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23 夢を見るのが望みなら、夢を持つのは希望

 ――体が宙に浮いているのか?


 俺はぼんやりとする意識の中、目を覚ました。

 体に感覚はなく、どこか広い、ただただ果てしない、光すら差さない海の中を浮いているみたいだ。


 そんな不思議な空間で、考えを広げようとしていた時だった。


「誰だ」


 思わず口にしたが、どうやら感覚的には夢の中であっているらしい。

 その、見えないもの、に対して話しかけたのはギミックだったのか、ぼんやりとした白い靄が人の形を露わにしていった。

 俺はその人影、形は誰よりも心当りしかない。


 白髪に後ろの三つ編み、まんまるとした大きな胸に、狐を模したお面……咲夢さんだ。いや、お嬢様のような黒い服装を見るに、夢々が正しいか。


「……夢々です」

「なんでいきなり敬語になってんだよ?」


 本当に何なんだ?

 面倒なことに、どこかぷかぷかと宙に浮かぶような暗い海の中で、先ほどの夢々と真逆の態度をされれば困惑しかないだろう。


 にしても、どこか寂しげな声だ。

 近くにいるのに、画面の向こう側で話している……そんな、遠くの点同士を繋いでいるような気分。


 てか、夢々って名前をどうしてこいつが認識してるんだ?

 複雑な考えが脳裏をよぎるし、咲夢さんと同じくデカいわで、俺の気持ちをどこまで揺さぶれば気が済むんだよ……。


「別に関係ありません。あなたみたいな飢えた狼は、言っても聞かないでしょう?」

「……で、ここはどこなんだ?」

「……すぐに理解できます」


 夢々がそう述べた瞬間の出来事だった。

 黒い世界はぼんやりと照明がつくように、世界の形を変えたんだ。


 さっと辺りを見ると、沢山の衣服に、衣服を着たマネキン……そして、それらを手に取ってみる人間の姿を見るに、お洋服屋さんと判別できる。


 ――これは、ゲームで言う所の仮想空間? 夢が記憶なら……復元か?


 ふと手を見れば、ぼんやりと歪んでいる。


「来ましたね……いえ、開いたと言った方が、翔様には伝わりやすいでしょうか」

「開いた。やっぱり、これは記憶ってことか」


 夢々の方を見ると、夢々も同じく背景に同化するようにぼやけているが、俺が認識できるってことはそういう事だよな。

 バーチャルリアリティーさながらの、記憶の追体験を見ているのか。


 そして夢々が見ていた方向を見て、俺は正直言葉を失った。


「……もしかして、俺なのか?」

「ええ。これは咲夢の記録で、翔様と初めてのお買い物をした日です」


 楽しそうに様々な服を手に取って、あれやこれやと彼に聞いている、咲夢さんの姿があった。

 驚いたことに、暗殺者時代……ソラとして存在していた俺の姿もある。

 相も変わらない面倒くさそうな表情は、無理やり咲夢さんに連れまわされていたからだろう。


 周囲を見ると、チラチラと咲夢さんの方を見ている人たちがいた。このお店全体、西園寺財閥が噛んでいると考えられる。

 大きな仕掛けは変わらないんだな。


 様子を見ていると、咲夢さんは試着室に入った。

 そして数分後、試着室から出てきたんだ。


『翔様、こんなお洋服はいかがでしょうか?』


 出てきた咲夢さんは、今の俺が一番よく見ている、白いお嬢様の服を試着していたんだ。

 夢々が新手の精神攻撃をしてきているのかと思って身構えたが、この記憶は俺の復元できていない記憶。

 少し、泳がせてもいいかもしれないな。


『……俺の前だけなら許す』


 咲夢さんは一言だけだと不服なのか、わざとらしくその場で回っていた。


『それだけですか? もう少し、感想をくれてもいいのですよ? 翔様は私の付き人という設定なわけですし』

『胸がでかいな』

『……わたくしに魅力を感じてくださっている、ってことですね。決めました、このお洋服を買いましょうか』


 ……これが真実なら、俺って過去から咲夢さんの胸に見惚れていたのか?

