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綻び


「明日行われる日露首脳会談では、いわゆる『白色テロルとの闘い』の状況改善と終結に向けて、両国間の連携について示した共同声明を発表する見通しです」


「チェチェンをはじめとするテロル組織、『山岳共和国軍』と連携を取り始めた日本国内の連合離脱派に対して、在日露軍がどのように対処するかが焦点ですね」


母さんと姉ちゃんと俺とが食卓を囲んでいるその横で、テレヴィが朝っぱらから重たい最近の出来事ノーヴァスチを垂れ流している。テレヴィで原稿を読み上げる男は、相変わらずの七三分け。男が大きく息を吸うたびに携帯端末メガネには「ワケオかわいい」というコメントが流れ込んでくる。

ワケオ。七三分けだからワケオ。栄えある国営放送の朝の顔は、必ず七三分けという取り決めになっている。


「ワケオ、かわいいよねえ」


俺の姉ちゃんもワケオに肯定的だ。萌えるのだという。国家の威信のために七三分けにしているのに、そういう消費をされてしまってはワケオもやるせないだろう。

コメント表示領域の『政治性』を高めて、流れてくる反響の傾向を調整する。すると今度は連合離脱派への罵詈雑言や、過干渉気味なロシアへの罵詈雑言。それらに併せて中国共産党への罵詈雑言やアメリカへの罵詈雑言といったような斜め上からの砲撃が一斉になだれ込んできて、この世の地獄具合に眩暈を覚える。

仕方なく『公共的正しさ』の設定を上げて穏健な反響だけ受け取ることにした。そうしたらそうしたで、争いごとの準備をするくらいならその労力を小田原復興支援に使えといったようなアクロバティックな批判ばかりが飛び込んでくる。朝から溜息をついてしまうのも、仕方がないだろう。

どうしようもないコメント群に辟易した俺は、諦めて表示領域の設定を初期のものにした。

「ワケオかわいい」というコメントが一番平和でまともなのかもしれない。


「そういやアンタ、大学どうすんの?そろそろ決める時期じゃない?」


そう言って姉ちゃんが箸を俺に向ける。我が姉、速水ツグミはいわゆる華の女子大生という生き物だ。釣り目といい明るい髪色といい、いかにも華やかな容姿なのだけど、その実成績優秀で青年団コムソモールでもそこそこの活動をしているというあまりの勝ち組ぶりと家庭内での暴虐武人ぶりに、に弟は日々震えているという。


「うーん、俺としては報道系に行きたいんだけど、サリャーリスがまだ選択を焦るなって」


「へえ。あんたジュルナリストやんの?」


「うん。バカっぽいこと言っちゃうけど、なんかカッコいいだろ」


「なるほどねえ」


姉ちゃんが片眉を上げて相槌を打つ。報道者ジュルナリストといったら、国家資格だ。エリート街道を爆進する姉ちゃんも認めてくれるだろうと思っていた。それにカッコいいし。


「花とか星とか好きだからてっきり理系になるかと思ってたけど、そっちの道に進むのね」


スーツを着た母さんがそう言ってお茶を啜る。母さんはバリバリの共産党員で姉ちゃんと同じく出世街道をひた走っている。旺盛な好奇心と異常な体力とを総動員して趣味に仕事に大忙しな母さんは、その生き様で培った豊富な知識と幅広すぎる人脈を駆使して幼少時代の俺の知的好奇心を満たしてくれた。俺の繊細さ父譲りのもので、いい意味での阿呆さは母さんが与えてくれた品質だろう。悪い意味での阿呆さ加減は、純然たる俺の阿呆ぶりから来ているだけだ。


「まあ理系に進みたい気持ちもあるけどね。だからサリャーリスも焦るなって言ってるんだろうし」


機能の総体としての神〈サリャーリス〉が職業を進める時は、本人の能力や性格だけではなく、検索履歴や閲覧履歴から分析した好奇心の傾向が考慮される。彼女がまだ進路を確定させるなと言っているのも、つまりはそういうことなんだろう。


「サリャーリスに悩まれるってアンタどこまでブレブレなら気が済むの」


とはいえ姉ちゃんは呆れたように溜息をつく。興味のある分野や職業適性が一致しないということは、今日びなかなかないことらしい。


「ま、なんにせよよく本を読んでよく運動しておくことね。アンタ、デキが悪くても性格はいいんだから、とりあえず普通の偉いことをやってなさい」


姉ちゃんは梅干を頬張ると酸っぱそうに顔をしかめる。


「もしアレだったら、アタシらが党と顔繋いでやるからさ」


姉ちゃんなりに励ましてくれているみたいなのだけど、正直俺自身は進路について悩んでいるわけでもなかったから、少し申し訳なかった。

機能の総体としての神〈サリャーリス〉の後方支援を受けながら夢に向かって一心不乱に走り続けている姉ちゃんからすると、神様に足踏みを食らわせられている俺が気の毒に思えるんだろう。だけれど俺は日々を楽しく生きていられればそれで幸せという質だから、機能の総体としての神〈サリャーリス〉に進路の決定を焦らされている方が性に合うのだった。

