09 飢えていない狼をお持ち帰りする方法
「……あったけぇな」
「へっ、翔、様? ……寝ている翔様も寝言を言うのですね。少しくらい、張り付いてもいいですよね? 私、こう見えても甘えたいのですよ」
目を覚ました俺は現在、キッチンで朝食を作っていた。
頬にある紅葉と、横腹にある痛みは、興味心が働いた俺に対する罰だ。
そうあれは、朝になって起きた俺が、咲夢さんに抱きつかれていた際の胸の感触で驚いたのが原因なんだよな。
色々とあって、咲夢さんが仮面をつけたのをキッカケに、獣扱いでビンタと蹴りを入れられて、ベッドから転げ落ちたのが朝の鐘の音だ。
ちなみに咲夢さんは、椅子に腰をかけて料理をしている俺を見てきている。
寝間着から着替えてほしいんだけど、朝食を食べたら着替えるらしくて、女の子は何を考えているのか意味不明だ。
男なんて、ポイって脱いで、ザっと着るだけの一分以内支度が出来るんだけど、女の子はそういかないらしい。
俺は単純に考えていたが、ある事を思い出した。
「咲夢さん、昨日の件なんだけどさ、内容次第では受けさせてくれないか?」
「夢で会ったのを覚えていたのですね」
その問いに頷いておいた。
夢で会ったのが咲夢さんだったのが間違いないなら、隠し事をする必要はないだろう。
咲夢さんは悩んだように仮面を抑え、ストレートに伸びている白髪をさっと後ろに払った。
「翔様、私があなたに頼みたいのは、私の側近になる事です」
「……側近?」
「ええ。側近になる事で翔様は今以上の生活を保障され、私を守っているだけで飲食住に困りませんよ」
「簡単な話なんだな」
ゲーム以外に余裕がない俺としてはありがたい話だけど、咲夢さんにメリットが無さすぎないか?
「飢えた狼じゃなければ、私は問題ありませんから。それと、他言無用でお願いします」
「生憎、俺は一定の人物を除いて、依頼主の件は漏らさないから安心してくれ」
「変わりませんね」
今まで護衛してきた金持ちの奴らは、大抵私利私欲、気に入らなければ消すだけの存在だった。だから俺は、首を傾げるしかなかった。
その時、トースターで焼いていたパンが飛び出て、調理終了の時間を伝えてくる。
俺はそのまま朝食の用意をし、咲夢さんの前に並べた。
「すまないが、朝食はこれで我慢してくれ」
「見事なブレックファーストですね」
「だから英語はやめてくれないか?」
やめません、と言ってくる咲夢さんは遠慮がないな。
テーブルに並べた朝食は、咲夢さんの方に目玉焼きを乗せたトースト、盛り合わせに焼いたベーコン、飲み物にコーヒーだ。
俺は冷蔵庫問題を考慮して、トーストに納豆をかけてある。その他はコーヒーがブラックかミルク以外は同じだ。
俺は咲夢さんに食べてもらうため、昨日と同じように後ろを向こうとした、その時だった。
「翔様、後ろを向いてもらう必要はありません」
「……お前、素顔を見られるのは嫌だろ」
そう言った時、カタンと仮面がテーブルに置かれた。
露わになった美顔に、まんまるの水色の瞳を見て、俺は息を飲んじまった。
まじまじと見ないようにしてたが、面と向かってみれば分かる、美しすぎるんだ。
川で生地を濡らすように、それほど透き通っていた。
「と、特別に見てもいいですよ。その、翔様は私の側近になるのですし……そもそも、夢でずっと見ていましたよね?」
先ほどの凛とした言葉遣いとは違い、おっとりとした甘い声になったのもあり、俺は困惑した。
やっぱり、咲夢さんは二重人格なのか?
もしくは仮面をつけている時は顔を晒されないから心から安心している、と予測できる。
それも全て本人しか知らない。だから、俺は変に疑問を抱いて頬を掻いた。
見惚れていると、咲夢さんは小さな口で目玉焼きと共にトーストを頬張った。
サクッと音が鳴ると、美味しそうにその瞳を輝かせるから、眩しすぎるんだよ。
男が作った手料理で、ここまで美味しそうに食べる奴がいるのか?
俺は疑問に思いながらも、自分のトーストをかじった。
「そう言えば、翔様は一人で住んでいらっしゃるのですよね?」
「よく知ってるな。……俺はずっと一人で過ごして、高校に通ってるんだ」
「全て知っていますよ」
淡々としているのに全てを見透かされているようで、俺は違和感を覚えた。
彼女の言う全ては、俺が元暗殺者なのを知っているような言い方だ。
美味しそうに朝食を食べている咲夢さんからとは裏腹……いや、勘くぐりすぎだろう。
いくら財閥のお嬢様とはいえ、俺の秘密裏の全てを知れるはずがない。いや、知っちゃいけないんだ。
俺は誤魔化すように、凝り固まった笑顔を浮かべた。
「……咲夢さん、普通にかわいいよな?」
「きゅ、きゅうに何を言っているのですか!?」
「うーん? 思ったことを述べただけだ」
「やはり、翔様も飢えた狼なのですか?」
「だから言ってるだろ、俺は飢えた狼だ」
「その飢えている意味は、ゲーム欲ですか?」
「お前は俺を何だと思ってるんだよ」
「めんどくさがり屋の恩人ですよ」
余計じゃないか、と言えば、余計じゃないです、と凛とした口調で返されたので、俺は苦笑するしかなかった。
朝食を食べ終えてから、咲夢さんの呼んだ迎えが来るまでの間でコーヒーを啜っていた。
咲夢さんは俺の入れたコーヒーでも大丈夫なようで、ちびちびと口に運んでいる。
今から咲夢さんの側近――という名の雇われか。
簡単に済めばいいんだが、内容を全部把握してないから怖いんだよな。
元暗殺者でも、依頼主次第では断る案件もあるくらい、俺は善人と悪人で分けるタイプなんだ。だから、咲夢さんが善人にオールインしただけで、完全に信用しきったわけじゃない。
「翔様、荷物はそれで全てですか?」
「ああ。俺は元から、ゲームや衣服以外は学校の以外だと持ってないからな」
俺がそう答えると、咲夢さんは自分の飲んでいたミルク入りのコーヒーをこちらに差し出してきた。
「お近づきの印に、コーヒーの飲み合いっこをしませんか?」
「面倒くさいんだが?」
「か弱い女の子の頼みを聞けない、情けなく不甲斐ない、逃げてばかりの小人ですか」
挑発に乗ったら負けだよな。
いやでも待て……ここであえて挑発に乗れば、咲夢さんに対して牽制になるんじゃ?
考えたら即実行。それが今を生き延びるための手法だ!
「わかった。他意は無いからな」
「ええ、どうぞ」
俺はニコニコしながら咲夢さんが差し出してくるカップを手に取って、軽く口に含んだ。
この時の俺は、咲夢さんに注意しとくべきだった。
「飲んじゃいましたね。これでお持ち帰りができます」
「何を言って……なんだぁ、目の前がぼやけ……」
「飢えていない狼を生け捕りにするには眠らせるのが一番ですから、睡眠薬を混ぜてみました」
「このやろう、ふざけやが……って……」
俺は見せつけられた睡眠薬を最後に、意識を失った。