26 また目覚める、その時まで
夢々が去った後、俺は瓦礫に背を預けて目を閉じている咲夢さんの方に近づいた。
相も変わらず、上から所々に砂が落ちてくるこの場所、咲夢さんには毒すぎるだろ。
「咲夢さん、起きてるんだろ?」
「……バレていたのですね」
「咲夢さんをよく見ているからな」
瞼が柔くも上がっていくと、まんまるな大きめな水色の瞳が姿を見せたんだ。
シーグラスのようにうるっと輝いているその瞳、俺は好きなんだよな。
咲夢さんに手を伸ばすと、咲夢さんは笑みを浮かべて俺の手を握って立ち上がった。
触れた手の先から視線を辿らせれば、咲夢さんは頬をやんわりと緩めている。
この表情、過去に出会った初めての咲夢さん……俺の知っている本当の咲夢さんで間違いないみたいだ。まあ、夢々の件は俺にも非があるから、触れたくは無いけどな。
ふと気づくと、咲夢さんはまじまじと俺の顔を見てきていた。
「どうした?」
「本当に……翔様なのですね」
「ああ、俺だ。おっと」
砂を足で弾き、咲夢さんは飛び込むように俺を抱きしめてきた。
咲夢さんはやっぱり、夢の中でも体温を感じさせてくるし、守りたくなる程か弱いんだよな。
シャツを握り締める小さな手は力強いのに、震えている。
俺は静かに、咲夢さんの頭を撫でることしか出来なかった。
おかえり……その言葉を今は言えない俺自身、心が弱い奴だろう。
「夢の中でも寝ているとか、無駄に豊満な部分を更に育てる気か?」
「え、なっ……この!」
「いでぇ」
ぱちん、と弾けるような勢いで頬にビンタされたが、咲夢さんらしくて良いな。
この痛みは痛みであるが、愛おしいってもんだぜ。
夢なのに痛いのは、意識があるってことだよな。
俺はビンタしてきた咲夢さんの手をそっと握ってから、久しぶりに咲夢さんを見て心を落ちつかせた。
「以前の護衛失敗して悪かったな……迎えに来た」
「気づくのが遅すぎですよ、翔様」
鈴のような優しい音色が耳をなでると、俺は再度咲夢さんの温かさに包まれていた。
耳元で揺らぐ気持ち……人はそれを、人に向ける感情って言うんだよな。
咲夢さんを抱きしめ返してから、一つだけ疑問を、感情を投げかける。
「寂しかったか?」
「翔様、来てくれてありがとうございます。私は今、幸せです」
「……そうかよ」
俺は咲夢さんに依頼されているから、助けるのが、護衛するのが普通だと思っていたけど、そうじゃなかったのかもしれないな。
咲夢さんからの『幸せです』その言葉一つに、心はどこか洗われた気がしたんだ。
「それと、すまなかった。過去の護衛の件、それを忘れようとしていた事……」
明確には夢々に忘れさせられていた、というのもあるが、俺自身も失敗を引きずって、目を逸らして忘れようとしていたんだ。
コインの表と裏のように、忘れようとしても忘れられるはずがない、自分の背にぴっとりと隠れていたのに。
どうしてだろうな、咲夢さんを抱きしめる腕が振るえる。
咲夢さんはそんな俺の感情を理解してるのか、微笑みを一つこぼした。
「もう、水臭い話は翔様らしくないですよ。水は流すのが一番ですから」
「意味、間違えてるぞ」
「わざとですから」
これだから、咲夢さんには調子を狂わされるんだよな。
「そういや……あのやさ――シチューは咲夢さんが作ったんだろ?」
咲夢さんが目を丸くしているのを見るに、俺が気づいていないと思っていたな。
俺は少し苦笑をこぼしてから、息を吸った。
「うまかった」
「翔様は、本当にお優しい方ですね」
頬を赤らめている咲夢さんは褒められるとは思っていなかったのだろう。
別に俺は、うまければうまい、って言うタイプだ。
こんな俺にシチューを作ってくれたから、感謝をしたかったから。
咲夢さんの肩に手を動かし、距離を腕が伸びている分とった、その時だった。
「な、なんだ!」
「……やはり、起きてしまいましたか」
落ちてくる砂は激しく量を増し、世界の基盤全体が揺れ始めたんだ。
その原因を知っているかのように上を見上げる咲夢さんは、この出来事を予測していたのか?
