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不朽なる聖大致命女解繋者アナスタシヤ

チュー秀峰ショウフォンは、いい意味でも悪いでも国家への帰属意識が薄かったし、特別な信念や正義感といったものも無かった。

だからだろう。日本軍の工作員として祖国を売ることになろうが、人を殺めることになろうが、それが仕事である限り特別なストレスを感じることもない。

今回の仕事でも、何人か他の部署の人形遣いがアナフェマに食い殺されたものの、とりたてて何か差し迫った贖罪の念を抱きはしなかった。


〈それでシュウホウ。どうしてお前はそんな危険地帯にいるんだ〉


彼の耳に、少し棘のある女声が送られてきた。


「仕事中は本名で呼ぶなと言っただろう」


〈だからちゃんと発音を変えた」


接触端末コンタクトに映し出されている女性は、いかにも不満気に眉をひそめていた。

そのホリの深いテュルク民族風の顔立ちは、確かに整っているが、美少女というには大人びていて、美女というにはあどけない。

砂瀬地区のあまりにも陰鬱とした光景の中に、生き生きとした表情が浮かび上がっているその様は、不釣り合いという他なかった。

チュー秀峰ショウフォンは虚ろな目を、人形の残骸とその周囲にある血痕へ向けた。


「……人形使い達に届いた出動要請を見たところ、幾つか不自然な点があった」


〈それじゃわからん。もっとハッキリ答えろ〉


女声は唇を尖らせて文句を言う。過剰に演出された表情の変化に、チュー秀峰ショウフォンは溜息をついた。


「人形使いに与えられた出動要請は、確かに情報軍のカンピユーテルが出したものだった。だが、そのカンピユーテルが意思決定をするのに利用した情報の提供元がわからない」


〈ふーん。あっそう。で、『誰が情報提供をしたんですか』とでも、死体に聞く気なのか?〉


「生憎、人肉は右腕一本と、左足の小指、それと頭部二割りくらいしか転がっていない」


そう言って、同伴の機械人形カラークリたちが拾ってきた遺体の映像を女性に送り付ける。

特に嫌悪感を示す様子もなく、女性は沈痛な面持ちを浮かべた。


〈まったく、こころが痛むよ〉


「お前が言うと冗談にならない。ガルモーニヤ」


〈大丈夫。まだ私たちはそこに到達していない〉


ガルモーニヤは、打って変わって妖艶に微笑んだ。チュー秀峰ショウフォンは、背筋に悪寒が走るのを感じながらも、努めて表情に出すまいと目を瞑った。


機能の総体としての神〈サリャーリス〉は、情報の海に接続された計算資源カンピユーテル達によって維持されている。そのため、自然と神の運営は巨大な計算能力を持つ計算機とその所有者に操作されることになる。

世界の未来サリャーリスに大きな影響力を持つ計算資源カンピユーテル、その中でも上位に君臨しているものを、人は慣習的に超越知性体群と呼んでいた。


通信相手の女性、正確には女性型の人形は、まさにその超越知性体群の一角を担う存在だ。

彼女の言葉、彼女の表情は、全て何かの目的のためにある。一介の工作員であるチュー秀峰ショウフォンに、どうして彼女が関わりを持とうとするのか、その理由は彼自身さだかではなかった。


