初恋の魔法
放課後の教室。差し込む夕陽がメランコリックとか、センチメンタルとか、モラトリアムとかを演出していた。
シチュエーションとしては上々だろう。
私は意を決して、意中の彼に話しかける。
「○○って好きな娘とかいるの?」
私は有りっ丈の勇気と平常心を振り絞って、さも『何気ない話題を振っていますよオーラ』を装いながら訊ねた。
「……うん」
撃沈だった。
私が意を決してから僅か5秒にも満たない。
たった2文字で、私の初恋が音を立てて崩壊していく。
目の前が真っ暗と真っ白を行ったり来たりする。
「そ……、そう……なんだ」
「××は、そういうヤツいるの?」
○○がお返しとばかりに訊ねてくる。小首を傾げる仕草が、男なのに可愛らしい。
そしてそれが、憎らしい。
と言うか、今すぐ逃げ出したいのに、そんな質問を投げかけてこないで欲しい。
今にも泣き出しそうなのに。視界が滲んでしまいそうなのに。
声が上擦っているのが自分でも分かる。
「…………う……ん」
何とかそれだけの言葉を振り絞って、私は逃げる様にして教室を後にした。
○○が私の後ろ姿に何やら声をかけていたような気がしたが、きっと肥大化した自意識が生み出した幻聴だろう。
放課後の廊下は、やけにシンと静まり返っていた。
しかし、私が盛大に転んでしまったのを目撃した人物が居ないのは有り難い。
正に泣き面に蜂だなぁ、とか考えながら靴を履き替えていたら、もう一度転けてしまったのを目撃した人物が居ない事を祈る。
帰り道。
夕陽によって、茜色を塗りたくられた坂道のコンクリートキャンバス。
只でさえ車通りが少ない道路。更に今は、私の心境を察したかの様に車が一台も走っていない。
――どうして車道如きにまで気を使われなければならないのか。
そんなやり場の無い怒りばかりが募る。
正直、自分でも理不尽な怒りだと思う。仕方ないから、仕事をしたところを見た事のないガードレールを蹴っ飛ばすだけにとどめる。
爪先が痛み、更なる怒りが募るが、負のスパイラルに入りそうだったので深呼吸にとどめる。
後一歩で私は悟りが開けるかもしれない。
帰宅。
……声をかけてくれる家族は居ない。
…………ただ、仕事で私よりも帰宅が遅いだけだ。夕飯までには帰ってくるから、決して氷河期の様な悲しい家庭で育ったわけじゃない。
自室に入り、制服を着替えることもせずにベッドに倒れ込む。
「――制服、皺になっちゃう」
こんな事を、○○の前で言ってみたかった。
自分で考えておいて何だけど、痛々しい妄想だ。
――ちく――たく――ちく――たく――
時計の秒針が、1秒1秒を懸命に削り取っていく音。
それが60回。その60回を更に180回。
途中、母親が私を呼んだような気がする。
だけど、私はそれどこじゃない。
何というか、こう、17歳の乙女で忙しいのだ。
――――――――――――――――――
「そうだ。呪いだ」
どうしてそんな結論に至ったのか。
……きっと疲れていたのだろう。だけど、現在進行形で頭が疲労困憊でクルクルとしている私には当然それが理解できない。
この時の私にとっては、この“呪い”が唯一無二の答えで解答だったのだ。
「よし、藁人形だ」
呪いと言えば藁人形。安直過ぎると、どうして誰も突っ込んでくれなかったのか。
何の思し召しか、時刻は丁度1時過ぎだった。
私は取り敢えず近所の寺へと走った。いや、神社だったか。取り敢えず、それっぽい建物へと走ったのは確かだ。
後はもう勢いだった。藁人形に五寸釘(ホームセンターで購入)を打ち付けていく。
対象は、〝○○の好きな人〟だ。
……いや、正直効くとは思ってなかったのだ。だって、寺か神社かも分からないくらい適当だったし、そもそも肝心の藁人形が押し入れにあったパーティグッズだし。
「はぁ……、いい汗かいたわ」
ジョギング代わりに呪いを行うのは何処の馬鹿だ。……私じゃないと思いたい。
私は額に浮いた汗を拭う。
木にしっかりと打ち付けられた藁人形を見ると、何とも言いがたい達成感が溢れて来て、思わず頬が綻んでしまう。
そんな時だった。
――カンッ――カンッ――カンッ。
と、釘を打つ金属音が聞こえたのは。
一瞬、私が鳴らした音が反響しているのかと思ったのだが、そんな筈はない。
……気持ちが悪い。
……私が言えた口じゃないけど。
深夜の神社(寺かも)から鳴り響いて良い効果音じゃない。
恐ろしくて、恐ろしくて、私はその場から身動きが取れなくなってしまったのだった。
それから数分で音は止んだ。
しかし、今度は人が藪をかき分けるような音が響いたのだ。
音は此方に一直線に歩いて来る。
私は、とうとう叫び声を上げてしまった。
空を引き裂かんばかりの叫び声。我ながら何処からこんな声が出てきたのだろうと思う。
人影は、一瞬怯んだ様に身を竦めたが、直ぐに此方へと走って来る。
――ああ、私の人生もここまでか。私はあの暴漢とも狼男とも知れぬ謎の生物に骨の髄までしゃぶられてしまうのだ。
そんな事を朦朧とする意識の中で考えていた。
「××か……?」
声色は思っていたよりも柔らかかった。
「……は?」
でも、どうして暴漢が私の名前を知っているのだろう。いや、もしやストーカーかもしれない。
ストーカーがこんな時間に何をやっているのかは知らないが、アチラが私の名前を知っていて、私の得になる事は何一つ無い気がする。
「僕だよ。○○だ」
「……は?」
私のストーカーが○○だった……?
