27 正直者の体には、ただいまのご褒美を
死んだのか?
意識が朦朧とする。闇夜の海を泳いでいるみたいに体が軽い。
そんな光すらも届かない、深い意識の中で俺は目をつむって幾日過ぎたんだろうな。
『……翔様、遅くなりました。さあ、帰ってあげてください。咲夢を頼みましたよ』
その声を最後に、俺の意識は誰かに押される感覚で宙に浮いて、途切れたんだ。
「さ、ま。かける、さま……翔様。翔様、起きてくださいよ」
俺を呼ぶ声が、咲夢さんの呼ぶ声が聞こえる。
「……咲夢、さん?」
「か、翔様ぁ!」
重い瞼をあげると、視界には眩しいほどの白い光が差し込んでくる。
そんな光と同じく、鈴の鳴るような優しい声色なのに、涙ぐんだ声音が混ざっている……その声の持ち主、咲夢さんの姿が視界に入り込んできた。
上からのぞかれているのか、咲夢さんの姿が陰になって、視界にこれでもかと降り注いていた光を遮ってくれる。
あったかいのに、冷たい。
ぽたぽたと、顔に涙が落ちてきているのか?
視界が安定してくれば、答えを映し出した。
「……心配かけたな。ただいま、咲夢さん」
「ううぅ、翔様、おかえりなさい」
「そんな泣くなよ。俺は帰ってきたんだ、ここにな」
「……な、泣いていませんよ」
なまった体を起こすと、咲夢さんは優しく包み込んできた。
泣いている自分を誤魔化すように。
久しぶりに感じたな、この当たる大きな胸の感触……咲夢さんだけに感じる心地よさってやつか?
体を動かすのは久しぶりの感覚でなまっているって言うのに、咲夢さんの胸の弾力はしっかりと受け止められるのは幸せだな。
白髪で後ろにまとめられた三つ編み、お嬢様のようなシャツとスカート……それを見るだけでも、俺は戻ってきたって実感させられる。
泣いているせいで目を閉じ気味だが、まんまるとした大きな水色の瞳を持った、可愛らしい小顔も咲夢さんを象徴しているんだよな。
「翔様、飢えた狼にでもなったのですか……」
「咲夢さんの狼ではあるかもな」
「なら、許します」
「どういう意味だよ」
もしかして、咲夢さんの胸の感触を味わっているのがバレたのか?
とはいえ、体はなまったままだし、咲夢さんに抱かれているからそのまま受け止めるしかないんだよな。
俺はぎこちない腕を動かして、咲夢さんを抱き寄せていた。
泣いている咲夢さんの背を優しく撫でるのはどうなんだろうな。
咲夢さんを抱き返していた時、視界の横にある姿が映った。
夢の件からお世話になっていた、ヘソ出しスタイルで白衣を羽織ったルディアだ。
ルディアはこちらを見たまま、別にそのままでいい、と言いたげな様子で首を横に振った。
「翔君、まずはおかえりぃ。具合は大丈夫かい?」
首を動かして体を見れば、所々に包帯を巻かれているのは、幽香との傷跡が残ったまま眠ったからか。
案の定というか、上半身を起こしただけでも半袖シャツから見える包帯は多いな。それにこの巻き方……咲夢さんが看病してくれていたのか?
「体がなまっているだけで問題はない」
「流石元暗殺者で咲夢が惚れた子だねぇ」
「ルディア、それは余計ですよ」
咲夢さんはなぜか頬を赤くして、ぷいっとそっぽを向いて近くにあった椅子に腰をかけていた。
少し目が赤いのは、泣かせ過ぎた俺に原因があるよな……。
「そうだね。翔君、君が眠っている間はずっと咲夢が看病していたんだよ……梃子でも動かない程にべったりとねぇ」
「る、ルディア!!」
咲夢さんは暴露されると思っていなかったのか、恥ずかしそうに顔を隠していた。
指の隙間からチラチラと見ている水色の瞳は、彼女らしいんだよな。
揺れ落ちる綺麗に整えられた前髪。
目が覚めてから、俺は咲夢さんに心が引かれている気がする。
「まあ、怪我人の翔君の上に跨がって欲を発散していたのはどうかと思ったけどねぇ?」
「ルディア、いつ見ていたのですか……?」
咲夢さん、俺が眠っている間に本当にナニをしていたんだ?
咲夢さんは次から次へとルディアの口から暴露される言霊に、どんどんと頬を赤くしているから可哀そうだな。
「えっと、まあ……咲夢さん、看病してくれてありがとう」
「……ご無事そうで何よりです」
「変わらないな」
咲夢さんは恥ずかしそうにしつつも、笑みを見せてくれた。
俺が救いたかった、助けたかった、いつか見たあの夢の笑顔を。
小さく軋んだ音が鳴る胸の奥は、痛いな。
そんな胸のざわめきで、俺はある事を思い出した。
「そう言えば咲夢さん、夢々はどうなった? ……仮面の咲夢さんは……」
俺はあの後、眠ったままの感覚に近かったんだ。
底の見えない、光が届かない、そんな水の奥深くで意識があるのに……深く沈む落ち葉の中でもがいている感覚。
だから夢の中に意識があったとしても、夢々のその後を俺は知らないんだ。
そもそもの話、俺の夢の中なのか、咲夢さんの夢の片鱗を持って帰ってきていたのか、不明だったからな。
俺の問いに対して、咲夢さんは両手を自身の胸に当てて、自然な笑みを浮かべていた。
「夢々は……今は私と一つで、夢の中でいつでも会えますよ。翔様が、居てくれたから」
「……そっか、よかったよ」
俺はおかしい返しでもしたか?
