神の手
あなたは神を信じますか?
失礼な。私は怪しい者ではございません。善人のふりをした悪人が跋こするこのご時世、何事も注意してかかるに越したことはないですけれど。ある日住み慣れた町の路地裏で、ひょいと角を曲がったが最後、誰にも気付かれずにどこかへ連れ去られ――だなんて、ないとは言えない世の中ですから。まったく、どこもかしこも穢れておりますねえ。
おやまだそんな怪訝な顔をして。あなた、私がお好きなはずですよ。初対面で何ですが、愛想も礼儀のうちです。もうちょっと人当たりを良くしないことには、基本的なコミュニケーションすら交わしにくくなってしまう。とは言え、わかっておりますとも。あなたがたとえ親しげに話しかける人にも用心を隠せないのは、今さっき私がふれましたように、この世の中、どこに悪意が潜んでいるのかわからないほど穢れているためです。けれども、いいですか、考えてみて下さい。そもそも、親しく接してくれる相手の腹の底まで探らなきゃならないなんて、何ともおかしな話ではありますまいか。寂しい話ではありませんか。
人が人を信用出来ない。歪んだこの感覚が、まるで正しい不文律であるかの如く、年齢や性別に拘わらず都市に染み付いて地域を越え、国境を越えて、世界的に蔓延していますね。こうなるに至った原因は、いったい何なのでしょう。原因を考えたことはありませんか。兎にも角にも現状蔓延った汚れを、まず綺麗にしなくては、問題提起をするにも上手くいきません。いくら私が語ってみたところで、奇妙な理想家か、夢ばかり見ている未成年の社会批判と同程度にしか、受け止めてもらえません。
――やあ。ようやく興味を持ってくださいましたね。可笑しいですか? 結構。あなたがあなたの知っている範囲の物事に私の言葉を照らし合わせ、馬鹿な話をと思ってつい吹き出したのだとしても、どうあれ笑いは親近感を及ぼす道具ですからね。
あなた。あなたですよ。いい加減にしてくださいませんか。後少しだけですから聞いて下さいな。
あなたは日頃、漠然とした不安に苛まれることはありませんか。
自分の居場所に、自分の居場所ではないような違和感を覚えた経験は、ありませんか?
仮にそつなく平凡な生活をこなしているとして、クラスメートや同僚、友人や恩師を、自分の知らない誰かのように遠く感じたことは。自分がやらなくてはならない物事を、どこかの誰かにやらされているように感じたことは?
血を分けた家族からしていらない縁で、自分は産まれたいと願った覚えはないのに、何故あくせく生きなくてはならないかと、自分や他人を疑い煩悶した経験は、あなたに一度もないでしょうか。
殺したい死にたいだなんて、しょっちゅう文字にしているのでしょ。
ほらご覧なさい。図星でしょう。思い当たるふしがいくつもありましたでしょう。
あなたは常に、あなたの歪みを持て余しています。今更隠し事はよして下さいな、私のほうが笑ってしまいそうですよ、いいですか、あなた自身の内側の歪みは、社会全体に染み付いた穢れによる卑しい現象そのものですと、私は先程からただお教えしているだけなのです。どうですか、腑に落ちてきましたでしょう。何度も繰り返しますが、穢れが世の中に与えた影響はご説明したとおりです。
しかしご安心ください。改善する術がまったくない訳ではありません。
何故かって? あなた察しまで悪いのですねえ。それは無論、今こそ私どもの神が、聖なる救済の手を差し伸べるからに決まっているではありませんか。
申し遅れましたが私、この度の尊い御沙汰の手助けを任された者の一人です。
ご覧のとおり私は外見が整っていますが、体内に流れる血から清らかさを保っています。ええ、産まれながらにして純潔なのです。当然ながら私の同胞もみな清く、家柄が良いですから、父母も祖父母も、先祖代々身分に相応しいだけの知識と教養を得、物事の中心を見極める審美眼を受け継いでまいったのです。不遇の時代ならばありましたとも。しかしそうした時にこそ自分と同胞を信じ、愛して御霊を敬い、こうしてまた荒んだ世の中に力を正しく巻き返すまでになりました。すべての事象は、神のご意志に他なりません。初めから優れた命を授けられた、選ばれた私どもであればこそ、汚れて取り返しがつかない土壌に、一握りの美しい種を蒔かれた神の憂いに気付き、代わりに一矢報いることが出来ます。
私どもであればこそ、手の施しようがない被害者に、被害者が望む安息を与えてあげられます。病んだ芽を間引き見苦しい枝葉を刈り取るばかりでなく、根本の間違いから粛清出来るのです。
ご安心ください。慈悲深い私どもは、長々と苦痛を与えるまねをしません。
一瞬で終わりますからね。