とはいえ、ここが意識の墓場なのは夢々から聞いたが、何が起こっているんだよ。
「夢が歪み始めているのです」
「夢が歪み始めている?」
「ええ。本来、この夢の主とも言える私が助けられ、夢々の持っていた偽りの世界が滅びを迎えようとしている……そしてここは意識の墓場であり、夢の墓場でもあります」
咲夢さんの言葉に、俺は息を呑んだ。
確かに俺は咲夢さんを助けて、夢々を元あるべき場所に返すこともした。それが、本来は触れてはいけないトリガーだとは思わないだろう。
「歪みは、私の体質でもある様々な人の夢を集めてしまう力……それにズレが生じて、この落ちてくる砂が全てを意味しています」
咲夢さんの説明で何となく理解できた。
つまり今までここに落ちてきていた砂は、他者の夢が朽ち果てたものだったんだ。
実際、十字架に括られていた咲夢さんを助けるために落ちた際も、所々が砂に変わっていたし、不思議な話じゃない。
とはいえ、問題は他にあるんだよな。
面倒なことに、これは咲夢さんにしか頼めない一つだけの道標だけどな。
「……咲夢さんは、目を覚ますことはできるのか?」
「私はいつでもできますが。……でも、翔様はこの場所の影響……私の夢の中の意識に重なっているのもあって、目を覚ませなくなるかもしれないのですよ」
この場所が咲夢さんの夢なのは、誰よりも俺が一番理解している。
俺の見る夢なんて、全てが白い世界だから。
それと現状に起きている歪みは『願望が夢で実現された時、残留思念として取り残されてしまう』というルディアの仮説通りになっているんだ。
――俺が愛でられたい仮面の少女こと夢々と、本来の咲夢さんを攻略したから……夢の中では残留思念、意識として分別されたってことか。
と考えたところで、俺のやるべきことは変わらないんだよな。
暗殺者として、依頼主の依頼を完璧に実行するのが『ソラ』としての最後の役目だ。
俺はおどおどしている咲夢さんの手を、力強く握った。
「――咲夢さん」
「はい」
「俺を信じて、先に目覚めててくれ。そして、ルディアを、お前の専属医を安心させてやれよ。そして、そして、帰宅の挨拶をしてやれよ……お前の帰りを、咲夢さんの帰りを待っていた全ての人に」
俺は夢の中で、咲夢さんを愛することを知れてよかった。
だから今は、お別れだ。
咲夢さんを……心から抱きしめた。
咲夢さんの身体からぽつぽつと光の粒が浮かび始めていた
きっとこれは俺の想いが咲夢さんの意識に届いたんだろう。俺個人の、最後の願いとしての夢が彼女に。
「嫌です! ようやっと再会できたのに、いやですよ! 翔様ぁぁあ!」
腕を離すと、咲夢さんの身体は続く暗い世界から浮かび上がり、光の粒に包まれ始めたんだ。
咲夢さんの悲痛な叫びは、俺の心を深く刺してくる。
――どうして、こんなに痛いんだよ。
いつの間にか、視界は水に濡れていたんだ。悲しくないのに、辛くない筈なのに。
咲夢さんが細い腕を、小さな手を伸ばして、必死に抗おうとしているのが見える。
「別れたくないですよ! 翔様も一緒に、帰宅の挨拶をしましょうよ……かけるさまぁああ!!」
「悪い、咲夢さん……少しの間、お別れだ。咲夢さん、ありがとう。こんな俺を、必要としてくれて」
「かける、さまぁあ……」
涙に濡れた視界を誤魔化し、自然と伸ばした手は、届かなかった。
一息つく間もなく、咲夢さんの身体が浮かび上がっていくのを最後に、足元から割れた地の間に俺は落ちていたんだ。
上向きで落ちていく時、視界に銀色の光が浮かんでいた。
泣いているのか、俺は。
終着点が見えない、そんな意識の壁とも言える深い渓谷に落ちているのか。
――咲夢さんを悲しませちまったな。でも、俺の最後の依頼主が、愛の感情を芽生えてくれる咲夢さんでよかった……。
俺は落ちていく中、目をつむったんだ。
脳裏に映る咲夢さんとの思い出が、痛い。




