29 依頼の続きは、傍で笑っていられるように
草花に光を吸収させて、夜空で月が輝いていた。
年明けでまだ肌寒いかと思っていたが、今日はそうでもない。
咲夢さんとの一つの出来事があったおかげで、体が火照ったままなのかは不明だ。
――依頼が終わるのは、暗殺者としては一つ……依頼主との別れを意味しているんだよな。
俺は一人で屋敷の庭に出て、噴水近くでしみじみしていた。
咲夢さんにあんなことをしておいて……最低なやつだ。とはいえ、面倒ごとを避けたい俺の性分がどうしても勝ってしまう。
屋敷の中では今ごろ、俺が抜けたのも知らずにパーティーで集まった招待客で賑わっているんだろうな。
跳ねる水音は、心の奥深くを刺激してくるようで、とても痛い。
落としていた視界の草は光を吸収するのをやめて、小さな足音を一つ鮮やかに響かせた。
「翔様、此処にいたのですね」
顔をあげると、パーティー用の白いドレスに身を包み、額に狐を模した仮面をつけている咲夢さんの姿がある。
パーティーには一応参加したから、咲夢さんの姿を見るのは初めてじゃないけれど、物珍しさは消えないままだ。
近づかれるたびに香り始める甘い匂いは、咲夢さんが力を入れているのだと、何故か理解出来る。
甘い香りとは裏腹に、レースに隠れている上胸の弾力の魔の手に首を振り、静かに咲夢さんの顔を見た。
「俺の役目は終わったから、最後のひと時を楽しんでいただけだ」
咲夢さんは水色の瞳を丸くしていた。
俺の言っていることが理解できなかったのか?
俺自身も気持ちが揺らいだままだから、不明確な言葉遣いをしたのが良くなかったな。
咲夢さんとの距離を一歩縮めて、月明かりが照らしてくるその可愛い顔をまじまじと見た。
「俺は暗殺者として、依頼を完遂したから終わりだ」
「そう言うことですか」
「ああ。これ以上、わがままなおままごとに付き合っている程、俺は暇じゃないからな」
「……ゲームしかやること、取り柄が無い不甲斐ない存在でよくほざけますね」
咲夢さんは呆れたため息を吐きだしたかと思えば、鋭利な言葉をついで感覚で吐き出してきやがった。
よく切れるナイフだな、おい!
俺の心とは裏腹に、咲夢さんは悪戯に笑みをこぼしている。
おかしなことを言ったのか、と疑問になるほど笑みをこぼしているから恐ろしいにも程があるだろう。
とはいえ、咲夢さんが自然に笑顔になれる……そんな幸せを守りたかったから、御の字ってやつだ。
「ふふ、私は翔様に、いつまでが期限とも言ってなければ、夢だけが護衛対象だとは一言も言っていないですよ」
「……は?」
正直、面倒だ。
俺個人、水掛け論は好きじゃないし、咲夢さんと論争をしたいと思うほど、うぬぼれたつもりは無い。
「それに、パーティーに誘った翔様の御父上、志堂さんにも挨拶をしてしまいましたし。……ルディアとグルだとは思いませんでしたけどね」
「まてまて! 何の話だ、何の!?」
現状だけでも面倒くさいが、明らかに咲夢さんが頬を赤くしたので俺は危機感を感じた。
挨拶……それは何らおかしなことではないはずだ。現に、俺は志堂のおっちゃんに拾われて、ここまで育ててもらったんだからな。
問題はそこじゃなくて、挨拶をした話をしただけで、どうして頬を赤くしているかだ。
今が夜とはいえ、屋敷から漏れ出る明かりで、目に見てわかる程だから面倒なんだよ……。
「なんの、と言われましても……翔様を婿に迎え入れる話以外の何があるのですか?」
俺の聞き間違えか?
