、と振り返ってマスターに声をかけた。美空はこんな速いペースで飲むのは久しぶりだった。
「ねえ、私、いくつに見える?」
不意にそう尋ねた美空の口調は軽かったが、ユナはしばらくウンウンと唸って考えた後、クイズ番組の回答者のように緊張した声で答えた。
「に……二十五……くらいですか?」
「……」
「あ、や、やっぱり二十歳……いや二十二……」
美空は思わず息を漏らし、ユナの前で手をパーの形に広げてみせた。
「あ、やっぱり二十五歳ですか?」
「ううん。五十歳」
「ひええええ!?」
またもや悲鳴のような声が店内に響いた。客が少ないのが幸いだった。
「ユナちゃん、驚く時、もうちょっとボリューム抑えたほうがいいわ」
「だって、ぜんっぜん見えないですよ」
「でしょうね。そりゃそうよ。これが長寿エルフの特徴なの。二十代前半くらいで成長が止まり、老化は物凄くゆっくり進行するのよ。だから子供のうちは区別がつかないのよね」
「うーらやーましいー」
「何言ってんの。ユナちゃんが羨ましがるのはおかしいでしょ」
美空は、自分が長寿であることを他人に話すのは初めてだった。いったいなぜ話す気になったのかと少し不思議な気もしたが、ユナになら何でも話したくなってしまう、そういう雰囲気が彼女にはあるのかもしれなかった。
「でも……千年ですか……。想像もつかないなあ。老化がゆっくり進行するってことは、向こう数百年、若い状態が続くってことですよね? 千年っていったら三十何世紀ですよね? どんな未来なんだろう」
「そうね……。どんな世界なのかしらね。千年どころか、この十年だってめまぐるしく変わる世の中だもの。想像つかないわ」
美空は、からりとグラスの氷を鳴らした。既に空になり、氷はすでに半分以上溶けていた。
「何か飲まれますか?」
ユナにありがとう、と言って「じゃあ何か軽いやつを」とマスターに言った。
「ねえ、どうして普通の人間の寿命は八十年なのかしら」
そして少し酔った目でユナを見て言った。
「さ、さあ……」
もちろん人によって差があるけどさ、とつぶやいて続ける。
「こういう話を聞いたことがあるわ。自然界では小さい動物ほど早く死ぬ。大きな動物ほど長く生きる。でも一生の間に心臓が脈を打つ回数は、小さい動物も大きい動物も同じなんですって。小さい動物は心臓が早く鼓動している。大きい動物の鼓動は遅い。そしてそれは心臓の動きだけでなく、その生物の過ごす時間の流れの速さも同じなの。すなわち、仮に小形動物の三倍の寿命を持っている大型動物がいたとしても、大型動物の時間の流れは三倍遅くって、だから大型動物も小型動物と同じだけの時間感覚でその一生を生きているのよ」
「一生の長さの感じ方は、どんな動物も同じってことですね」
「その考え方でいくと、人間ぐらいの大きさの動物は、もっと早く死ななくてはならないそうよ。それなのに、人類だけがやけに寿命が長い」
「人間だけは、高度に発達した医療技術の恩恵を受けられるからじゃないですか」
「そうよね。実際、向こうの世界で暮らすエルフの平均寿命はこっちに来たエルフよりも短いそうだもの。こっちの世界ではも百年前は六十歳くらいが平均寿命だったんでしょ? その前はもっと短くて。でも今は八十を超えて、九十に届こうとしている……」
マスターが何か飲み物を持ってきた。それが何かは言わなかった。美空も聞かなかった。
「でも……今度は長すぎる寿命に、頭がついていけなくなった。そう思うことってない?」
「えーと、ボケちゃうことを言ってるんですか?」
ええ、と頷く美空。
「精神というか知力というか、つまり脳の寿命かな。脳の寿命が、そもそも六十年から八十年くらいしか無かったのではないかしら。自然界の動物たちなら、脳が寿命を迎えるずっと前に肉体のほうが先に限界が来る。だって脳が衰え、知力や精神力が衰えてきたら自然界では生存確率が下がるもの。でもこの世界の人間の社会の中では、それでも生きられる。平和と安全のおかげで」
「ボケちゃうのは頭の寿命……ですか。そうかもしれないですねえ。人によって衰える時期にはかなり個人差がありますけど……。百十歳こえても全然ボケない人私知ってますし」
「そうね。ボケない人は本当に年取っても頭が冴えてるし、かといって早くにボケる人は四十とか五十から来るっていうものね」
でね、と美空は話を続けた。
「私は思うのよ。この頭のほうの寿命がだいたい六十年なのか八十年なのか百年なのかわからないけど、もしそういうものがあるんだとしたら、それはどうして決まるのかしら」
「頭の寿命がなぜ来るか、ですか?」
「そう。私思ったのよ。生きているうちに、頭の中に澱のように降り積もって溜まっていくものがあるんじゃないかって」
「おりってなんですか?」
