二話:煽り
9月27日(土曜日)
時刻15時30分
「吾妻幸江、年齢十七歳。こちらのお子さんが日向仔太郎、年齢十三歳。この子とは近所関係で時々面倒を見ている、と。探し出してほしいのは母の好美と、父の康彦。両親が失踪したのは九月二十二日で、仔太郎君が夕飯の買い出しから帰ってきた頃に父親と母親が行方不明となった」
「あの、住所と電話番号は聞かなくていいんですか?」
「それは最後に聞きます。今はまだ話を聞くだけ」
「はぁ……」
翔子はブレザーの少女、幸江と面談による依頼内容の確認を取っていた。
依頼主が未成年であり、保証人の姿も見えないために不安要素が多いが、話くらいは聞くことにする。
未成年者が依頼主として契約を行うには、この探偵業に限らずほぼ全てのものに保証人が必要となる。金銭面での問題は当然のことだが、社会に出ていないがために、契約書類に関する知識不足が出てくる。これの重要性や性質を知らずにいると、法外な成功報酬や、契約外の手数料を要求されることになる。
探偵業で例を上げるとこうだ。
浮気調査しているターゲットが高級ホテルに泊まったために、こちらも乗り込む必要になった。それで予想外の出費が出たから、その分の宿泊費を請求させてもらう。
任務期間中の宿泊施設への泊まり込みを禁ずる、またはその分の費用は払わない等の誓約を行わないと、後になってから契約外の金銭を要求されることがある。
こうした事にならないよう、契約書には不正要求、ある一定行動の制限、任務期間を設ける等の拘束力を持つ大事な書類だ。秋山探偵事務所は、こういった依頼者に対しての悪質な取引はしないが、他の探偵業や便利屋等の間では割と常套手段となっている。これらの知識は当然、未成年者では余程の物好きでも無い限り知りえない情報だ。
そうなると必然的に親族等の保証人が必要となってくる。場合によっては、その保証人まで契約書の全体像を掴めていないこともあるのだが、少なくとも金銭面の心配は要らないはずだ。
要は年齢が二十歳以上で、充分な額が用意でき、顧客としての責任を最後まで持てればいい話なのだ。交渉自体は以外なまでにいい加減でも、成立してしまうのだから。
これらを踏まえてもう一度、依頼主の幸江に焦点を当てよう。
「まあ、とりあえずは話を聞かせて頂きました。本来ならすぐに、書面を持っての面談といきたいところですが――。」
「やっぱり、未成年じゃダメですか?」
未成年というのは何かと制限の多いものであるため、彼女自身も自覚はあったらしい。
それが分かっていながら訪れる辺り、余程の理由があるようだ。
「自覚はあったようね。大人の都合で説明すると、子供は口が滑りやすい。探偵に仕事を頼んだなら、この事は外部に漏らしてはいけないのよ。個人情報の保護ってわけ。これは法律で探偵と依頼者の間で義務づけられてることよ」
「それくらいのことなら、守れます」
「まだあるわ、契約と書類に関する知識よ。結構です、みたいに曖昧な返事をすると、それだけで契約成立にされたりもするし、書類にだって内容を理解せずに書くと酷い額の金を要求されたり、ね」
翔子の口調はどこか脅しを含んでいるような、わざと遅い発音と唸り声に似た声音のものとなっている。
「なぁおい、そこまで言わなくたっても―――」
痺れを切らした大悟が口を挟むが、翔子からは「黙ってろ」と一蹴され、発言を遮られた。
「最後にお金。幸江さん、人探しにいくら費用が掛かると思っているんですか」
「ええと、十万くらい?」
翔子はわざとらしくため息を吐いた。
「格安のところで、一日だけならそれで済むでしょうけど。ここは一日、二十万は掛かるわ。それで見つけるまでに良くて十日、あとは大体二十日間は掛かる」
「それじゃあ、掛かる金額って――」
「期限によるわ。ただし最短でも六十万は出ると思って頂戴。人探しってのはそれだけ、こちらにも費用と時間が掛かるものなのよ」
それだけのことを聞かされて、幸江は顔を俯かせた。六十万なんていう高額を、二学年の高校生でどうやって用意しろというのか。高校生がバイトをしていた場合の平均年収はおよそ百三万以内であり、それ以上を超すと扶養者、つまり家族へ税金の負担が掛かり、百三十万を超えたのならば稼いでいた自分にも降り掛かってくる。
極めて現実的な金の話を聞かされた彼女は諦めたらしく、仔太郎を連れて緩慢な動作で席から立ち上がるが、出口へ足が進むことはなかった。