それに、今はハルやアナフェマテロルの事もある。あまり将来の事について考えていられる余裕はない。


「そういえば、ハヤトもこれ使ってたよね」


これ。母さんの指差すテレヴィには、義手を器用に操る男性が映っていた。脳に張られた人工神経を活用してより繊細な動きを云々、という例の技術だ。男性は特殊人為災害で両腕の肘から先を失ってしまった家具職人のようで、現在は手術の甲斐あって過去の腕前を取り戻せたと語っている。


「そうそうこれこれ。実際かなりすごいよ。本当に片手で蝶々結びできるし」


「えっアタシできないんだけど」


「母さんもそんなことできない」


二人は少し羨ましげに俺の右腕を見た。


「ってことは片手で卵割るとかそういうことも余裕なわけ?」


思いの外姉ちゃんの食いつきがいい。勉強や青年団コムソモールの仕事を要領よく終わらせるなり汚い自室にこもって格闘ゲームに没頭する姉ちゃんだけど、それでも将来につながりそうな事柄への好奇心は相当強い。俺の義腕が精密な動きをできると見て、何か思いついたことがあるのだろう。


「いやさ、今度特災孤児向けの運動会みたいなもんをウチの青年団主導でやるんだけどさ、義腕とか義足の子も多いから、どういう構成にしようかって話になってたのよ。でもハヤトの話を聞く限り、けっこう大丈夫そうだね」


「へえ。でもみんながこれを使ってるわけじゃないと思うよ」


「いやいや。それがみんなちゃんとその手術を受けてるんだわ」


箸をビシりと向ける姉ちゃん。二十代にもなって口元に海苔を付けているのはどうかと思う。


「そんなこともあるんだな」


「ハヤトだってそもそもサリャーリスにオススメされたクチでしょう?」


「あ、そうか」


母さんの指摘を受けて気が付いた。俺だって神様に薦められるがままに手術を受けたのだから、最新技術とはいえ多くの人が導入していてもなんら不思議じゃない。サリャーリスは、情報弱者を助ける装置でもあるんだ。

あくびを噛みしめ、お味噌汁を啜る。温かさに薄ぼんやりとした眠気が少し晴れた。姉ちゃんを見てみると、アジの干物に塩をかけようと容器をガシャガシャと振っていた。


「干物に塩かけるのかよ……」


「うっさいわねー。塩は魔法の調味料なのよ。あー塩が出ない!」


悪戦苦闘する姉ちゃんから母さんが容器を取って、フタを開ける。


「あら、もう塩が固まってる。梅雨は嫌ねえ」


容器の中の塩は無残にもきめ細かさを失ってただの塊になっていた。鎌浦の梅雨は厳しいのだ。


「……だから、我々は白色テロルに屈しません」


腕を失った職人男性の特集は、そう締めくくられていた。


「続いてのノーヴァスチは、昨夜未明神奈川県鎌浦市で起きた爆発についての続報です」



朝家を出てまずはハルの家の前に行く。シャツはズボンから出ていないか。、髪は乱れていないか。なんて風に身だしなみを整えてから、呼び鈴を鳴らす。時刻は七時半丁度。呼び出しとほぼ同時にハルが玄関から出てきて、スロープを下ってくる。

そうそう。これが俺のあるべき日常。朝っぱらから暗い報道を見せられてゲンナリしていたけど、ハルの笑顔を補充できれば帳消しだ


「おはようハル」


「おはようハヤト」


〈おはようございますハルカ様!昨日より少し肌がお荒れですね!不機嫌な上にラーメンなんて食べたからですか?〉


とはいえ、本物の方の神様はなかなか俺に優しくしてくれない。


「あ?」


ハルがおはようの笑顔を見せてくれると思うや否や、アストライアが意味もなく喋りはじめて一気にハルが不機嫌になる。


〈おやおや?一昨日よりこころなしかふくよかになっておられる?〉


「ハヤト!」


キッと俺を睨み付けるハル。俺から見ると太ったようにも肌が荒れたようにも見えないのだけど、もしかしたらアストライアにはわかるのかもしれない。


「いや別にそんなことないと思うぞ!」


「そのアスラライラとかいう腕、本当に不愉快なんだけど」


〈アストライアですよアストライア。人間には覚えるのが難しすぎましたねえ。もしアレだったら『ア』と呼んでくださってもかまいませんよ。それともドジっ子アッピールという奴ですか?今日びドジっ子幼馴染なんて流行りませんよ?作戦を組み立てなおした方がいいのでは?〉


「いや、幼馴染のドジっ子はありだと思うぞ」


「そういう問題じゃないからその腕を黙らせて!」


ハルとアストライアの舌戦はその後も続いた。ギャーギャーと喚きながら住宅街を歩いていると社会評価点を下げられるんじゃないかと怯える一方で、これはこれで楽しい登校かもなと思ってしまう自分もいる。

