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2話-1 いたいくらいが丁度よくて

何もない世界で生まれた君は、何も持っていなかった。ただ、君がもう一人いたら、ただ笑っているだけの日常に嫌気がささず、多分、生きて行けたんだと思う。

異世界に来てから初めての夜、ある夢を見た。


真っ暗な空間、目を瞑っているのかすら分からないくらい黒で埋め尽くされた空間の中、上手く立てているのか分からない状態だ、水の中なのか、宇宙空間なのか。そんな空間の中、目の前には私、キヨネがいた。手を伸ばしたら届きそうな距離に、黒い髪に黒い瞳を持つ私がいた。ちゃんと村長の家の鏡で見た私の顔だ。もしかしたら元の世界での私かもしれない。


だとすれば聞きたいことがたくさんある。


口を開こうとすると、上唇と下唇がくっついて離れない、話しかけることができない。手で唇同士を離そうとするが、境界線が存在していなかった。


「キヨネ、大丈夫? そっちの世界では、キヨネを演じなくても大丈夫、変に思われても大丈夫、ずっと考えてきたよね、辛くなった時、苦しくなった時もずっと、もがき方すら忘れて、考えついたとしても、ただ、何もしたくないと誓ったよね。そんなこと全部忘れていいから、これからも、ずっと、だって、神なんていないから」


私は、言葉を詰まらせながら必死に伝えてくれた。そうだ、嫌な予感はしていた。異世界に来てからずっと心の中は曇り空で、今になってポツポツと雨が降り始めた。きっと、前世の私の死因は、自殺だ。

ガバッと目を覚ました。本当にガバッと、フライパンを降って一斉に炒め物が飛び上がる勢いだった。なんで急にそんなこと思ったかは、外が土砂降りの雨だったからかもしれない。音がよく似ている。

雨の朝は苦手だ、明るいはずの朝が、まるで闇に侵食されているようで、頭がどっしり重い。ただ、ガバッと起きたせいでまた寝る気にもならない。

まさか異世界に来てから2日目は悪天候に見舞われるなんて。


「おはよう」


隣で寝ているタカラに話しかけるが、タカラは幼い寝息を吐いている。

ベッドのすぐ横にある物置には真っ赤なウィッグが窓の外を見ているように置かれていた。


「今日は雨だね」


タカラに言うはずの言葉をウィッグに向けて放つ、そのままウィッグを掴んで洗面台へと向かう。

これが日課になるんだろうなという物事はあまり好きではない。限りある一日を削られているようで、そのうち削り切ってしまいそうになる。何故だろう、これはずっと感じていたことだ、きっと元の世界から、性格なのかもしれない。

洗面台に立ち、プロテアに教わったやり方でウィッグをつける。髪をまとめるのが難しかったが、時間をかければなんとかなった。

そして用もなくリビングへと向かう。


「おはようございます」


丁寧に案山子へお辞儀をする。その光景はいつ見ても悍ましいが、なんだか神聖なものにも感じてくる。

案山子の隣に座り、窓の外をぼーっと見つめる。

あれ、なんでだろう。これだけのことなのに、世界が広く感じてくる。ただ、寝室からリビングに出ただけなのに、だけなのに…

テーブルにおでこを押し付ける。その姿勢のまま、夢を思い出す。忘れてもいい、そう自分に伝えられた。


「自殺、なのかなぁ」


納得がいってないわけではない、はたまた、素直に肯ける事でもない。まだ分からない、しかし、過去の自分は確実に病んでいた。記憶が定かではないが、病むことの感情を理解している。複雑に虚無感と焦燥感のようなものが交差し、本当に人間として生きていたくない、何もしたくないと考え陥る。それは病んでいる人にしか分からないことであろう。そのことが頭でいっぱいになると、込み上げてくるものがあった。誤魔化すために、おでこで何かをすり潰しているように机に押し付け、溢れ出る涙をなかったものにしようとする。


「お姉さん、どうしたの?」


そうしているうちに、タカラが起床していた。机を舐めているかのようなキヨネに対し、タカラは困惑していた。吃驚しながらもキヨネは最後に鼻を啜り、頭をタカラの方へ向けた。真っ赤なおでこと鼻先を見たタカラは泣いていたことを悟る。そのまま何を言うでもなくタカラは冷蔵庫からミルクを手に取り、二つの頑丈なコップに注いだ。そのままキヨネの向かいに座り、一つのコップを手に取り、もう片方の手はコップの下に手のひらが向かうように配置。なにかマジックでもするのかとキヨネは凝視していた。そのまま下に配置した手からは火が出てきた。本当に手のひらから、手のひらに穴がいているわけでもなければ、マッチやライターを隠し持っているわけでもなさそうだ。