「おいおい翔子、嘘を吐くのはいけねえな。たった一日分で二十万なんてボッタクリもいいところだぜ」
事業主に話を振っておきながら、小さな客を間接的に呼び止めた男がいた。
大悟だ。しかもそれが直接的な呼び止めはでなく、陰湿且つ意地汚い方法ときた辺りが嫌らしい。この男は昔からこういうタチだ。物事をすぐに伝えようとせず、遠回しな言い方ばかりをする。
扱いの難しい人間だということを知っている翔子は、彼に殺意に近い怒気を向けた。
「黙ってろって言っただろ」
こいつはまた、余計なこと言いやがって。毒づいている間にも大悟はニヤけた笑みを浮かべ、視線を自分から幸江へ向けていた。彼女はというと、どうやら現状が上手く理解できていないようで、酷く狼狽していた。
「どういうことですか? ボッタクリって」
「いやぁ悪いね。社長って面倒事が嫌いなタチでさ、君みたいのが来るとお金の話でいつも追い出してんのよ」
「……あの、本当はどれくらいお金が掛かるか詳しく聞かせてください」
騙されて怒り出したのか、口調が早くなり若干釣り目となる。単なる小心者かと最初は思っていたが、言う時ははっきりと言うぐらいに勇気があるようだ。ただし、大悟からしてみれば年頃の可愛い女学生程度にしか見えていない。
幸江から詳細な内容の説明を求められた翔子は、露骨な舌打ちをして髪をかき乱した。美容院へ通わず、安物のシャンプーのみで手入れされた栗色の地毛にはツヤが見られない。青いジャケットに黒のシャツとカーキ色のジーンズという成りと体格、そして荒っぽい仕草をするだけに彼女は全く女らしくなかった。
「あぁわかったわよ、ちくしょう。言えば良いんでしょ」
「なんで偉そうなのさ」
「お前はあとでしばくから、楽しみにしてろ――。まあ、正しい料金を提示したとしても、あなたに払えるのかしらね」
先ほどは追い出すためにわざと法外な料金相場を出したが、正しい料金プランを出しても結果はあまり変わらない。幸江は面談の中で料金相場の話が出た時、掛かる費用は十万くらいと発言していた。
運用資産を越える金額を答える人間は普通いない。常識的に考えて彼女の持つ運用資産の最高は十万程度といったところか。
「まぁ、一日から五日までの短期捜査なら全部で十万以内に収めることは可能よ。その代わり任期が短かいから達成度が低くなって、持ち込める装備が少ない上に人員も一人限りで貧弱。金を溝に捨てるような真似になるわ。それでもやるの?」
とは言ったものの、翔子はやはり受ける気などない。正直このプランだと成功できる気がしないのだ。情報を聞かないことには分からないが、簡単ではない依頼のはずだ。
できない約束と仕事は引き受けない性分であるために、例え着手金を手に入れられるとしても彼女自身のプライドが許さない。
翔子曰く、できない仕事をやる奴はただの能無しだ。
「それって、本当に依頼を受けてくれるんですか?」
せっかくぎりぎり支払えるプランであるというのに、その内容が効いたのか不信感を露わにしている。
彼女はここにきて、ようやく思い至っていることだろう。
この探偵は本当に依頼を受ける気があるのか、と。
翔子はあと一息だと思い言葉を出そうとするが、それは遮られた。
「もう充分ですよ」
抑揚のない機械的な声音。年頃の少年の割には不釣り合いな物言い。今まで会話に一度も加わらなかった白髪の少年が、始めて動いた。
対面当初から異様な不気味さを感じていた翔子は、彼の言葉を聞いてさらに気味悪いと感じるようになった。
「幸江さん、ここに居ても時間の無駄です。この人は何があっても依頼を引き受けようとしませんから」
「なにを、言ってるの仔太郎。お父さんとお母さんが居なくなっちゃったんでしょ? すぐにでも探さないといけないのに」
「行方不明者の捜索なら、警察に任せてあるじゃないですか。こんなところに頼まなくても」
彼の放つ言葉の一つ一つが、妙に突き刺さってくる。その傍らで大悟は、少年の言葉を聞き始めてから薄気味悪く、声に出さないよう笑っている。
何が可笑しいというのか。
「警察の言葉を聞いていなかったの? あの人達殆ど、曖昧な返事しかしてなかったじゃない!」
「時間が経てばやってくれますよ。それまでの辛抱なんだから、心配することないです。ここで頼むことのほうが間違いなんですよ」
