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曰くつき探偵 秋山翔子―徘徊する者―  作者: ミスターハボック
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零話:失踪

2014年9月22日(月曜日) 

     時刻16時02分

 雨戸を締め切った暗い寝室の中でベッドに倒れ伏し、男は打ちひし枯れていた。

度重なる会社でのミスと罵倒に嘲笑、自宅での妻による叱咤から精神状態が酷く悪化している。

 スポンジを無理矢理飲まされたかのように食物が喉を通らず、金槌で頭を何度も叩かれているように頭痛が走り、麻薬を飲まされたかと錯覚するぐらいに、思考が停止したままだ。

高卒で入社し、三十年の長い歳月が経ち、結婚をして子を設けたというのに、給与の手取りは十九万円を超える事がなかった。

 労働の割に合わない報酬と異常な残業時間、そして労働基準法を無視した環境によって、女房と息子のためにしてやれる事など、なけなしの生活費を納める以外は何も無く、悔しさと虚しさが精神を擦り削っていく。

「ぁぁぁ…ぁぁぁ……」

 力の限り叫びを上げたい。

 だがそれすらも残されておらず、ただただ呪詛のような呻き声を哀れに漏らすしかできなかった。

「父さん……?」

 寝室の扉が開かれそこから扇状に光が差し込み、ベッドに倒れ伏す男が照らされる。扉の前には見慣れている、そんなのは当たり前のはずなのに、他人の子供ように見える息子の姿があった。

 なぜそう感じてしまうのか。それは息子、日向仔太郎が無能な自分とは違い、思考の回転が速く勉強ができ、不気味と感じるまでに優しい上、何よりも歳の割に精神年齢が釣り合わないからだ。

息子は今日で、十五歳になったばかりだというのに。

「あの、僕これから夕飯の買い出しに行ってくるからさ、鍵を閉めていくよ」

「ああ」

「父さん、何か食べたい物ってある?」

「……なんでも、いい」

「そっか―――。そろそろ、行くね」

「いって、らっしゃい」

 扉がゆっくりと閉められ、部屋に再び暗闇が広がった。

 今日は自分を叱る妻が居ない。いつもなら夕食の支度や洗濯に勤しんでいるのだが、今日は半日をおパートで終えた後、どこへ向かうかも言わずに外出していった。そのおかげで今日の夕食は、仔太郎が用意する破目になったのだ。

 好美曰く、「動けなくなった亭主に何を伝える必要があるの?」とのことだ。

 それにしても情けない。息子に世話をされるとは情けない。親として情けない。人として情けない。どうしてこうなった。どこで間違えた。仕事が上手くいかないからこうなったのか。もう何も分からない。

 男に正常な思考などは、とっくに消え失せていた。

「あ あ あ あ あ」


 仔太郎は大通りをただ一人、トボトボと歩いていた。先ほど父親である男、康彦に夕飯の買い出しに行くと言ったのは嘘だった。本当は父親に内緒で生活費を引き下ろしに行くのが目的であり、今日もそこへ向かっている最中だった。

 子供という社会的身分上、たかだが十五歳になったばかりの身では、金を稼ぐ手段など無いに等しい。そんな中で彼が生活費を稼ぐ手段はといえば、携帯一つで簡単に稼げるものだ。

 インターネットが普及してから、アフィリエイトやポイントサイトといった、広告宣伝関係のサイトが設立されていき、それは子供でも稼げるようになっていた。

 アフィリエイトはウェブ場にバナーやURLを張り付けて紹介し、そこへ興味を持ったユーザーがクリックをする、またはそこのサービスを利用することで、収入を得るというものだ。これは求められる技術こそ高いが、PCに強ければ強いほど多額の報酬が得られる。

 ポイントサイトは掲載されたスポンサーサイトに会員登録、または広告をクリックすること、サイト内のゲームをプレイすることによって現金へ換えるポイントを得るというものであり、アフィリエイトより簡単ではあるが、あまり多くは稼げない。ただし、これも使いようではそれと同等の稼ぎを得ることも可能であったりするため、馬鹿にできたものではない。マトモな仕事ができない仔太郎は、これらを駆使して収入を得ており、これからその内の生活費分を下ろそうとしていた。

 自分の持つ銀行口座にはサイトからの成果が今月分、入金されている。通常、未成年者は口座を作れないのだが、親権者の同意があれば例外的に許されている。未成年が銀行口座を開設するのにそれほど特別な手続きは要らない。せいぜい両親の同行と本人証明書類、署名が必要になるくらいだ。もっとも、彼が利用しているものはネットバンクであり、これは年齢制限が正規の銀行支店より低く、手続きも非常に簡単なものである。そのため、仔太郎には都合が良かったと言える。

「―――早く、稼いだ分を下ろさないと」

 早く金を手にしたい。

 焦る思いで小走りし、最寄りのコンビニへ移動、息を切らせて店内のATMを利用する。

 生まれつき体質が弱く、対して疲れもしない運動で疲労困憊を起こしてしまう。体感に例えるとなれば、彼からして千五百キロメートルの持久走。加えてアルビノまで抱えており、ロクに外出も許されなかったために一時期は学校にも通えなかった。ただし学校が好きではないために、この劣性体質にある意味救われているところもある。