いや違う。
「○○は狼男だったの?」
……いやそれも違うだろ。
何はともあれ、私は一気に張り詰めていた気が緩んでしまったので、泣き出してしまったのだった。
先ほどは何とか堪えたのに、今回は先ほどの分も纏めて零れてしまったのか、涙は半刻ほど止ってはくれなかった。
――――――――――――――――――
「はい、コレ」
○○が缶珈琲を差し出してくれる。
深夜に缶珈琲というチョイス。渋めアピールなのか、今夜は返さないぜアピールなのか、どちらにしろ少し痛々しい気がした。
『呪い』とか『背伸び珈琲』とか、これ以上私の○○を汚さないで欲しい。
「……ありがとう」
まあ、憧れの男子から貰えるのであれば何だって良いんだけど。
「○○は……何をしていたの?」
私は思わず訊ねてしまう。いや、当然の疑問だと思うし。訊ね返されると困るけど。
「ハハ、恥ずかしいな」
恥ずかしいって何だ。
アオカンか。そうすると先ほどの金属音は接続部から鳴り響いた音だったのか。
……それはそれで怖い。
「実は、呪いってヤツを試してたんだ」
「呪い……?」
呪いと言えば、
人あるいは霊が、物理的手段によらず精神的・霊的な手段で、他の人、社会や世界全般に対して、悪意をもって災厄・不幸をもたらす行為(Wiki参考)
である。
いや、そんな事は分かり切っているのだけど。
何というか、こんな身近に同士が居たとは思わなかった。全く嬉しくない発見である。
「うん。××の好きな人が羨ましくて……、つい」
『つい』じゃない。そんな女子もビックリな小悪魔スマイルを駆使しようとも、許される事と許されない事がある。
……もうこの際、自分のことは棚上げしまくるしかない。
我ながら英断だったと思う。
……?
思わぬ呪いフレンズの存在に戸惑ってしまったけれど、先ほどの○○の発言には、聞き捨てならないニュアンスが含まれていたような気がした。
「それって……?」
「僕さ、××の事が好きなんだ。さっきは××が逃げちゃうから言えなかったけど、本当に好き。入学当時からずっと目付けてたんだ」
呪い何かよりも、よっぽどそっちの方が重要だろうが。
何やってんだ私。何やってんだ○○。
しかしだ。現金な事に、心臓が痛いくらいに鼓動が高鳴っている。
もう訳が分からなくなるほど嬉しい。
嬉しいけど、どうしてこんな場所で告白されなければならないのだろう。
――いや、もうこの際なんだっていいや。
「私も! 私も○○の事が好き!」
「え……?」
○○はさも意外そうな顔をしていた。
玉砕覚悟で私に告白してくれていたんだって分かって、それも凄く嬉しかった。
その後、2人で一頻り笑った。泣いた分をチャラにするように笑い合った。
「と言う事は、僕達、自分自身に呪いをかけてたんだね」
私は『○○が好きな人』つまり私に。
○○は『私が好きな人』つまり○○に。
何という茶番だ。
「そう言えば、そういう事になるね」
『あはははははははは――はは――は――――…………』
そして、2人の笑い声は、フェードアウトするようにして途切れていった。
―――――――――――――――
次の日。町外れの日本屋敷に住む老人が、裏庭を散歩している途中、高校生二人の死体を発見した。
二人の死体の付近には、何故か木に釘打ちされた藁人形が二つ発見されたが、事件との関連性は不明とのこと。
二人は抱き合うようにして、笑いながら亡くなっていたらしい。
第一発見者の老人は
「たまに、うちの裏庭の木に藁人形を打ち付けていく悪戯をするガキがいる。うちは神社でも何でもない、ただの古いだけの日本屋敷なのに」
などと意味不明な供述をしているらしい。
――完――