〈まあ茶番はいい。私の計算では、お前は今回の件で最終的にアナフェマと戦うハメになるぞ〉


ガルモーニヤはじ目を細めて微笑む。彼女の声は、嬉々と弾んでいた。

アナフェマとの戦闘は、殆ど全ての人間にとって死を意味する。死の宣告と同義である言葉に喜びの表情を添付するその意味を、チュー秀峰ショウフォンは経験から察した。


〈とりあえず、当面は任務に当たるといい〉


チュー秀峰ショウフォンは、虚ろな目で廃墟の街並みを眺める。

当局から与えられた任務は、先日失踪した超越知性体の回収または破壊。その結果に何故アナフェマとの戦闘が待ち受けているのか、そのことも彼には定かではなかった。


〈戦え。そして、有用性を証明し続けろ〉


画面の中の人形は、本当に感情があるかのように、禍々しい笑みを浮かべていた。




どれだけ光り輝いていようと、世界を憎まずにはいられない。世の中にはそういう奇特な人種がいるらしい。

おそらく、霧江レイコその人も、そんな人間の内の一人なのだろう。彼女の言葉ひとつひとつは、あまりにも鋭すぎるし、あまりにも痛みに満ちていた。


「そう。だから資格があると言ったの」


「資格?なんの資格だよ」


「資格といったら、それはもう仲間としての資格に決まっているじゃない」


俺は彼女に薦められるがまま、根城にしているという中学校の廃墟に訪れていた。

昨日自販機近くで出会った時とは打って変わって、霧江さんの喋り方や表情にはどこか色っぽさがあった。

慣れない環境にドギマギする自分が情けなくなる一方で、かわいい女の子と夜の廃墟で会話なんてしたら、そりゃあ緊張するだろうと思う自分もいる。

とにもかくにも確実なのは、彼女の言葉がまったく頭に入ってこないということだった。


「速水君、緊張している?」


「そ、そんな緊張なんてしてるわけないだろ」


図星を突かれ、思わず声が上ずる。

窓が割れているから、たとえ部屋の中でも容赦なく潮風が吹き込んでくる。肌寒さを覚える一方で、すぐ傍に熱源になりそうなものがあるのなら、俄然相手を意識をしてしまうのも仕方がない。


「まあいいけど。貴方図体が大きい割に純情なのね」


「体の大きさと純情さは関係ないだろ!しょうがないじゃんか、普段ハル……あーっと、幼馴染以外の女子と二人で話すことなんてめったにないんだから」


「へえ。やっぱりモテないのね」


「やっぱりってなんだよやっぱりって」


「見ればわかるわ」


霧江さんは肩をすくめているけれど、おそろしいまでに目力がないせいか、全てがわざとらしい。


「よかったじゃない。モテないながら黒髪の乙女とお近づきになれて」


「俺はハル以外の女になびくつもりはない」


「交際しているわけでもないのに、気持ちの悪い男ね」


わざとらしい溜息。

不自然なくらい打ち解けた会話をしていくうちに、緊張は解れてきた。一方で、霧江さんが何者なのかという疑問はつのる一方だ。俺は、彼女が害のある人間か見定めた上で、一緒にアナフェマがうろつくこの廃墟から逃げ出す方法を見つけ出さなくちゃいけない。