 志堂のおっちゃんにもからかわれてたから、事実なんだよな、事実でしかないんだよな。

 思わず心の中で二度確認してしまうほど、今見ている光景に困惑していた。


「信用できない、と言った様子ですね」

「信用か。俺は記憶の全てを復元できていないんだ……それ以前の話だろう」

「……でしたら、好都合」


 俺が身構える間もなく、夢々は指を鳴らした。

 見ていた光景は水を裂くように開き、視界に、俺が知っている真新しい記憶を焼き付けてきやがったんだ。


「記憶。それは、寝ている際の脳が処理をし、自我を保って形成するようなもの。意識ある記憶……翔様、あなたの目にはどう映ります?」

「どう映ります……って、これは見せちゃいけんでしょうに? ゲームだったら強引モザイクか、暗転する場面だぞ、おい!」


 俺は夢々に軽く怒りの感情を割いたけどな……目はガンギマリのガンギマリ、この世界の記憶にくぎ付けにされてるんだよ!


 移り変わった世界は、考える必要も無い程俺にとっては近々の記憶だ。

 ……俺が咲夢さんの髪を洗った後の、咲夢さんが一人になった時の光景。


 その咲夢さんが目に毒――タオルを身に着けない、白い素肌を露出してんだから、俺の自家発電は自動的に行われるっていうもんだ。


 何処からともなく遮るハイライト光線で妨害されているが、完全に布を身に纏わない柔な姿を焼きつけちまう。

 面倒だな……夢の中で発情したら、漢的にはあれってもんだぜ?


 お風呂で浸かっている咲夢さんをガン見していると、夢々がくすくすと笑うから、こいつもこいつで大概だろ。

 夢々だって、服を脱げば同じだろうが。体型含めても!


「……飢えた狼ですね。咲夢の前でもそれを口にすればよかったじゃないですか」

「夢だからって、アバウトに人の意識を読むもんじゃないからな……俺が意識あって動けたら、その首飛んでるからな」

「翔様は、しませんよ。それに、意識に眠る気持ちを言葉に示せば、きっと咲夢も受け入れますよ」

「なにを言ってるんだ、お前は?」


 俺のその疑問は答えへと変わったんだ。

 見る光景が、咲夢さんの記憶自身が、答えを知っていたから。


『翔様、記憶が戻っていないのですね……私のせいで。でも、ああやって見てくるのは変わらないのですね。ふふ、言ってくれればお相手くらいはしてあげるのに。仮面を外した私からしても、翔様は飢えていない狼ですから』


 咲夢さんが自分の胸の形を変えるように腕で触れながら、肩にお湯をかけて独り言を呟くから、息を呑み込んじまうだろう。

 この記憶は完全に、咲夢さんの髪を俺が洗った後の記録で、聞くこともない呟きだ。

 つまり、咲夢さんは俺のことを知っていたけど、敢えて確信に至る記憶に触れてこなかった。


 とはいえ、今呟かれた咲夢さんの『お相手くらいは』という言葉を仕草と重ねて捉えるなら、俺は咲夢さんの何を埋めていたんだ?


 不思議な感情が、目に焼き付けた大きさよりも先に、脳裏をよぎっている。


「……頃合いですね」

「何を? ……うっ、眩しい」


 夢はまた変わったのか?

 眩しさで遮った腕を避けると、そこはオレンジ色の太陽が照りつける、夕焼けを反射した海と砂浜だった。


 そしてその砂浜に、寄り添って座り込む二人の面影ありき。


「……これは、海? それに、咲夢さんと俺が水着を着ているのか?」

「ええ。これは、咲夢が唯一、翔様との思い出で一番思い返している記憶の一つです」

「……一番の思い出」


 夢々の補足を頼りに、俺はもう一度目をやった。


 砂浜に座っているのは紛れもなく、咲夢さんと俺だ。


 座る咲夢さんは、水色を主とした、大人っぽい感じがありながらもフリルがついた、おしとやかなお嬢様を思わせるビキニを着用している。

 大きな形良き胸はビキニで支えられているのも相まって、確かな重厚感、確かな存在感、漢のロマンを全面的に押し出してきている。


 白い肌はおへそや太もも、ビキニの肩紐から見える鎖骨を浮き彫りにして、変に心をくすぐってくるんだよな。

 何気に夢々はからかっているのか、全方面を見れるように俺ごと円を描くように移動するから、咲夢さんの真っ白な肌からそびえたつ背も魅力的に見せてきやがる。


 ――夢々……夢なのもあって、人々の不安や絶望だけじゃなくて、幸福度を高める見せ方も知っているのか?


