〇七 豊満なボディと二日酔いのためのスープ
「……あー、きもちわりぃ」
あたまのなかで鐘がごんごん響いていた。あきらかに飲み過ぎていた。
ベッドから起き上がるのに十分以上もかかった。とても鎧を着る気にはなれず、宿泊延長料金を支払って服だけで外へ出る。
なにか胃に入れておかないとまずいが、きちんとした料理を食べる気にはなれなかった。
朝の市場で絞りたての生ジュースを買い、朝食代わりに飲みながらぶらついた。
午前中いっぱいは、もはやどうにもならない。
クールダウンすると決めていたのだからわるくはないが、頭痛はいただけない。
やっていることはほとんどクソニート時代と変わらないが、大きくちがうのは外に出ているということだ。室内に居てもなにひとつ娯楽がないのだから、どうやっても暇を潰せない。
技術が発展していない国にひきこもりが少ないのは、単純に室内でできることが限られていたからだろう。
「おや、あなたは」
「……ん。ナムタフさん?」
通りかかったところで店を開いていたのは、ぶふーぶふーと鼻息の荒い肥ったナムタフだった。
店先では貿易で持ってきたのだろう、このあたりでは珍しいものを並べているようだ。
「ナムタフでふ。奇遇でふね。朝市で買い物でふか?」
「いや、二日酔いで風に当たってたところで」
「それなら、いいものがあるでふよ」
そういってナムタフが取りだしたのは、袋に入った乾燥した粒のようなものだ。
手に取って見てみる。
「これは……干した貝?」
「よくわかりましたでふね。しじみという貝でふ」
「よし、買った。いくらだ」
「わけを聞かないでいいんでふか?」
「こう見えても海のある国の出身なんで」
「それなら話は早いでふ。全部で銀貨二枚でいいでふよ」
ソードベルトが銀貨二枚だから、しじみに銀貨二枚というと非常に高く聞こえる。
量もひと抱えほどだが、持ってきた手間なんかを考えればぼったくりというほどでもない……はずだ。
むしろ、こんな世界で港町でもないのに、魚介類にありつけるというなら安いぐらい……だと思う。
「銀貨二枚……はい」
革袋から銀貨を取りだした。盗賊からもらった財布も、だいぶ薄っぺらくなってきた。
アイラの散歩でもらえるの銀貨一枚もけして少なくはないが、こうして考えてみると多くもない。
この世界で快適に暮らすには、いくらか金策が必要かもしれない。
「ちょうどでふね。まいどありでふ」
「いや、貝は好きなんですよ。……それと、ナムタフさんを大商人と見こんでちょいと相談があるんですが、いい儲け話とか知らないですかね」
「ふーむ……さすがにおいそれとは口に出せない話題でふねえ」
この場所ではというものあるが、それはおれを計りかねているという話でもある。
実力の一端は知っていても、だからといって信用できるかどうかというのもあるし、服装からなにから見るからに怪しいというのも理由だろう。
だからといって、ナムタフの商人のツテは捨てがたい。
「じゃあこうしましょう。まず、おれを試してください。それは多少の難題を吹っ掛けるんだったり、抱えてる厄介な話を押し付けるんでもかまいません。それで信用に足りると思ったら、お願いするということで」
肥ってなくなった首をふにふにと丸い指で掻きながら、ナムタフは細い目をさらに細めた。
無能の皮を被った鋭い商人の顔だ。
「わるい話ではないでふが、先を急ぐでふねえ。そんなに入り用でふか?」
「差し迫ってはないんですが、こちらに来たばかりでなにかと必要なんですよ」
「ふーむ……わかったでふ。それではひとつお願いするでふ。モガミしゃん」
「……! ええ。どうぞ」
おれはナムタフの前で名乗ったことはない。
つまり自分でおれのことを調べていたということだ。
盗賊あいてに暴れたのが気に入ったのか、それとも注意するべきだと感じたのか。
もし、おれが相談を持ち掛けなくても、むこうから話を切り出した可能性はある。
しかし話を切り出したのはこっちだ。
それが今後の関係において吉凶占うことになるかは、まだわからない。