「ところで、俺をここに呼び出した要件というか、目的はなんだったんだ」


「ああ」


言われてはじめて思い出したかのように、手を叩いて目を見開く霧江さん。

その時初めて、霧江さんの使っている机の上に、乾燥しきった花束が置かれていたことに気が付いた。

窓際の壁をよく見ると、所々穴が開いている。授業中だったこの教室に、戦闘の流れ弾が殺到したのだろう。

頭の中に描き出された当時の光景に、眩暈がした。


倒壊した橋。崩れた家。住宅街に唐突に現れる草原。穴だらけにされたアスファルト。屋上から電柱が突き刺さる交番。

この街には、当時の戦闘の傷跡があまりに多く残されている。


誰々は魔法少女の移動の邪魔になった橋ごと断ち切られて即死。

誰々は吹き飛ばされたアナフェマの下敷きになって圧死。

誰々は魔法少女の爆破魔法に巻き込まれて焼死。

誰々はアナフェマの牽制攻撃に巻き込まれて出血多量死。


そんな風に、街の傷跡はそれぞれが碑文になっていた。いくら気を付けても、そこに出くわした人々がどういう死体に成り下がったのか連想するのは、あまりに簡単だ。


霧江さんは何を思って、墓標として機能するこの街を徘徊しているのだろうか。

俺の疑問を読み取ったのか、霧江さんは、スッと目を細めた。


「速水君は、ここの元住民でしょう?」


この人はきっと脆い。声を聴いて、なんとなく、そう思った。

時間の流れで色の白んだ机に、霧江さんは腰かけている。細長い指で、死体のように青白い指で地面を指差す霧江さんは、締めればすぐに殺せてしまいそうな喉を震わせた。


「それがどうしたんだよ」


霧江さんがあまりに綺麗だからか、それとも「可哀そうな人」という定義付けをしてくる様子がなかったからか。唐突に八年前の話を振られても、不思議と驚きも苛立ちも覚えなかった。

音もなく立ちあがった霧江さんは、そのまま俺に近づいてきた。


「だったら、どうやって周りと折り合いをつけているのかなって。そう思ったの」


霧江さんの表情は笑っていたのだけど、目つきはどうしようもなく暗かった。俺に向けられた力のない視線に、いったいどんな意味が乗せられているのか。それを推し量りかねる感覚から、だんだんと彼女のこころを読み取ろうとする努力へと、意識が誘導されていくのがわかる。