 以下略姿の俺が居なきゃ、もっと咲夢さんをガン見してたかったんだけどな。


「……別に、この件が無事に済んだなら、嫌という程、周りを透過させて見せてあげますよ」

「人の心を読むな」

「飢えた狼はしばきますよ」


 夢々には何を言っても無駄か。

 現状、この夢の中は彼女の独壇場だ。俺には手出しができない、領域と言う夢の中だから。


 にしても、この夢……よくできてるな。

 やっぱり、俺が忘れているだけか。

 夢々は記憶の再生を止めていたのか、指を鳴らせば、海がさざめき始めた。夕焼けの光を吸収して、海に散りばめられた宝石を輝かせて。


 咲夢さんの白髪はツーサイドアップになっていて、緩やかに吹いた風が、夢の俺の肌を撫でるようになびいていた。


『翔様、この依頼が終わってしまったら、居なくなってしまうのですか?』

『……さあな』

『そう言いながら、また私の胸を見ていますよね。いい加減、その弄りも飽きましたよ?』

『別に弄ってるつもりはねえよ。ただ、お前の胸だけが好きになったから見てた……何か問題でもあるのか? 切られたりしなきゃ、減るもんじゃないだろ?』

『だけ、ですか。……もう、切られたりしなくても、減るものはありますよ』


 咲夢さんは俺の言葉に少し苛立ち気味になったのか、頬を膨らませていた。それでもわざとしているのか、自身の胸を寄せる仕草をするから、俺の目は釘付けになってるんだよな。


 ――もしかして、俺が気づいてなかっただけで……咲夢さんは、恋愛感情を俺に抱いていたのか?


 人が人を好きになる。俺にはそれが分からない。

 でも今は、理解できた気がするし、これが夢だと言うのならより深められた気がするんだ。

 とはいえ、夢と今の俺含め、咲夢さんの胸を見すぎているのは反省か?


『ふふ、成功した暁には、依頼主は追加でご褒美をあげてもいいらしいですよね?』

『人による。俺は基本的に断ってるけどな』

『そのご褒美の内容はですね』

『聞けよ』

『翔様の望みを叶えて差し上げますよ。ふふ、どうします?』

『望み、か。……じゃあ、お前の、その、さわ……』

『仕方ない人ですね。私の夢での件を解決できたのなら、考えておいて差し上げますよ。……翔様のせいで、甘えたくて落ちつかないですし……』

『……あっそ。いだぁい』


 余計な一言は、本当に剣を振りかざすんだよな。

 夢の俺は案の定、咲夢さんに頬を叩かれていた。

 それでも嬉しそうに、咲夢さんと笑いあっていたんだ……この次の日、今に繋がる事件が起こることを知る由もなく、幸せそうに。


『それじゃあ、先ほどの罰として、夢の中の私に名前をつけてください』

『夢の中のお前に?』

『ええ、そうです。翔様に、名前を貰いたいのです……駄目でした?』

『……じゃあ、夢の中でも夢のお前……咲夢に会えるから『夢々』なんてどうだ?』

『良い名前ですね。夢々……愛でてもらいたい時、この名で現れましょうか』


 他愛もない会話の筈なのに、どうしてなんだろう、心が温かい。


 俺は、咲夢さんの胸だけって言ってたけど、ただ単に気づいてなかったんだな。

 夢々、お前は本当に、俺に攻略の糸口を記憶を見せることで教えてくれたよ。

 咲夢さんの持っている気持ち……俺はそれに気づけないといけなかったんだからな。


「へっ、そうかよ」

「……翔様?」


 ――人が夢を見るのが望みなら、夢を持つのは希望だよな。


 俺は覚悟を心に決めて、改めて夢々と向き合ったんだ。

 辛さも、不安も、絶望の集合も、幸せの一つを知るためにあるから。


 ――攻略の再開だ――。

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