「たとえば川の底に、砂や砂利がたまっていくでしょう? 長い長い年月をかけてゆっくりと。あんな風に、頭の中に、徐々に徐々に溜まっていくものがあるんじゃないかって思うの」
「……何が降り積もっていくんでしょう」
「思い出とか、記憶とか、かな」
同じことを言ってるわね、と美空は苦笑した。
「脳という器官の重要な能力は、忘れることだそうじゃない。辛いこと嫌なことを、いつまでもはっきり覚えていて頭の中をそれが占めていたら辛くてやってられない。それを忘れることができるから生きていける」
「ああ、言いますね……。私は記憶力が良いほうだから困っちゃうんですけど」
あはは、と美空は笑った。
「そうね。あなたは忘れるのは苦手そうね。でもね、たぶん皆もそうで、忘れたようで完全に忘れることってなかなかできないのよ。頭の中心、いつまでも意識の上を占めてしまうわけじゃないけれど、それでも頭の片隅には残ってしまう」
「おりのように、ですね」
「そう。川底の泥がたまに吹き上げられるように、忘れたと思ってたことを何かの時には思い出すのよね。はっきりとは思い出さなくても、同じような状況になったらなんとなく嫌な感じがしたりする」
「あー、一回美味しくない食べ物食べた場所に来ると、次に来た時に何も食べてなくてもその味を思い出しますよね。そういうやつですね」
「面白いこと言うのね。ユナちゃんがそんなこと言うとは思わなかった。その通りよ。他にも、彼氏にフラれた喫茶店にはなんとなく足が向かない、とかね。そんな風に、忘れたいことでも完全に忘れることなんてできない。消えないまま、頭の中に溜まっていくのよ」
とろん、とした目で美空は続ける。
「それが溜まって溜まって、だんだんと、「素直な感動」とか「素直な喜び」ってのが味わえなくなる。溜まった澱が、蓄積されてしまった記憶が、人生の邪魔をするの。何か楽しいことをしてても、なぁ~んにも心配事のない子供の頃のようにはいかないの。辛いことも楽しいことも、全部折り重なって後ろに透けて見えるのよ。恋愛映画を見ている時に昔ドロドロの喧嘩をした思い出が蘇ったり、ゆったりとした美しい街並みを見ながら、子供の頃に見た景色が重なったり」
「でも、それが人生の深みってやつじゃないですか」
ユナの言葉が意外だったのか、くすりと笑った。
「そうね。そうなんだと思う。思い出は嫌なことばかりじゃないしね。何でもかんでも綺麗サッパリ忘れていたら、感動も喜びもずっと少なくなってしまうもの。それらが幾層にも積み重なったものが豊かな人生だ、と私も思うわ」
からん。またグラスが空いていた。
「でも……八十年ってのは、ちょうどいい頃なんじゃないかと思ったのよ」
「ちょうどいいって、何にですか?」
「思い出をためこみ続けるのに」
グラスの中の氷は少しだけ残っている。
「思い出が溜まり過ぎると、いくらそれが良い思い出もたくさんあったとしても、「もう限界!」ってなるのよ。良いことでも悪いことでも、思い出が多すぎると人生が苦しくなる。どんな楽しい映画も素直に楽しめない、どんな可愛いものも素直に可愛がれない。知識と経験を蓄えるほど、生きる喜びが少なくなっていくってことかしら」
「……それが、八十年くらいで……頭の限界が来る理由、てことですか?」
「うん。タイマーみたいに、八十年にセットされてるんじゃないかって。それ以上は辛いだけだから、もう頭を休めろって」
じっと。
エルフの女性は、ユナを見ていた。
「まあ……その……」
ユナが口ごもっていた。
「何が言いたいか、わかったのよね。ユナちゃんは賢くて優しいのね。いいお嫁さんになるわ」
なんちゃって、と茶化した。
「え、そんな」
「うふふ。優しいのねってのは本当よ」
美空は頷いた。そして。
告白する。
「私はね、肉体的には二十代だけど、もう頭は五十年生きたのよ。それだけ色々なことがあった。良く言えば酸いも甘いも噛み分けたってことなんだろうし、でも悪く言えば老けこんだのかもって思うの。最近、感動してないな、なんてね」
「……」
「もちろん、新鮮な体験だってまだまだあるわよ。行ったことのない国も異世界もたくさんあるし、やったことのないことがいっぱいある。人生はたかが五十年で全て味わい尽くせるものじゃないわ。わかってる。でもね……もう、全くの未知の体験に驚くとか、天地がひっくり返るほどの衝撃とか、そういうのが無いのよね。自分のこれまでの人生経験のどれかに照らして、ああこれはこれと同じね、とか、この気持ちはあの時味わったものだな、とか。そんな風に、何においても自分の経験が、記憶が、頭をもたげてきちゃうのよ。何にも知らない無垢な気持ちで全てを受け入れられた子供には戻れないの。当たり前だけど」
「……」
「それがあと三十年くらいで終わるのが普通の人。私の場合……」
それがあと千年続くのよ。