「べつに折り合いも何も、みんなよく気を使ってくれてるよ。近所の人も助けてくれるし、社会評価点だって貯まる」



「でも、そのままでは『被災者』以外の何者にも成れない。貴方はそう思っている」


霧江さんは、生気の宿らない瞳でこちらの目を見つめながら、俺の左手を握った。ゴツゴツとした俺の手に、霧江さんのゾッとするほど冷たい指が絡められる。


「何が言いたい」


「貴方みたいに、嘘をついてばかりの人間がそうやって聞き返すのは、大概弱みを突かれた時だけよ」


口端を吊り上げる霧江さんの笑みには、酷薄とした言いようのない禍々しさがあった。

反論を考えようにも、指から伝わる霧江さんの冷たさのせいで、頭がうまく動かない。

心臓の鼓動は、むしろ落ち着いてる。こころを抉ろうとする霧江さんの言葉と振る舞いに、ただ身体が冷えていく。


「ねえ。速水君はもっと自分を見てもらいたいんじゃない?特別な存在になりたいんじゃない?」


「それは別に、ありがちな願望だろう。気恥ずかしさはあっても、恥じるようなもんでもない」


手を振りほどこうとしても、今度は左手で手首を掴まれる。


「そう、特別になりたいってだけならね。でも貴方は違う。貴方は社会にほとんど絶望している」


「お前が俺の何を知ってるって言うんだよ。ほとんど初対面だろうが。」


「妹さんとお父さまの件なら知っているわ」


カッとしかけた身体の奥から、冷たい何かが溢れてきた。

妹と父の話題を切り出された途端、心に澱が溜まっていく。

冷たい左手が、俺の頬を撫でる。霧江さんの声は、どこまでも澄んでいた。


「かわいそうに、妹さん。数合わせの魔法少女にされたんでしょう?」


「頼むから、ツグミと父さんの話はしないでくれ」


俺の声は震えていた。汗まみれになった両腕で、俺は霧江さんの肩を揺らしていた。

アナフェマは絶望した人間だ。そして魔法少女もまた、人間だ。

魔法少女のシステムについては、正直考えるだけでアナフェマに成れるだけの醜悪さがある。


「辛かったでしょう?お父さまが周囲の人に追い詰められていったことは」


「いざ自殺したら、何も死ぬことなかったのにと、手の平を返して貴方に優しくしはじめたことは」


霧江さんは、冷たすぎるその両腕を俺の首に回していた。そして、頭を彼女の口元に引き寄せられる。


「魔法少女とアナフェマが戦い続ける限り、人は死に続ける。人が死に続ける限り、セカイはセカイを憎悪する人間を、決して許さない」


「どこまでもこのセカイが地獄なのだとしたら、いっそ全ての人間を地獄に――」


〈たーてーうえたるともーよー、いーまーぞひはちかしーーーー〉


心の奥で何かが決壊しかけたその時、右腕からのんきな歌声が大音量で鳴り響いた。


「な……ッ!!」


瞬時に俺から離れた霧江さんが、愕然とした表情でインツェルを熱唱をする俺の右腕を見つめていた。

俺と霧江さんの間で奇妙な沈黙が流れる中でも、アストライアはご丁寧に伴奏までつけて歌っている。


〈あーっと、お熱い所申し訳ありませんが、わたしの存在を忘れてもらっては困りますよ〉


〈もっとも、お二人が私を意識しないようちょっとした小細工をしたのですが、この際そんなことはどうだっていいのですよ〉


環境音としてインツェルの伴奏を垂れ流しながら話すアストライアは、いつも以上に胡散臭かった。けれど、そのおかげなのか、さっきまでざわついていた心がもう落ち着いている。


「その右腕、いったいなんなの?」


〈一緒に歌える万能革命歌伴奏機、キョウサンシュギーノフでございます。以後お見知りおきを〉


〈Союз(サーユース) нерушимый (ニェールシームィ)республик(リェスプーブリク) свободных(スヴァボードヌィフ)〉


嘘でしかない自己紹介を、いけしゃあしゃあと済ませたアストライアは、そのまま連合歌を流暢なロシア語で歌い始めた。伴奏は、小憎たらしいことにオーケストラ編成だ。


〈おやおや、米帝のお歌の方がお好きでしたか?大丈夫。資本主義国の歌もカバーしてますよ〉


[声紋はもちろんのこと、会話中に選択した語彙の傾向と、発音の間の置き方が彼女と

一致する人間及び集団が見当たりません。この女はどう考えても危険だから、ここは逃げましょ?そうしましょ?]


携帯端末メガネにアストライアからの通知が表示された。立て続けに、提案に同意するか否かの選択肢が浮き出る。


「速水君、その不愉快な機械をすぐに黙らせて」


アストライアの言っていることの意味を考える。この女は、何者なのか。

この女が現れたのは、アナフェマが逃げ出し直後だった。もしも、アナフェマが人の姿をとりうるなら。その仮定が許されるのなら。意味は、あまりにも明確だ。


「……霧江さん。一応言うとこの街はアナフェマが出る。危険だから、一緒に逃げよう」



俺の問いかけに、霧江さんは酷薄な笑みで答えた。


「その必要はないわ」


霧江さんの澄んだ声が響く。遠くの波の音も、窓や穴から吹き込む風も、何もかもが意識から消えて、心臓をつかまれたような緊迫感に囚われる。

いつの間にか俺との間を詰めていた霧江さんは、人差し指で俺の心臓から喉仏をなぞる。


「戦うためのチカラを、ワタシは持っている」


その言葉と同時に、霧江さんは大きく後ろに下がった。それとほぼ同時に、天井が音をたてて崩落する。


現れたのは、大口のアナフェマ。八端十字が胸元に突き刺さるそいつは、唸り声を上げて建築資材に齧りつく。


「ウソだろ!?霧江さんがそいつなんじゃないのか!?」


「まさか!こんな汚いのと一緒にしないで!」


憤慨する霧江さんは、今までと打って変わって人間らしかった。彼女がカッターナイフ

コンクリートと鉄骨を平らげたアナフェマは、ゆっくりと立ちあがり、俺を見つめる。


〈もう脱出の手を打ちました。とりあえず進行経路を拡張現実上に表示しますので、従ってください〉


「でも、霧江さんがっ」


返す言葉の途中で、一瞬光が走る。すると、アナフェマが両断されていた。


「ワタシは自力でなんとかできるから、せいぜい巻き込まれないように気を付けてね」


ここにいたら巻き込まれて死ぬ。わけのわからない状態ながら、それだけは理解できた。

霧江さんに頷きを返し、教室から駆け出すと、背中の方からアナフェマの絶叫が聞こえてきた。

タイルが剥がれ苔の生した廊下を、全力疾走で駆け抜ける。


窓から差し込む月明かりに、掲示板に貼られたポスターや生徒の絵が照らされている。


修学旅行で行った飛騨高山についての発表。樹海の歴史。火山の構造。うがい手洗いの奨励。こころの相談室の案内。内容も目的もバラバラなポスターたちを尻目に、ただひたすら走る。