探偵二人を放り出しての口論。その最中で翔子は、次第に苛立ちが出てきた。
このガキは先ほどから癪に障る言葉ばかりを口にしている。「お前では役不足で使い物にならん」と言われているかのようだ。
また傍らへ目を向けてみると、大悟が肩を震わせて笑い声を上げるのを我慢していた。
世にも奇妙な空間が、いつしか広がっていた。
大悟は何が可笑しいのか笑い声を抑えることに必死であり、幸江と口論になっている中で仔太郎は相手を挑発しているような物言いを吐き続けており、翔子は馬鹿にされているような苛立ちを感じ、険悪な空気に溢れていた。
仕舞いには翔子か大悟か、探偵に対してのトドメとばかりに白髪の少年の一言に啖呵が切られた。
「きっと、ここの探偵では解決なんてできないでしょうから」
「ふ、ふふ、く、ははははは」
ついに耐え切れなくなった大悟は破顔をお越し、壁を叩いて笑い出した。理由はなんとなく分かったが、翔子はまず問い質すことにした。
「あんたね、さっきから何がおかしいってのよ。トランキライザー飲むかい」
「いや結構。それにしてもお前、まさかまだなにも気づいてないってことはないよな?」
「あぁ? なんのことだよ」
それを聞いた大悟は、笑い声を上げている状態で、幸江に目を向けたままの仔太郎を指差す。
「分からねえか? この坊やはな、俺達に依頼する価値も、実力も無いって暗に言ってるんだよ。お前ボロクソに役立たずって言われてんだぜ?それが可笑しくてつい、な」
散々に言われるがまま、翔子は仔太郎を睨みつける。
こちらに目など始めから向けておらず、言葉という情報のみが聞き入れられ、あとは無視され続けていたのが伝わってきた。このガキは単に冷やかしに来ただけなのだろうか。そう考えると腹の底から、何かがこみ上げる感覚が襲ってきた。
胃の中にマグマが入っていような、ぐつぐつと煮え滾る怒りが込み上がり、十秒も経たない内に溢れ出た。
「おい待て、このアルビノ」
緩慢な動作で仔太郎が、ようやく目を向けてきた。冷めた眼つきをしているが、眉間へ僅かに皺が寄っている。彼にも今の自分と同じ感情が宿っているのが感じ取れた。
やはりアルビノと言われるのは、気分が悪いらしい。
「さっきから聞いてれば遠回しにイラつく事ばかり言いやがって。今この場ではっきり言いやがれ」
「では、お言葉に甘えて。仕事する気のない人間に何を頼んでも無駄。そういう話です」
「……はっ、気に入ったよ。お前」
翔子の表情は血走っており、今にでも殴り掛かりそうな勢いだが、不思議にも暴力には走らない。
仕事をこなすことは、大人として当然の常識だ。まだ社会に出たこともない相手に仕事のできない人間と判断されるのは業腹だが、それは成果を出して見返すべきだ。暴力で応酬を返すなんて真似をしたら、それこそ負けを認めることになる。
それだけは死んでも御免だ。
従って、この依頼主に百パーセント成功させることを約束するべきだと、翔子は結論を出した。
「おいガキ。今回だけお代は要らねえよ、タダで引き受けてやる。お前の両親引き摺って持ってきてやるからな、楽しみにしてろ」
今更な話だが、彼女の言葉には統一性がない。敬語は変なタイミングで使い、女性と男性の口調が混同している。誰も口にはしていないが、全員疑問を抱いているのは間違いない。
そんな彼女にも動じることもなく、仔太郎は冷めた口調で応援をした。
「ありがとうございます。頑張って下さい」
「おう」
話が着くと翔子は、足早に事務用デスクへ歩き出し、必要な契約書類を引っ張り出し始めた。幸江ではあれだけ引き受けられなかった面談が、嘘のように済んでしまったのを見て大悟は、感心した風を見せていた。
幸江はまた現状が認識できていないのか、首を傾けたまま固まっている。
「やるねぇ、坊や」
「それほどでもありません」
「ほう、コーヒーを奢ってやろう」
「ミルクと砂糖、多めにお願いできますか」
「いいぞ。吾妻ちゃんはどうする?」
「―――。ブラックで」
「なにしてんだテメエら! 茶菓子用意してやるから、さっさと席に着きやがれ!」
十月に入ってきた最初の案件は、随分と騒がしい上に全く金にならない仕事ときた。
不思議と相棒である大悟が、無茶苦茶な提案に対して一切不満を言わなかったのには不審を感じたが、その理由がすぐに解消された。
こいつは元々、そういう人間だということを思い出したからだ。