咲夢さんは明らかに『婿に迎え入れる』って言い切ったよな。
ああ、完全に言い切ってた。
なぜ疑問そうに聞いてくるんだ、と俺が言いたいくらい自然なのが怖いわ。
「あっ、そういうことですか。翔様が夢の中を攻略したのであれば、私が現実を攻略してもおかしくないでしょう?」
「……いやいや、夢に関しては仕方なく、依頼だから、俺は攻略せざるを得なかっただけだ」
「そうやって誤魔化すのですね。翔様、お互いに合意とはいえ、私に不埒な真似をしておいて責任も取れないと?」
「えっと、それは……」
面倒くさい、って言っていられないな……。
強引的にもグイグイと来る咲夢さんに面倒くささを覚えてしまうが、咲夢さんの言っていることは理に適っている。
俺は確かに、咲夢さんと身を重ねた。
咲夢さんの初めても奪った。
咲夢さん本人すらも知らなかった声も聞いた。
今思えば、俺は外壁を埋められていたんじゃないだろうか。いや、埋められていた他ないか。
ましてや今回の件に関しては、咲夢さんとの関わりを踏まえると、西園寺財閥を敵に回すことになるし、夢で繋がる咲夢さんの事を考えても……俺の逃げ場はそもそも関わった時点で零に近い。
自分でも言い訳だってわかってる。でも、怖いんだ。
言葉にしようとすれば胸が締め付けられるようで、今までも様々な傷を負ってきたが、その痛みのどれもと違う程に痛い。
ふと気づけば、柔く吹いた風が、咲夢さんの白髪を毛先から優しくなびかせた。
なびいた髪も相まって、白いドレスの咲夢さんを美しく見せてきて俺は息を呑んだ。
「翔様。私はこれでも、過去に好いた人を追いかける、一途な女の子なのですよ」
喉の奥が焼けるように熱い。
飲み込んだ唾液は、ほとばしるくらいの熱を帯びていたんだ。
今、この瞬間、咲夢さんは間違いなく伝えようとしている。
いくらゲームばかりをやって落ちこぼれた存在の俺だとしても、それだけは理解できた。
咲夢さんは俺の動揺に考慮した様子を見せず、ただゆっくりと、話を続けた。
「……過去に、私はある方に望み、そんな依頼をしたはずだったのに、気づけば好きになっていました。体質的、立場的にも外に出られない私に、その方は外を教えてくれて、棺桶の世界に夢を与えてくれたのですよ。初めて外の世界を自由に歩けたのが、水の広がる海、という砂浜で……その方と手を繋いでいたのは幸せでしたよ」
咲夢さんは明らかに遠回りをしている。
直接言えばいい言葉を、俺が気づいていないのを前提で誘導するように。
咲夢さんの瞳に、息を呑み込んだ俺の姿が反射している。
夜なのに鮮明なほど、極彩色と勘違いする程に。
「――その愛する人は答えが出ているのですよ」
咲夢さんは後ろに腕を隠し、鮮やかな前のめりで誘うように、誘導尋問してきている。
刹那、手が震えている。
初めてだった、こんなにも手が震える程の気持ちの高鳴りは。
気持ちを伝えてもいいのか……と悩む俺は、本当の幸せの意味を知らないのか……。
揺れる白髪を見て、俺は覚悟を決めるように拳を握り締めた。
咲夢さんが待っているのだと、俺の口から言わせようとしているのだと、信じて。
「……俺は、咲夢さんを好きになってたんだ……」
待っていた答えだったのか、咲夢さんはゆるりと頬を柔くした。
「うん」
「だけど、俺は暗殺者の立場もあって……前みたいに幽香の件も含めて、咲夢さんが俺のことで巻き込まれて欲しくない、そんなエゴがあるんだ……」
怯えていたのは他でもない――咲夢さんが巻き込まれてしまう事への恐怖。
ある紋様が刻まれた銀色のナイフを俺が取り出すと、咲夢さんは手を重ねてきた。
重ねられて傾き、ナイフは月の明かりを吸収して反射し、銀色の鏡に俺と咲夢さんを映している。
「それなら、私の護衛を含めて、私を愛せばいいのでは? 翔様は、誰よりも優しいお方で、誰よりも強いお方なのは、私が知っています。でなければ、私に傷ひとつなく助けようなどとしなかったでしょう?」
どうして咲夢さんは、簡単に愛する方法を、愛でる方法を伝えてくるんだよ。
目からこぼれて顎から落ちた水はナイフの刃に当たり、月の煌めきを集めて弾けた。
咲夢さんを傷つけないように、ナイフを持った手を掲げて、その刃を影から解き放った。
――俺は咲夢さんが現実を攻略しようとしてきたことに戸惑いはあったが、俺だって攻略できる立場なんだよな。
「ああ。幸せを望むからな」
「確約では無いのですね」
くすくすと笑顔を見せてくれる咲夢さんに安堵して、俺はさり気なくナイフをしまった。
瞬く間も与えずに、咲夢さんに腕を回して抱き寄せる。
ひんやりとしているのに、あったけぇな。
俺の胸元にすっぽりと収まり、耳を胸に当ててくる咲夢さんはか弱く見えるからこそ、守りたいって気持ちが湧くんだ。
「……俺自身が幸せの形を知らないからな」
「私にした行為も含めて、沢山の幸せを翔様にも知ってもらいますからね」
そう言ってぎゅっと抱きしめてくる咲夢さんは、ズルい奴だ。
「――咲夢さん、望むことが許されるのなら……俺と付き合ってくれないか」
「はい。付き合うだけじゃなく、結婚を視野に入れておいてくださいね。私は、欲張りな人間ですから」
「その先まで守って、生きてやる……約束だ」
「約束ですよ」
俺はもう一度咲夢さんをしっかりと抱きしめた。
離さないと行動で示すように、いつまでも傍で笑っていられるように。