「アストライア!霧江さんは何者なんだ。魔法少女か?」


〈わかりません。魔法少女ではないと思うのですが……〉


ハッキリとしない回答。機械であるこいつが自信なさげに答えるのだから、本当にわからないんだろう。


飛び降りるように階段を駆け下りて、昇降口にたどり着く。腐食した下駄箱の中には、いくらか靴が入っていた。

その靴の小ささに心が痛んで一瞬歩みが止まった矢先に、アナフェマが床を蹴破って落ちてきた。

身体のところどころから青緑色の粘液が噴出している怪物は、腹部まで裂けた口に並ぶ歯を、一本一本器用に動かしている。


「あくまで俺狙いかよ……」


〈みたいですね。おいしそうなんじゃないですか。知りませんが〉


今じゃアストライアの軽口がありがたい。一日に二回、というか一週間で三回もアナフェマと出くわす不幸に、なんとかくじけないでいられる。


「で、この場をどうやって切り抜けるんだ」


〈ああ。それならご安心を。もう少しでスペシャルゲストがやってきますよ。とりあえず、右に跳ねてください〉


応じて右側に跳躍。身体を横殴りにするような衝撃を感じ、そのまま吹き飛ばされる。

何事かと振り返ると、八端十字がアナフェマの背中に突き刺さり、さっきまで俺のいた所に肉片が飛び散っていた。ゲオルギイの援護射撃だ。

アナフェマの動きが止まった隙に、校舎の外へ出る。アスファルトを突き破ったセイタカアワダチソウが、夜の風に揺れていた。


「貴様が、速水ハヤトか」


凛とした声が、昇降口前の広場に響く。

空を見上げる。傾いた電柱の上に、甲冑の少女が立っていた。


緊張感が跳ね上がった。心臓が押しつぶされるような感覚に、呼吸が一瞬止まる。

ゲオルギイは地面に降り立ち、つかつかと俺に近づいてくる。

小田原の戦闘で二万人近い死者数を叩きだした、今最も人間を殺している魔法少女、ゲオルギイ。彼女の足取りは固く、一部の不安も油断も感じさせない。

流れるような金髪も、派手な意匠の鎧も、その誇らしい外見と振る舞いに上手く合致していた。


「光榮なる聖大致命者凱旋者のイコン、ゲオルギイ。貴様の助けに応じよう」


嘘をつくな。お前はアナフェマを殺したいだけだろう。と、そんな反論をしたくなったけれど、感情の無い魔法少女に何を言っても意味が無い。


「アストライア、こいつが俺ごとアナフェマを殺さなかった理由はなんだ」


〈たんに今回のアナフェマが最弱レベルだから余裕があった、というのもありますが、大きな理由はわたしのした交渉に依るところです〉


「交渉って、いったい何をしたんだ」


〈貴方の生存のために全力を尽くした。ただそれだけのことです〉


かみ合わない会話。歯車がどこかで狂っている。何故ゲオルギイは戦闘を継続しないのか。何故アストライアはこの場からの逃走を推奨しないのか。状況を手繰りよせて、その意味を読み取る。