今日は梅雨らしく曇天だ。鎌浦は山がやたらと多く、その分平地がとても少ない。当然、土地利用は山に囲まれた細い谷間を縫うように行われるわけで、ようするに梅雨となると湿気が溜まりに溜まって不快度が爆発的に跳ね上がる。ブロック塀も大昔に切り崩された岩肌も完全に苔むしていて、視界は緑と、あとアジサイの青でいっぱいだ。こうもジメジメしていると、自然と気が滅入るものだろう。ひょっとしたら気が狂ってしまうかもしれない。特定人為災害は梅雨と冬と年度末に多いとも言うし、意外と的外れじゃなかったりするのかも……。

というわけで、俺はハルが発散するかわいいかわいいをうんうん頷きながらひたすら摂取することで正気を保つことに専念する。具体的には上からうなじを凝視することでかわいいかわいいは吸収される。


「おはようハヤト。篠崎さん」


「おっすリュウジ」


「おーーっす」


アジサイ寺と親しまれている明鏡院の門の傍で、リュウジが本を片手に待っていた。アジサイと美男子と本。悔しいけど、相当絵になる。


「あれ?シバケンは?」


「うーん、まだみたいだね」


肩をすくめるリュウジ。その手にあるのは、フーコーの監獄の誕生。朝からなんとも難儀なものを読んでいらっしゃる。

柴田の数少ない取り柄の一つに、早寝早起きというものがある。毎日の待ち合わせには必ず柴田が一番乗りをしていて、俺たちが後から来ると「どうだ俺はスゴイだろう」とばかりにデカい顔をする。戸籍が高三で身体は中三程度でも、こころは輝く小学三年生なのだ。旅先で石を拾って帰る俺とは常にこころを研鑽し合う、いわばライバル関係にある。強敵と書いて「とも」と呼ぶ、例のアレだ。

珍しいこともあるもんだなと位置検索をかけると、その端末は現在使われていないか通信できない状態にあるという返事を機能の総体としての神〈サリャーリス〉が寄越してきた。


「どういうことだ……?」


「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!」


俺たちが首を傾げたところで、お馴染みの阿呆じみた声が近づいてきた。柴田だ。


「いやあいけねえいけねえ。遅れちまったぜ」


ドカドカと走り寄ってきた柴田は立ち止まると大きく肩で息を吸う。見てみると、携帯端末メガネを着けていない。少し体調も悪そうだ。


「どうしたお前。メガネが無いぞ」


「失くした」


「は?」


「だから失くした。メガネを。昨日いつの間にか無くなってたんだよ。メガネが」


ラーメン食ってる時外してたっけなあと、柴田が頭を抱える。頭を抱えたいのはこっちの方だと言いたくなったけど、俺も柴田もお互い底抜けの阿呆だから手放しに馬鹿にできない。


「でもさ、位置検索かけたら通信できないって言われたよ」


リュウジが言う。今時の携帯端末メガネには電磁界共鳴式の送電があるから、電池切れなんてものはとんでもない僻地に行かない限り起きえない。通信できない状態にあるとしたら、完膚なきまでに壊れるか、サリャーリスの外に行くしかない。


「そうだよそれなんだよ。俺のメガネを誰か盗んで壊したってことか?うわーこえー」


「まあ確かに怖いわなあ」


いつものメンツが揃ったということで、とりあえず歩き出す。携帯端末メガネは計算機能の殆どを近場の超性能カンピユーテルに任せているから、本体を盗んだところで計算資源を稼げるわけじゃあない。この分だと、不思議なこともあるもんだと考えるのを投げ出した方がよさそうだ。

鉛色の空を見上げてみると、無人機があちこちで元気よく飛び回っていた。山に阻まれているから空を見渡せるわけではないけれど、建物も低いから結構な数の無人機が飛び回っているということはわかる。


「爆破テロルのせいじゃない?今朝は滝乃入の方で計算基地がやられたんでしょ?」


「え、マジか。じゃあメガネがあっても無くてもなんもできなかった感じか」


「いや、滝乃入は山と畑しかないけど、農業の無人化が進んでる分、あれで意外とカラークリも結構いるし、計算基地は幾つかあるよ」


リュウジが柴田に返す。親父さんが県の生産調達局で働いているせいか、農業とカンピユーテルには詳しい。美少年は伊達じゃない。


「お前はなんでも知ってるなあ」


感心した俺がポツリと零すと、リュウジは目を見開いて俺を見つめてきた。まるで豆鉄砲を喰らった鳩だ。すぐに表情がもとの余裕ある微笑みに戻ったかと思うと、今度は少し溜息をつく。


「まさかそれをハヤトに言われるだなんてね」


「お?」


「ううん。ただなんか、ハヤトが羨ましくなっただけだよ」


「羨ましい?何をだ」


「なんでもないさ」


リュウジの横顔はどこまでも穏やかだった。柴田と同じく昔からつるんでいる仲だけど、リュウジの方は今になっても底が読めない。ただ時折、リュウジは俺を羨むような目で見ては、さびしそうな微笑みを浮かべることがある。友達だから、悩み事があれば察して助けてやりたいのだけど、そういえばこいつはなんで物理書籍なんて持ち歩いているんだろうかと、阿呆な俺はそこから疑問に思ってしまうのだった。


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