22 恐れることを恐れない決意
目を開けば、俺は宙に放り出されていた。
向かい風のように打ちつけてくる風が、開いたパーカーの裾を激しく揺らしている。
夢の中に入れたようだ。
そんな真っ黒な大地に垂直落下しながら、咲夢さんの居る場所へと向かっていた。
最後は心がくじけそうだったのに、今は背を押されているようで、温かい。
鍾乳洞が横向きで伸びた崖の先端を見つけ、俺は黒い地に降りたった。
先ほどと同じで、十字架に咲夢さんが括られているのが見える。
遠く感じていた距離なのに、今では近く感じるな。
ふと笑みをこぼしている俺は、今を楽しめているのか。
「おっと……夢々か」
「今度は、逃がさない」
近づいたとなれば、やっぱりそう簡単に、はいお返しします、で終わらないよな。
面倒だけど、俺はエンディングを見るんだ。
咲夢さんに帰る場所を、居られる場所を見させるのが、依頼された俺が暗殺者として進む最後の任務だから。
「どうして……どうして、止まらないの!」
「……もう、この終わらない悪夢に終止符を打たないといけないからだ」
誰が何の為に始めた物語かは不明だ。それでも、始まりがあれば終わりがあるように、終わりから始まる世界を目指してやる。
面倒な気持ちもあって、怖い気持ちだってあった。諦めたいほど、迷いたいほど、かけがえのない溢れる気持ちも投げたいほど……物語は進んでいたんだ。
沢山の迷いや気持ちがあったのに、俺は歩めている。
地を踏みしめていると、無数の黒い手が夢々の背後から現れた。
こりゃあ、反抗的だな。
「……こいよ。受け止めてやる」
夢々――彼女を作り出してしまったのは、結果だけなら俺だ。
過去を思い出したから、反省を振り返る必要もなく、黒い手を受け止めようと理解出来る。
結果が何であれ、あの黒い手を弾くことに意味はない。
無数の黒い手は躊躇や戸惑いなく、俺を囲ってきたんだ。
渦のように囲む黒い手に、抵抗の意志や、捕縛しようとする意志を感じない。俺の憶測、経験則は間違っていないんだな。
ただ、黒い手の隙間から見える彼女、夢々の表情は仮面に阻まれているが恐れているのを俺は知っている。
――お前らも……感情の君たちも、本当は寂しかったんだよな。
この黒い手に、俺はそっと触れた。
弾こうとせず、ただ手を繋ぐように。
おそらくだが、この黒い手自身が咲夢さんの本心――つまりは咲夢さん自身の昇華されたエゴという名の感情に近い性質を持っているはずだ。
大切な感情を払い避けようと、武器で傷つけるような真似をすれば、過去を繰りかえすだけで何も変わらない。
変わらない毎日と同じように、些細な変化にすら気づいてやれないんだ。
「咲夢さん、恐れなくていい、俺はここにいる」
変わらないな、俺が咲夢さんをこうやって受け止めようとするのも。
咲夢さんは、俺に最初で最後の依頼をした時なんて、わがままで、ちょっと離れるだけで……幼い子がぬいぐるみを抱きしめているように、甘えてきたくらいなんだけどな。
そんな咲夢さんの気持ちに気づけなかった。……まあ、今でも俺は気付けてないだろうけど、受け止めることくらいはできていたんだよ。
俺が一歩、また一歩と前に進めば、黒い手は道を譲るように横に避けていった。
咲夢さんが理解してくれたなら、ありがたい限りだな。
こんな飢えた狼、ましてや咲夢さんの胸ばっかりを見ている男のどこがいいんだろうな?
「駄目、これ以上は」
「夢々、そこをどいてくれ」
咲夢さんへの道は開けたのに、夢々はまだ抵抗を為みているらしい。
とはいえ、この夢自体が完全に咲夢さんの夢、って言い切れないから俺も不完全なところだよな。
咲夢さんの夢なら、黒い手を俺が受け止めた時点で、霧が晴れるはずだ。
やっぱり、咲夢さんが十字架に括られて、夢々が自由に動けるのに攻略の糸口はあるのか?
俺は縛られている咲夢さんを視界に入れつつ、夢の中なのに感覚があるかのように、一歩ずつ、確かな一歩ずつで同じ場所から抜け出し始めた。
嫌がる夢々を無視して、
「いや、いやぁああ!! 駄目なの、絶対に、だめぇええ!!」
振り向いた時、夢々が仮面を抑えてもがき苦しんでいるように見えた。
「くそが……何が起きて……」
夢々が恐れた感情をあらわにした瞬間だった。
地形は、空間は、視界が割れて知らない感覚は宙に放り出されたんだ。
俺はあと一歩、咲夢さんに手が伸ばせる程の距離だったのに、あがくように伸ばした手は溺れた。
――咲夢、さん……また、ここで、終わるのかよ。