不明なことに咲夢さんがジロジロと見ては、俺の手に視線を落としている。
「良ければ、触ってみますか?」
「いやいや、俺は飢えた狼じゃないからな!」
「……いつも見てるくせに」
こいつぁ、俺の癖を見抜いているのか。
咲夢さんの胸は、現在進行形で確かにジロジロ見ている。だけどな、漢にも時にはプライドってもんがあるんだ。
吹く風には容易く崩れる、そんなプライドがな!
触らないのですか、と言いたげな咲夢さんの視線に、俺は思わず頬を掻いた。
ルディアはそんな俺を見てか「男の子だねぇ」と言ってくるから、状況的には面倒だ。
「若い青春ってのはいいもんだねぇ」
「ルディアも若いだろ」
「言うじゃないかい。ところで翔君」
ルディアが一つの間を置いたのを合図に、俺はルディアの視線を固定した。
「夢の中から翔君も帰ってこられて、そして咲夢も助けてもらった……依頼の括りとしては完了したも同然だよ」
「翔様、よかったですね」
咲夢さんやルディアが嬉しく思ってくれているのに、不思議と……胸が痛い。
喪失感、そんな溢れる思いが押し潰してくるようで、辛いんだ。
俺が胸を抑えた時、小さな箱をルディアが投げてきた。
「……これは?」
ルディアから投げられた箱を、動き始めた手で取る。
その箱の文字を見て、俺は言葉を失った。
箱にゴムの避妊具と書いてあるのですが、あのおばさんは何を考えていやがる?
とはいえ俺は本能的に、咲夢さんを見ていた。
本能には逆らえないのは世の常なのか?
それよりも、起きてからずっと体の調子はうずき気味なのが不思議だ。
「男の子には稀に、夢射というのがあるのだろう? クリスマスから一週間……年明けまで眠っていたんだ、あんな夢の影響を体が受けていない筈がないだろうに。ましてや翔君、傷ついた体で寝たのだから自分で発散しないと良くないだろ?」
「……つまりは何を言いたい? こんな箱を渡しておいて」
「翔様、それは何ですか?」
咲夢さん、純粋なままで居てほしんだよな。じゃなきゃ、まじまじと見る機会が減っても嫌だしな……。
ルディアは呆れたように、ため息を一つ落として息を吐いた。
「つまりは夢の後処理だよねぇ。二人で望むのなら、使うといい。褒美の追加等も含めて、既に許可は取ってあるからねぇ。そうそう、私は暫くこの部屋に来ないから、後は好きにするんだねぇ」
ルディアはそう言い残して、部屋を後にして行った。
つまりはあれか、咲夢さんの服を脱がしてもいいってことなのか?
極論だが、この箱の意味と、ルディアの言葉をそのままとらえるのなら間違いないよな?
困惑していると、咲夢さんがベッドに座ってきた。
もじもじした様子で見てくる水色の瞳に、俺の姿が反射している。
俺の姿は、完全に咲夢さんを求めているのが理解できてしまう。
視線を下ろすと、咲夢さんが握ったベッドのシーツはシワを作っている。
「えっと、咲夢さん、どうす――」
俺は最後まで言葉を口に出せなかった。
だって、咲夢さんは俺の手を引いて、その大きな胸に当ててきたんだ。
確かにある温かさを、俺だけの知る世界にできると勘違いしちまう。
咲夢さんは少し目を逸らした後、ゆっくりと口を開いた。
「その、ご褒美で触らせる約束をしていました……いかがですか?」
「……柔らかいし、あったかいな」
「翔様ったら、もう……。その、翔様が望むのでしたら、この先の事を、私に教えてください」
「……俺でいいのか?」
「ええ。翔様風に言うのでしたら、私を攻略してみませんか?」
そう言って咲夢さんは、服のボタンに迷いなく手をかけていた。
開いた隙間から見えてくる、フリルのついたお洒落な白いブラジャーは心に来るものがある。
気づけば俺は、咲夢さんに自然と体を寄せていたんだ。
「俺も初めてだから……その、咲夢さんを味わわせてくれ」
「わ、私も甘えたかったので、そのぉ……お、お手柔らかにお願いします」
消え入りそうな声を聞いた俺は、無意識のうちに咲夢さんの手を取って、一緒にベッドへと倒れた。
そして、素肌を混じり合わせた先にある初めてを知っていくんだ。