「これは、魔法?」

「うん、火魔法の初級、出現」


仕組み、原理を知りたがる人もいるだろうが、キヨネはその光景をただただ美しいと思っていた。

魔法が目の前にあることも、タカラがホットミルクを作ろうとしていることも、外が雨なことも、この世界では、美しいと思おう。いつ生きるかなんて決めれないから生きてる間は美しいと思おう。

そう思うと、なんだかさっきまで考えていた元の自分がどうでもよくなった。

すぐにミルクはポコポコと泡を立て始める。そしてコップが差し出される。持ち手をしっかりと握り、口につけ、傾かせる。ちょうど良い暖かさのホットミルクに体の芯まで染みる。


「ありがと、楽になった」


そう笑顔で言うと、タカラは照れた様子で窓の方を向いた。キヨネも一緒に窓の外を見ると、雨が止んでいた。窓から日差しが差し込んできて、さっきまで豪雨だったのが信じられない。晴れた空にタカラはパっと花が咲いたように笑みを浮かべた。


「タカラ君は毎日何してるの?」

「僕? 基本外で遊んでるかな」

「昨日みたいに?」

「うん」

「そっか」


そう話を聞くとキヨネは少し悩む。

異世界に来たはいいものの、何か目標とかはないのだろうか。元の世界では異世界転生といったら魔王討伐など、なんか目標があったような気がする。まぁそんな目標、目的はシナリオを面白くするためのもののようなものだろう。別に人生にそんなものがあっても…

いや、人生にもそういう困難は自分から立ち向かう方が面白いのかな?


「昨日村長と話をしたんだけどさ」


同級生に話しかけるくらいの軽い気持ちでタカラには話しかける。そうするとタカラは顔を合わせてくれて、しっかりと聞いてくれる。


「うん」

「その、黒髪黒眼が差別される理由なんだけど」


もしかすると聞きたくない話かもしれないと、一旦間をおく、タカラは表情一つ変えずに肯いてくれる。


「魔族がこの世界に現れた原因が、黒髪黒眼が特徴の人だったからって、知ってた?」

「そうなんだ、てことは、僕たちはその人の影響で差別されないといけないってこと?」

「うん、変だよね、確かに魔族は人類に甚大な被害を及ぼしたのかもしれないけどさ」

「全くだよ、でも、こうしてお姉さんと会えた」


なんだかすごくいい子過ぎた回答だったからかもしれない。


「いや、そうだけど、もし差別がなかったら今頃お母さんと一緒に過ごせたんだよ?」


ものすごい失礼なことを口走ってしまった。多分、まだ自分たちが差別されることに納得がいっていないんだと思う。その結果、憎しみを共感させようとした。タカラはまだ幼くて、色々なものを独自の観点から見ること、考えることができる。そんな大切なことを壊してしまいそうになり、すぐに訂正しようとする。


「その…」

「そうだけど、母さんは病を待ってたんだ、だから、きっと数年前には亡くなっている。僕は一人が苦手なんだ、だから、どんな理由でも、一人じゃないのがありがたいんだ」

「ごめんね、失礼だったよね、確かに、私もこうしてタカラ君と出会えて嬉しい」

「お姉さんが嬉しいなら、僕も嬉しい」


なんだろう、タカラ君のは何か、特別で、初めて見る何かを持っている。ただ、それが何かは分からない。私も似たような何かを持っていたような気もするが。それも分からない。

そうして話は終わり、ミルクも飲み終わる。

すると、ドアをノックする音が聞こえてきた。郵便かなんかだろうかと立ち上がるがタカラは見当がついているようだった。


「あーそーぼ!」


ドアの向こうから聞こえてきたのはユッカの声だった。分かりやすい幼く高い声は、ドア越しに少し響いて聞こえる。タカラは立ち上がり、準備へと向かう。キヨネはその様子を飛び回る虫のように目で追いかけていた。パジャマから私服へ着替え、少し大きめのバッグを肩に下げ、玄関で靴を履く。いつの間にか準備は終わり、行ってきますと投げ放つように言い、ドアから出て行った。一瞬の準備に覚えているんのは、ドアの隙間見えたワンピース姿のユッカだけだった。

一人でタカラの家に取り残されたキヨネは何をしようかと悩む、お金は持っていないし、朝ご飯もミルクだけでは少し物足りない。

何はともあれ出かけようと着替える準備を始める、タカラの服は少しだけ小さいが着れる範囲だ。許可は昨日の夜に取ってある。ゆっくりと着替えを済ませ、家から出ようとする。ドアノブに手を伸ばそうとすると、身体中に電撃が走ったかのように体がそれを拒む。やがて手は震え、動悸が激しくなる。まるで心臓に酸を掛けられているかのように、変な感覚がする。

ー全部、忘れていいから。頭に今日の夢で言われたことが浮かぶ。そうだ、ここは異世界で、元の世界なんて関係ない。そう自分に言い聞かせ、勢い良くドアを開いた。

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