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立派な馬車の中には、ふかふかのソファがあった。走行もスムーズで、同じ道を走っているはずなのにまるで揺れを感じない。
俺は豪華と言えど狭い馬車の中で、存在自体が光を放っているかのようなエルフの青年と向き合っていた。
「あの、イーヴ…さん」
「イーヴでいい。馬車は豪華だけど、私はべつに身分が高いというわけではないんだ。」
「でも、王様に招かれたんでしょう?」
「あぁ、まぁね。人間はエルフと交流を持ちたがっているから。でも、今回は知り合いに会うために行っているんだ。国単位でどうこうするつもりはないよ。…まぁ便宜を図ってもらったから、挨拶はしなきゃいけないだろうけど」
イーヴはにこにこと微笑んで、饒舌だ。
とてもエルフとは思えない。
エルフは、遥か北に住むという長命な一族。強い魔力と高い知性を持つというが、ひどい人間嫌いで交流を断っている、というのが世間で語られているエルフだ。
けれども目の前の青年はとても好意的で、人間嫌いとは思えない。
輝くような金髪に緑色の瞳で、驚くほど美しい…というのは、絵本の中の通りだけど。
「エルフは人間嫌いなはずなのに……って思ってる?」
「えっ、」
考えていたことをずばりと言い当てられて、俺はぎくりと身体をこわばらせた。
「えっと…」
「気にしなくていい。私はエルフでも変わってるって言われるんだ。人間に興味がある」
「興味…、ですか」
人間が好き、というわけでもないのか。
「君を危険にさらしてしまったのは申し訳ないと思っているけれど、こうして話ができるのは嬉しいな」
「あ、いや…俺たちも、道を半分ふさいでいましたし…すみませんでした」
「いやいや。急ぐあまり、私が御者を急かしてしまってね。本当に、怪我がなくて良かったよ」
イーヴはそういって、俺の手を取った。
「え、」
「そういえば、名前を聞いてなかった」
「あ、俺は…クーです。みんなそう呼びます」
「クー?」
クツィル、という名前は多くの人がうまく発音できず何度も聞き返される。だからいつも愛称であるクーと名乗るが、24歳の大の大人には少し子供っぽすぎるのだ。面と向かってからかわれることは少ないが、不釣り合いな呼び名ではあると自分でもわかっている。
だが、
「私も、そう呼んでいいかな」
イーヴはまっすぐに俺を見て言った。
そこにはからかう気持ちなんて微塵も感じられない。かと言って、そういう気持ちを隠そうという不自然さもない。
ごく当たり前に言われて、俺は逆に面食らう。
「…はい」
誠実な人なんだな、と俺は思った。そんなことでと、ちょっと簡単すぎるかもしれないけれど。
「クーは、なんだか懐かしいにおいがする」
「えっ…?」
俺はさらに、イーヴの行動に驚かされた。
やわらかく握られていた手に、そっと顔を寄せられたのだ。まるで騎士が姫の手の甲に誓いのキスをする時みたいに。
俺はびっくりして思わず手を引こうとしたけれど、思いのほかしっかりと握られていた手を引きぬくことはできなかった。
「不思議だな…他の人間とは違う」
「いやいや、俺なんて普通の人間ですよ?ほんとに…そこらへんにいる…」
何を言っているんだ?俺は本当にどこにでもいる普通の人間で、特別なことなんてない。王都に行くのも20年振りくらいだし、本当ならイーヴに会うはずもなかった人間だ。
俺は面白いくらいしどろもどろで、イーヴに言った。
なんか変な汗が出てきたし、そろそろ本当に手を離してほしい。
「そうかな?」
イーヴは納得していない顔だったが、事実だ。
ようやく話してもらえた手を引き寄せ、慌てて背中の後ろにやった。
エルフだし、きっと人間とは常識が違うのだろう。手を握ったり、においを嗅いだりする…のも、普通のことなのかもしれない。でも、自分の顔を自覚してほしい。そんなに整った容姿でそんなことをしたら、俺は良いけど、勘違いしてしまう人もきっといる。
にこにこと俺を見ているイーヴを、俺は改めて見た。
眉毛は太めで意志が強そうだが、優しく細められた目のせいで威圧感はない。目の形は切れ長で、長くてびっしりと生えているまつげも金色だ。まばたきのたびにキラキラと光を反射してまぶしい。その光が緑色の瞳を照らして、見たことはないけれど宝石のようだと思った。
鼻筋はすっと通っていて、唇はやや薄め。肌は象牙色だが、不健康な感じはない。体つきが比較的がっしりしているように見えるからかもしれない。だが鍛えすぎた感じもなく、均整がとれていてスマートだ。腕も足もすらりと長くて、向き合って座っていると膝が当たりそうだった。
「そんなに見つめられると、照れてしまうよ」
まったく照れていなそうな表情で、イーヴは言った。
「あ…っ、すみません」
エルフは、人間が整っていると感じる容姿の者が多いという。
「クーに見られるのは、嫌じゃないよ」
これも、人間に対する興味の一環だろうか。
俺はそわそわして落ち着かず、もはや早く王都に到着することを願うしかなかった。