「これから、ここ鎌浦市でアナフェマの大量発生が予測されている」


人間の右腕が、昇降口の方から転がってきた。


「やめろ!やめてくれ!」


聞いたことのない声の悲鳴が、昇降口から聞こえてくる。男の悲鳴だ。


「生憎、アナフェマとの戦闘時以外、我々魔法少女は力を発揮できない制約があってな」


ゲオルギイはあくまで凛々しく語る。語ろうとしていることのおぞましさを、振る舞いが握りつぶす。


「それで、今回貴様を助ける代償として、一つやってもらいたいことがあるんだ」


腐敗の進行した男の死体が何事かわめきながら昇降口の闇から這い出てきた。


「何が起きているんだ!助けてくれ!」


男は全身を幾本もの杭で貫かれ、足を鎖に縛られている。もがきながらこちらに近づい来た男は、布で目隠しされていた。


「おい、こいつ……」


〈ハヤト様。交渉相手のお話を聞いた方がいいのでは?〉


アストライアの声。右腕の無い男の肩から、ゆっくりと新しい腕が生えてくる、しかし、そこに新たな杭が突き刺さる。


「ギッ、―――ッ!!!」


男の絶叫がこだました。ゲオルギイは表情一つ変えずに凛々しく微笑んでいるし、アストライアも何も言わない。


「誰かっ!誰かいるんだろう!助けてくれ!俺に何が起きて――」


男の叫びは、飛んできた鈍器が頭を強打することで中断される。

一撃で生まれた頭部のへこみと出血は、徐々に回復する。


「私と彼女の願いを、聞いてくれるか?」


『彼女』。ゲオルギイが指差すのは、昇降口の闇。どこからか聞こえる水の滴る音が、少しづつ大きくなっていく。


「来る!化け物がくる!」


男の絶叫は、水音に応じて壮絶さを増した。


そして月明かりが、闇からゆったりと出てきた『彼女』を照らす。

それは、ボロボロになった赤い衣を纏い、煤けた布で頭を覆う少女だった。

雨でもないのに全身はズブ濡れで、彼女歩いた跡には黒いシミができていた。

両脚と左腕は包帯で巻かれていて、その隙間からは深刻な火傷が覗かれる。

一方で包帯に覆われていない右腕は、異常なまでに痩せこけていて、骨と皮しかない。


「殺される!助けてくれ!助けてくれ!」


俯いたまま近づいてきた少女が、男の元にたどり着いた。


「我こそは、不朽なる聖大致命女解繋者のイコン、アナスタシヤ」


歌うように彼女は自らの名を口にした。

彼女の衣から滴る水を浴びた男の部位は、見る見るうちに生きた人間のそれへと変化していく。そして、その部位から順番に彼女は杭で潰す。鈍器で殴りつける。鋏で断ち切る。鎖で縛り、引き千切る。


夜を切り裂く悲鳴と凄絶な暴行は、一度完全に人間の姿に戻った男が、何科の生き物とも判別のつかない肉塊になるまで続いた。


「この街で起こる全てのアナフェマテロルを阻止するために、首謀者を無力化しろ」


俺のこころには、大きな穴が空いていた。

ゲオルギイの言っていることのほとんどが頭に入ってこない。

アナスタシヤの声が誰のものなのか。俺にわからないわけがない。


「さもなければ、私と彼女が全力で戦うことになる」


彼女、アナスタシヤは、腐敗した体液や血、そして脳しょうを全身に浴びて、静かに微笑んでいた。俺はその微笑みを知っている。

そして彼女は、頭の覆い布を外し、全てが露わになったそのかわらしい顔で、ニッコリと笑った。


「よろしくお願いいたしますね、速水様」


ハル。篠崎ハルカ。俺の幼馴染。かわいいかわいいランキング俺調べで第一位。今一番熱い国民的美少女。ショートカットが似合う子王決定戦17年連続一位。少し垂れた目がなんとも困らせたくなるけれど、笑った時のえくぼがとってもかわいい女子高生。


いつも笑顔であって欲しいし、そして、今も俺の目の前で微笑んでいる最高にかわいい女の子。


「なんで、よりにもよって……」


アナフェマは絶望した人間だ。そして魔法少女もまた、人間だ。

魔法少女のシステムについては、正直考えるだけでアナフェマに成れるだけの醜悪さがある。


ハルは、魔法少女の憑代にされた。


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