 キャッシュカードを挿入後、まず始めに残高照会をして収入分が振り込まれているか確認し、後に現金を引き出す。その後に水分補給を兼ねてミルクティーを一杯だけ購入し、店内から出た。

 今月の収入は三十一万四千三百十円。その内の十万を引き下ろした。一人暮らしをするのであれば、この田舎都市で住むのには十分な稼ぎであり、下手な会社で勤めるよりも多い。若くして彼は金稼ぎの美味い方法と情報を知っており、高い学習能力がそれを促してもいた。

 報酬の受け取りが完了し、顔を綻ばせて次の目的地へ足を進める。次の行き先はスーパーだ。

舐めるようにしてミルクティーを少しずつ飲み、疲れない程度に早歩きで向かう。

「これだけあれば、しばらくは美味しいもの食べさせられるね」

 何にしようかな。ステーキなんてどうだろう? いや、父さんも母さんもあまり硬いのは嫌いだっけ。それじゃあ、蕎麦とかは? ううん、サッパリしすぎだ。

 ―――じゃあ、やっぱり家庭料理定番のハンバーグかな。うん、これだ。今日はチーズも乗せて贅沢にしよう。

 「母さんと、そして父さんに感謝を込めて」

 夫婦仲こそ今は悪いものの、両親共に自分を育ててくれた大切な存在だ。母の好美の教育は厳しいが、そのお陰があってこそ自ら進んで勉学に励むことができている。父の康彦は過労の中でも遊びに付き合ってくれ、その度に己が持ちえる知識を授けてくれた。何より父は仔太郎という人格を決定ずけた人物だ。

 父親は今、働き過ぎたのか寝たきりとなっている。母親は何やら用事があるらしく、様子が見れない状態だ。そんな状況下で誰が一家の大黒柱を支えるのかといえば、あとには子供しかいない。

 母親の好美は大切な存在だ。きついところが目立つが親であり、仕事の手が速いために優秀で尊敬できる人物だ。

 だがそれ以上に康彦のほうが大事だった。親身になって自分へ接していてくれたのは彼であり、お互い本音を言い合える仲だ。他者からしてみれば、親友同士の会話に見えなくもないほどのものである。

 だからこそ父親は、何があっても支えたいし、助けたい一心でいるのだ。


 スーパーで食材を多めに買い込んだあとはすぐに、家を目指して小走りを再開した。

 脆弱な肉体は相変わらず悲鳴を上げている。踵とつま先には鈍い痛みが走り、たった百メートル程度の走行でも息切れの起こす喉からはニンニクに似た気持ち悪い匂いが、鼻腔を刺激している。激しい運動中に起こる現象の起こるまでの間が、仔太郎には早い時期で現れてくる。虚弱体質であるのはもちろんのこと、元から運動が得意でないことが何よりも状態悪化を促している。

自転車があればこんな苦労などしないのだろうが、生憎と家には置かれていない。以前はしっかりしたものがあったのだが、それは中学校に入学してすぐに誰かの手によって壊されてしまった。

 とにかく、無いものをいくら欲しがっていても状況は良くならない。これから少しでも良くしていけばいいだけの話だ。

 だが現実とは残酷なものと決まっており、仔太郎の望みはいつも肝心なところで達成されない。

「よう、コーちゃん」

「今日も学校をサボっちゃって、悪い子だよな?」

 母校の通学路を抜けた先、家路の近くで二人の男子が彼を待ち構えていた。行方を遮った主は、同級生の後藤達樹と片瀬隆星だ。

「達樹、隆星―――。」

「なんでこう、お前はずっとサボっちゃうんだ? 俺らさぁ、寂しくて仕方なかったんだからよ」

達樹はヘラヘラと軽い様子で聞きたくもない言葉を吐く。

寂しいではなく『つまらない』だろ、と口から言ってやりたいが、彼らには何を言っても無駄でしかない。

「こうして会いに来てやったんだよ。わざわざ家の近くでな」

 次に隆星が言った。会いに来てやったというその口振りが、毎度の如く酷く気に入らない。自分がいつ、この疫病神の下についたというのか。

 内心から込み上げる怒りを必死に抑え打開策があるかを探る。

しかしいつ目を合わせても、この二人には嫌悪しか抱かない。ゴキブリや蜘蛛といった生物は誰しも嫌うものだが、仔太郎からしてみれば、それらのほうが好意的に思える。

「だからさぁ……」

 こちらのことなどお構いなしに、隆星は口から汚い音を発している。このあとこいつが何を言うかなど、手に取るように分かる。

 小学校の頃から散々聞かされたものだ。今更驚きはしない。

 尤も、昔から続く恐怖にはいくら経っても慣れることはなかった。

「金くれよ」

 今日は運が悪い。今、財布には大金とキャッシュカードが入ったままだ。いつもは小金を懐に入れている程度であり、それなら強奪されようが蹴り殴られようが、対して痛手にはならない。

 だが、今はどうだろうか?