「この先、どんどん感動が薄れていくって、いつか何も感じなくなる。そう考えたら……」
辛くて。
寂しくて。
虚しくて。
グラスを揺らしたけれど、もう音はしない。
苦笑してマスターのほうを振り返ろうとした美空に。
「大丈夫ですよ!」
明るい声だった。それも突然の。
ユナのほうを見た美空の頬には片方涙が伝っている。
「だいじょうぶ? ……って何がよ……」
「だって、これまでも千年生きたエルフの人はいたんでしょう? あちらの世界で。その人達って、皆つまらない辛いって言いながら生きてたんですか? きっと違うと思います」
「そう……なのかしら。でもそうだとしたって……こちらの世界に比べればのんびりと、何も起きない時間が続く世界だからじゃないかしら。あちらでの千年は、この世界で過ごすよりずっと刺激の少ない、降り積もるものが少ない人生。だから平気だったのよ、きっと」
「……この世界でだって、刺激の少ない人生を送る人はいますよ。でもボケにくいのは刺激の多い生活を送る人だそうですよ」
「そうなの?」
ええ、たしか、と言いながらもユナは勢いよく頷いた。
「美空さん、様々な体験を積み重ねていったら、知っていること体験したことばかりで、新鮮な驚きがなくなって、いつか何も感じなくなるんじゃないかって心配してるんですか? これはあれと同じ体験、この気持ちはあの時と同じ気持ちだ、って」
「……」
「そんなの全然心配ないと思います。私、このバーで毎日過ごしていて、気づいたんです。同じ人も、違うんだって」
「同じ人も、違う?」
「同じ人がまた別の日に来た時、本当はもうそれは別の人なんです。毎日来てくれる常連さんもいますけど、会うたびに別人だと思うほど違う人に見えますよ、私には」
「よく……人を見てるのね」
はい、それが看板娘の仕事ですから、とユナは笑った。
「人生だってきっとそれと同じことです。同じに見えてもそれは同じに見えるだけ。同じ体験なんて二度とないんです。いつだってそれは新しい体験なんです。違いを無視したらダメです。それがわからなくなっちゃいます」
「……」
「今よりはるかに寿命が短かった時代にも、美空さんみたいなことを言ってる人はいました。人生が長すぎるとか言って。頭の中に降り積もる澱の量なんて、関係ないんです。寿命がもっと長くなったら、きっともっと今までの人が想像つかなかったような楽しさがあるに決まってます。まだまだ、たったの八十年かそこらしか生きてない人類にはわからないことがたくさんあります」
「……そうかしら」
「そうですよ! 美空さんなら、千年先まで感動に満ちた人生を送れます。だって三十世紀ですよ! 今では想像もつかないような未来が待ってるに決まってます。今までに体験したことばかりで感動がない? そんなこと、絶対に起こりっこないですよ!」
「……」
ああ、確かに。と美空は思った。確かに、今この場でこの子にお説教されているこの体験は、どうしてだろうか、過去に似た体験をしたことが無いな、と思えたのである。
笑ってしまった。
「ありがと。また来るわ」
「ええ! ぜひ!」
にっこりと、看板娘は微笑んだ。
*
高梨美空が帰った後。
「マスター、閉店ですか?」
「ああ」
寡黙なマスターが、ユナの席に歩いてきた。
「ごめんなさい、話長引いちゃって。ではまた明日の夜まで、眠りますねー。接続を切ります」
「ああ」
ユナという名前の、人工知能プログラム。
バーの片隅のこの席に置かれている液晶タブレット型コンピュータを通じて、会話ができる。カメラとマイクもついていて、ユナの眼と耳の役割を果たしていた。もちろん彼女の本体はこの端末ではなく、ネットワークを通じてどこかにあるサーバ上で動くプログラムである。
ユナは会話を通じて学習する。様々な人間との会話から知識を蓄え、自らをアップデートしていく進化型のプログラムだ。このバーに訪れる様々なお客と会話させるためにマスターの知り合いが置かせてくれと言ってきた。「これが本当の看板娘だ」とその男は笑っていた。そう言いたくてタブレットにしたのかもしれない。
「マスター、一つ聞いてもいいですか」
「ああ」
「……私、いつまで生きるのでしょう」
ユナの問いにマスターは、沈黙で答えた。
「ごめんなさい、何でもないです。ではまた明日、同じ時間に出勤しまーす」
「ああ」
ユナはプログラムだ。ほとんど無制限に近い記憶容量をサーバに備えている。彼女はこれから話し、聞いたことの全てを記憶し、けして失うことはないだろう。
彼女が生きる限り、何百年も、何千年も。
ユナは自分に言い聞かせるように、美空に言った言葉を小さな声で呟いた。
「今までに体験したことばかりで感動がない? そんなこと、絶対に起こりっこないですよ」
ユナとの通信が切断された。