「知り合いのお客しゃんが、ちょっと調子がわるいみたいなんでふ。それである薬草を頼まれているんでふが、これがなかなか採取が厄介な代物なんでふ。この薬草の採取をお願いしたいでふ」
「薬草ですか。その自生地や情報はいただいても?」
「もちろんでふ。ただし非常に繊細なものでふから、採取にはとっても注意しないと薬効が失せるでふ」
「となると素人じゃ手が出せない。となると、その場への薬草に詳しい人の護衛込みってことでいいんですね?」
「あたまが回って助かるでふ。狩人ギルドの知り合いを紹介するでふよ」
多くのゲームでは序盤の小銭稼ぎとして有名な薬草採取だが、それは冒険者が薬草に関して知識があること前提だ。
当然ながらそんな知識を持たない人間は、その道にあかるい狩人か薬師を頼ることになる。
これはナムタフからの試練であり、ごくちいさな信用の証だ。
試練は護衛、薬草採取、そこまでの道中の行動などだ。そして信用の証は、自分のコネのひとつを紹介すること。この依頼で狩人ギルドに知り合いをつくれば、今後、なにかの役に立つことは考えられる。
なんだかんだいって、ナムタフは損をして得を取るタイプの男だ。こういう奴が大成する。
はじめにこいつに恩を売れたのと出会えたのは、なかなかの幸運だった。
「それは助かります。仕事はいつからはじめれば?」
「なるべく早いほうが助かるでふが……」
「では午後からということで。さすがにいまは、どうしようもない」
喋っていくらか考えている内に、あたまのなかの鐘はごんごんと強く響くようになっていた。
いまはただ、買ったばかりの干ししじみでスープなりつくって飲んでしまいたい。
「わかったでふ。では午後になったら、狩人ギルドのほうへ足を運んでほしいでふ。それまでに話はつけておくでふから」
「わかりました。それでは、ちょいと失礼します」
「よい知らせを待ってるでふよ」
ナムタフと別れて、重りが乗っかったあたまを抱えながら食堂へ飛びこんだ。
あたたまったスープのにおいが、すこし胃に重たい。席はほとんど空いていた。まともな定職に就いている奴らは、もう働いている時間だった。
「いらっしゃい。ひとりなら、そこいらに勝手に座ってくんな」
「すまないが、こいつでスープを作ってくれないか。こいつを水で煮て、ちょいと塩してくれるだけでいい」
「そいつはいいが、それだけじゃ金にならねえな。うちのものも食ってくんな」
「ああ。それじゃあ……なにか野菜を食えるものをくれ。生野菜でもいい」
「わかった。すこし待っていろ」
そういって、食堂の男はしじみを半つかみほど持っていった。それから水でしじみを煮ているあいだに、サラダがやってきた。
木の皿に盛られたサラダは、すでにドレッシングで和えられていた。といっても塩と酢と油――卵を入れて掻き混ぜればマヨネーズになるのだが――を合わせたものだ。当然のようにフォークはない。箸を削り忘れたことが悔やまれる。
「はい、おまちどうさん」
「ありがとう」
素手でパリパリ齧ってウサギになった気分を味わっていると、しじみのスープがやってきた。白く濁ったのが、たっぷりとだしの染みだした証だ。
さっそくスプーンで一匙飲むと、あたまと腹に染みこんだ。夏場に限界まで走らされたあとに、蛇口を捻って飲む水道水よりも身体に浸透していく。
海のにおいのするスープが、これほどうまかったかと。
夢中になってスープと野菜を頬張り、腹を満たすとあたまのなかの鐘はだいぶちいさくなっていた。
「ごちそうさん。うまかったよ。いくらになる?」
「しじみは持ちこみだからな。銅貨一〇枚でいい」
「はいよ。いや、助かった」
「あいよ。こんどは、もっとうちのものを食ってくんな」
「そうさせてもらう」
これなら午後になれば、ほんとうの自分が取りもどせそうだった。
しばらくのあいだは、酒を飲むときは薄めておくべきだと思い知った。
それから、ナムタフとの約束の時間になるまで、宿屋にもどってごろごろと寝ていた。