 今後に必要な生活費を奪われるのは致命的だ。父親は寝たきりで動けず、母親の収入では三人での生活はとても無理だ。現状最も収入を得ているのは仔太郎であり、ここが潰されてしまえば終わりだ。

「……れか」

「んん?」

 家庭経済の崩壊は、なんとしてでも避けなければならない。考えに考えた打開策を発見してすぐに、実行に移す。

 実に初歩的な救援の求め方だが、これ以外に思いついたものはどれも遅かった。

 よって、現状でできることなど、これ一つしかなかった。

「誰か助けて!」

 手荷物を捨てて背を向け、大声で助けを求める。

「助けて、誰か、誰か、助けて!」

「あいつ―――。」

「おい、捕まえるぞ!」

 背後から二人分の足音が迫ってくる。どれだけ走っても捕まって殴られる未来しかないが、財布を死守することぐらいはできるだろう。

 先ほど通ってきた通学路へ戻れば、交番があり、そこまで辿り着けば財布を盗られずに済み、ついでに強盗容疑で突き出すこともできる。

 事が上手く進むのを強く願い、仔太郎は力の限り走り続けた。


 後藤達樹と片瀬隆星は小学校からのつき合いであり、その過去から現在に至るまで理不尽な仕打ちを受けている。初対面から白くて気持ち悪いと罵倒され、ペーパーテストで良い成績を出せばその度、殴る蹴るの暴行を一身に受けた。登下校常に転ばされ、踏みつけられ、鞄の中身を荒らされるの当たり前だった。

中学生となった今でも続いている有り様だが、周囲の教師や生徒も気に留めない。

唯一、父が不服の申し立てをしたが、それもすぐに揉み消されてしまった。

 あのあと、どうにか交番には辿り着けたもの、中には誰もいなかった。結局捕まえられてしまい、その場でリンチを受けた。

 背中や腹、足を蹴られるのはいつものことだが、今日は執拗に顔面を攻められた。

 髪の毛を掴まれて地面へ何度も打ちつけられ、肘打ちまで入れられた。

 視界が歪み、激痛が全身を襲う中、助けを周囲に求め続けていた。だが交番周辺に人はおらず、助けなど得られなかった。

 リンチにされて、四分程度といったところか。四十代前半の中年男性と二十代後半の青年の二人がこちらの有様を発見し、駆けつけてきた。達樹と隆星は当然、蜘蛛の子を散らすようにして逃げ去り、危機は去った。

こうして奇跡的に難を逃れたのだが、今度はその二人に事情聴取をされ、時間を浪費する破目になった。

どうやら二人は刑事だったらしい。

「はぁ……」

 それから程なくして、家に着いた。

 逃走時に捨てた食材入りのビニール袋は、卵を除いて無事であり、回収することができた。

「どうしよう」

 玄関へ入る前に、自分の体を再確認する。

 ところどころに土が被り、顔から肩付近にかけて血が飛び散り、こびり付いている。この時点で凄惨な有様だが、顔面はもっと酷かった。携帯の画面越しに確認すると、そこには打撲跡を入れられ、真っ赤に染められた顔が見えた。

 冗談や落書きなんていうレベルではない。文字通り、全面に赤い水が塗りたくれているサマは、まるで今しがた惨殺を行った殺人鬼だ。ここに着くまでに人と遭遇しなかったのは、ある意味幸運と言えただろう。

 それにしても、何故ここまで酷い扱いをされなければならないのか? こちらから危害を加えた覚えは、全くないというのに。

 そう何度も自問を繰り返す中で、いつも一つの結論に辿りつく。

 目を向けてくる者達は皆、形は様々だが笑っていた。眼を爛々と輝かせ、新しい玩具を貰っては燥ぎ回り、夢中になって遊ぶ子供の姿。

彼らには楽しくて仕方がないのだろう。こちらが惨めに哀れに転がり、傷つく様が可笑しく面白くて。当事者がどれだけの痛みと悲しみ、決して消えない恨みを知ろうとも考えもようともせず。

「……ちくしょう」

 心が抵抗できている内に、今すぐにでも殺しに行きたい。

 ドス黒い感情を悔し涙で流し、玄関の扉を静かに開ける。

「ただいま」

 家は静まりかえっていた。物音一つ聞こえない。駐車スペースには父の車ならあるが、母の車が無いままだった。

 携帯の時計を見れば、時刻は一七時四十五分となっている。

 母親の帰りがやけに遅い。

この時間帯なら洗濯機を操作して、回しているはずだ。日常でいつも聞こえるものが、今は聞こえてこない。

 音が聞こえない他に、視界にも異常が見つかった。少量の木片と湿った土がタイルに積り、二人分の靴が消えている。

 「父さん? 母さん?」

 どこか様子がおかしい。

 念のため玄関の状況を携帯の写真に収めたのちに家中を探し回ったが、やはり両親は忽然と姿を消していた。

 なぜ姿が見えないのか気にはなったが、仔太郎はその内に帰ってくるだろうとあまり深く考えず、夕食の支度を始めることにした。作る分は自分を含め、三人分だ。

 その日を境に、日向康彦と日向好美は失踪した。

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